日記 2020年 7月
1998年 9月14日 熊本  田原坂

       

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2000年12月29日 鹿児島  西郷隆盛洞窟   西郷隆盛終焉の地   南州墓地 
         私学校跡          西郷隆盛誕生の地
                      

                       
鶴丸城跡   

     12月30日 熊本  田原坂

       

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2001年 2月 3日 京都  坂本龍馬寓居之跡   中岡慎太郎寓居之地  古高俊太郎寓居址  坂本龍馬遭難之地    坂本龍馬の墓

                     

       桂小五郎幾松寓居址  池田屋騒動之址    佐久間象山&大村益次郎遭難之碑  土佐藩邸跡 翆紅館跡

             

        佐久間象山寓居之址   霊山官修墳墓    木戸孝允の墓、   高杉晋作の墓  本間精一郎遭難之地 

     2月11日 京都  寺田屋   新撰組屯所跡    島原大門           輪違屋               角屋

           

     4月30日 熊本  田原坂        吉次峠激戦地跡       吉次峠篠原国幹戦死の地  
       

           乃木第十四連隊長奮戦の地    薩軍病院跡  植木町西南の役薩軍戦没碑  薩軍本営跡  熊本隊本営跡


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2003年 5月17日 京都 伏見  寺田屋         11月14日 京都  新撰組屯所跡       11月15日 高知 桂浜       坂本龍馬
                              

     12月20日 東京 田町  勝海舟・西郷隆盛会見の地         12月21日 神奈川 横浜  生麦事件跡 

                           

     12月28日 静岡 伊豆下田  唐人お吉記念館(宝福寺)  安直楼           ペリーロード         黒船見張り台跡

                

                下岡蓮杖写真記念館   吉田松陰像  下田開国記念館  ペリー上陸の碑   玉泉寺 

                          

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2004年 8月15日 熊本  吉次峠   篠原国幹戦死の地    玉名市繁根木   西郷小兵衛戦死の地  横井小楠記念館

                          

     8月28日 鹿児島  西郷隆盛終焉の地  南州墓地  私学校跡  西郷隆盛誕生の地  西郷隆盛蘇生の家

                                  

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2005年  1月22日 山口   松下村塾                3月19日 高知 桂浜  坂本龍馬

                         

     10月15日 山口 萩  松下村塾

     12月24日 宮崎 延岡  和田越戦場跡 

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2006年 1月14日 山口   松下村塾

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2008年 5月16日-18日 函館  五稜郭            土方歳三最期の地碑          碧血碑
         


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 2012年 8月4日 -----------------------------------------------------------------------------

 幕末維新紀行回想 1 幕末古写真

幕末維新の古写真に興味を引かれたのは、ずいぶん昔からだが、そのきっかけとなった本が「1億人の昭和史 - 昭和の原点 明治」毎日新聞社 上・中・下の三冊。当時の風景や人物・風俗の写真には、非常に豊かな風情、美しさ、趣が感じられ、見ているだけですごく想像力がかき立てられておもしろい。
当時の写真家は、外国人でF・ベアト、日本人最初の写真家として、上野彦馬、下岡蓮杖などがいる。
それから幕末古写真を扱った本を買い集める。こういうところが、何でも全部手に入れたがる性分なのだが??

今、所有している写真集は??

「写された幕末-石黒敬七」明石書店
「幕末日本の風景と人びと」明石書店
「Fベアト幕末日本写真集」横浜開港資料館

・・・この本は横浜のこの開館でしか手に入らない。

「甦る幕末」朝日新聞社

・・・この本は、同じタイトルで二冊出ている。
ひとつは副題が<ライデン大学写真コレクションより>
もうひとつは<オランダに保存されていた800枚の写真から>
どちらも大型本。

「古い写真」館、朝日新聞社
「薩摩島津古写真集」新人物往来社
「決定版昭和史1幕末?明治18年」毎日新聞社
別冊歴史読本「古写真に見る幕末明治」
「写真で見る幕末明治」世界文化社
「古写真で見る街道と宿場町」世界文化社

できれば、タイムスリップして、この時代の風景を実際に見てみたい???










 8月5日 ----------------------------------------------------------------------------------------------------

 幕末維新紀行回想 2 ?田原坂 - 西南戦争

私の生まれは熊本の玉名郡木葉で、ここは西南戦争の激戦地であった。
有名な田原坂は、となりの植木町にあり、20代の頃、自分のルーツを求めて熊本を訪ねた時に、祖父と一緒に田原坂を歩いて登った。

田原坂は、加藤清正が作った戦略用の道で、坂としてはゆるやかなだらだら坂だが、曲がり道が多く、周辺は深い竹林で覆われているため、当時は昼間でも暗く、敵がここを通る時に林の陰から攻めやすいようになっていた。そして、当時は大砲などの大きな荷物を運ぶには、この坂を通らなければならなかった。

祖父からは、よく西南戦争の話を聞かされた。西南戦争は明治10年なので、祖父はまだ生まれておらず、祖祖父から話を聞いたのだろう。
祖父は、熊本テレビ西南戦争100周年記念番組に出て、そのエピソードを語ったらしい。
そういうきっかけから、西南戦争について興味を持ち始め、その後もこの田原坂には二度訪れる。

20代に訪れた時は、戦争の遺品などは粗末な金網小屋の中に雑然と置かれていたが、その後、立派な資料館が出来る。確か、道もまだ舗装されてなかった、と記憶している。
田原坂では、里見浩太郎が西郷隆盛を演じた長編ドラマ「田原坂」が感動させる。
このドラマのテーマソング 堀内孝雄 - 遥かな轍
https://www.youtube.com/watch?v=VXyhQQwl844




 8月6日 ^-------------------------------------------------------------------------------------------------------

 幕末維新紀行回想 3 西郷隆盛

西南戦争の主役は西郷隆盛だが、名前は超有名でも、どんな人だったのか、何をした人だったのか、よく知らなかった。
それで西郷のゆかりの地、鹿児島に2000年と2004年に行く。
西郷や西南戦争について知るには、ドラマ「田原坂」(DVDが出ている)を見るか、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読むのがいいと思う。
私は西南戦争からの西郷に特に興味があるので「翔ぶが如く」は7巻から10巻までしか読んでいない。

西郷という人は人望家で、情け深い人だったらしい。西南戦争の原因も、明治政府の方針に反発した西郷が鹿児島に戻って私学校を作ったりして、反政府的な行動に出たため、政府が鹿児島の動向を恐れ、西郷の暗殺を狙ったり、薩摩藩の武器弾薬を奪ったりする。
これに反発した薩摩が、政府に対して尋問すたるめに挙兵したものだが、鹿児島から陸路で江戸に向かう予定が、政府軍の進撃で、熊本より先に進めず、約半年以上の攻防で、結局鹿児島に戻って来て、城山で薩摩軍は全滅してしまう。
そもそも明治政府の基礎を作ったのは西郷なんだけど、その愚直で不器用な生き方に心を動かされる。

西郷は大の写真嫌いで、残されている肖像画もみんな、西郷の死後に描かれた想像図にすぎない。
日本人とは何かを探ってみると、西郷隆盛の存在はすごく大きいと思うのだが・・・





 8月8日
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 幕末維新紀行回想 4 熊本

2004年7月に熊本の西南戦争の史跡を訪ねた。特に行きたかった所が、西郷小兵衛と篠原国幹の戦死した跡地。

西郷小兵衛は西郷隆盛の弟で、兄弟は、隆盛が長男、次男の吉二郎は戊辰戦争で亡くなっている。三男に従道、小兵衛は四男で、人格沈重にして思慮深い人物であったといわれている。西南戦争の時、熊本玉名の繁根木、菊池川のほとりで31歳で戦死している。
この戦死した場所に行くのには、かなり迷った。ある本に載っていた一枚の写真と、川の名前だけを手掛かりに探して、なんとか見つけたが、雑草に隠れて目立たずひっそりと石碑が立っていた。

もうひとりは篠原国幹。薩摩軍の一番隊長。
寡黙でありながら、非常に統率力があり、信望の厚い人物だったという。この人は熊本玉名の南、吉次峠で戦死している。

この戦死の場所もわかりにくかった。峠の山道が何本も分かれ、目印もない単調な風景で、迷いに迷ってなんとかたどり着いた。しかし、今また行っても、たぶんまた迷うだろう。
この二人、どちらもなぜか、とても引き付けられる人物である。




 8月10日 --------------------------------------------------------------------------------------------------------

 幕末維新紀行回想 5 坂本龍馬

龍馬のゆかりの地を訪ねて・・・

 

高知には2003年11月15日と、2005年3月19日に訪れた。最初の日が奇しくも龍馬の誕生日だったが、これはまったく意識していなかったこと。
龍馬誕生の地、桂浜にある龍馬像、龍馬記念館などに行く。記念館の建物は現代的すぎて、どうも個人的には殺伐として好きではないが、ここに、龍馬が殺された時の血痕のついた屏風絵が展示されている。桂浜の土産店は、まさに龍馬一色の景観。


京都には、たびたび行っているし、ゆかりの地は多い。

伏見・寺田屋

 

伏見奉行の襲撃を受けた場所だが、なんともオリジナルは鳥羽・伏見の戦いで焼失していて、現在建っているのは明治時代に建てられた複製。それでか文化財としての保存政策はないらしく、地主は、正直、採算が取れないので処分したいらしい。これは、ずいぶん前に新撰組資料館のオヤジに聞いた話だが・・・


龍馬遭難の地・近江屋跡
 
京都河原町通り当初石碑を建てようとした場所が喫茶店の建設予定地で、店主から縁起が悪いとの苦情があり、そこより北側の現在の場所に建てられる。
2001年に訪ねた時は旅行代理店の前だったが、今は店が変わっているのだろうか?

龍馬の墓  京都霊山護国神社明治維新史跡公園内
ここに、龍馬と中岡慎太郎の二人の小さな像が置かれてあり、これは円山公園にある同じ像の縮小版のようなものだが、造形的にはこちらのほうが好きだ。
  
 




 8月13日 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 幕末維新紀行回想 6 ジョン万次郎

2005年3月19日、坂本龍馬の桂浜より西へ進み、足摺岬を目指す。その先に土佐清水中浜というところがあり、ここはジョン万次郎の生まれたゆかりの地である。

ジョン万次郎とは・・・
土佐国幡多郡中ノ浜(現土佐清水市)の漁師悦助の次男に生まれる。天保12年(1841年)暴風に遭遇、無人島の鳥島に漂着した。米国捕鯨船に救助され、船長ホイット・フィールドに才能を見込まれて、フェアヘイブンで初等教育を受けた。測量術、語学、習字を学習。のち捕鯨船乗員や鉱夫となり、金を貯え、嘉永3年(1850年)上海行き米国船に便乗、11年ぶりに帰国。河田小龍が取り調べに当たり、万次郎を自宅に三ヶ月も逗留させて彼のアメリカ周航体験紀を「漂巽記略」四巻としてまとめる。坂本龍馬がこれより影響を受けて、海外、開国へと目が開く。翌年のペリー艦隊渡来の際に幕府に召されて、伊豆韮山代官江川英龍の手付となる。万延元年(1860年)には咸臨丸通訳として渡米、維新後は開成学校教授に任ぜられて英学を講じた。明治31年、東京京橋弓町で没する。71歳。

・・・不思議な人だと思う。
何か、最初から運命付けられていたような、何かに導かれて生かされてきたような?? 約四ヶ月の長い孤島での漂流生活に耐えた後、アメリカでの大転換の人生が始まり、日本の開国に大きな影響を与えた。
この漂流生活をモデルにした映画が、ずいぶん前に上映された「漂流」北大路欣也主演。
この島?鳥島は、地図で探したら伊豆諸島のはるか南。万次郎の出航した土佐からは約1,000km近く離れている。アホウ鳥の生息地で、アホウ鳥の玉子を食べて生き延びたという。
??長く耐えて、絶望の果てに光が見える??
人生を考えさせられる人だと思う。











幕末維新旅行
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