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京都幕末維新史跡

久坂玄端の密議の角屋 とある石碑

島原には、揚屋と置屋があり、揚屋は太夫、芸妓などを一切かかえず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場である。 
この角屋は島原開基以来連綿と家督を維持守成してきた揚屋である。
 角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年国の重要文化財に指定された。 また、絵などは応挙・蕪村など、当時一流の画人の作品で、特に蕪村の「紅白梅図」の大作は重要文化財に指定されている。
 江戸中期の島原には、俳壇が形成されており、中でも角屋の六代目、七代目の当主は、蕪村・太祇らを師として俳壇の中核として活躍していた。
 幕末には西郷隆盛・久坂玄端などの勤王志士たちが軍用金調達のため時の豪商を角屋へ招いて会談を行ったところであり、また彼等を探し求めたしに新撰組が乱舞した場所でもあった。

10:00 - 16:00 / 1000円

2004年9月18日

島原角屋公式サイト

下京区西新屋敷揚屋町32

角屋

京都  
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