12月1日

何だろ・・・? この空虚感・・・ もう、2週間以上、続いている。 出口なし・・・という感じ





 12月3日

なぜか好きでたまらない、このインドの神様クリシュナ。

クリシュナは、今から3500年から4000年前に生きた人で、その教えの真髄は「バガヴァッド・ギータ」に伝えられている。 
ギータはインドで最も多く読まれている聖典で、輪廻転生、霊魂の不滅、欲望の制御など、
スピリチュアルの基本的な真理・教えはみんなここに書かれてある。

クリシュナが好きなのは、抑制的でないこと、禁欲的でないこと、全てを受け入れて、しかも執着しないこと、
この世とあの世を対立させないこと、その器の大きさにあこがれてしまう。

クリシュナ、好きだな・・・





 12月4日

12月1日の日記に書いた、意味不明の空虚感は消え去った。 と同時に、静かな喜びのエネルギーが沸きあがっている。 
振り子は、逆に振り始めたようだ。





 12月7日

宗教と宗教団体は違う。 宗教団体は、弟子・信者が作る。 
彼らはこう言う。 「この人(教祖)は偉い人だ。この人の言うことは真理だ。 あなたはこの人の言う事に従うべきだ。
これは絶対だ。 これ以外に救われる道はない!」 

そうやって、組織・規律が作られ、統制が取られてゆく。そこでは、個人の考え方は無視される。教祖の考え方だけが重要となる。
そうしなければ、団体を維持できなくなるからだ。
つまり、そこでは個人は教祖の奴隷になる。これはすべての宗教団体に当てはまる。
だいたいの聖者はみんな、宗教組織を作ることに反対している。
もし、ある教祖が自ら組織を作っているのなら、それが、その教祖は偽者である、という証明になる。

聖者たちはみんな組織に反対している。しかし弟子・信者が組織を作っていく。
歴史的に、それが何度も繰り返されていく。そうやって、その教えは歪められて行く。宗教は権力団体に変わっていく。 

いま世間は、宗教嫌いな風潮があるが、正確には、宗教団体を嫌っているのだ。 
宗教と、宗教団体とは違う。それを混同してはいけない。






日本の仏教には多くの宗派がある。
南都六宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗、天台宗、真言宗・・・

なぜこんなに多くの宗派があるのか?そもそも、どれが本当の釈尊の教えなのか?
たぶん、それぞれの宗派が、自分の宗派こそが本当の釈尊の教えだと主張しているだろう。

では、これから仏教を学ぼうという人は、どこから入っていけばいいのだ?
それぞれに共通する仏典はない。
かろうじてあるものとして「般若心経」だ。そしてそれも、理解する人はいなく、さまざまな解釈がある。
・・・さまざまな解釈だ・・・

宗派にはそれぞれ開祖がいる。法然、親鸞、日蓮、空海、最澄、道元・・・
各宗派とは、それぞれの開祖たちの仏教の解釈の違いから生まれたもの。
つまり、それぞれの人の考えた仏教だ。考えの違い・・・解釈の違い・・・

では、どれが真実だ?どれを信じたらいい?初めて仏教を学ぶ人は、どれから始めたらいい?
こんな基本的なことがはっきりしていない。






 12月8日

美術が好きだったので、大阪の某高校に入学した。
そこでは毎週、現代美術の授業が2時間ぶっ通してあった。そこで教えられたことは、既成概念を壊すことだった。
とにかく、古いものはダメで、新しいものほどいいというもので、その中で、いろんな当時の新しい美術理論、作家、作品が教えられた。
理論では、ダダイズム、フォービズム(野獣派)、キュビズム(立体派)、シュールレアリズム(超現実主義派)・・・ 
作家では、マルセル・デュシャン、ジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、カンディンスキー、モンドリアン、フォンタナ・・・

そこでその先生は、「考えられるものはほとんど出尽くした。この先の美術には大したものは無い。」という虚無感があった。
そんな授業を受けて、それまで楽しく絵を描いていたものが、楽しく描けなくなった。
無邪気に絵を描くことがバカにされたからだ。
これまでの古い価値観は壊されてしまった。しかし、新しい価値観は見つけられなかった。
・・・ただ、混乱だけだった・・・ どうしていいか、わからなかった。

先生は生徒ひとりひとりに、これからどんな美術に興味を持つか? と問いただした。
 みんなそれぞれ自分の思いを発言していたが、
私にはその場を取り繕うための、ようするに先生の機嫌を取るための、いい子ちゃん的な答えにしか聞こえなかった。
心の中で「うそくさい」と感じていた。

私の番になって、私は一言「わからない・・・」と正直に答えた。 すると先生は、なぜわからないのか? と問い詰めた。
しばらく、クラス全体が静まり、気まずい雰囲気になった。長い沈黙・・・ 先生は私が何か言い返すのを待っていた。 
私は、何も答えなかった。混乱していて、答えられなかった。 
クラスの中で、「わからない・・・」と答えたのは、私ひとりだけだった。 他のみんなは、それなりの答えをしていた。 
それが本心かどうかはともかく・・・ 自分だけがそうなので、非常な劣等感を感じた。

自分に正直であることは、自分の混乱を見せることであり、それは劣等感を感じることだった。 
その日、自分は壊れていた・・・
17歳の頃・・・





 12月9日

最近は、眠りから覚めた時に、よく自分の人生を振り返る。 
我ながら、いろいろやって来たな、いろんなことがあったな、と回想する。

子供の頃の性格は、臆病で、気弱で、バカ正直で、かくれんぼで隠れていても、名前を呼ばれたら出てくる子だったらしい。
親は、私が社会に出たら騙されやすいだろう、と心配していたらしい。その心配は当たったが・・・

仏様のようだ、とも言われていた。よほど静かな子供だったらしい。
よく、こんな性格で、これまで生きてこれたことだと思う。

15歳でテレビに出たり、思春期は同性愛者に狙われたり、
無謀にも初めての海外旅行をひとりでインドに行き、無一文で奇跡的に帰ってきたり、
30歳の頃は、経済的にも無一文になって、持っていた本やレコードを売っ払ったり、
同じ時期に恋人に裏切られて、初めて人を殺したいほど憎んだり、

・・・この頃が物心共にどん底だったみたい・・・

霊感商法に騙されたり、住宅リフォームに騙されたり、風俗遊びも一通りやったり、
マンガを描いたり、アニメーションを作ったり、油絵を描いたり、ロック・バンドを演ったり、写真を撮ったり、木工家具を作ったり、

和尚に出会ったり、瞑想したり、いろんな宗教団体を覗き込んだり、
神秘学や霊の世界にのめり込んだり、ドイツ人と結婚したり、両親の葬式も済ましたり、

いろんな世界をつまみ食いしているような感じなのか、悪く言えば、何も一本の筋も通っていないような・・・ 
良く言えば、どれにも囚われてはいないのだけれど・・・

何か、一つの世界を貫き通すような生き方とは正反対な人生、
そういえば、子供の頃は、職人にあこがれていたし、
ある人は、私の仕事ぶりを見て、職人的だ、仕事師だ、とか言ったりしてたけれど、

結果的にこんな人生になって、2年近く前にリストラされて、今は一日中、和尚の本の翻訳をしているのだけれど、

今は、ほんとに、何の執着もない。不満もなく、淡々とした毎日・・・
気になることと言えば、来年3月発行予定の私の翻訳本の売れ行き。

守護霊さんは、私のこの人生をどう思っているのか、昔から気にはなっているのだけれど、それは死んでからのお楽しみか・・・

ま、必要なことは、必要な時に起こる、というから、無理に流れを進めようとせず、流れに任せて生きること。
他人の価値判断など相手にしてもつまらない。 

自分は自分の人生を生きるだけ。





 12月10日

人間は、大きく見て二種類に分かれる。
男性的か女性的、攻撃的か受容的、

私は、自分のことは、女性的で受容的だと思っている。
男らしさとか、攻撃性は自分には向かない。
それよりかは、他のものを整理したり、解釈して伝えたりすることは性に合っている。

自分を、何かの媒体にすること、だから、翻訳という作業は、媒体になるという意味で非常に適している。
自分が媒体になる、ということは、自分を無にする、ということでもある。
そして、自分が無になっている時というのは、とても心地よい。





 12月14日

精神世界、スピリチュアルの本で、これまでに入手不可能になったり、入手できても非常に高額になっているものが多い。

読みやすい本、とっつきやすい本などは売れやすいだろうが、
専門的、基本的な知識の本は、どうしても固い内容で、難解で、とっつきにくく、ごく一部の人にしか支持されないので、
売れ行きも悪く、廃刊になってしまう。
そうやって、貴重な本が消えてゆく。

翻訳本では、まだ原本が取り寄せられるものは多い。
だが、日本の出版界では、売れない本は消えてゆく。
どうも、ひとつのブームとしてしか捉えられないのだろうか・・・ 定着していない、頼りなさを感じる。

また、まだまだ翻訳し足りない本も多い。翻訳してほしい重要な本は一杯ある。読んでほしい本は一杯ある。
だが、採算が取れなければ出版されない。
自分としても、微力だが、なんとかしていきたい・・・と思う。





 12月15日

霊の世界全体から見たら、人間の一生というのは、ほんのわずかの出来事だそうで、
そこで起こる問題で、どうしようもないような重大な問題はひとつもない、と言われている。 

そして、現代の人間に、地球全体を破壊する能力はない、ともいう。 
地球は、霊的に見て必要な惑星だ。確かにそのレベルは非常に低いが、だから、霊的な修行の場として必要な星なのだ。
つまり、地球は霊的宇宙全体から守られている。

たとえもし、地球が滅亡したとしても、霊自体は物質を超えたものだから、
地球に住んでいた霊たちはすぐに他の星に住み移り、また同じ生活を始める。
つまり、霊の質が変わらないかぎり、同じことの繰り返しになる。

地球のような星は、宇宙全体ではいくらでもある。
現代宇宙学が見つけられないだけの話だ。地球が滅亡したとしても、代わりの星はすぐ見つかる。

私から見れば、霊の世界を知っている人が、地球滅亡を心配したり、そのことにこだわったりすること自体、おかしな話なのだ。
霊は物質ではないのに、なぜ物質にこだわるのだろうか? 霊の成長のためには、地球は必要な星なのだ。

2012年が近づくにつれて、地球滅亡説に騒ぎ立てる人が増えるかもしれない。まったく愚かなことだ。ただ、人の恐怖心を煽っているにすぎない。
霊の世界を正しく知れば、そういうことは全てデマであることがわかるはずだ。
つまらない扇動に惑わされないようにしよう。






 12月20日

今年もあと10日。 
2011年を振り返ると、自分にとって、いままでのいろんなことがまとまってきたような、
整理・統合・検証されて、これからの方向性がはっきり見えてきた年であった。 
失業して2年目として、ようやく気持ちに余裕が出てきて、今となってはリストラされたことに感謝している。

1月:HPに、私にとっての最も重要な精神世界の本「タントラへの道」を書き写す作業によって、改めてスピリチュアルな道を学び直す。

●広島旅行

3月:大地震・・・
●鹿児島・開聞旅行
和尚の本「智恵の書」翻訳開始 ようやく過去のわだかまりが薄れ、再び和尚に関わり始める。
同時に、翻訳を通して、自分の過去の検証作業が進む。
精神的にすごく嫌な時期だったが、やはりこの3月は自分にとっても大きな転機だったようだ。 
これ以降は、ただひたすら翻訳の毎日となる。

5月:カンボジア旅行-アンコール・ワット
6月半ばまで、この旅行のHP作成

8月:翻訳の出版について、市民出版社に打診。 翻訳権をまかされ、出版への話がまとまる。
10月:神戸で出版担当者 マ・シャンタム・アティルパ(鹿野)と会う。

外的に起こったことはこれくらい・・・ 
あとは、ただひたすら翻訳作業の日々が続く。 朝から晩まで休みなく・・・ 
好きでやっているので、まったく苦労とは感じない。 
失業生活においては、いい遊びとも言える。 
金がかからないからいい。 必要なのは、原書と辞書とパソコンだけ。 必要経費は電気代。

問題点は運動不足になること・・・ 3月から始めて、遅くても来年の1月には完了しそう。
1年で本一冊ができそうだな。 でも、この本は大書なので、実質は2〜3冊分になるけれど・・・









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