4月4日

 梅田の在大阪カンボジア王国名誉領事館へ行って、Visaの申請をする。受領は二日後。

帰りのついでに、紀伊国屋書店に寄る。
精神世界のコーナーを覗いてみると、まあ、アセンション関係の本が多く目立つ。
未来に夢を託したいのだろうか。

逆に、和尚の本はほとんど影が薄くなっている。時代の流れかな・・・ 確かに絶版本が多いし、一般的にアピールできるものでもないし。

神智学関係の本はもう見当たらない。
魂の基本的な知識に関する類の本や、自己修業・自己変革の類の本は、やはり内容が固いからか、ほとんどない。
内容が易しく、ロマンチックなもの、簡単に効果の表われるものが好まれるのだろう。

売れる本が主流になっているのは当たり前だけれど、なぜ売れるのかは、その時の社会風潮を反映しているもの。
非現実的な存在からのメッセージというのが、何か魅力が強いのかな・・・ 宇宙人とか天使とか・・・ やはり何か、超越的存在を信じたい気持ちは強くあるのだろう。神を宇宙人に置き換えているだけのようにも見えるが・・・

基本的な知識、宗教や精神世界、スピリチュアル、霊学について総括的にとらえているものが少ない。
それを踏まえて見ていかないと、単なる妄想の世界となり、各自の都合の良い解釈が生まれ、好き勝手な救済論がまかりとおる。
それが結局は、組織や宗教団体を作っていく種になっているのだが。

何を信じようと、個人の自由だが、やはり人は簡単に結果の現われるものに飛びついてしまう。
魂の道は、そんなに簡単なものではない。非常に地味な努力の積み重ねが必要なのだ。

「私は、これで救われた」・・・・? 今、単に救われたような気分になっているだけかもしれない。その人の思い込みによるものだけとも言える。

魂の成長には、何生もの働きかけが必要となる。多くの生まれ変わりが必要となっている。
そのための転生なのだ。そんな、簡単な道ではない。

これを、古臭い進化論のようだ、と批判する人もいるが、私からみれば、その人はまったく人間の魂に関する知識、理解が貧しいとしか思えない。

私の好きな言葉にこういうのがある。
「もし、木の枝の先が天国に届こうとするなら、その根の先は地獄に届いていなければならない。」
地獄を体験したものだけが、天国を知ることができる。道は、そんなに生やさしいものではない。





 4月6日

3月11日の震災当日の太陽系の惑星の位置を調べてみた。
すると、太陽に近い4つの惑星が見事に太陽を中心として十字の位置に来ている。

太陽をはさんで地球の反対側に火星が位置し、その中間、90度の位置に水星と金星がそれぞれ太陽をはさんで真向かいに、一直線上に来ている。
そして木星と土星も太陽をはさんで一直線上に位置している。
さらに海王星も地球から見て太陽の裏側、火星の位置の延長線上に位置している。

この惑星の位置関係が地球にどんな影響を及ぼしているのかどうか、
震災にかぎらず、最近の一連の世界中での変革の動きも、各惑星の配置の影響があると思えるのだが。

特に、木星と土星は公転速度が遅いので、しばらくはこの配置を維持し続けるだろう。

占星学に詳しい人の解説が知りたい。






 4月13日

赤ん坊は産まれたときに、泣く。

なぜ、泣くのだろう・・・

いわゆる聖者と呼ばれる人たちの伝説によれば、彼らは誕生の時に、泣いていない。

静かに、穏やかに、産まれてくる。

普通の人間は、産まれたときに、泣く。

そして 死ぬときは、周囲の人は、泣く。

泣いて、始まり

泣いて、終わる





 4月16日

昨夜はちょっと嫌な夢を見た。

昔の職場で働く夢 職場の人間は変わらないが、仕事の内容は変わっていた。
それでもあの重たい雰囲気をまた感じてしまった。

つくづく、退職してよかったと思う。 夢でよかった。 
せっかく解放されたのだ。 もう、戻りたくない。


よく見る夢は ☆空を飛ぶ・・・ 飛ぶ、というよりか、浮かぶ、という感じ

睡眠中の霊魂は霊界に行っているので、霊界は無重力の世界だから、これは、霊界での出来事かもしれない。

簡単に飛べるし、とても気持ちがいい。

☆狭い家の中での集団生活・・・ これは過去の経験が呼び起こされているのかもしれない。
たいていこの時は、理想の恋人と出会っている。

☆色のついた夢・・・ ほとんどの見る夢は色がついている。
写真を撮っていた頃、発色に悩んでいた時は、サイケデリックな極彩色の夢をよく見た。

☆忍者屋敷のような、迷路作りの家に住む・・・ とにかく変な家に住んでいる夢。
二階へ上がる経路がロープ一本だったり・・・

昔、見た夢は 

☆歯が抜ける
☆群衆の中で自分だけ服を着ていない
☆インドでマハラジャのような生活をしている ・・・(たぶん、これは願望が強く反映していたのかも)・・・ 
この時は、自分は7才くらいの子供だった。飾り立てた象に乗っていた記憶がある。





 4月17日

仏教でいう「悟り」とは、無我の境地ともいう。
無我とは 自我、自己が無いこと。・・・・? 頭で解る世界ではない。
無欲の境地ともいう。欲望が無くなった状態 ということは 「悟り」を得たい、と思うことも欲望であるから 
「悟り」を得たい、と思っているうちは 「悟り」を得ることはできない、ということになる。
そこに パラドックスがある。

「悟り」を得る・・・という表現もおかしい。 
得るものなのか? 誰が得るのだ? 
その、「誰」が「悟る」ことを邪魔しているのだから 得ようとする本人、その人が居なくなることが 「悟り」ということ。
欲望を無くそうとすることも、ひとつの欲望である。

釈尊の生涯が、その過程を象徴している。6年間の苦行を通しても「悟り」は得られなかった。
彼は、やるべきことは全てやった。でも、何も起こらなかった。もう、何の望みも、期待も、夢も、全て消えた。
彼は絶望していた。すべてが無駄に感じていた。すべての欲が消えた。死にたい、という欲もなくなった。 

彼は、ただ、苦行を棄て、菩提樹の下に坐った。
もう、何もすることがなかった。
自然と、くつろぎが起こり その時、彼は悟った。彼は、長い悪夢から目覚めた。

だから 「悟り」とは 起こるもの、と、私は理解している。

和尚の言葉から  「あなたがいないとき、神がいる」

では、そのためには、どうするか?
ただ、徹底的に生きること しかし、意識的に、油断無く、注意深く生きること 「今」と「ここ」に生きること
すべての機会を目覚めのために使うこと そして 瞑想的に 生きること

・・・・と、言うのはカンタンだが やっていくのは、けっこう大変だ。
だから、スピリチュアル系の本などが、とても助けになっている。





 4月18日

占星学では、冥王星の動きが全体的、世界的な影響を与えるらしい。
冥王星が留まる星座によって、その特徴が変化する。調べてみると、とてもおもしろい結果が出た。


★1914年--1938年 蟹座 ---- 家庭の破壊、住宅難、食生活の激変、大衆の大移動。第一次世界大戦が始まる。

★1938年--1957年 獅子座 -- 国家権力の否定、支配階級に対する意識の変化、都会の破壊と再建。第二次世界大戦へ突入。
 この時代に生まれた人々は、権力否定の精神を持つ。…団塊の世代、全共闘世代がこれに当たる ?

★1957年--1971年 乙女座 -- 労働条件の改革、医療革命、薬品公害、働き中毒。
 この時代に生まれた人々は、利己的で計算高く、批判精神が旺盛で、特殊な勤労意識を持つ。すべての面で集団化する傾向がある。
・・・これについてはあまりピンとこない。

★1971年--1983年 天秤座 -- 結婚生活の激変と女性解放運動。離婚が増え、自立を目指す女性が多くなり、性意識の変化。
この時代に生まれた人々は、男女の格差がなくなるか、男女の役割が逆転しやすい世代。
…今の草食系男子と肉食系女子がこのあたりの世代か?

★1984年--1995年 蠍座 ---- 民族主義の台頭と地域戦争、世界的なボーダレス化現象。

★1996年--2007年 射手座 -- 宗教界か精神世界の激変が起こる時。
 …スピリチュアリズム、江原啓之、シルバーバーチなどが注目される頃か?
個人的には1996年頃に離婚して、精神世界への関心を一時的に止めた時期。逆に、2007年ころから運が良くなってきている。

★2008年--2023年 山羊座 -- 大陸の浮上と地殻変動、世界の政治的版図の再編、地球の再構築。
 地球上に新たな建設が始まる時代。
地殻変動か・・・まだこの先10年間は混沌とした状態が続くのかもしれないが、やはり変革の時期ということだろう。





 4月20日

最近、巷のスピリチュアルなメッセージに感じることは、そのほとんどが西洋人からのものであること、
そこに、どうしても、キリスト教的な見方が色付いているのが感じられる。

今、和尚の本を翻訳したりしていて、よけいにそれがよく見えるようになった。

宇宙人を救世主のごとく捉えるのも、メシア待望のユダヤ教の思想が反映している。
アセンションにしても、しょせん最後の審判、ヨハネの黙示録の延長・・・

内容が似ているか似ていないか、の問題ではなく、その思考パターンが、キリスト教的パターンと同じ、
それも、イエスの説いた教えではなく、後の権力者が作り変えたキリスト教の思考パターンに沿っている。

それを感じ取っている人がどれだけいるだろうか・・・
最近、その辺に嫌な感覚を、危機感を覚える。

一種の、マインド・コントロールのようなものを・・・






 4月21日

私には信仰心が無い。
信仰することができない。
一番嫌いな言葉が「信じる者は救われる」

私から見れば 「信じるものは、救われたような気分になれる」 と、いうふうに解釈する。

私は特別な信仰対象を持ってはいない。

霊の世界に関心があるからといって 江原氏や、シルバーバーチを信仰しているわけではない。
和尚にかかわっているからといって 和尚を信仰しているわけではない。

信仰することができない、という意味は、特定の対象、人物には興味が湧かない、ということだ。
その人の言っている内容には興味は持てても、その人の存在自体にはあまり興味はない。

だからそれは、神についても同じ。 
神社などで合掌することはあっても、それは神社という「場」の「気」が好きであり、
そういう場で手を合わせることで、自分の心が落ち着き、鎮まることができるから。

霊の世界を勉強しているといっても、結局、霊の世界、神の世界はよくわからない。
だから、よくわからないものを信仰することは、自分にとっては、何か納得できないものがある。

霊も、自分にとっては、信仰の対象ではない。それは「在る」と理解できるから、それを受け入れている。
なぜそう思うかは、古今東西のあらゆる聖典、聖者たちが、大同小異に同じく霊の世界の存在を説いているから。





 
4月25日

瞑想とは何か、というと、人によっていろんな解釈があるようだ。

なぜ瞑想をするのか、その目的もさまざま。
心の安定、神との合一、幸福感を得ること、潜在能力を開発すること、意識を高めること、悟りを得ること、等々・・・ 
その目的に応じて様々な技法がある。

それぞれは、その人の好み、特性に応じたものがあるので、どれが正しいとか、どれが本当だとか、を判断することは あまり意味がないと思う。
いろんな道がある。 自分にあった道を見つけて、それを続けることが大切だろう。

私が最初にやった瞑想は密教的なものだった。
マンダラかヤントラに集中するというもの。これは個人的にはあまり良くなかった。
長く集中することはかなり無理だった。

次にやったのがマントラを唱えるもの。マハリシ・マヘッシ・ヨーギの超越瞑想。
一種のトランス状態にもっていくものだが、まだその頃は自分の内面に大きなストレスを抱えていた状態だったので、なかなか静かな瞑想をすることができなかった。

その後に出会ったのが、和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の瞑想だった。
そこでは、内側にストレスを抱えたままでは静かな瞑想をすることは無理だ、ということで、
まずその内側に溜まっている感情を吐き出すこと、カタルシスから始める、という瞑想法。

この代表が、ダイナミック瞑想というものだが、これはこれ専用の瞑想音楽が必要になる。
かなりハードな瞑想法で、私はこの瞑想を、2年間のほぼ毎日続けたことによって、なんとか内面の浄化を済ませられたように思える。 
まだ、完全ではないが・・・

カタルシス=浄化、が済めば、自然と静かな瞑想状態が起こるというもの。
だから和尚によれば、瞑想とは、するものではなく、起こるもの、という。
いろんな瞑想テクニックとは、その瞑想状態を起こすための、準備段階といえる。

瞑想状態とは、自分にリラックスした状態 何ものにも惑わされず、囚われず、平和で、静かな心の状態 
あるがままを受け入れ、抑圧せず、コントロールもしない、何も評価しないで、ただ、観照する 
自分を空っぽにする 空っぽにすることでエネルギーに満たされてくる

そうなると、穏やかな幸福感を感じはじめる ただし、これは非常にデリケートなものだ。初めのうちはとても壊れやすい。
いったん、瞑想のコツがわかれば、特に瞑想のためのテクニックは必要なくなる。
日常生活のあらゆる行為が瞑想になる。





 4月30日

和尚の本の翻訳をしていると、その翻訳している文章が、そのまま自分の過去の検証になっている。

そこに書かれてある言葉が、自分の過去の体験の混乱、わだかまりを解明し、解決していってくれている。

不思議にも、シンクロというものか、それは起こっている・・・ 翻訳作業が、自分の過去の浄化になっている。

自分で、それを求めていたわけではない。
偶然の一致のような出来事 でも、これも必然なのだろう だから驚いている。

正直、もっと早くこのことが解っていれば、その混乱した体験から傷つくことは少なくて済んだかもしれない。
ほとんど何もわからないまま、「その世界」に飛び込み、かき回され、混乱し、壊されたまま、「そこ」から離れた。

そして、今になってようやく、「あれ」は何だったのか、その意味を理解することができるようになった。
理解することで、執着から離れられ、こだわりが消え、軽くなることができる。
正直、やれやれ、やっと肩の荷が下りた、という感じ

起こるべくして、起こっている、といえる。
その時期が来ている、ということなのだろう。

和尚の言葉より 「草はひとりでに生える」 「河の流れにまかせること、流れに逆らってはいけない」

翻訳済みは、まだ全体の20パーセント程度 しばらくは、コツコツと、地味な日々が続きそう









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