日本各地への旅

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田原坂 [DVD]

田原坂崇烈碑文訳文  官軍の立場から書かれている。

左の古写真の家ではない。右奥には博物館がある。

熊本県鹿本郡植木町

地図

肥後民謡「田原坂」

2000年12月30日

1998年9月14日

2001年4月30日  熊本県植木町

田原坂崇烈碑

弾痕の家古写真

雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ田原坂
右手に血刀 左手に手綱
馬上豊かな美少年
泣くな我が妻 勇めよ男の子等
戦地に立つは今なるぞ
山に屍 河に血流る
肥薩の天地 秋さびし
草をしとねに 夢やいずこ
明けのみ空に 日のみ旗

田原坂公園

三の坂

二の坂

一の坂

明治10年(1877年)3月4日から17日間に及ぶ西南戦争最大の激戦地。
熊本鎮台のおかれた熊本城から植木町「田原坂」までの約15キロメートルは台地で続き、「田原坂」はその北端にある。
戦国の名将加藤清正はこの道を意図的に深く掘り込んだうえに、曲がりくねった凹道とし城北防衛の要地としていた。
 当時、大砲や軍事物資を載せた馬車の通る広い道はこの道しかなく、田原坂の強行突破を計る官軍は、左右の高い土手や正面の雑木林から姿の見えない薩軍に銃撃され、退却しようとすると前後に回り込んだ薩軍兵に切り込み攻撃を受けこの坂を抜くことができず、何の変哲もないわすが1.5キロメートルのこの坂をめぐって、3月4日から17昼夜にわたる激しい攻防戦が展開された。
 3月20日、現在、薩軍墓地のある柿木台場が陥落したことにより、田原坂本道方面を守る薩軍が背後からの攻撃を受け敗走するに至り、最後まで、官軍は田原坂本道を抜くことはできなかった。

田原坂古写真

田原坂

幕末維新紀行

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テーマ曲:堀内孝雄「遥かな轍」

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