1月 4日

 去年の10月にpanoramioからメールがあり、去年の11月4日でサポートを打ち切るという知らせを受けていた。バックアップはGoogle Albumにしろという指示だったが、こちらのネット状況ではうまくバックアップできなかったので放っておいた。
 今見てみると、確かに写真の位置情報や閲覧者たちからのコメントは消えているが、写真そのものは残っている。


 振り返れば、
 現在の地に家を購入して住み始めて早20年が経つ。人生の3分の1を同じ場所に住むということは、自分にとっては初めてであり奇妙でもある。なぜなら生まれてこの方転居ばかり繰り返してきたからだ。15歳頃まで、ほぼ毎年引っ越していた。1年ごとに家を変えていた。
 今の家は持ち家であり、このまま死ぬまでここで生きることになるだろう。
 今は本当に何不自由なく落ち着いて暮らしている。






1月 5日

 毎日、静かで穏やかな毎日だ・・・。

 一日をただ翻訳に費やしているだけ。要は、これまで受けた他人からの価値観の押し付けや批判、嘲笑、罵倒などから解放されて、ようやく自分をあるがままに受け入れているからだろう。他人と関わると、どうも自己批判、自己否定に陥ってしまう。ようするに他人と合わないのだ。そんな人生を60年近く生きてきた。
 人見知りだとか、対人恐怖症だとか、自閉症だとか、アダルト・チルドレンだとか言ったところで、それが何になろう? ただのレッテル貼りに何の意味があり、何の助けになるだろう?
 ただ、変人扱いされただけ。

 一人が楽だから一人になっている。他人に何も期待しなくなり、絶望しているから一人になっている。何か問題でもあるだろうか?
 この生き方が自分とって合っているし、幸せである。だから穏やかな毎日を生きられている。

 思い返せば、小学2、3年の頃、自分の人生は基礎工事が欠けている、と感じていた。 そもそも、出発点がおかしな状態だったのだ。
 それは自分の過去生のカルマなのかもしれない。または先祖のカルマを背負っているのかもしれない。いずれにせよ、非常に苦しく、悩み、生き難かったのは事実だった。

 過去を振り返ると、今でも心が痛む。それでも、現在はすごく楽に生きられている。こんな状態はこれまで生きてきて初めてだ。カルマが解消されたのかもしれない。

 とにかく、今の生活がありがたい。






1月14日

 運気的に見れば、2012年の56歳の年は一つの転機になっている。2012年は9年周期の運勢ではスタートの年であり、最近はまったく興味がないが、あの20年続く大運大殺界の始まりの年でもあった。
 この年に最初の翻訳「アティーシャの知恵の書」の上巻が出版される。その半年前から出版に向けた活動は行っていた。そしてこの年から毎年翻訳したものが出版されることになる。そして昨年の12月に出た「真理の泉」で6冊目になり、最初の出版から5年目に入る。大運大殺界の全体の4分の1が過ぎた。
 気学的には2017年は大吉の年で、ここ10年では最高の運気らしい。とはいっても、毎日ただ翻訳をするだけで、それ以外に特に願望もないので、その運気の上昇もあまり実感できにくいだろう。

 そもそも気学方位的には、熊本から家族で大阪に移転してから、それからの生活が滅茶苦茶になっていったので、この大距離の転移が何かの大きな悪影響を及ぼしたのではないかと思ったりしてしまうし、その後も毎年のように転居を繰り返して行ったが、方位的にもあまり良くなかったのかもしれないので、悪いことが続いていったのだろう。それと親との相性も加味されて自分の人生が形作られていった。

 一人で生きるようになってからも転居を繰り返し、わかっているところでは、1978年に京都から東京に転移したのは方位としては良かった。確かに東京での生活は過ごしやすくて、スピリチュアルな世界の基本になったのも東京で吸収したものが中心になっている。
 1983年に福岡に移転したのが最悪の方位だったらしい。確かにそこの2年間で最悪の体験をするのだから・・・。
 そしてその悪い運気を引きずったまま1985年に大阪に転移したのが最大の凶方位だった。悪の連鎖から、その後に行った海外旅行は全て凶方位だった。
 気学方位の影響を知って方位取りを始めたのはそれから15年後の2003年から。2012年のインド旅行を最後に方位取りは今止めている。

 実際、方位取りの効果は体感しにくいものだが、ここ数年の穏やかな生活はこれまでの人生に比べれば信じられないほど幸せなものだ。
 大凶の影響は身体・健康面に出るみたい。右足の内出血で入院したのは3年前の大凶の年であり、歯を抜いたのも大凶の年だった。その年にはエネルギーが弱くなるのだろうな。普段よりも自重して生きるように心がけることだろう。ちなみに2018年が次の大凶の年になる。

 20年の大運大殺界が終わるのは2031年、75歳の時になる。この年まで翻訳を続けられるのか、この年が自分の寿命なのか、いずれにせよ大きな転機になるのかもしれない。だが、9年周期でいけば、転機になるのは2030年の74歳の年。
 いずれにせよ、このあたりからゆったりと生きていけばいいのだろう。とりあえずは、あと15年はがんばれ、ということか・・・。


 「風の谷のナウシカ」全7巻の漫画をようやく完読した。アニメーションはその漫画の2巻目の半分くらいまでしか描いていない。アニメーションより漫画の方がはるかに深い。ユパ様の最期はまさに弁慶のような立ち往生だった。巨神兵でもわが子のようにしてしまうナウシカの愛・・・。すごい作品だった。
 鈴木敏夫も言っているように、ナウシカの7巻は3巻あたりで読むのを止めてしまう人が多いらしい。確かに4巻以降になって話の展開がより複雑にわかりにくくなっていく。ただ、宮崎 駿はこの物語を結末を考えずに成り行きまかせで書き進めていったらしい。






1月15日

 復刊ドットコムのメルマガで知った、『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』(岡崎次郎)という本。
 三度にわたって『資本論』を翻訳した研究者による最後の自伝的エッセイ。学生時代の『資本論』との出会いから、翻訳の裏話まですべてを語る。・・・とある。
 個人的にはマルクスにも「資本論」にもまったく興味はないが、同じ翻訳者としての立場と、「資本論」の翻訳に生涯を捧げたような人生、特にその自伝のタイトル「自嘲生涯記」という言葉に興味を引かれた。

 岡崎次郎・・・、1904年生まれ。
1983年に青土社から出版した 『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』 という自伝で向坂を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」 という言葉を残して、80歳となった翌1984年6月6日からクニ夫人とともに死出の旅に出た。
 全ての家財を整理し、東京・本郷の自宅マンションを引き払った夫婦の足取りは、品川のホテルに投宿したのを皮切りに、伊豆の大仁温泉・浜松・京都・岡山・萩・広島などを巡ったことがクレジットカードの使用記録から確認された。
そして同年9月30日に大阪のホテルに宿泊したのを最後に足取りが途絶え、現在でも生死は確認されていない。


 その後、この「資本論」をバイブルのようにとらえた社会革命家たちが1960年代から世間を騒がせることになるのだろう。そして最終的には、内ゲバ、よど号ハイジャック、浅間山荘事件、と堕ちて行く・・・。
 「資本論」は一つの理想だろうが、その理想〜共産主義〜を実現しようとしたのがソ連であり、中国になるのか・・・? そしてその結末は?

 理想の押し付けは危険だ。それはどんな世界でも、組織というものが存在するときに起こりうる。

 岡崎次郎のことはよく知らないが、上の数行のプロフィールを読んだ限り、その生き様には哀れさを感じる。そしてその「資本論」を理想と掲げ、社会革命を夢見た人たちの人生にも同様に哀れさを感じる。






1月21日

 30歳を過ぎた頃に絵を描くことを止めた。それまでは絵を描くことが自分の人生の中心になっていた。
 だが、必ずしも、絵を描くことが好きだったわけではない。子供の頃は無心に描いていたが、学校教育を受けて、絵はうまく描かなければならない、こう描かなければならない、そうしなければ先生に認められない、という強制的な環境の中で、次第に、絵を描くことは自分にとって一つの苦行になっていった。
 そして、苦しみから逃れることは弱い、という根性論が自分を圧迫していた。それは自分との戦いになった。

 絵を描くことの楽しさは消えた。むしろ、楽しんで絵を描くことはバカである、おめでたい、という風潮が、特に高校の美術教育にあった。
 美術教育の担当教師が全共闘世代であったことも大きい。美術は社会革命のための一手段とみなされていた。ただ趣味のために、楽しむために絵を描くことは見下されていた。
 だから逆に、そんな美術教育を受けずに、自由に描いている人がうらやましかった。何も知らずに絵を楽しんでいる人がうらやましかった。

 自分にとって、絵とは何か、描くことは何か、その自問自答が続き、ますます混乱に陥った。坂崎乙郎の「絵とは何か」という本は一つの手がかりになった。

 その受けた学校美術教育の呪縛から解放されるために、教えられたことを忘れるために、ほぼ10年間奮闘した。そして、その奮闘にただ疲れ、その意味も感じられなくなった。それが30歳頃だった。
 美術手帖を毎月読んだ。それはただ屁理屈のかたまりにすぎなかった。美術には屁理屈が必要だった。作品の価値はそれが持つ屁理屈の内容で決まった。いかに他人と違う屁理屈を持つか、いか新しい、小難しい屁理屈を持つか、それが全てだった。全ての作品には意味が、解説が必要だった。

 それは、本来、自分がやりたいことではなかった。だが、それを素直に受け入れるには長い時間がかかった。

 学校教育が、自分を見失わせた。絵を描くことは嫌いになった。苦痛になった。苦しみ続けることで、その先に何か明るいものが見えてくる、という期待があり、それでなんとか続けてきたが、何も光明は見えなかった。ただ、自分をいじめていただけだった。

 先日、その学校のHPを視て、創造する喜びを伝えようとするものがあったが、私には何も訴えてこなかった。むしろ、寒気、吐き気がした。
 それは私にとっては、教師の美術的観念・価値の押し付けの場だった。

 「当たり前のものはだめだ。古いスタイルはだめだ。個性的でなければならない。新しくなければならない。おもしろくなければならない。自己主張がなければならない。社会的メッセージがなければならない。等等・・・」
 ようするに、〜でなければならない、の繰り返し。そうしなければ、容赦ない批判が飛んできた。

 ただ、息が詰まる・・・。本来、絵を描くことは自分を解放させるためのものだった。それが、自分を縛るものに変わった。


 30歳を過ぎた頃に絵を描くことを止めた。絵を描くことを止めたことで、自分は解放された。






1月24日

 61歳を迎えて、年齢的にはピンとこない。老齢年金支給まであと1年。
 レコード購買の熱も冷めたな・・・。
四柱推命では、晩年は落ち着きのある人生になる、とある。また、家庭運には恵まれていない、とも。まあ、結婚に対する憧れはまったくない。

 一般的には、60歳で退職して、残りの人生をどう生きるのかと悩む人が多いらしいが、私にはそういう感覚はまったくない。共感できない。
 むしろ、待ちに待った、ようやく自分らしく好きに生きられる、という期待とわくわくに満ちている。


 40代以上の引き篭もり者が多い、ということをニュースで知ったが、年をとっても人間は変わらない、ということ。繊細で人間関係が苦手な人、一人の方が合っている人は、別に年代に関係ない。それはその人の個性であって、単に社会が受け入れていない、理解していない、というだけのことだ。
 引き篭もり、という言葉に何か非難めいた否定的なものがあるが、それでも最近、あちこちで、一人でいること、こもることを肯定する発言が目立ってきているのはうれしい。まだほんの一部だが・・・。

 私の場合、引き篭もり、というよりも、外に出る必要性も興味もない。電車も、もう何年も利用していない。基本、群集の中に入るのは嫌だ。単純に頭痛がする。多くの想念の押し寄せに疲れる。
 自分のやりたい事に没頭したい。そのためには、はっきり言って他人は邪魔である。関わるのは時間の無駄である。そこからはただストレスしか生まれない。
 確かに、ほとんどのことをネットで済ませられるようになったのは大きい。






1月28日

 ニュースを見ればわかることだが、国と国との対立がまたやばくなってきている。アメリカ対メキシコ、日本対韓国・中国、相変わらずの北朝鮮や中近東・・・。
 アセンションが過ぎた世界がこれか。次元上昇した世界がこれか・・・。


 「弘兼流60歳からの手ぶら人生」というい本の目次のタイトルに興味を持つ。
 楽天ブックスで知ったもので読んだ事はない。その目次は〜

 第1章: 持ちものを捨てる(60歳とは起承転結の「結」/つまらない「見栄」や「こだわり」があるから捨てられない ほか)
     --- これは共感しない。捨てる、ということは、まだ物にこだわりがある。場所が許す限り、持ち物を楽しんだほうがいい。
        これは、これまで持ち物を捨ててきた自分の人生からの反省による。

 第2章: 友人を減らす(本当に信頼できる友が一人いればいい/年賀状、中元・歳暮はやめる ほか)
     --- そもそも友人はいないし、その必要もない。年賀状は義理で身内に3通だけ。中元・歳暮はしたこともない。

 第3章: お金に振り回されない(老後不安とは、すなわちお金の不安である/お金に振り回されず、生活をサイズダウンする ほか)
     --- 生活をサイズダウンする・・・もともとサイズダウンの状態。月5万円あれば楽に暮らせる。

 第4章 :家族から自立する(「家族はひとつ」という幻想を捨てる/家族は理解してくれる、この思い込みが悲劇を生む ほか)
     --- そもそも家族がないし、憧れもない。自分にとって家族は監獄であり、理解されたことなど一度もない。

 第5章:身辺整理をしたその先に(何はなくとも料理せよ!/60を過ぎたら共働きが当たり前 ほか)
     --- これはまったく自分とは関係ない。

 自分としては当たり前に感じていた事、自分にとって自然に感じていた事が、このような本になる。 ということは、世間ではこういう生き方はまだ特殊だということなのか?でなければ、わざわざこういうことを本にする必要もないし、またこの本が売れるわけもない。 私は、こういう生き方をずっとしてきたが、それまでは周囲からおかしな目で見られた。







   2017年 1月
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