6月1日
改めて、静かな毎日だ。昔に比べたら信じられないほど穏やかな日々が続いている。
できればこのまま死ぬまでこんな状態が続いてほしい。
確かにこれも生のバランス、正負の法則なのかもしれない。生まれてからずっと住居環境は酷かったからな・・・。それの苦労が報われたのかもしれない。
6月7日
個人的に心に沁みる音楽となると、やはり1970年代中期の音楽になるが、特にその中でもスモーキィとジム・クロウチ。私の心の故郷はこれなのかもしれない。
スモーキィ --
Living Next Door To Alice
If You Think You Know How To Love Me
Mexican Girl
ジム・クロウチ --
I'll Have To Say I Love You In A Song
Operator
Photograph And Memories
Age
Thursday
6月14日
気学方位から見て、来年の10月の西が大吉方位になる。またインドに行こうと考えている。特に、30年前の初めてのインド旅行で訪れた仏跡地、ブッダガヤ、ナーランダ、ラジギール、祇園精舎、等を再訪したい。また、前回の旅行でカメラの不調により撮影を失敗した地、サンチー、アグラ。サルナートの博物館。そしてカジュラホ、できればクチワダにも・・・。
気学的には、滞在日数は最大で30日以内にしないと、それ以上だと帰国の方位が影響してくる。インドから日本の方位は東北になる。
まあ、そんなに予算もないし、せいぜい20日くらいで十分だろうと思う。前回のインド旅行もそうだった。
2012年10月のインド旅行
では、19日でデリー、バラナシ、サルナート、アグラ、カジュラホ、ボパール、サンチー、アウランガバード、エローラ、アジャンター、ムンバイ、ブバネシュワール、プーリと巡り、総予算は20万円以下で済んだ。
また、デリーの古本屋でOshoの本を探してみたい。
その前にデジタル一眼レフを購入しなければならない。カジュラホの各寺院を四方から撮影して、いずれ3D画像を作ってみたい。
もともとは、福岡に移転した方位が最悪で、そこで酷い経験をして、凶が凶を呼び、福岡から奈良に移転したのが最大凶方位。それから嫌なことばかり続き、方位取りを始めたのは移転してから17年目。約10年ほど方位取りを続けたせいか、今では昔とは比べものにならないほど平穏な毎日が続いている。その最後の方位取りが2012年10月のインド旅行だった。それから失業したせいで生活を節約しなければならないため、ここ5年ほど方位取りを止めている。
大凶転移の気は未だに残っているようで、方位取りでそれを抑制している形になっていたため、方位取りを止めればまた凶作用がぶり返してくるらしい。今はインド旅行の吉作用で持っているのかもしれない。
現在はまったく引き篭もった生活なので、移動範囲も小さく、片道500mほどのスーパーに行くくらいで、だから長距離の旅の影響は大きく出るらしい。
年金受給まであと半年なので、年金がもらえるようになったらまた方位取りを始めて、あちらこちらに旅をしてみたい。
ちなみに、竹下気学で鑑定すれば、私は九紫火星で守備型宇宙人・芸術家の相となる。個性が強く、感性が鋭くて他人から理解されず、集団に溶け込めない。いわゆる変人であろう。だから自分を受け入れて自信を持つまでに時間がかかり、今ようやく、一人で翻訳に没頭することで、自分らしく生きられるようになった。
確かに、これまでの人生で、他人から理解されたことは一度もない。理解しない他人と付き合うことで、もう自分の貴重な人生の時間を浪費したくない。
6月15日
過去の旅行・転居の方位をざっと調べたら、ほとんど凶方位ばかりだった。
1978年 4月:東京転居(東)・・・・・・・・・・・大吉
1982年 2月:長崎平戸転居(西)・・・・・・・凶
1983年 1月:インド旅行(西)・・・・・・・・・・凶
2月:福岡転居(西)・・・・・・・・・・・大凶(本命的殺)
1985年 1月:大阪転居(東)・・・・・・・・・・・大凶(五黄殺)
6月:奈良転居(東北)・・・・・・・・・凶
1987年 3月:タイ旅行(南西)・・・・・・・・・・凶
1990年 3月:インド・デリー旅行(北西)・・・凶
1991年 4月:インド・プーナ旅行(西)・・・・・大凶(五黄殺)
1991年12月:ドイツ旅行(北西)・・・・・・・・・大凶(五黄殺)
1993年12月:ドイツ旅行(北西)・・・・・・・・・凶
1994年12月:インド・プーナ旅行(西)・・・・・凶
1996年10月:オーストリア旅行(北西)・・・・大凶(五黄殺)
1997年 3月:現住所に転居(東北)・・・・・・・大凶(本命的殺)
2000年 4月:イタリア旅行(北西)・・・・・・・・大凶
気学を知ったのは2003年からだから、この頃はまったく方位など知らずに旅行していたが、吉方位は1978年の東京に移った時くらい。
これだけ凶方位に行きまくっていたなら、嫌な事ばかり起こってきたのも当然なのかもしれない。
特に住宅環境の変化に凶方位の影響が出ている。奈良に来て3度転居したが、いずれの住居も隣人や周囲の騒音に悩まされた。隣に住む者の喧嘩、パーティなどの騒ぎ、犬の吼える声、バイクの音、ピアノ教室など・・・、とにかくうるさかった。
それが、方位取りが功を奏したのか、最近はまったく静かだ。静か過ぎて不気味なくらい・・・。
確かに、1978年からの東京での4年の生活は問題なかった。スピリチュアルな原点になっているのはこの頃に得たものが多い。調子にのって平戸に移転したことがそもそも間違いの元でもあった。東京の生活を続けていれば、それなりに平穏無事に生きていられたかもしれない。26歳で若かったからな・・・。
ただ、それだと、田舎暮らしという憧れを持ち続けていたかもしれず、いずれはどこかでそれを実現しようとしたかもしれない。だから若いうちに体験してその現実を見たことはよかったと思える。今はそんな憧れはまったくない。田舎は、自然が豊かなだけで、暮らすには本当に不便である。それ以上に近所づきあいが面倒で煩わしい。
前に、テレビの「しくじり先生」で伊集院 光が言っていたが、定年退職して田舎暮らしを始めても失敗するケースがほとんどだ、ということらしい。
そんな意味では、若いうちに失敗してよかったと思う。
その時その時のやりたいことをやって生きてきた。やり残していることは何だろう?考えれば何かが浮かぶかもしれないが、あまり気にならない。
今の心境に合う音楽は、ロレーナ・マッケニット。
The Dark Night Of The Soul
Penelope's Song
6月16日
気学に出会ったのは2003年で、それまでかなり精神的に追い詰められていて、やることなすこと全て裏目に出てしまうことに、これは何かあるのでは、という思いが気学に惹き付けられていった。ネットの占いサイトで気学を知り、それからいろいろな気学のサイトを調べ、気学の本も多く読んだが、自分にとって一番アピールしたのが竹下気学だ。個人的に鑑定も受けて、個々の事柄にすごく納得させられた。
竹下気学の竹下宏は、もともとも占いが大嫌いな人で自分で確かめないと何も納得しない性分であり、バブルがはじけて多額の借金をし、友人に進められて嫌々ながら気学の方位取りを続けていくうちに運気を取り戻し、それで気学の占い師になった人で、その占法はまったく彼独自のもので、実際のデータに基づいた統計で現代に適用できるものであり、そのため他の伝統的な気学の流派とは異なるところも多い。
そもそも、気学が生まれた時代と現代とでは生活形態がまったく違う。だからそれがそのまま現代に通用するわけがない。それを、昔からこう言われてきたという理由で現代に当てはめることに無理がある。竹下氏はこういう伝統的な説を一つ一つ実証して、当たるものは取り入れて当てはまらないものは排除している。
このあたりはOshoと共通している。
Oshoも、もともとは宗教やスピリチュアルを徹底的に疑っていた。疑って否定できるものは否定した。Oshoは完全な実証主義者であり現実主義者だった。だからOshoの古い友人たちは、Oshoが宗教の世界で生きることなど信じられなかったと言っている。
Oshoは伝統的宗教の嘘や欺瞞を暴き出して、その真の宗教性を現代に合わせて教えている。だから伝統的宗教にこだわる人はOshoを批判し、知ったかぶりはOshoと伝統的宗教との関連性や影響性をこじつける。
私自身は、これまでいろんな所に転居を繰り返してきて、それぞれの場で言われていることが違うのを見てきた。だから私にはアイデンテイティーはなく、帰るべき所もないが、逆に何もこだわりはない。むしろ、一般的に信じられているものはほとんどデタラメに思えている。
だから竹下気学とOshoに惹かれるのだろう。そしてそれは結局は仏陀の最期の言葉、「自灯明」に繋がってくる。
6月17日
BABYMETAL、和楽器バンド、Perfumeと、わりとにぎやかな音楽を聴いてきて、今は静かな心に響く歌をよく聴いている。
『借りぐらしのアリエッティ」の主題歌を歌っているセシル・コルベルの「
アリエッティ・ソング
」、ロレーナ・マッケニットの
アルハンブラ・Live
、
そして、やはり、ジム・クロウチに戻ってくる。彼の歌を初めて聞いたのは1974年の京都で一人暮らしをしていた頃。ラジオから流れてきたのを聴いてすぐに好きになり、タイトルにも惹かれて彼のラスト・アルバム「美しすぎる遺作」を買って聴いていた。
ただ、ジム・クロウチその人については最近まで何も知らず、ただ若くして飛行機事故で亡くなった、ということくらいしか知らなかった。
実際、それほど日本では知られていないのかもしれない。ウィキペディアにも英語文ではあるが日本語ではない。
ジム・クロウチ、本名はジェームズ・ジョセフ・クロウチ。1943年1月10日、南フィラデルフィアのペンシルバニアで生まれる。イタリア系アメリカ人。5歳から音楽に親しむ。
スタジオ・アルバムは実質5枚で、他にベスト・アルバムは多く出ている。
シングルは1972年の「
You Don't Mess Around with Jim
」、「
Operator
」、
1973年に「
I Got a Name
」、「
Time in a Bottle
」、
1974年に「
I'll Have To Say I Love You In A Song
」などがある。
1973年9月20日、シングル曲「I Got a Name」がリリースされる前に、ルイジアナの空港から飛び立つ飛行機が木にぶつかって墜落し、乗っていたジムと音楽仲間たちは死んだ。享年30歳という若さだった。
彼はまさに美しすぎる遺作を残してくれた。
Age
Photograph And Memories
Thursday
The Hard Way Every Time
Lover's Cross
These Dreams
-------------------------------------------------- ☆ -------------------------------------------------------
30年前に福岡から大阪に転居した大凶方位の影響が一生続くらしいが、その内容は味噌汁の出汁のようなもので、とりたてて悪いことも起きないがいいこともない、というものらしく、いまさらその方位のリカバリーも無理だから、まあ、あきらめるしかないだろう・・・。
2021年(65歳)10月に西大吉方位、2022年3月に東北大吉方位になる。インドは西で、インドから見た日本は東北になる。大凶転居のリカバリーを考慮して、約140日のインド長期旅行を考えたりもしているが、素人判断でやって逆効果になるのも怖いし、いずれ鑑定してもらうことになろう・・・。
とりたてて大きな望みもなく、今の望みはとにかく自分の身体の健康だけ。病気にならないように気をつけるだけ。これからますます老いていって体が弱っていくばかりだからな・・・。何もいいことを期待していないなら、別に大凶方位のままで過ごしてもいいかも・・・。
やりたいことは、今やっている翻訳だし、出版されるかどうかは出版社まかせで、こちらではどうしようもないし、ただひたすら翻訳を続けていくだけになる。
無欲に、淡々と生きていくだけ。とにかく住宅環境が静かになったことはありがたい。昔は家の中で本も読めなかったほどだからな。この静けさが持続してほしい。
6
月18日
翻訳というこつこつした作業に刺激を与えてくれるものに、同じこつこつとした作業である井戸の手掘り作業の映像がある。これを提供してくれているのが、過去に何度か放送された「世界の子供がSOS!THE★仕事人バンク マチャアキJAPAN」という番組。
その作業は朝から夜まで単調なことの繰り返しで、それでも1日に1mくらいしか掘り進まない。また、それで水が出るという保証もない。そんな苦労に比べたら、翻訳などはまだ楽な方だ。この井戸掘りに刺激を受ける。ただ、この番組は2年前を最後に最近は放送されていない。こういう番組をもっと続けていってほしい。
ちなみに、過去に放送された井戸掘りは〜
2009年4月 5日 ケニヤ 仕事人:清水武雄(63) ・・・・作業日数3週間 深さ20m 水出る。
2010年4月10日 ウガンダ 仕事人:清水武雄(64) ・・・・作業日数3週間 深さ?m 水は出るが飲料水には適さない。
2011年3月27日 ネパール 仕事人:安田富雄(51) ・・・・作業日数43日 深さ30m 泥砂水で井戸不可。
2012年3月18日 ザンジバル 仕事人:安田富雄(52) ・・・・作業日数25日 深さ30m 水出る。
2013年4月 7日 ガーナ 仕事人:田島大介(43) ・・・・作業日数29日 深さ36m 水出る。
2014年4月 6日 ケニヤ 仕事人:田中吉彦(67) ・・・・作業日数37日 深さ?m 水は出るがすぐに枯渇する。
場所を変え、手掘り日数12日目で井戸業者機械堀りに変更して水が出る。
2015年5月17日 カンボジア 仕事人:安田富雄(55) ・・・・作業日数24日 深さ28m 水出る。
水が出るまでの、仕事人や撮影スタッフの現地での生活はどうなっているのかが気になるが、それでも60歳を超えてもこんな大変な仕事をしていることには頭が下がる。
・・・・・ 梅雨入りしたのか? 今年は空梅雨だな・・・・
・・・・ 最近、隣人とのトラブルで暴行死傷事件が発生するニュースをよく聞く。私の過去の住居環境も似たような事件が起きかねないような状況だったから、そんなニュースは他人事ではないし、また、今の環境がありがたく感じられる。
6月20日
ネットで知った、一人でいることに肯定的なコメントがある。最近、こういう傾向の見方が増えていることは個人的にとてもうれしい。興味深いのは、それらの発信者がみんな私より年下の世代だということだ。
聞き手/日経ビジネス編集部デスク・鈴木信行
回答者は・・・諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)氏
臨床心理士/上級教育カウンセラー 1963 年福岡県生まれ。筑波大学人間学類卒業、同大学院博士課程修了。
英イーストアングリア大学、米トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授を経て、明治大学文学部教授。教育学博士。日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。著書多数
――世間的には、「友達が少ないのは良くないこと」「友達がいないのは変な人」という雰囲気が蔓延している気がしますが。
諸富:いやいや、僕に言わせれば、「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」こそ、よほど問題だと思いますよ。「一人の時間を過ごせる力」、言い換えれば「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエーティブに生きるための必須能力で、今からの時代、ますます大切になっていきます。その意味では、ビジネスパーソンに限らず、孤独を愛する人は、人生を充実させる上で強烈なアドバンテージを持っていると言っていい。
――日本人は「孤独は寂しい、良くない」と考え、とかく群れたがる傾向が強い―。そんな見解を持つ人も少なくないようです。仮にそうだとすれば、その理由はどこにあるのでしょう。
諸富:背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力があるのだと思います。この国では、多くの人が「友達集団や職場集団の構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。そう考える人にとっては、「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」が最も安全な選択なんです。
――なぜ日本社会には、そこまで強い同調圧力が存在するのですか。
諸富:最大の理由の一つは、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると、私は考えています。あの時代、クラスの中はいくつかの“排他的集団”に分かれ、子供たちはいずれかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。そして、安定して集団に属するためには、とにかく「周りと同じであること」が要求される。「周りと違うと、どんなひどい目に遭うか」、この時期に多くの人は、無意識のうちに体に叩き込まれて青年期を迎えるんです。
――それでしたら身に覚えがある人もいると思います。「同調圧力」は、教師や親からも日常的にかけられ、口では「個性を磨け」とか「オンリーワンを目指せ」と言いながら、本当に目立てば確実に良からぬことが起きる。そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。スポーツエリートなど、集団から完全に突き抜けてしまう子は別なんでしょうけど。
諸富:中には年を取るにつれて、そうした同調圧力の強迫観念から解放される人もいます。しかし、染み付いた価値観を抱え、精神的に幼いまま大人になる人も多い。
――なるほど。そうした人にとっては、“自分や周囲に同調しない者”は「おかしな人」であり「変な人」であり「異端」のままなんですね。
諸富:加えて今の社会では、たとえ表面的であっても、幅広い人間関係を維持し、日々に忙殺された方がかえって楽に生きられるという側面もあります。生きていれば、誰だって人生の節目ごとに様々な悩みが生じてくる。でも、飲み会やSNSなどで絶えず誰かとくっつき、スケジュールを埋め続けていれば、「自分の心を常に麻痺させること」が可能です。そうすれば、本来なら孤独の中で自分の心を深く見つめねば解決し得ない問題も先送りできる。
「群れる」「つるむ」というのは日々の不安を打ち消す上でとても便利な道具なんです。「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」という根拠なき自信を持てるようにもなる。
――でも、そんなことをしていては、人間としてなかなか成長できないのではないかと思うのですが。
諸富:もちろんできません。それどころか、周囲と過剰に同調しようとすることで精神的に追い詰められてしまう人もいます。
――先生の著書『孤独であるためのレッスン』(NHKブックス)に、まさにそんな状況に陥った女子中学生が出てきます。「周囲の友達に合わせるのが大変で、それでもグッと我慢して自分を抑え、楽しくもない会話に楽しいふりをして、へらへら笑って付き合ってきた……これ以上我慢していると、自分でも自分のことがわけわかんなくなって、友達のこと、刺してしまいそう」――。こんな深刻なケースが本当に増えているんですか。
諸富:増えています。特に今の子供たちは、スマートフォンやSNSなど、ネットの発達で一段と同調圧力に追い込まれている。有名になった「メールを3分以内に返信しなければアウト」をはじめ、所属する集団の“掟”にわずかでも背けば、たちまち仲間外れにされてしまう。いわゆる「友だち地獄」です。
――社会人は、そこまではひどい状況にはなってないですよね。
諸富:いやいや、根本的な状況はさほど変わらないのではないでしょうか。中学生に比べれば成熟していますから殺意に向かう人はいないでしょうが、大人は、逆に自分を押し殺そうとする。会社員の間で“心の病”が流行しているのは、労働強化だけではないと思います。
――「自分の気持ちが特に欲してもいないのに無理やりに友達を作ろうとするのは、体に悪い」というわけですか。
諸富:それだけではありません。「群れること」の弊害はまだまだあります。自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からなくなることです。こういう人は人生の節目節目、特にレールから外れた時に、なかなか立ち直ることができません。そんな「自分を持たない人間」が、とりわけ定年を迎えると大変なことになります。
――このまま高齢化社会が深刻になれば、自分を見失った高齢者があふれかねない、と。
諸富:一方で、一人の時間をしっかり持っている人は、自分と向き合い、深い部分で自分が本当はどう生きたいのかよく考えていることが多いから、どんな時も心のバランスを維持することが可能です。その意味では、冒頭で出てきた「いつの間にか孤独を選んでいた人たち」は、実は自分の心がそうなることを欲して、無意識のうちに人間関係を整理してきたとも考えられます。
人生の重大な局面を迎えて、もっと自分を知りたい、この後どう生きていくべきか考えたい。そんな深層意識があって一人の時間を確保することを自分で選んできたとも言えると思います。
――なるほど。ただ、孤独に生きようと思いながら躊躇している人の中には、「あまり他人と距離を置きすぎると、いざという時に誰も助けてくれなくなるのでは」と考える人もいます。
諸富:ああ、それなら心配はいりません。広く浅くの表面的な関係で結ばれた友達が、いざという時に、本気であなたを助けてくれると思いますか。
相手が苦しい時に自分の身を投げ出してでも何とかしようとする。そうした深い人間関係は、「孤独を知った者同士」の間にこそ生まれる。人間は本来孤独であり、それぞれ自分の道を生きるしかない。そうやって孤独を引き受けた者同士だから、分かり合うための努力をする。孤独を知った者同士だからこそ響き合える、深い出会いがあるんです。
――同調圧力を背景に、半ば脅迫的につながっただけの関係の相手に、いざという時の親身な支援を期待するのは無理がある、というわけですか。お話を聞いているうちに、「友達が少ない、いないこと」は人としてダメどころか、様々なメリットすらある気がしてきました。少なくとも「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」よりずっと健全に思えます。「分かり合えない人」と形ばかりの関係を維持しようと神経をすり減らすより、健康にはいいし、自分を見失わなくても済む。孤独を知ることで、“真の友”との本当に深い出会いが待ち受けているかもしれない。
諸富:そうです。そうした深い出会いからは「この人だけは自分を見捨てない。どこかで自分を見守ってくれる」と思える人も、数は少ないかもしれませんが、きっと見つかるはずです。人間関係に悩んでいる人ほど孤独力を身に付けたら、毎日が爽快になります。
――分かりました。群れるのが苦手な多くの人が、勇気付けられたと思います。
【結論】「友達ゼロ」の人の末路は?
何の心配もいらない。友達は無理に作るものではない
【解説】
世の中には「群れるのが好きなタイプ」と「群れるのが苦手なタイプ」が存在します。インタビューにもあるように、日本は極めて同調圧力(みんなと同じことをしなければならないというプレッシャー)が強い国ですから、自ずと群れるのが得意(好き)な人たちが主流派となり、群れたくない人たちは異端、変わり者と見なされてきました。
SNSをはじめ、“群れるためのツール”が世代を超えて大流行している今は、その傾向がさらに強まっているのではないでしょうか。しかし諸富さんの話を聞くと、「だからといって、群れたくない人が無理に、群れたがる人たちとつるむ選択をする必要はない」ということがよく分かります。理由は簡単で、これからの厳しい世の中を生き抜いていく上で群れるメリットなどほとんどないのに、デメリットはたくさんあるからです。
群れるメリット⇒心を麻痺させ、楽になれる(幻想)、友達の数が増えることで「自分に価値がある」と自信を持てる(根拠なき自信)
群れるデメリット⇒人間として成長できない(孤独力を磨けない)、同調圧力によるストレスで精神的に追い込まれる、年を取っても自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からないまま、こうした日本人の“群れたがり気質”は、実は経済を活性化していく上でも少なからぬ重石になっています。
・・・・以上。
私がいままで感じてきたことをうまく表現してくれている。改めて、自分が感じたことは自分にとって正しかったということだ。そして、それでもそれはこの日本では生き難い、ということだ。
だから、さんざん人から笑われ、変人扱いされてきたのだから、それはそうであることを受け入れ、一人で生きていけばいい。既に私には一人で生きていく力は十分にある。一人で生きることを批判するヤツや、それが理解できないヤツに関わる意味も時間もない。一人で生きられないヤツがもっともなことをわかったように言っているだけだ。
いわゆる集団の中での人気者というヤツこそ一人では生きられないヤツだろう。
今の私の課題は、そういった過去の他人からの批判や嘲笑の記憶を消して、自分に自信を持ち、自分の生きたいように生きること、自分を取り戻すことだ。そのためには他人からの騒音は邪魔になるため、一人でいることが必要になる。
そして、一人でいることは、私にとっては自然なことであり、楽であり、幸せである。
過去に受けたOshoのセラピーで、一人でいることを他人からの逃避としか捉えなかったセラピストがいた。まったくくだらない。ただ自分の考えを、それも薄っぺらい世間的な考えを押し付けているだけだ。それをセラピーと称して高額な金を取っていた。ただ、あきれている・・・。
6月21日
上に一人でいることを推奨するネットのコメントを引用したが、とあるメルマガの紹介で、また別の一人でいることを肯定するサイトがあった。
http://i.mag2.jp/r?aid=a594b1ae09a1d0
孤独こそが最強の生き方・・・か。最近、こういう志向になっているのかな?個人的には、わかってくれている人が増えているようで嬉しい。
結婚にもクルマにも興味のない若者が増えているらしい。私のような人間が増えているようでおもしろい。私は生まれてくる時代が早すぎたのだろうか?今の若い人の考え方に共感するところは多い。
私は不思議と、血液型がA型の年上にいじめられてきた、と言える。両親が共にA型だし、学生時代の先輩もA型、会社の先輩・上司もみんなA型だった。その性格は、いわゆる教えたがりであり、忠告や説教、批判が好きなようだ。そして常識という枠にはめようとする。ちなみに私はO型である。そうそう、結婚していた時も、嫁は年上のA型だった。しかもドイツ人だからよけいに厳格だった。というより、自分を棚に上げて他人を批判してばかりだったが・・・。
だから、正直言って、年上のA型は大嫌いである。
6月22日
Perfumeのプロデューサーである中田ヤスタカが気になる。彼は10歳から作曲を始めるが、他の音楽からの影響はないようで、ほとんど独学らしい。作曲とレコーディングが同時進行する。つまり、従来のやり方に囚われていない。
そういう意味では、教育を受けることに疑問を持ってしまう。
そしてパソコンが発達したことが大きい。彼の音作りはコンピュータがあって初めて可能になる。その辺りは世代の特権でもあろう。技術が音楽を進化させる。
彼の語録で〜、自分がいる場所が大事で、そこから、出身地から作られる音楽を大切にしたい、東京の音楽、というような・・、だから外国に行くのが怖い、センスが変わるから・・・と言っている。彼はLiveを見ない。Liveのために音楽を作らない。その点ではBABYMETALとは逆だ。BABYMETALは完全にLiveのために作られた音楽だ。
Perfumeは、楽曲は中田氏によるもので、振付はMIKIKO嬢によるもの、そしてステージのレーザー演出がある。複数のクリエイターによる総合芸術であるなら、Perfume自身の個性・能力は何か?となると、その歌・音楽やダンスを完璧に表現できることにある。その受け皿の大きさ、受容性と消化して自分のものにする能力が高い。
自分は、絵を描くことが好きというわけではなかった。たまたま人より絵が上手いというだけで美術系の学校に入ったことが間違いだった。元々自分を解放させるために描いていたものが、美術教育を受けることで、教師からの評価が重要になり、逆に自分を抑圧させるものになった。だがそれがわかるためには、その経験が必要だった。美術教育を受けずに自由に描いている人が羨ましかった。
親からの抑圧、学校からの抑圧、年上のA型からの抑圧が自分の50年以上の人生を苦しめてきた。
そこから解放される道を探すために精神世界に関わり、Oshoの世界に入ったが、そこでも他のサニヤシンから抑圧された。それらすべての抑圧から解放されるためには、誰にも関わらず一人になることが必要で、それが55歳の退職から可能になり、現在まで徐々に自分を取り戻しつつある。つまり、今ようやく自分の人生が始まった。とにかく、軽さを感じている。
だから、既成の教育を受けていない人の方が、拘りもなく自由に創造的に生きている。では教育を受ける意味は何なのか?となる。東大出身者が社会でどんな働きをしているのか? せいぜい官僚となって無知な政治家の下で黙々と働くくらい。またはテレビのクイズ番組で知識自慢をするのか? 高学歴を持っているということは、敷かれたレールをうまく進んできたことの結果であり、それはレールからはみ出すことはできないし、ましてや新しいレールを作ることもできない。そもそもレールがなければ生きられないだろう。
60年代の全共闘世代も学生時代にはレールを壊そうと戦ったかもしれないが、結局はレールに戻っている。反体制と叫びながら、結局は体制に属するようになる。若い世代が結婚や大学や車〜既成のレール〜に興味を持たなくなったのはいいことだと思う。昔は「戦争を知らない子供たち」という歌があった。今では、「学生運動を知らない子供たち」 「バブルを知らない子供たち」となるのだろう。
だから、中田ヤスタカが独自の世界を作ることができたのは、外からの、既成のものの影響をあまり受けず、自分の居場所を大切にしてきたからだろう。鎖国の江戸時代に元禄文化が発達したのも同じ意味だ。
そういう意味では学校教育というのは弊害ばかりが多くてあまり役に立っていない。江戸時代は個性重視の教育だったのが、明治になって西洋に追いつくために画一化された教育になり、みんな一緒でなければならないという現在の日本の悪い習慣が作られた。それが変わらず現在までも続いている。その点については歴史学者の磯田道史も語っている。この人もまだ40代で若い。ゆとり教育はそれを打破するための一つの方法だったのだろうが、理想や理論ばかりが先だって現実が対応していなかった様子。
こういう若い人たちが少しずつ社会の既成概念を変えていってほしいと願うが、問題は、こういった若い世代が少子化でますます少なくなり、かつては反体制を唱えながら結局は体制に負けてしまった古い世代がまだ多く存在していることだ。彼らが若い世代を潰さないことを、同じ過ちを繰り返さないことを願う。
私は逆に、毎年のように居場所が変転し、いろんな影響を受けて混乱したままで、しかも年上のA型から抑圧されて生きてきたので、自分が確立できなかった。自分を見失っていた。ただ、その外的な世界の嘘・デタラメ・裏を見ることができたのは収穫だった。だからそこには何も興味はなく、影響を恐れることもない。私にとっては無意味になった。
だから一人で生きることができ、ただOshoの翻訳だけに没頭できるのだ。
その自分を取り戻す事をほんの数年前から始めて、徐々に取り戻せるようになった。その方法は、取り戻そうともがくのではなく、何もせずに静かに待つこと、嵐〜騒動〜が過ぎ去るのを待つように、濁った水が沈殿するのを待つように。
これらは全てOshoの翻訳を通して学んだことだ。
6月24日
振り返ってみると〜
去年の4月頃にBABYMETALを知って夢中になり、同じ頃に和楽器バンドを知ってこれにも夢中になる。そして今年の4月頃からPerfumeに夢中になっている。
よく、年老いたら音楽の趣向は演歌に行く、なんてことを聞くが、誰がそんなバカなことを言ったのか。少なくとも私は60歳を超えてJ-POPに夢中になっている。とはいっても、上記の3つのグループだけで、いわゆるアイドル・グループ、***48のようなものには興味はない。
純粋に、この3つのグループは音楽性が非常に高い。だから好きなのだ。ただ、Perfumeの音楽は全て中田ヤスタカの作品だが、彼自身のユニットであるCapsuleには何の興味もない。Perfumeだから好きなのだ。Perfumeは一応テクノ・ポップというジャンルになるのだろうが、テクノそのものには興味はない。YMOもあまり興味はないし、クラフトワークなどもそれほど好きではない。全般的に軽すぎてもの足らないのだ。Perfumeにはそれ以上の魅力がある。
これまで、クラシック、ハード・ロック、プログレ・ロック、現代音楽、ミニマル音楽、インド音楽、ケルト音楽、バロック音楽、Oshoミュージックなどを聴いてきて、それぞれ自分に大きな力を与えてくれてきた。まさに音楽が私を助けてくれた。ただ、あるジャンルの音楽が好きなのではなく、あくまで個人の音楽なのだ。だから上のように書いたのは便宜上で、あまり的を得ていない。音楽のジャンル分けなどまったくナンセンスだ。
だから特に好きな音楽を個人名、グループ名で掲げれば・・・
ベートーヴェン、
モーツァルト
、バッハ、
ヴィヴァルディ
、ビーバー、マラン・マレ、
ビー・ジーズ、クィーン、ブラック・サバス、ブルー・オイスター・カルト、ラッシュ、ジム・クロウチ、スモーキィ、スレイド、スパークス、スティーリー・ダン、
キング・クリムゾン、ブライアン・イーノ、ハロルド・バッド、
クラウス・シュルツ
、
宮下富実夫
、
シャーディ、ケイト・ブッシュ、ラルフ・ターナー、カルネッシュ、
デューター
、
ロリーナ・マッケニット
、
パトリック・ボール
、
ラタ・マンゲシュカール
、
ナジア・ハッサン
、
ラヴィ・シャンカール
、
ニキル・ヴァネルジー
、
シーラ・チャンドラ
、
BABYMETAL、
和楽器バンド
、
Perfume
・・・、となる。
6月27日
今日の始まりとなった音楽はSladeの
SUMMER SONG ( WISHING YOU WERE HERE )
ロックの中でも異色の、一番明るいポジティブな音楽だろう。もう40年以上聞き続けている!!
そして夕方はこの音楽。
「和楽器バンド大新年会2017東京体育館 -雪ノ宴・桜ノ宴-」ダイジェスト第1弾
第2弾
和楽器バンド〜さらに洗練されてパワーアップしている。これを見ただけでも感動する。
6月30日
29日にOshoの「Enlightenment Day Celebration 1981-3-21」をDVDに書き込もうとするが、Windows 7でTMPEGEnc DVD Author 2.0を起動するも、px.dllファイルがないと表示され、DVDに書き込めない。そもそもTMPEGEnc DVD Author 2.0はWindows 7ではDVDライティング・ツールが作動しないらしい。
それでも
https://jp.dll-download-system.com/dlls-p-/px.dll.html
からpx.dllをダウンロード。:C/Windows/System32にコピーして再起動で認識するが、DVDドライブを認識せず。同作業をWindows XPで行ってDVD作成できた。これで半日費やした。
前日、px.dllファイルをダウンロードするために、最初は右のサイトからダウンロードした。
https://jp.dll-files.com/px.dll.html
この時に余計なファイルもダウンロードしたようで、以後、起動時に画面の右下に警告画面が出るようになる。
無視して右上のXをクリックすれば消えるが、起動のたびに表れる。削除方法としてこのサイトが参考になった。
https://blogs.yahoo.co.jp/fireflyframer/34279277.html?
タスクマネージャーのプロセスでem.exe / sm.exe / sysmon.exeのどれかを探す。自分のはsysmon.exeがあり、これをプロセス終了にする。
これの元のファイルはSysMonであり、更新日時が昨日のもので探し当て、C:\Users\[ユーザー名]\AppData\Roaming\SysMon\ を削除する。
再起動したら上記の警告画面は表れなくなり、問題解決した。
見知らぬサイトからのダウンロードはリスクを伴うが、同じような経験をしている人が多く、それをネットで知って解決できるというのは本当にありがたい。
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時々、ふっと気分が沈む時がある。自分の人生を振り返り、これでよかったのだろうか?と自問することがあるが、なんでもこれは人間には自然な現象らしい。気分のアップダウンがあることは。自然界に光と闇があり、昼と夜があり、夏と冬があるように。
まあ、過去を振り返っても、過ぎたことはどうしようもないし、その時その時はそれなりに精一杯生きていたのだから、どうしようもない。後悔することも多いし、いまでも思い出すだけで腹が立つことも多いが、現在の生活が平穏であれば何も言うことはない。
確かに、恵まれているというか、結果的に運はいいのかもしれない。
身体的に健康だし、介護しなければならないような親もいないし、衣食住にも事足りているし、一人で生きているため人間関係に悩まされることもないし、周囲の環境も静かで暮らしやすいし、何よりOshoの翻訳というやりがいのある事があること。
老齢基礎年金の支給まであと半年。今の懸念は、問題なく年金が貰えることくらいだな。
死ぬことについては心配しても仕方がない。孤独死になることは確実だし、隣近所はだいたい同じ年代の人たちばかりだから、その頃には何らかの協定・取り決めが作られるかもしれない。そろそろ全員にとって死ぬ時期が来たということで〜。回覧板の呼びかけに反応しない、ということでわかるだろう。
時々、手相を見るが、神秘十字線は昔から両手にある。結婚線はまったくない。覇王線らしきものが数年前から現われているみたいだが、だからといって、それが何?という感じ。
2017年 6月
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