10月5日

 マインド・コントロールとは、別にオウム真理教の専売特許でもない。
人は生まれてから、親からマインド・コントロールされる。いろんな固定観念を植え付けられる。
直接的であれ、間接的であれ・・・そして学校や会社から、また別のマインド・コントロールを受ける。 

 今、ずっと一人でいるから、自分の中の、いろんなマインド・コントロールされている部分が、よく見えている。
自分を静めると、こいういものが見えやすくなる。
子供の頃は、親の言う通りにすると、友人から馬鹿にされた。友人の言う通りにすると、親から批判された。
その板ばさみの中で、混乱しながら生きてきた。

そして、それらがほとんど、デタラメであったことがわかってきている。
みんな、意味もかわらず、ただ習慣的にそれらをやって来ているのが見えてくる。
だから、長いものにはまかれろ、昔から続いていることだから、みんながやっていることだから、・・・が、その基準になっている。

 一人で静かに居ると、そういうガラクタ、固定観念に自分が染められているのが、少しずつだが、見えてくる。
それが見えることは、けっこう心が痛む。
でも、その痛みは必要なことのようだ。それが見えることは大切なことのようだ。見えること、気がつくこと、それが大切なようだ。

 私は、子供の頃から絵を描くのが好きだったが、中学、高校と、美術の教育を受けていくにつれて、絵を描く楽しみが無くなっていった。
教育を受けることで、確かに絵の技術は向上したが、同時に、絵を描くことが楽しみではなく、苦痛になっていった。

 もともと、絵を描くことは、自分を解放させることだったのが、教育を受けると、教師の評価が重要になっていく。
教師にほめられる絵を描くことが目的になってしまっている。
まったく自由に描けなくなっていった。

教室の中では、教師の評価基準が絶対だった。自分は何のために絵を描いているのか、わからなくなっていった。
絵を描く喜びが消えてしまった。

 学校を出て、あえて教わったことを否定するために、抽象画を描き続けていったが、一度教わった知識を忘れることは困難だった。
絵を描くことは、自分との戦いになってしまった。一種の修行になってしまった。
描く技術、知識、それは固定観念として自分の中に残ってしまった。知識を得た分、喜びを失った。

 30才前に、絵を描くことを止めてしまった。
絵を描くことを止めたことで、皮肉にも、自分の中に開放感が生まれた。

それは自分にとって呪縛になっていたのだろう。





 10月10日

 9日の日曜日に神戸元町で開催されているインディアメーラー2011というフェスティバルを見に行った。

 インドの文化を日本に紹介しようというイベントで、インド入門としてはとても良い企画だと思う。
出店ではインド料理やインドの物産品の販売、
ステージではインドの舞踏や音楽などが催されていた。
ただ、出演者はみんな日本人なので、特に舞踏などはどうも動きのキレの違いが感じられたが、入場無料なので贅沢は言えない。
みんな、一生懸命やっているところが素晴らしい。

私のお目当ては、12:00からのシタール演奏。演奏者は日本人の石濱匡雄という人で、これがなかなか良かった。

 もうひとつの目的は、ここでのインド料理の出店に、私の翻訳中の本の出版を担当している人が参加していると聞いたので、その人に会うため。
このインド料理店「ナタラジ」も和尚の弟子ばかりで仲間内でやっているのだけれど、
正直、和尚の日本の弟子たちに会うのは、昔の嫌な思い出があるので、あまり気は進まなかったのだが、
会ってみると、とても真面目で普通の人たちで、すんなり溶け込められた。
・・・それだけ、いかに昔の弟子たちが異常にトゲトゲしかったのかがわかる・・・

担当の人と話をしても、古い弟子たちと新しい弟子たちとの間には確執があるようで、古い人間の持つプライドなのだろう。
めんどくさい話だ。それでも私も古い弟子の部類に入っているのだが・・・

 翻訳の話になると、向こうもちょうど翻訳できる人を探していたところで、
そこへ私の翻訳の話を聞いて、ちょうどいいタイミングで出会えたことにビックリされたというらしい。
うまく、お互いの願いが合致した、不思議な縁だった。

私の、その次の翻訳予定の本も、それもその人が出版したいと思っていた同じ本なので、これも意気投合する。
同じ道を歩んでいる人々と出会えたようで、ようやく道が開け始めてきた感じがした。
がぜん、やる気と生きがいが出てきて、おもしろくなってきた。

 予定では、来年の春頃に「知恵の書」(仮タイトル)の上巻が出るようで、
下巻は、私の翻訳は早ければ今年中に終われそうだが、それでも再来年になるとのこと。
これは出版社の販売戦略らしくて、あまり立て続けに出版すると売れ行きが悪いらしく、少し間を空けたほうがいいらしい。

 和尚の本を一冊でも多く翻訳して出版したい、というのが私と出版社との願い。
どこまでやれるか、がんばっていきたい。






 10月15日

 一日中、朝から晩まで翻訳をしている。
単調なことの繰り返しは、自分の内側が逆に騒がしくなってくる。自分の内側をよく見ることができる。
それをあえてやっているのが、禅、座禅。ただ、坐るだけ、それだけ、他には何もしない。
それが、自己を知るためには、自分の内面を知るには最も良い方法といわれる。

 和尚の瞑想法のひとつに、沈黙と隔離の瞑想というのがある。
誰にも会わず、何もせず、ただ、じっとしていること。自分というものを知るには、かなり強烈な方法らしい。
今の自分の生活も、そこまではいかなくても、かなり単調である。だからそれなりに、自分の内側でいろんな雑念が騒ぎ立て続けている。

 ただ、この翻訳がなかなか手強い。翻訳している文章のひとつひとつが、自分への問いかけになっているからだ。
忘れていた事、考えたくない事などを思い出させてくれて、いろんな方面から、心の深いところにメスを入れてくる。
自分のすべてがさらけ出されていく。
そういう本なのだから、当然なのだが・・・その文にとらわれて、自己分析、自己内省にふけって、翻訳を忘れてしまうこともよくある。

単調な生活と翻訳は自己との対話、自己解剖の場になっている。
けっこうきつい時もあるが、必要でもあり、自分にとってもおもしろい。






 10月18日

 占星術による時代の変化の特徴として・・・

★2008年--2023年 山羊座 -- 大陸の浮上と地殻変動、世界の政治的版図の再編、地球の再構築。
地球上に新たな建設が始まる時代。

なんとなく当たり始めている気がする。
東北大地震、原発事故、タイ、中米の大洪水、世界的大不況とデモ、エジプト、リビアの動乱・・・・・ 
取り上げたらまだまだあるだろうが・・・
要は、この占星学で言えば、こんな状態が2023年頃まで続くということか・・・まだあと10年以上ある。

 私は来年から宿命大殺界とやらが10年続くらしい。変なシンクロだ。 
今は別にこの占いには興味はないが、それでも、公私ともに、大きなエネルギーの変化があるのだろうか・・・? 
とにかく、ただではすまない、ということだろう。

 ただ私的には、もう外的な興味や欲望は薄れて、毎日自分のやりたいように生きているだけで、静かで平穏な日々だが、
いつ死んでもいいような覚悟はしておきたい。 
まあ、奇跡的にまた物質繁栄の時代になって、社会全体がチャラチャラし出しても、まったく興味はないし、
地球が滅亡するとしても、霊的には不滅なのだから、物質的な滅亡にこだわる必要もないし、

たとえアセンションなるものが起きたとしても、 意識の上昇、変化を、誰が、何を基準に判断するのか、さっぱり理解できないし、
逆に、新たなマインドコントロールの支配を感じていて、その思想にはある種の危機感を持っている。 
非常に強い危機感を感じている。

まあ、人間は必ず死ぬのだから、死に方にこだわっても意味がない。
自分に出来る事を、全力でやりぬく事、くだらない固定観念や、気休めの夢などに捉われず、自分の人生を生きるだけ。











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