10月13日

 インドは、つくづくすごい比類のない国だと思い始めている・・・
 インドは歴史を残さなかった。歴史を記録しなかった。そもそもそういうことに興味がない民族らしい。過去の出来事は神話として残した。リグ・ヴェーダやマハーバーラタなどに・・・ だから歴史的に年代を確定することや実在性を立証することが難しい。

 ヴェーダは「知識」という意味で、人類最古の文献と言われているが、歴史家はその成立をだいたい紀元前3000年頃としている。ただ、これには何の根拠もない。単なる歴史家の推測にすぎないし、インド哲学者の中村 元氏も、インドの歴史ははっきりしないと言っている。
 その中でだいたいわかっているのは仏陀(釈迦)の生きた時期くらい。2500年前と言われている。

 仏陀は修行中にヴェーダを学んでいる。ヴェーダの奥義書にウパニシャッドがあり、当然仏陀もこれを学んだと思われる。だからある意味、仏教はウパニシャッドを基本にしていると言う人もいる。
 仏陀と同時代の人にジャイナ教のマハーヴィーラがいる。彼の方がヴェーダにより近い。

 ウパニシャッドには既にヨーガが語られている。ヨーガといえばパタンジャリが開祖のように言われているし、パタンジャリは紀元後2世紀頃の人と歴史家は言っているが、これは違う。パタンジャリは5,000年前の人で、彼はヨガの開祖ではなく、それを体系付けた人らしい。おそらく、5,000年前と言った時点で、もう信じられない人がいるかもしれない。

 パタンジャリと同時代の人にクリシュナがいる。クリシュナはもう神話の世界の人物で、神として見られている。
 クリシュナの教えが書かれた本が「バガヴァッド・ギーター」で、インドで一番よく読まれている。その本の中で、多くのヨーガの種類について語られている。当然、このパタンジャリやクリシュナもヴェーダを学んでいる。

 仏陀やクリシュナやパタンジャリが名前を残したのは、彼らが自分の教えを後世に伝えたから。教えを説かず、無名のまま歴史に消えた聖者たちはその何倍も多いらしい。

 マハーヴィーラもジャイナ教の開祖のように思われているが、それは違う。マハーヴィーラ以前にもジャイナ教の聖者たちが23人系列的にいる。彼らは一度に同時代に存在したのではなく、今のダライ・ラマのように、各人がそれぞれ一つの時代を生き継いでいった。その最初の人はリシャバと呼ばれた。9万年前の人らしい。9万年前となると、もうお手上げだろう。信じろという方が無理。しかしその説を唱えるインド宗教学者がいる。その根拠は、リグ・ヴェーダの中にリシャバのことが語られていて、同じく天体の星の位置も書かれているが、天文学的に検証して、その星の位置は9万年前のものだといわれているらしい。

 ヒンドゥー教の三大神であるブラフマー、ヴィシュヌ、シバのうち、シバも実在したと言われている。
 シバの114の瞑想法がヴィギャン・バイラヴ・タントラとして残されている。

 ウパニシャッドの中にも多くの聖者たちの名前が出てくる。ただ、そういった聖者たちも仏陀の時代にはだいぶ堕落していたらしい。それは仏伝の中で仏陀が修行中にいろいろな聖者に出会うが、誰からも満足な教えを得られなかったことが書かれてあるからだ。

 それでも、タントラの祖であるサラハやティロパ、
 チベットに仏教を伝えたアティーシャ、
 禅の祖であるボーディダルマ、
 他にもシャンカラやナーガルジュナ、ナナク、カビール
 近年ではラーマクリシュナ、クリシュナムルティ、オーロビンドなどがいる・・・

 そのインドのスピリチュアルな系譜は底知れないものを感じさせる。そこがインドに魅了されている点であり、憧れ、夢中にさせられる。


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 SASUKEを見た。20周年記念大会。
 それぞれの参加者が、自宅にセットを作ってこの大会のために練習しているのを見て、正直、セットを作ってまで、そこまでするか、というところに感動とエネルギーを受ける。テレビ番組が人の人生を変えているのだ。そのためだけに生きている人たちがいる。何かに夢中になり、それに賭けて生きることは素晴らしい。
 特に、漆原の引退を賭けてのぞんだ1stステージは感動した。こういうところから自分もモチベーションをもらえる。
 改めて、私はOshoの翻訳に人生を捧げようと思った。もうそれしかない。
 自分の身近に自分を助けてくれる人はいない。むしろ、近しい家族や親戚が、そしてOshoのサニヤシンがいままで足を引っ張り、私を否定してきたのだからあきれてしまう。世話がない。逆に、その悔しさがエネルギーになってはいる。
 だから、このようなテレビ番組から私はモチベーション、エネルギー、刺激を受けている。それはすごく助けになっている。
 特にそれはこのような体育系に多い。それは努力の結果がはっきりしているからだ。

 そして、改めて、音楽からもエネルギーをもらっている。・・・和楽器バンド、ロリーナ・マッケニットなど・・・






 
10月22日

 19日に家系図で先祖の寿命を調べる。両家とも基本的に長寿の家系であるようだ。80歳以上が父方で5人、母方で2人いる。
 逆に若死は、1年以内に亡くなっているのが、父方で3人、母方で6人。10歳までが父方で1人、母方で1人。20歳台で亡くなっているのは母方で4人。
 こういうのを見ると、やはりある程度負の因縁の強い家系に感じられる。養子縁組もある。そういう因縁も背負っているのかもな・・・
 そういう短命で亡くなった先祖のことを知るだけでも、その人への供養になるらしい。供養とはその人のことを想うことだろう。

 その人たちの名前を列記しておく。

 父方〜
 義人 .......... 23日 - 1929年 2月15日-3月9日
 和子 .......... 7才10ヶ月 - 1935年12月22日-1953年10月16日
 義之 .......... 11ヶ月 - 1940年 3月31日-1941年2月19日
 正雄 ........ 6ヶ月 - 1899年 8月25日-1900年2月16日

 母方〜
 マサノ ...... 22才 - 1922年 1月30日-1944年2月17日
 マツ ........... 14日 - 1922年 2月 1日-2月25日...父親不明
 タケ ........... 10日 - 1922年 2月 1日-2月10日...父親不明
 鉄夫 ...... ...24才 - 1906年-1930年
 スエノ ....... 9ヶ月 - 1910年12月15日-1911年9月17日
 トメ .............. 8日 - 1913年12月15日-12月23日
 則之 .......... 29才 - 1915年-1944年.......戦死
 夘平 .......... 26才 - 1867年 2月23日-1893年4月26日
 秀雄 .......... 11日 - 1895年 3月18日-3月28日
 市蔵 ........... 1才9ヶ月 - 1897年 1月25日-1898年10月17日
 伍一 ........... 3日 - 1908年11月 1日-11月3日


 先祖供養とは、形式的なものではない、それは無意味である。それはまともなスピリチュアリストならみんな同じようにそう言っている。
 厄払いも同様である。何の効果もない。全く無駄な出費だ。
 高額な儀式代、除霊代を要求するものは、それだけで立派な偽者の証拠と言える。除霊などウソである。仮に悪霊たるものを払いのけたとしても、本人が変わらなければ、時間が経てばまたその霊は戻ってきて憑依する。なぜなら本人がその霊を呼び寄せているのだから。霊は呼ばれたから来ているだけだ。

 霊的知識を学べば、現在社会で普及している宗教的儀式は、ほとんどが中身のない形骸化した、形式だけの、意味も効果もないものであることがわかる。
 逆に、そのような現世的儀式に反応する霊がいるとしたら、それは非常にこの現世に近い、物欲やこの世への執着から離れていない程度の低い霊、または自然霊ということになる。そういう霊に関わると逆にややこしく面倒な事になりかねない。だいたい、祟りとかいうものはそういう低級霊や自然霊の逆恨みによるものが多いから、あまり宗教的儀式には関わらない方が無難といえる。
 仮に、もし一般的な先祖供養儀式を怠ったとして、それでバチを当てるような先祖霊がいるとしたら、それは非常に物欲の強い利己的な霊と言うことができる。つまり、ろくでもない霊だ。
 たいていは、先祖のふりをした関係のない低級霊が関わっている場合が多い。

 親戚のことを思い返すと腹が立つことばかり、嫌なことばかり。何もいいことはない。それで供養しろというのだから、気持ちがこもるはずがない。
 形だけの供養でいいというのなら、それこそそれは中身のないいいかげんなものということになる。
 みんな、本当の意味もわからず、ただ形式的にやっているだけ。そうしなければ恥ずかしいという体面だけの行為にすぎない。

 その本当の意味を知ることがスピリチュアルの探求なのだが、世間はそれを頭ごなしに否定し、ウソ扱いする。だから話にならない。世間に関わる意味も暇もない。






 10月24日

 大型台風も各地に被害を及ぼしたようだが、幸い私の住んでいる地区は強風だけで済んだ。しかし同県内では大和川が氾濫し、三郷駅が浸水した。各地区に避難勧告が出されたのは初めてだ。

 ただ、避難と言っても、正直、自分の家にいることが一番安全と言える。安全な、安心な家になった。それだけのリフォームをしてきた。
 そしてこの年齢で、どこに行く必要もなく、衣食住に事足りて、いらぬ人間関係の悩みもなく、何不自由なく、一人で幸せに暮らせていることはありがたい。
 いままでの闇に耐えてきたことの報いかもしれない。
 まあでもこんな暮らしは、一般的な、何の趣味もなく一人で生きられない人には無理だろうし、私の幸せは理解できないだろう。






 
10月26日

 ネットでは団塊の世代が若い人からよく叩かれているが、そもそも団塊の世代とは何だろう? それは1947年(昭和22年)〜49年に生まれた約810万人のことらしい。 いわゆる戦後ベビーブーム期の人たちを指す。もっと広い範囲にわたってそう呼ばれているものかと思っていた。 ただこの3年間に生まれた人のことであり、現在は68歳から70歳になる。人口分布図を見てもこの世代の人が一番多い。現在の出生数の約2倍いる。これは2016年のデータで、これによると最も人口の多い年齢は68歳あたり。次に43歳あたりが来る。私の年齢61歳はその間の最も少ない年代に位置している。これを見ると日本の将来の人口は本当に滅亡的に見える。

 

 では、よく言われる全共闘世代とは何だろう? それは1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代とある。
 1947年生まれだと、1965年では18歳。なるほど、団塊の世代と全共闘世代は重なる。ただ、団塊の世代の人たちみんなが学生運動をしていたかどうかは知らない。それでもその影響は受けていただろうな。
 ちなみに、あさま山荘事件(1972年2月)を起こした連合赤軍の森恒夫は1944年生、永田洋子は1945年生。1969年1月の東大安田講堂事件は当時テレビで見ていたが、その頃の私は13歳でまだ中学生。単純に、大学は怖い所という印象を受けた。その事件の学生側の議長だった山本義隆は1941年生。いろいろ物議をかもし出している鳩山由紀夫は1947年生の70歳。団塊の世代である。

  関係ないかもしれないが、私は昭和20年代生まれの人間が苦手だ。一様に雑な攻撃性を強く感じる。






 
10月27日

 歴史・神話について、ふと思ったこと。

 日本は先の大戦で何度も空襲に遭ってきたのに、よく各地に古文書が残っているなと思う。実際、今でも新たな古文書が発見されている。日本は、世界的に見ても、歴史的資料の多い国らしいが、ただ、それを総括的に研究する人は少ないみたい。
 それも、資料があってこそ歴史がわかるのだが、その資料の信憑性が問題になる。いわゆる神話というもの。神話が、単なる想像の産物か、現実に起こった事件を象徴的に記録したものか、その判断によって歴史は大きく変わる。
 いい例が、シュリーマンの発掘。彼はホメロスのギリシャ神話を信じて、それを元に発掘して、実際にその神話が実話であったことを証明した。
 インドは、歴史を全て神話にした。それでも、資料として残っているだけでも貴重だろう。

 古事記は、そもそも時の天皇が、誤りを正して真の歴史を後世に伝えるために作られた。誤り? 何を基準に? 要は天皇の都合によるものだろう。ということは、誤りと見られて消された歴史資料が存在していた、ということ。邪馬台国のことは、古事記には載っていない。日本書紀の中に数行だけ出てくる。

 天皇についても、初代は神武だが、歴史的に実在したのは数代後の崇神天皇が最初と言われている。では、それ以前の天皇は想像の産物なのか?そこが歴史と神話の分かれ道だろう。おそらく、その伝説の元となった実話があったに違いない。実際、九州に現れた神武天皇が、都を作るためにわざわざ東の大和の地を目指した意味がわからない。古事記では唐突に「そうだ、東に行こう」と言っている。たぶんこの頃、九州のある戦闘部族が大和の地に攻め入り、そして勝利した大将がこの神武天皇のモデルとなった人だろう。そしてその人は権力を得て、自分を神と称し、その業績を美化したのだろう。
 それが神話になった・・・ 神話の元は、大方こんなことだったのかもしれない。
 歴史は勝者の記録であり、勝者の都合のいいように書かれ、敗者の記録は消される。

 先の大戦の空襲で、奇跡的に残った日本の古文書以外に、空襲やそれ以前の戦いで失われた古文書、歴史的資料はどれだけあっただろう・・・
 残された記録・資料だけでしか歴史を知ることはできないが、その資料が神話・伝説だったなら・・・?
 そういうものを頭ごなしに否定するのはどうかな、と思う。例えば、アトランティスのような・・・・

 神話が何らかの史実を描写しているものとすれば、旧約聖書の物語はどうなるだろう? 7日間の天地創造、アダムとイヴの誕生、エデンの園と楽園追放、ノアの方舟と洪水伝説、ソドムの市、バベルの塔・・・、これらは実話だったのだろうか? シュタイナーはこのあたりの問題を霊的視点で解釈しているが、個人的にはどうも受け入れにくい。
 新約聖書についても、マリアの処女懐妊、イエスの磔後の復活など、常識的には信じがたい話も、エドカー・ケイシーやシュタイナー、Oshoなどがそれぞれ独自の解釈をしている。
 結局は、よくわからない・・・・






 
10月28日

 絵を描いていたから美術系の学校に行ったのは間違いだった。学校に行ったことで絵を描くのが好きでなくなった。絵は好きで描くのではなく、先生に褒められる、認められる、評価されるために描くことになった。そして、自分が好きなように描いた作品は、ほとんど先生に否定された。

 デッサンや模写は褒められた、クラスで一番褒められたが、自分の好きに描いた作品は否定された。クラス全員の前で批判され、クラス全員がそれに笑った。私は泣いた。私がその時泣いていたのを誰も気づいていなかった。その批判した先生は東京芸術大学卒業だった。私は自信を失い、その批判は現在までトラウマになっている。自分の好きなように製作したものが先生からひどく否定されたことは数多い。正規の美術教育を受けずに好きに絵を描いている人がうらやましかった。

 学校卒業後は、絵を描くことを続けだが、それは本来の絵を描く楽しさを取り戻すためだった。だが、何かを描くたびに、その否定され、非難された思い出が蘇ってきた。なぜなら、自分の好きに描くと否定されてきたからだ。その葛藤、戦いは30歳頃まで続けたが、結局はあきらめた。無駄な戦いだと知った。余計なエネルギーの浪費だと知った。
 それで絵を描くことを止め、それまで描きためた作品を全て捨てた。それぞれの作品に嫌な思い出が染み付いているから、見たくなかった。

 絵を好きで自由に描き続けたいなら、美術教育は受けない方がいい。そもそも、なぜ、何のために絵を描くのか、それを忘れてしまう。自分の満足感よりも、先生の評価が大切になってくる。そして他の生徒と比べられる。他人の評価が一番重要になる。でも、学校に行かなかったなら、それはわからなかっただろう。

 今でも、絵を描きたいとは全く思わない。むしろ、描くことを止めたことに解放感を感じている。私にとって学校とは、自分の好きなことを否定される場だった。






 
10月31日

 美術について思うこと

 美術、と言っても西洋美術だけれど・・・ 一番魅力がある時代はやはりルネッサンス。三大巨匠のレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。
 この運動が起こったのは、それまでの中世の美術がキリスト教のためのものだったから、そこから自由になろうとしたため。
 それでもこの三人の絵画のテーマは、やっぱりキリスト教だった。ただその違いは、写実をとことん極めようとしていたこと。写実絵画はこの時代に頂点を極めた。
 写実となると、上の3人以上に、フランドル派のヤン・ファン・アイクが凄い。また、ドイツ・ルネッサンスのデューラーも凄い。

 その後になると、同じことの繰り返しになった。似たような絵画が生まれた。いわゆるマンネリズム・・・マンネリだ。ただ、そのマンネリから離れるために、テーマがキリスト教ではなく、日常の風景・生活になった。風景絵画が生まれた。それでも基本は写実だった。
 その後、19世紀にカメラが発明され、絵画が写実をする意味がなくなった。

 暗中模索している間に、日本から浮世絵が入った。浮世絵に影響されて、印象派絵画が生まれた。これは写実ではなく、心に残った印象を描くもの。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、モネ・・・ 隅々まで綿密に描くのではなく、手を抜いて省略する画法になった。 明治時代に日本に伝わった西洋絵画は印象派だった。日本の油絵は印象派が基礎になっている。 日本に油絵の基礎画法が伝わらなかったのは、最初に印象派が入ってきたからだ。 印象派は画法の基礎を無視しているので、その保存状態は悪い。それより数百年も古いルネッサンス時代の絵画は、基礎がしっかりしているから、印象派絵画よりも保存状態がいい。

 印象派以降、美術は観念的になっていく。機械文明の発達や神秘主義思想から、抽象絵画が生まれる。
 フロイトなどの心理学から、シュールリアリズムが生まれる。ダリ、マグリット・・・
 ただの写実はつまらない・・・と思われたが、そこを逆手に取った流れが生まれる。スーパーリアリズムと呼ばれる。ノーマン・ロックウェル、アンドリュー・ワイエス・・・

 ようするに、全て古いものを否定して、より新しいものを開発している。そして現在、その手法はほぼ出尽くしている。
 ピカソは、写実から印象派、抽象まで、そのすべての手法を使った。

 それらを全て美術教育で学んだ後は、自分で何を描いても、それはどこかで見たことのある絵に思えてくる。 何かの真似に見えてくる。新鮮さが感じられない。
 他人と違う個性を求められたが、どう描いても誰かの作品に似ているように感じた。 モノを創造するためには、情報は邪魔になる。知りすぎたために、何も描けなくなる。
 子供の絵が魅力的なのは、彼らが純真で何も知らないからだ。 それを取り戻したかったが、一度知ったことを忘れるのは難しい。

 Perfumeの音楽を作っている中田ヤスタカは、他の音楽には興味がなかったらしい。 全て独学で作曲して、それでずっとオリコン1位のヒット曲を生み出し続けている。

 ある意味、本当に優れた、個性的な作品は、世間との関係を絶った、引きこもり状態から生まれる、と言える。 中田ヤスタカも、他人と接するのは好きではないと言っている。






   2017年 10月
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