ザ・サイレント・エクスプロージョン 

    第9章:イエスの知られざる生涯
OSHO TOP
翻訳・出版暦
The Silent Explosion
イエスの知られざる生涯 TOP
   序文
 1 一人だけの独りへの飛翔
 2 瞑想:新しい次元
 3 アーサナとムドラーの神秘的な意味
 4 クンダリーニ : 超越の科学
 5 セックス、愛、祈り、そして瞑想
 6 生命のバランス
 7 宗教と人間の窓
 8 イニシエーションの神秘
 9 イエスの知られざる生涯           https://4travel.jp/travelogue/11524137 
10 OSHOからの手紙
11 チベット僧院への訪問




               The Silent Explosion  第9章:イエスの知られざる生涯

 質問: イエスは完全に光明を得ていたのですか?

 そうだ。彼は完全に光明を得ていた。だが彼は光明について全く無知な人々の中で生きたので、光明を得ていないように思わせる言葉で話さなければならなかった。他に可能性がなかったのでそういう言葉を使うしかなかった。

 仏陀が話すときは全く違った言語が使われる。彼は「私は神の子である」とは言えない。仏陀がそう言えないのは、息子や父という概念が全く馬鹿げているからだ。だがイエスにとっては、他のどんな言語を使うことも不可能だった。これは彼が話していたところだけで理解された。だから言語が違っている。仏陀が全く異なる言語で話すのは、彼が全く異なる人々に話しているからだ。そしてイエスは全く異なる人々に話している。

 確かに、イエスは多くの意味で仏陀と関係している。キリスト教徒はイエスが30年間継続的にいたところを認知していない。彼は聖書では30歳の時に現れ、そして33歳で、磔にされる。だからたった3年の物語しかそこにはない。一つか二つの物語しか知られていない。一つは、彼が生まれた時だ。その物語は知られている。そして、二つ目は、彼が7歳の頃で、大きな寺院での祝典にやって来た時だ。たった二つの出来事だけが知られていて、それから彼の聖職としての3年だ。残りの期間はまったく知られていない。

 だがインドにはそれに関して多くの伝説がある。彼は不明の年月の全てをカシミールで、仏教僧院で過した。そして彼がそこにいたという記録がカシミールの民話にある。これらの全ての期間、彼は仏教僧でいて、瞑想していた。それから突然、彼は30歳の時にエルサレムに現れる。それから彼は磔にされ、そして復活した物語がある。だが復活した後、彼はどこへ消えたのだろう?キリスト教はそれについて何も言わない。彼はどこに行ったのだろうか?彼はどこで自然に死んだのだろう?

 あるフランス人は彼の本「楽園の蛇」(ミゲール・セラノ著)の中でこう書いている。「彼が説教を始めた30歳まで、何をしていたのか、どこで生きていたのか、誰も知らない。しかし、彼はカシミールの元々の地名であるカシールにいたという伝説がある。『カ』は『・・・と同じ』または『・・・に等しい』を意味し、『シール』は『シリア』を意味する。」

 これはロシアの旅行家、ニコラス・ノトビッチによっても報告されている。彼は1887年のある時期インドに来て、ラダックを訪れたところで病気になり、高名なヘミス・ガンパの元に滞在した。ガンパの元での滞在中、彼は仏教経典や文学などの様々な書物を調べ、そこから世界のこの地域へのイエスの訪れについて多くのことを学んだ。彼はイエスについての、そしてイエスの教えやラダックへの訪れについての広範囲に及ぶ言及を仏教経典の中に発見した。後に彼は「聖イエスの生涯」という本を出版した。その中で彼は、イエスがラダックや他の東洋諸国へ訪れたことについて、彼が発見したことを全て述べている。

 ラダックからイエスは、そびえ立つ山の峠、雪で覆われた小道や氷河を旅した後、カシミールのパハルガムに到着したと記録されている。彼は長い期間パハルガム(羊飼いの村)で、羊の群の世話をして生きた。イエスが失われたイスラエルの部族の痕跡を見つけたのはここだ。

 その村は、イエスがここで生きた後に、パハルガムと名付けられたと記録されている。「パハル」はカシミール語で羊飼いを、「ガム」は村を意味する。その後、スリナガルへ行く途中で、イエスはイシクマン(Ishkuman) (パキスタン北部)---またはイシムカム(Ishmuquam)---で休憩し、説法した。そしてこの村(イエスの休憩場所)もまた、彼にちなんで名付けられた。

 イエスが十字架の上でじっとしていた時、兵士が彼の身体を槍で突き刺すと、血や体液が流れ出した。その出来事はヨハネの福音書に記録されている。19章の34節でこんな風に、「しかし、兵士の一人がイエスの脇腹を槍で突き刺すと、直ちに血と水が出た」。これはイエスが十字架の上で生きていたという信仰に導いた。というのも、死体から血が流れ出すことはないからだ。

 イエスは再び死ぬに違いない。磔が完了されて彼が死ぬか、キリスト教全体が死ぬか、のどちらかだ。なぜならキリスト教全体は復活に依存しているからだ。彼は復活し、それは奇跡になる。そうでなければならなかった。もし復活しなければ、ユダヤ人は彼が予言者だったとは信じなかっただろう。なぜなら来るべきキリストは十字架にかけられ、そして復活するだろうと予言されていたからだ。

 だから彼らはこれを待った。彼は見つかった。三日後、彼の身体は安置されていた洞穴から消えた。それから彼は見つかった。少なくとも8人の人々が彼の新しい身体を見ていた。それから再び彼は消えて、彼がいつ死んだのかについて、どんな出来事もキリスト教の範囲内では記録されなかった。
 彼は再びカシミールへやって来て、112歳までそこで生きた。それから彼はカシミールで死んだ。そしてその町---これが起こった正確な場所---はそこにある。


 質問: 彼は別の名前でカシミールで生きたのですか?

 いや、別の名前ではない。本当だ。なぜならあなた方は彼をイエスと呼ぶが、全てのアラビア世界では彼を「エサスEsus---エサウEsau」と呼ぶからだ。そしてカシミールでは、彼は「ヨウサ・アサフYousa-asaf」として知られていた。彼の墓は、とても遠い国からやって来てここで生きた「ヨウサ・アサフの墓」として知られていて、そこには彼が1900年前にその場所に来たことが記されている。

 この墓を訪れた「楽園の蛇」の著者はこう言っている、「私が初めてその墓に着いたのは、ある夕方のことだった。黄昏の光の中で、道行く人々や子供たちの顔は、ほとんど神聖に見えた。彼らは古代の人々のようだった。もしかしたら彼らはインドに移住したと伝えられているイスラエルの失われた部族の一つと関係があったのかもしれない。靴を脱いで中へ入ると、透かし細工を施された石の囲いで守られた非常に古い墓石を見つけた。そして墓石の片面には石に刻まれた足跡の形状があった。それは『ヨウサ・アサフ』の足跡と言われていて、伝説によると『ヨウサ・アサフ』はイエスのことだ。建物の壁には碑銘が掲げられており、そのすぐ下にシャルダ語から英語への翻訳が書かれてあって、『ヨウサ・アサフ(カーニャル、スリナガル)』と読めた。」

 その場所、その墓は全てユダヤ人特有のものだ。インドにあるどの墓もそのようなものではない。その構造はユダヤ人風で、墓の上の主文はヘブライ語だ。
 イエスは完全に光明を得ていた。この復活という現象は、キリスト教の教理にとっては考えられないように思えるが、ヨーガにとってはそうではない。ヨーガは信じている、そしてそれに関する充分な証拠がある---人は死ぬことなく全面的に死ぬことができるということの---。心臓は止まり、脈は止まり、呼吸は停止する。ヨーガにはこのための技法がある。知っているように、イエスは十字架にかけられた時、ある深いヨーガの行をやってみるしかなかった。なぜなら人が本当に死んでしまったら、復活の可能性はないからだ。

 磔にした人々が今彼は死んだと感じた時、彼らはその身体を引き降した。そして身体は信奉者たちに渡された。それから身体は、伝統的な儀式として、三日間洞窟に入れられた。そして三日目、その洞窟は空っぽであるのがわかった。彼は消えていた。

 さらにある宗派、キリスト教の一つの宗派、「エッセネ派」には独自の伝説がある。「エッセネ派」の信奉者たちは、彼が傷ついていたために、彼が回復するのを助けたと伝えられている。彼らは癒さなければならなかった。そして再び彼を見た時、彼は今「死んだ」のであり、「彼は磔にされていた」ために、信奉者たちは彼がイエスであることが信じられなかった。そこで彼が同じ男であることを示せる唯一のしるしは彼の傷跡だった。これは聖書に記録されている---彼が癒された傷跡を見せたことは。その傷はエッセネ派の信奉者たちによって癒された。これらの三日の間に治療は行われて、傷が癒された時、彼は消えた。彼はその国から消えなければならなかった。なぜならもし彼がそこに留まったら、再び磔にされていただろうからだ。

 イエスが弟子たちによって十字架から降ろされた後、彼は薄いモスリンで包まれ、ある軟膏が彼の傷に塗られた。---それは「イエスの軟膏」として今日でも知られている---そして彼は健康を取り戻した。彼の二人の信奉者、ヨセフとニコデモは、人々は彼が死んだことに納得しないだろう、それではまずいと思って、彼の身体を洞窟へ移して、その出入口を巨大な丸石で塞いだ。

 イエスは三日間洞窟に留まって、試練から立ち直ったと記録されている。三日目、嵐による激しい地震があった。洞窟を監視していた兵士たちは安全のために逃げた。洞窟の出入口にあった巨大な丸石は動かされていた。イエスはそこにいなかった!イエスが洞窟から消えたことが、復活と彼の昇天という通説に導いた。

 この磔は全面的に彼のマインドを変えた。それから彼は完全に沈黙して生きた。彼は予言者ではなく、聖職者ではなく、伝道者ではなかった。この磔は彼のマインドを全面的に変えた。それから彼は全く沈黙して生きた。それが多くのことが知られていない理由だ。そして彼はインドで生きた。そしてインドには(そして聖書にも) ユダヤ人たちの一つの群れが消えたという伝説がある。モーセがイスラエルに到着した時、ユダヤ人たちの一つの群れが消えた。そしてこの群れがいなくなったところを発見するために、とても多くの使者たちが送られた。本当に、カシミール人は彼らの顔、気質、あらゆる表情の点でユダヤ人らしい。

 アウラングゼーブ(ムガール帝国第6代君主 1658-1707年)が統治していたインドを訪れた有名なフランスの歴史学者ベルニエールは、「ピルペンジャレ山(Pirpenjale)を超えて王国に入ると、国境の村の住人たちはユダヤ人に似ているように思えた。」と書いている。

 カシミールを移動する時はいつでも、ユダヤ人の国を移動しているように感じる。だからイエスがカシミールに来たのは、そこがインドの中のユダヤ人の国だったからだと考えられている。ユダヤ人の群れはそこにいた。カシミールには多くの物語が残っているが、人はそこに行ってそれらを発見しなければならない。

 イエスは長期間パハルガムに留まり、彼のためにその村は生まれた。彼は羊飼いだった。象徴的に、彼は羊飼いとして知られていたので、パハルガムは羊飼いの村を意味し、パハルガムには1900年前にやって来て、そこで生きた「ヨウサ・アサフ」に関するいくつかの物語が残っている。そして彼は村の設立者だった。だからもしカシミールに行くなら、そこにはその思い出を、記憶を持つ非常に多くの場所がある。唯一の名前が「ヨウサ・アサフ」だ。エサスやエサウから「ヨウサ・アサフ」に行くのはそんなに難しくない。引き続き、70年間、彼はインドにいて、70年間沈黙したままだった。知られることなく、隠れたままで、もちろんグループと一緒に。そのグループは彼と共にあった。

 だがキリスト教には多くのものが欠けている。イエスに関してさえも、多くが欠けている。彼の全人生は知られていない。彼が何を修行し、どのように瞑想したのかは知られていない。そして記録したキリスト教の使徒たちはみんな無知な人々だった。彼らはあまり多くを知らなかった。一人は猟師で、もう一人は大工か、またはそのような何かだった。12人の使徒はみんな無知だった。


 質問: しかしパウロは医者でしたよ!

 そうだ、だがその時代のユダヤ人たちの中での医者だ。そして彼らはイエスが沈黙していた間に彼が何をしていたのか知らなかった。彼らはイエスが丘に行って30日間沈黙していたことを記録しただけだった。それから彼は戻って来て説教を始めたが、彼はそこで何をしていたのだろう?何も知られていない---何もだ!そして彼は宗教よりもっと社会的な、そして政治的なものにますます関わるようになった。そうでなければならなかったのは、彼の周囲にいた人々が完全に非哲学的だったからだ。

 彼が言ったことは何であれ間違えられ、誤解された。彼は「私はユダヤの王である」と言った。彼はこの世界の王国のことを意味していたのではなかったのだが、これは誤解された。彼は例え話を引用して話していたのだが、これは誤解された。そして私は彼の敵が誤解しただけではないと思っている。それは彼の信奉者たちや使徒たちによっても誤解された。それは彼らもまた「この世界の王国」という見地から考え始めていたからだ。そして彼らはみんな無知な人々だった。イエスが話していることは何であれ他のどこかの世界に属したものか、または象徴的なだけのことだ、ということが彼らには理解できなかった。だから彼らは遅かれ早かれイエスが王になるだろうとも考えていた。それが全ての面倒な事を作り出した。実際、イエスは違う国でなら磔にされなかったかもしれなかった。ユダヤ人にとってそれは問題だった。

 本当に、ユダヤ人は最も唯物主義的な人種の一つのままであって、いまだに唯物主義的だ。実際、彼らにとっては別の世界など無意味だ。彼らはこの世界にしか関わっていない。たとえ彼らが別の世界について話しても、それはこの世界の延長だ。それは超越ではなく継続だ。彼らは異なったタイプの思考を持っている。だから物質的科学に関する限りユダヤ人の貢献は優れているのだ。そしてこの全世界を唯物主義的な概念で形成したことに責任がある人物はカール・マルクスだ。それは偶然の一致ではない。カール・マルクス、フロイト、アインシュタイン---これらの三人のユダヤ人は20世紀を作り上げた人々だ。これらのユダヤ人たちが全世界を作った。なぜだろう?

 ユダヤ的な概念の一部でない人は、今日のこの世界には誰もいない。彼らを見る限り、ユダヤ人はとても現実的で、地に根付いている。そしてキリストは仏陀のように話し始めた。そこにはどんな出会いも、交わりもなかった。彼は絶え間なく誤解された。

 ピラトは彼自身の同胞よりもイエスをより理解していた。ピラトは無実な男が不必要に十字架にかけられようとしていると絶えず感じていたので、彼を磔にしないように最善を尽くした。これは絶対にナンセンスだと感じていた唯一の男がピラトだったが、その時そこには政治的な思惑があった。そしてイエスを磔にしている時でさえ、その最後の瞬間、ピラトは彼にある質問した。「真理とは何だ?」

 イエスは沈黙したままだった。それは仏教徒の答えだった。なぜなら仏陀だけが真理に対して沈黙したままだったからだ。他の誰もそうではなかった。何かが常に言われてきた。何も言うことはできない、ということさえ言われたことになる。仏陀だけが沈黙したままだった---完全に沈黙していた。ユダヤ人はこの事によって、イエスは知っていない、と理解した。「もちろん、もし知っているなら、彼は言うに違いない!」

 だが私は、ピラトは理解していたと常に感じていた。彼はローマ人だった。彼は理解していたのかもしれない。それからピラトはその場から消え失せた。彼はただ消えた。彼は司祭に全権を委ねた。彼は巻き込まれたくなかったのだ。この全ての事柄は二つの言語の間で、異なる言語の間で起こる。イエスは別の世界について話す---もちろん、この世界の言葉で---、そしてユダヤ人は全ての言葉を文字通りに理解する。

 これは例え話や象徴の長い伝統があるインドでは起こらなかっただろう。インドでは逆の誤解があり得る。この世について話しているある人は、あの世について話していると誤解されるかもしれない。その伝統はとても長い間続いている。そしてインドにはこの世界のロマンス、愛、セックスについて、完全にこの世界について語り続ける詩人たちがいる。だが彼らの信奉者はそれらの詩を象徴として、あの世の象徴として解釈し続ける。たとえあなたがワインや女について語っても、彼らはワインは何らかのエクスタシーを意味していると考えるだろう。そのようにそれは起こる。それは長い伝統だ。

 ユダヤ人は想像力がなく、まったく文字通りに受け止める。そして彼らはとてつもなく同じままでいた。彼らは世界に対して異なる見解を持つ奇妙な民族だ。だから彼らはどんなところでも決してくつろげなかったし、そうすることはできない。なぜなら彼らは奇妙で異なるマインドを持っているからだ。ユダヤ人の心に侵入するのは常に難しい。彼らは囲いを持っている。そしてユダヤ人が家無しであればあるほど、彼らは防御的になってしまった。

 しかし基本的なことは、彼らが物質の見地から考える、つまり「神は物質と密接な関連がある」ということだ。だからイエスを理解することは不可能になったのだ。なぜならユダヤ人は、もし誰かがあなたに悪い事をしたら、二倍の力で彼に悪い事をしなさい、と言うからだ。これは物質的に対応するやり方だ。「反発しろ!もし誰かがあなたの片目をえぐったなら、その者の両目をえぐれ。」そしてイエスは全く正反対の事柄を語り始めた。もし誰かがあなたの頬を叩いたら、もう一方の頬も差し出しなさい、と。これは完全に仏教徒の姿勢だった。

 本当に、いったいどうしたら一人のユダヤ人が突然こんなことを言い始められるのか、想像もできない。そんな伝統はなかったし、過去との繋がりもなかった。そして因果関係がなければ何も起こらない。だからイエスがユダヤ人であるとは思いも寄らない。イエスは突然現れたが、彼には過去にどんな根も持っていない。彼は過去のユダヤの歴史と関わっていない。彼はそれとは何の共通性もない。ユダヤ人の神からすれば、イエスの愛、彼の慈悲はまったくナンセンスだ。ユダヤ人の神より嫉妬深い神など想像もできない。それより暴力的な神や、それより怒る神などは考えられない。もし誰かが言う事を聞かないなら、彼は一瞬でどんな町でも破壊できる。もし一人が神にそむくなら、町全体を破壊し、焼くことができる。そこへイエスが突然現れ、そして「神は愛だ!」と言う。これは他の何かが因習に侵入しない限り考えられないことだ。

 仏陀が慈悲について語る時、それは考えられないことではない。インド全体が何世紀もの間、それについて語ってきた。仏陀は因習の一部だが、イエスはユダヤの因習の一部ではない。だから彼は殺されて磔にされたのだ。

 インドでどんな覚者も決して殺されなかったのは、どれほど反逆的であっても、彼は因習に属しているからだ。どれほど反逆的であっても、彼はより深い傾向を強め、人は彼がインド社会よりもインド的であると感じ始める。なぜなら彼はその国の基本的な傾向を強めるからだ。だがエルサレムでのイエスは完全な部外者で、その民族には全く知られていない言葉、言語、象徴を使った。それなら彼は必ず磔にされる。それは当然だった。だから私がイエスを見る限り、私はイエスが深い瞑想の中に、深い光明の中にいたが、本当に宗教的でも哲学的でもなく、政治的な民族に巻き込まれていたのがわかる。

 ユダヤ人は世界に偉大な哲学者を与えてこなかった。彼らは偉大な科学者を与えてはきたが、偉大な哲学者は与えてこなかった。その民族のまさにマインドが異なっている。それは異なる方法で働く。イエスは単なる部外者、よそ者で、彼はごたごたを引き起こし始めた。彼は沈黙させなければならなかった。

 それから彼は逃亡し、決して再び試みようとしなかった。それから彼は、あるグループと一緒に静かに生き、沈黙して秘儀的に働きかけた。そして私はいまでもそこに存続する隠された伝統があるのを感じる。もし人がキリスト教をただ忘れて、キリスト教なしでイエスを見つけるために原点に立ち戻るなら、人は豊かになるだろう。しかし今、キリスト教は障壁になっている。イエスについて考える時はいつでも、キリスト教的解釈が唯一の解釈になる。

 「死海文書」が20年前(1970年頃より)に死海のそばで発見された時、大変な騒ぎがあったのはこの文書がより信憑性が高かったからだ。もともとそれはエッセネ派によって所有されていた。しかしキリスト教はどんな歩み寄ることもできない。それらはユダヤ人についての異なる話を、完全に異なる物語を伝えている。「コーラン」でさえ異なる物語を持っている。そしてモハメッドは多くのユダヤ人の神秘家たちと接触していたように思える。

 私が何かを言っている時、私は自分の周りに二つのタイプの人物を作る、ということが常に起こる。一つは大衆的であろうとする。彼らは組織化するだろう。彼らは物質的な、社会的な、外部の世界の線に沿って多くのことをする。本当に、彼らは私が言っていることは何でも保存するように助力するだろう。他のグループは内側の世界により関係する。そしてその強調するところが違ってくるため、遅かれ早かれ彼らは必ず対立するようになる。

 内側のもの、秘儀的なマインドは全く異なる何かと関わっている。そして最終的に外側のグループが勝つのは、彼らはグループとして働きかけられるからだ。これらの秘儀的な人たちはグループとして働きかけられない。彼らは個々に働きかけ続ける。一人の個人が失われる時、何かが失われる。そのように誰にでもこれは起こり、最終的に外側のグループがますます有力的になる。それは確立したあらゆるものと共に教会に、教義になる。それは一つの体制になる。そして体制がすべき最初のことは、それ自身の秘教的な部分を殺すことだ。なぜならそれは常に邪魔だからだ。常に邪魔だ!

 だから異端という名においてキリスト教は秘教的なものを全て破壊してきた。そして現在、法王はまったくイエスとは正反対の極端にいる。これが二つの現象の究極の成長、最終的な成長だ!彼はイエスのようであるよりも、イエスを磔にした聖職者のようだ。そしてもしイエスが再びやって来るなら、彼はこの時代のローマで、ヴァチカンによって磔にされるだろう。これが大衆的な、組織化された、体制的な部分だ。

 しかしこれらは本質的に存在する問題だ。それらは起こる。あなたは何もすることができない。だがイエスはちょうど仏陀、マハーヴィーラ、クリシュナのように光明を得た人だった。彼はそうだった!


 質問: 和尚、聖書には多くの奇跡が記録されています。例えばラザロが、身体が既に酷く臭っていた後にイエスによって死から蘇ることです。死んだ人が生き返ることは可能なのでしょうか?あなたはこれは真実だと思いますか?

 それは可能だ。それは非常に異なる方法でなら可能だ。もしあなたがその人は既に死んでいると思うなら、それは可能ではない。だがその人はまるで死んでいるかのように見えているのかもしれない。もしその人が既に死んでいるなら、それは可能ではない。


 質問: しかし身体は既に臭くなっていたことが聖書に述べられています。

 身体は臭くなり得る。その人は昏睡状態に陥っていたのかもしれない。すると身体は、深い昏睡状態では臭くなり始めることがありえる。そして他の可能性もある。その時代のユダヤ人たちは、他の可能性が何なのか理解できなかった。例えば、あなたの魂は身体と繋がっていられるが、それから外に、身体の外にあるのかもしれない。その時身体は保護されなければならない。そうしなければそれは悪化し始めるだろう。そしてもし魂が外にあって身体が悪化しているなら、身体は昏睡状態に、深い昏睡状態に陥っている。

 それは生き返らせることができる。そしてイエスのような人は、今それは問題だという理由で、生き返るのを助けることができる。身体に戻って来るために身体の周辺に浮遊している魂を呼び戻すために、非常に強い力が必要とされる。インドでは、私たちには多くのそのような出来事がある。

 例えば、あなたはシャンカラについて聞いた事があるに違いない。シャンカラは偉大な学者、マンダン・ミシュラと大変な討論をしていた。彼はインドでは最も知られた二元論の学者だった。シャンカラは彼と議論をするために来た。それはインドでは伝統的な方法だった---議論して、それから誰かが勝つ、その時その相手は弟子になる。それは戦いではなく、非常に友好的な議論だった。もしあなたが納得させることができるなら、その相手は弟子になる。この条件をもって議論はインド中で続いてきた。シャンカラはマンダン・ミシュラと議論をするために一つの村から別の村へと行かなければならなかった。しかし審査をする者に問題があった。彼らは両方とも、二元論の人と非二元論の人という二人の高レベルな中心人物だった。誰がその討論を取り仕切るのだろう?取り仕切るにふさわしい者は誰もいなかった。そして彼らが何を言っているのか、誰が負かされて誰が勝ったのかを、誰が理解できるのだろう?

 その唯一の人物はマンダン・ミシュラの妻だった。これは稀なことだった---女性に取り仕切らせるということは。しかしそこに他の選択の余地はなかった。そこでマンダン・ミシュラの妻が審査をすることになった。それからマンダン・ミシュラは負かされたが、妻は、彼は負かされたがそれはただ半分に過ぎない、と宣言した。その理由は「私は彼の別の半分です。だから今、シャンカラよ、あなたは私と議論しなければならないでしょう。」というものだった。

 それは策略であり、シャンカラは非常に大きな困難に陥っていた。マンダン・ミシュラが負かされたことは宣言されたが、それがただ半分だけだと言うのは、インドでは、妻は半分で夫はただ半分に過ぎなくて、ただ二つの半分だけが一つの全体を作る、と言われているからだ。だからマンダン・ミシュラはただ半分が負かされただけだ。半分はまだ残っている。「そこで今マンダン・ミシュラが取り仕切り、私はあなたと議論するつもりです。」と妻は言った。そして彼女は本当に稀な女性だった。彼女はセックスについて議論し始めた。そしてシャンカラは面倒な目に遭っていた。彼は独身主義者だった。だから彼は「今、私は打ち負かされようとしている」と感じた。なぜなら彼はセックスについて何も知らなかったからだ。その全ての現象は彼にとって未知だった。

 彼はその策略を感じたが、今彼はその罠にはまっていた。そこで彼は6ヶ月の猶予を求めた。彼は言った。「まず私に、セックスについて知ることができるように6ヶ月の休暇をください。その時にだけ私は議論しに来ることができます。そうしなければ私は既に負かされています。」そこで6ヶ月の休暇が承認された。

 その時そこには問題があった。その物語は美しい。彼は自分の全人生に対して独身の誓いを立てていたので、この身体をどんなセックスの体験のためにも使うことができなかった。従って、彼は別の身体に入るために自分の身体から去らなければならなかった。

 ある王が死にかけていた時、彼はその王の身体に入った。そして彼自身の身体は保持させるために、継続的に保護するために、彼の弟子たちと共に後に残された。なぜならもし何かが起こるなら、彼は再び自分の身体に入ることはできないだろうからだ。そこで6ヶ月間彼らは不断の寝ずの番をした。12人の弟子たちのグループが絶えず起きたままでいた。

 彼は死にかけている王に入った。身体は既に死んでいた---全く死んでいた。その時彼は生き返った。それからシャンカラは6ヶ月間、深い性的な体験の中で生きた。王の妻は何かが違うことを感じ始めたが、どうしたらいいだろう?身体は同じだが、その人物は違うように見える。それからシャンカラは彼自身の身体に戻った。議論は行われ、そしてマンダン・ミシュラの妻であるバラティは負かされた。

 これは一つの可能性で、イエスはラザロを生き返らせる助けをしたのかもしれない。しかしキリスト教は多くの事柄に気づいていない。ラザロは深い昏睡状態に陥っていたのかもしれない。深い昏睡状態では、身体は悪化し始め、昏睡状態は数年間継続することができる。私は9ヶ月間昏睡状態にいた女性を見たことがある。もし誰かがその身体を保護しないなら、彼女はまさにこの瞬間に死ぬだろう。従って、あらゆることが為されなければならない。彼女はまるで死んだようにただ横たわっている。もしあなたが7日間彼女を忘れるなら、彼女は臭くなり悪臭を放つだろう。彼女は何もすることができない。だからイエスは昏睡状態にいた人を、あるいはどんな理由であろうと魂が外に出ていた人を助けたのかもしれない。

 しかし死んだ人は再び生きることはできない。もし彼が生きるなら、それは彼が死んでいなかったという意味だ。私に関する限り、世界に奇跡は決して起こらない。何かが奇跡のように見えるのは私たちが全ての物事を知らないからだ。それが奇跡のように見えるのは私たちがそれの全ての因果関係を知らないからだ。


 質問: 聖書に伝えられている他の奇跡についてはどうなのですか?例えば、イエスが二きれのパンと五匹の魚で数千人の人々に食べ物を与えた、というものは?あなたはそれを説明できますか?

 多くの事が可能であり、何も奇跡ではない。何も、だ。例えば、物質化でさえ奇跡ではない。それは科学であり、物質化は可能だ。それは可能で、そのような事が多くある。何かが未知の経路を通ってここに持って来ることができる。あなたはその経路に気づいていない。何かがここに現れるが、それは物質化ではない。例えば、スイスの時計を店からここに持って来ることができる。霊がそれをここに持って来るのを助けることができる。その時あなたは霊を見ないでただ時計だけを見るだろう。しかしそれは物質化ではない。それはあるところから来たスイス製の時計だ。ただその通路が知られていないだけだ。だが何かが無から生じるという物質化も可能だ。


 質問: どうしたらそれは可能なのですか?

 あなたが「どうしたら?どうしたらそれは可能なのですか?」と尋ねる時、その「どうしたら」は答えるのが難しい。なぜならあなたはそれをすることができるために非常に長い修練を積まなければならないからだ。


 質問: 例を挙げることができますか?

 できる!例えば、あなたのマインドが集中できるようになればなるほど、あなたは物質化ができる地点のより近くに来る。もしあなたが完全に集中していられるなら、物質化は起こる。マインドが今のままである限り、あなたは一瞬さえも集中できない。もしあなたが一秒間でさえ焦点を合わせられるマインドを全て用いて一瞬でも集中できるなら、その時何でも意志すればそれは現れるだろう。しかし非常に簡単な方法でそれをしたほうがいい。

 例えば、コップを持って、それを水で満たしてごらん。それからいくらかのグリセリンか、または油を水の表面にたらしてごらん。ピンは油かグリセリンの上に浮かぶため、その表面に非常に細いピンを浮かばせてごらん。それからそのピンに集中しなさい。集中し、2分間瞬きをせずにあなたの両目の焦点を合わせなさい。それからピンが右方向へ行くという指示を与え始めなさい。すると7日以内にあなたはそれを動かすことができるだろう。それからピンに止まるように指示してごらん。するとピンは止まる。それから「さあ、左へ動け」と言ってごらん。するとピンは左に動く。

 もしピンがマインドからの指示に従うことができるなら、あなたは物質化のための何かを達成したのだ。それは長い過程だ。しかし今あなたはマインドには物質に勝る力があるのを感じることができる。いったんこの力が感じられるなら、あなたは更に先へ進むことができる。完全な集中において、物質化は可能になる。その時はただ意志することだけが必要になる。他の何も必要ない。マインドは完全に集中されていて、それが「バラの花」と言うと、バラの花が現れる。

 これが理由でインド人たちは、この全世界は神のマインドの中の単なる夢に過ぎないと常に言ってきた。神は夢を見る、するとそれは現れる。神が夢を見るのを止める時、それは解体する。


 質問: あなたはそれをすることができますか?

 私はそれをすることができるし、それをしないこともできる。なぜなら私はそれの馬鹿馬鹿しさを感じるからだ。そして二番目の能力の方がまだいい。仏陀にそれをするように説き伏せることはできなかったが、イエスはそれをしなければならなかった。そしてまたもやその理由は同じものでしかない。なぜならユダヤ人はそれが奇跡であり、物質的な何かでない限り何も信じられなかったからだ。彼らはそれが奇跡でない限り納得できなかった。

 インドでは、人は仏陀を、どんな奇跡もすることなくても彼は至高である、と想像することができる。だがユダヤ人はこう尋ねる。「あなたは奇跡を行うことができるのか?もしあなたが奇跡を行うなら、その時だけあなたが言っていることは何でも意味深いと信じることができる。」だから奇跡を行うことを望んでいたのはイエスではない。ユダヤ人が彼にそうさせていたのだった。そうしなければ、彼の考えや説教は無意味に見えただろう。

 例えば、私たちは奇跡を行う仏陀を想像することさえできない。なぜならそれはマインドの非常に低い状態に至るからだ。なぜ誰かを納得させることにそれほど関わるのだろう?なぜそんなに関わるのだ?時にはある奇跡が仏陀の周りで起こる。だがそれは為されていない。それは起こる。それは特別な状況で起こる。だが更に、そこにはいつくかの層がある。例えば、全ての奇跡が聖書に記録されている。ある時はパンが現われ、ある時は病気が消え、ある時は死んだ人が生き返る。これらは非常に物質的だ、非常に物質的で、非常に平凡な事柄だ。パン、病気、死---それらは平凡な人間の日々の問題についてのものだ。

 仏陀は、全ての生は夢だ、と言う。もし誰かが再び生きるようになるとして、それに何の意味があるだろう?それは無意味だ。それは夢が再び現実性を持ち始めるというだけのことだ。

 ある物語が記録されている。ある子供が村で死んだ。そして母親は子供にとても取りつかれていたので、彼女は自殺しようとした。仏陀はその村にいたので、ある人が、涙を流し、泣いて、自殺するために逃げようとしているその母親を連れて来た。そこである人は言った。「仏陀のところに来なさい。彼は何でもすることができる。彼は光明を得た人だ。何でも可能だ。来なさい!彼は慈悲深い人だ。もし彼があなたに慈悲を感じ始めるなら、子供は生き返るかもしれない。」

 そこで彼女は死んだ子供を抱えて来て、その子供を仏陀の足元に置いた。ユダヤ人の国でのイエスを想像してごらん。もし子供が生き返らなければ、イエスは終わりだ。その時イエスが完全に終わらされるのは、彼が間違っているのを証明されたからだ。彼は「そう主張している本人ではない!」ということだ。

 しかし同じ物語に関して子供が仏陀のところに連れて来られる時、仏陀は何と言うだろう?彼は母親にこう言う。「彼が再び生きるようにさせよう。だがあなたは一つのことをしなければならない。町を巡ってあらゆる家を訪ね、そしてこう尋ねなさい。『誰も死んでこなかった家は、誰も死んでいない家はありますか?』もし誰も死んでいない家が村にあるなら、私は夕方にこの子供が再び生き返るようにさせるだろう。」

 そこでその女性は行ってあらゆる人に尋ねた。あらゆる家で、あらゆる家族で誰かが死んでいた。そして夕方、彼女が戻って来た時、彼女は死が現実であることに、死は生の一部であることに気づくようになった。そこで仏陀は彼女に尋ねた。「さて、いかがだろう?誰かの死のせいで苦しまなかった家が、家族が、そんな誰かがいただろうか?」

 その女性は言った。「私は自分の子供を再び生き返らせるために来たのではありません。私は入門を受けるために来ました。死は現実です。子供は死にました。私は死すべきもので、誰もが死ななければならないでしょう。だから決して終わりのないその生のために私を入門させてください。」

 これはより大きな奇跡だが、私たちはそれを想像することはできない。私たちは理解できない!もし子供が生き返るなら、それは奇跡になる。これはより深い慈悲を持つより大きな奇跡であり、異なる民族にとってそれは可能だ。そうでなければそれは不可能だ。それでその女性は出家僧(サニヤシン)になった。子供の死は生の欲望のためではなく放棄のために利用される。

 もし仏陀の弟子が空腹なら、彼は奇跡のパンを与えようとはしない。むしろ、かえって、彼はこう言うだろう。「この空腹を目撃しなさい。あなたがそれを超越できるように、あなたがそれから遠ざかることができるように、その空腹を目撃しなさい。その空腹はあなたの中はない。それは周辺のどこかにある。だからそれを覚えていなさい。それを使いなさい。」

 イエスはパンを供給しなければならないが、仏陀は彼の信奉者たちを断食するように納得させなければならない。そして誰かにパンを与えることは奇跡ではない。だが誰かに断食の用意をさせることは奇跡だ。しかしそれは私たちがどう定義するかによる。私が全く奇跡に関わっていないのは、これが全てナンセンスだからだ。私たちが生きる生全体は不合理だ。たとえあなたがその中に何かを作り出すことができても、それは無意味だ。

 私が関心のある唯一の奇跡は、あなたを超えたものへ押し進める方法だ。超えたものの一瞥でさえ奇跡であるだろう。そして私がそれを見る限り、もしイエスがこれらの事をすることから自分自身を回避していたなら、彼はよりましに人類に奉仕していただろう。なぜならこれらをすることによって彼は馬鹿者たちを引き寄せたからだ。もし私が何かを物質化できるなら、それは馬鹿者たちがますます私の周りに集まるということが必ず起こる。そしてすぐに私は馬鹿者たちに囲まれるだろう。なぜなら彼らだけがこれに興味を持つことができるからだ。

 民衆がイエスに興味を持つようになったのは、いわゆる奇跡のせいだ。彼はこれを通して彼らを助けようとしたが、それは不可能だった。それどころか、彼自身が苦難に陥った。私はキリストが誰かを助けることができたのかどうかはわからない。それは不可能だった。

 もしあなたがサイ・ババのところに行くなら、彼はあることをしている。だがその時はただ馬鹿者たちだけが引き寄せられる。もし指輪が私の手に現れるとして、それがどうしたというのだ?それがスピリチュアルな現象とどう関係しているというのだ?たとえこの家全体が消えて、そして再び現れたとしても、それがどうしたというのだ?そのため、私は奇跡と馬鹿者たちを引き寄せることしかできない人たちには関心がないのだ。


 質問: イエスを仏陀と比べると、イエスは非常に活動的で革命的に見えます。これはなぜですか?

 それには理由がある。だが最初にある説明が必要だ。インドのヨーガは人間を二つの部分に分割する。太陽の部分と月の部分だ。太陽は内的な陽性の象徴で、月は内的な陰性の象徴だ。「太陽」によってそれは外側の太陽を意味しているのでもなく、月によって外側の月を意味しているのでもない。これらの言葉は内的な宇宙のために使われる。さらに一つの息は太陽の息として知られていて、もう一つの息は月の息として知られている。息は40分から1時間の間に一つの鼻孔から別の鼻孔へと変わる。もしあなたが身体により以上の熱を必要とするなら、あなたが突然怒るなら、あなたの太陽の息が始まる。ヨーガは言う、もしあなたが怒っている時に自分の月の息を使うなら、月の息が内側に深い涼しさを作り出すため、あなたは全く怒ることができない、と。

 陰性は涼しさ、沈黙、静けさだ。陽性は熱、エネルギーで震動すること、活動的なことだ。太陽はあなたの活動的な部分で、月はあなたの非活動的な部分だ。人が最初に太陽を知っているなら、光は炎のように、焼けるように熱くなる。だからもしあなたが仏陀の、またはイエスの内的な生を分析するなら、通常は隠されている多くの物事が明らかになる。

 例えば、仏陀のような光明を得た人が生まれる時はいつでも、若い頃は非常に革命的でいるだろう。なぜなら人が内側の次元に入る瞬間、その最初の体験は燃え立つような炎だからだ。仏陀が年老いれば年老いるほど、内側の涼しさがより感じられる。月の段階が完璧になればなるほど、革命は失われる。だから仏陀の言葉は革命的ではないのだ。

 イエスはこの機会を得ることができなかった。彼はまだ革命的だった時に磔られて、33歳の年齢で「キリスト教のために」死んだ。だから、もしあなたが仏陀の発言をイエスの発言と比べるなら、そこには明快な違いがある。イエスが言っていることは若者が言っているように見える---熱い。仏陀の若い頃の発言もこのようなものだが、彼は80歳まで生きた。彼は磔にされなかった。その理由はインドが常にこれが起こることを---ある人が内に入る時はいつでも、最初の表現は燃え盛るようなもので、革命的で、反逆的だ、ということを知っていたからだ。それがインドは決して誰も殺さなかった理由だ。それが、ギリシャ人がソクラテスに対して振る舞ったように、そしてユダヤ人がイエスに対して振る舞ったようにインドは決して振る舞わなかった理由だ。

 インドは、覚者(ブッダ)が彼自身の内側に入る時はいつでも、最初の体験は革命的であることを知っていた。彼は燃え盛る面の上で弾けて爆発するだろう。だがそれからその面は消え、そして最終的にただ月だけが、沈黙だけがある---どんな火もなく、ただ光と共にある。イエスは若い頃に磔にされた。だからキリスト教はいまだに不完全なままなのだ。キリスト教は若い頃のイエスに、まさに炎であった時のイエスに基づいている。だからそれは不完全なままだったのだ。

 仏教は完全だ。それは最初の日から満月の光まで、全ての段階で仏陀を知ってきた。これは西洋にとっては不運だ。イエスは彼がまさに炎であった時に、彼が33歳だった時に磔にされた---これは歴史で最も大きな不運の一つであることが証明されてきた。炎は月光に変わっただろうが、その機会は与えられなかった。そしてその理由はただ、ユダヤ人が内的な現象に気づいていなかった、というだけのことだ。

 インドは多くの覚者(ブッダ)たちを知ってきた。そしてそれは常に、誰かが内的な次元に入る時はいつでも、彼は火を感じる、革命的な側面が浮かび上がる、という事例がある。もし人が内側に居続けるなら、これは溶解する。それからそこにはただ沈黙だけが、月光の沈黙だけがある。

 熱を光に変えることは内的な錬金術の秘密の科学だ。石炭をダイヤモンドに変えることや卑金属を黄金に変えること、これらは単なる象徴だ。錬金術師は、本当は卑金属を高貴な金属に変えることには決して関わっていなかった。しかし彼らは隠さなければならず、秘儀的な秘密、象徴学を作らなければならなかった。なぜなら初期の時代では、内的な科学について語って殺害されずにいることは非常に難しかったからだ。イエスは殺された。彼は錬金術師だった。そしてイエスの後に生じて発展したキリスト教は完全に彼に逆らった。キリスト教の教会は再び錬金術を、内的変容の錬金術を試みていた人たちを殺し、虐殺し始めた。

 キリスト教は本当に宗教へと開花することはできなかった。それは聖職者的な事柄のままだった。それはサニヤシン(探求者)を作り出すことはできなかった。それはただ説教者---生気のない訓練された、規律を課せられた者---しか作り出せなかった。


 質問: もしイエスが磔の時にまだ反逆的で活動的な段階にいたのなら、それは彼が完全な霊的成長と仏陀のような内的な沈黙を達成できなかった、という意味でしょうか?

 磔の時、彼はまさに月のセンターに入っていたが、ただその日だけだった。だからそれは理解されるべきであり、そのため聖書に書かれているイエスは仏陀やマハーヴィーラ、老子のようではないのだ。彼はそうではない!

 覚者(ブッダ)が寺院に入って金貸し屋を叩くなど思いもよらないが、イエスはそれをした。彼は寺院に入って行った。例年の祝祭が行われていた。そしてエルサレムのこの大きな寺院の中で、多くの物事がそれと関連していた。そこには寺院と共同でやっている大きな金貸しの商売があった。この寺院のこれらの金貸し屋は国全体を搾取していた。人々は1年の間に例年の集会と別の集会にやって来て、彼らは高い利子で金を手に入れる。しかし金を払い戻すことは不可能だった。彼らはすべてを失う。そしてこの寺院はますます裕福になろうとしていた。それは宗教的な帝国主義だった。国全体は貧しくて苦しんでいたが、金は自動的にこの寺院にやって来る。

 イエスはある日、手に鞭を持ってそこに入った。彼は金貸し屋のテーブルをひっくり返して彼らを叩き始めた。彼は寺院に混乱を引き起こした。あなたはこれをしている仏陀を想像することはできない---不可能だ!イエスは最初の共産主義者だった。そして、本当に、それがキリスト教が共産主義を誕生させることができた理由だ。ヒンドゥー教はそれを誕生させることはできない。どんな他の宗教もそれを誕生させることはできない---不可能だ!唯一、キリスト教だけだ!イエスにそれは関連がある。彼は最初の共産主義者であり、彼は激高しやすくて反逆的だった。

 まさに彼が使う言語が完全に違っている。彼は、私たちにはそれを信じることさえできないような事柄に対して怒る。イチジクの木のように・・・彼がそれを壊したのは、彼とその弟子たちが空腹だったのに、その木はどんな果実も実らしていなかったからだ。彼はそれを破壊した。彼は仏陀が発することのできないような言語で脅かした。彼と彼の神の王国を信じようとしない人たちは地獄の業火に、地獄の永遠の火の中に投げ入れられるだろう。そして彼らは戻って来れない。

 ただキリスト教の地獄だけが永遠だ。あらゆる地獄はほんの一時的な刑罰だ。あなたはそこに行き、苦しみ、そして戻って来る。だがイエスの地獄は永遠だ。これは不当だ、絶対的に不当だ。その罪が何であろうと、永遠の刑罰は正当化され得ない。それはできない!そしてその罪とは何だ?バートランド・ラッセルは「なぜ私はキリスト教徒ではないのか」という本を書いた。そしてその本の中で彼が述べた理由の一つは、「イエスは不合理に見える」だ。バートランド・ラッセルは言う、「もし私が、自分が犯した全ての罪と、考えはしたが決して犯さなかったそれらの全ての罪を告白しても、それでもあなたは私に5年以上の刑罰を与えることはできない。それでも永遠の、終わりの無い刑罰という概念を用いて、イエスは革命的な言語で話す。」

 革命的なものは常にもう一方の末端に、極端なものに目を向ける。彼は裕福な人に対してこう言う、---そしてあなたは仏陀やマハーヴィーラがそれを言うのを思い浮かべることはできない---裕福な人が私の父である神の王国の門を通過できるよりもすぐに、ラクダは針の穴を通過できる、と。金持ちは通過できない。これは共産主義の種、基本的な種だ。イエスは革命的だった。彼は精神霊性(スピリチュアリティ)についてだけでなく経済、政治、そしてあらゆるものに関わっていた。本当に、彼が精神霊的(スピリチュアル)な人だけでいたなら、彼は磔にされなかっただろう。彼はあらゆることに対して、全ての社会構造に対して、その現状に対して危険な人物になったので磔にされた。

 しかし彼はレーニンや毛沢東のような革命的な者ではなかった。もちろん、毛沢東やマルクスは、歴史にイエスがいたことを度外視しては考えられない。彼らは同じイエスに、若い頃のイエスに、磔られたイエスに属している。彼は火のような男で、反逆的で、あらゆるものを破壊する用意があった。しかし彼は単に革命的なだけではなく、精神霊的(スピリチュアル)な男でもあった。彼はマハーヴィーラと毛沢東をどうにかして混ぜ合わせたものだった。しかし毛沢東が磔にされて結局マハーヴィーラが残った、ということになる。

 イエスが磔にされた日はただ磔の日だけではなかった。それは内的な変容の日でもあった。ピラトがイエスに「真理とは何だ?」と尋ねた後、彼が黙ったままでいた時、彼はより禅師のように振る舞っていた。それは全くイエスのようではなかった。もしあなたがイエスのそれまでの生を、その生全体を見るなら、誰かが「真理とは何だ?」と尋ねた時にこの沈黙したままでいることは、全くイエスらしくなかった。彼は沈黙したままでいるタイプのマスターではなかった。

 何が起こったのだろう?なぜ彼は話さなかったのだろう?なぜ彼は途方に暮れているのだろう?彼は世界がこれまで生み出した最も偉大な雄弁家たちの一人だった。または私たちは躊躇することなく、最も偉大だ、とさえ言えるかもしれない。彼の言葉はとても見抜いている。彼は沈黙の人ではなく言葉の人だった。なぜ彼は突然黙ったままでいたのだろう?彼はまさに十字架の方に歩を進めて、その方へ行っていた。しかしピラトは彼に「真理とは何だ?」と尋ねた。生涯彼はただそれだけを定義していた。彼は生涯ただ真理についてだけ話していた。だからピラトは彼に尋ねたのだ。だが彼は沈黙したままだった。

 イエスの内側の世界に何が起こったのだろう?それは決して伝えられてこなかった。なぜなら伝えることは難しいし、キリスト教がそれを皮相なままにさせてきたからだ。それはイエスの内側の世界がインドでしか解釈できないからで、他のどこかでは決してできないからだ。ただインドだけが起こっている内的な変化を、内的な変容を知っている。突然何が起こったのだろう?イエスはまさに磔られようとしていた。彼は磔られるためにいる。今や全ての革命は無意味だ。彼が話してきたことは何であれ無駄になる。彼がそのために生きてきたことは何でも終わりに来ている。あらゆることが完了し、死がすぐ近くにあるために彼は今、内側に動かなければならない。時間は今や失うことはできない。たった一つの瞬間も今や失うことはできない。彼は磔られる前の今、終わらなければならない。彼は内的な旅を完結しなければならない。

 本当に、彼は内的な旅に行っていたが、彼は外的な問題にも巻き込まれていた。そしてこれらの外的な問題のせいで、彼はその涼しい地点、月の地点まで動くことができなかった。彼は火のようなままで、熱いままでいた。ある意味、彼はそれを意識的にしたのかもしれない。

 イエスは洗礼者ヨハネによって伝授(イニシエート)された。彼は洗礼者ヨハネの弟子であり、ヨハネ自身が偉大な革命的で霊的な人だった。そしてヨハネは何年もずっとイエスを待っていた。彼がヨルダン川でイエスに伝授したその日、彼はイエスに言った。「さあ、私のワークを引き継ぎなさい。私は消え去る。それで充分だ。」そしてその日からまた彼はめったにしか見られなくなった。彼は森の中に消えた。内的な言語では、彼は太陽の地点から月の地点に消えた。彼は沈黙するようになった。彼はそのワークをして、それを完結させる者にそのワークを与えた。

 まさに磔の日、イエスは今自分がしていたワークが終わったことに気づいたに違いない。「もはやそのための可能性はない。今はもう何もすることができない。私は内側に移動しなければならない。この機会を失ってはならない。」だから、ピラトが彼に「真理とは何だ?」と尋ねた時、彼は沈黙したままだったのだ。これはイエスらしくない。これは禅師のようだ。これは仏陀のようだ。そしてこれのせいで、キリスト教にとっては謎のままになった奇跡が起こった。これのせいで、奇跡が起こった。

 彼が自分のより涼しい、最も冷たい月の地点に動いていた時、彼は磔られた。そして初めて誰かが月の地点に来る時、彼の呼吸は止まる。なぜならその呼吸も太陽の地点の活動性だからだ。あらゆるものが沈黙するようになる。あらゆるものがまるで死んだようになる。彼はひそかに月の地点に動き、そして磔られた。そして彼がいなくなった時、彼らは彼が死んだと思った。これは誤った概念、誤解だった。彼を磔にした人たちは、彼が死んだと思った。彼は単に呼吸が止まる月の地点にいただけだった---出息も入息もない、その隙間に---。

 人がその隙間に留まる時、それは非常に深いバランスを保つ。それは死んだも同然だが、それは死ではない。そこで彼らは、磔をした者たち、イエスの殺人者たちは、彼が死んだと思い、それで彼らは弟子たちにイエスの身体を降ろさせた。ユダヤの国の慣習にのっとって、彼の身体はほんの近くの洞窟の中に3日間保存され、それから家族に引き渡された。

 彼は死んでいなかった。そして3日後に洞窟は開けられたが、彼はそこにいなかった。死体は消えていた。そしてこれらの3日以内に彼は見つかった。4,5人の人々が彼を見た。だが誰も彼らを信じない。彼らは村に行って彼が復活したことを言うが、誰も信じない。

 そこで彼はエルサレムから逃げた。あなたに言ったように、彼はカシミールに来てそこに留まった。しかしその時その生はイエスの生ではなくキリストの生だった。イエスは太陽の地点で、キリストは月の地点だ。それで彼は完全に沈黙したままだった。だからそこにはどんな言い伝えもないのだ。彼は話さず、どんなメッセージも与えず、説教しないで、完全に沈黙してそこに留まった。その時彼は革命的ではなかった。彼は単なるマスターで、彼自身の沈黙の中で生きた。だから非常に少数の人々が彼のところへ旅をした。

 イエスについてのどんな外側の情報もなしに彼に気づいた人たちは、彼のところへ旅立った。そして彼らは少数ではなく多数だった。世界と比べれば小数でしかないが、ある意味では多数だ。そして村が彼の周りに作られるようになった。その村はいまだにベツレヘムと呼ばれている。カシミールでは、イエスの誕生の場所にちなんで、村はいまだにベツレヘムRethlehem ---ベセレムBethelemと呼ばれていて、ある墓が保存されているが、それはイエスの墓だ。

 キリスト教は不完全だと私が言ったのは、それが若い頃のイエスしか知らないからで、それのせいでキリスト教は共産主義を誕生させることができたのだ。しかしイエス自身は全く光明を得た人として、満月として死んだ。






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