9月 5日

 2018年もようやく3分の2が過ぎたが、今までのところ、いろいろな事がてんやわんやに集中した年だ。

 まず、スポーツ大会が多い。

 2月に平昌オリンピック、4月に世界卓球、6月にサッカーW杯、8月にはパンパシ水泳があり、アジア大会があった。そして9月には世界バレーが開幕する。

 そしてそのスポーツの協会側のパワハラ問題の発覚〜
 日大アメフト、レスリング、ボクシング、そして体操協会と、旧体制的なやり方が浮き彫りになっている。

 そして災害・・・

 1月20日〜25日--豪雪による各地での被害。

 6月18日--大阪北部地震 午前7時58分: 震度6弱-高槻・枚方・茨木。奈良は震度5弱。5人死亡、435人けが。

 6月28日〜7月8日--西日本豪雨被害。死者220人、

 7月〜8月--猛暑、各地で歴代最高気温40℃を記録。熱中症5万4220人。死者133人。
         41.1℃ - 埼玉県熊谷市 (全国歴代1位・7月23日)
         41.0℃ - 岐阜県下呂市金山 (同2位・8月6日)
         41.0℃ - 岐阜県美濃市 (同2位・8月8日)
         40.8℃ - 東京都青梅市 (同6位・7月23日)
         40.8℃ - 新潟県胎内市中条 (同6位・8月23日)
         40.4℃ - 新潟県三条市 (同13位・8月23日)
         40.3℃ - 愛知県名古屋市 (同15位・8月3日)

 そして昨日〜9月 4日の台風21号:9人死亡、229人けが、関空冠水3000人孤立。関西各地で多くの被害が起きている。

 それぞれが、50年に一度、100年に一度というような、非常に稀な現象が続いている。

 21世紀になって、いくら科学が発達したといっても、いまだに自然災害には無力だということが明らかになった。

 私的には、安全な場所に住めていることがありがたい。

 また、リストラされて無職となり、一人で生きるようになってから早8年。ようやく静かで安定した幸せな人生を生きることができている。
 そして自分のやりたいことだけに没頭できている。

 発達障害で、人間関系が酷かったからこそ、また各地を転々と移り住んできたからこそ、一人で生きられているのだろう。そもそも育った家庭環境が歪だったから・・・
 自分の居場所ややりたいことを探してずっと生きてきたが、どれも全て挫折し、絶望して、傷つき、屈辱を味わって、そして現在に至り、ここ数年でようやくつかんだという感じ。

 今年の私の運勢は確か大凶のはずだったが、今のところ何も悪いことは起こっていない。むしろ、世間で上記の災害のように悪いことが起こり続けている。






 9月10日

 100分de名著 石ノ森章太郎。
 数日前に放送されたものを録画して、それを毎日繰り返し観ている。それで改めて石ノ森章太郎の凄さを再認識した。
 既に再放送も決まったらしいが、以前に同番組で手塚治虫の特集をしていて、それも個人的にはとても好きだったが、やはりそれ以上に石ノ森の方が私にとっては大きい。ほとんど彼の漫画を読んで、その影響を受けながら育ってきたようなものだから。

 私にとっての石の森漫画の出会いは、たぶんサイボーグ009の日本で住んでいた巻のものだったと思う。全集の第2巻。0010や0011など、その後に生まれたサイボーグたちが009たちを刺殺に来る物語。あと、クビクロも好きだった。でも最高傑作はやはり地下帝国"ヨミ"編だ。

 この番組ではそれぞれ世代の違うコメンターたちがそれぞれの視点で石ノ森漫画の魅力・凄さを語っている。知らないことをいろいろ気づかされて、とても勉強になる。

 100分de石ノ森章太郎






 9月11日

 前の日記で、100分de石ノ森章太郎を紹介したが、この中で「幻魔大戦」を取り上げた人が、「残留思念」という言葉に大きなインパクトを感じたということを言っている。つまり、幽霊に見えるものは強い念が残って形になったもの、という考え。
 私も子供の頃、石の森漫画から、他にもテレパシーやテレポート、サイコキネシスなどの言葉を知った。また、古代文明やミステリーに関する知識もほとんどが石ノ森からだ。そういう知識が私を、後の霊的世界、スピリチュアルへの関心に導いた。

 そもそも石ノ森は大のSF小説読書家で、自分の作品のいろんなアイデアをSF小説から借りている。そしてその当時のSF小説家は、大なり小なり神智学の影響を受けているように感じられる。神智学の影響を受けた代表的な作家にH.G.ウエルズがいる。
 そして「残留思念」は元々神智学で使われた言葉でもある。神智学は物質の裏にある見えない世界・原理を探求した学問で、その基礎はインドのヴェーダにあるが、ここで、思念は物質化する、と言っている。

 最初、石ノ森漫画から断片的な知識を知り、それが神智学や他のスピリチュアル系知識を知ることで、その相関性を知ったこと、知識が巡り巡っているのを知ったことがおもしろい。 子供の頃の私は石ノ森漫画からスピリチュアル的な世界を学んでいた。だから後になって本格的な霊的知識を学ぶ際に、とても簡単に入っていけたのだと思う。







 9月14日

 死者への語りかけ
 チベットの死者の書は、死んだばかりの人が死後のプロセスで迷わないように、生きている人が死者の体の傍らで、魂を正しい道に案内する、導きを語るためのもの。 ということは、死者は生きている人の声(?)、というか、考え、思念が聞こえている、という事になる。

 つまり、死者との意思疎通はありえる、ということ・・・ もっと言えば、生きている人の考えていることは、死者には全てわかっている、お見通し、筒抜け状態、とも言える。 だから、今、自分が楽しんでいることや学んでいることは、死者〜この場合、近親者や先祖〜にも伝わっているとも言える。

 ということは、今、自分がスピリチュアルや霊的世界を学んでいることは、同時に死者もそれを、自分を通して学んでいるとも言える。
 これは先祖のカルマの一つの解消になる、と誰かがブログで言っていた。    家系が及ぼすカルマの影響
 これは間接的な死者への語りかけでもあるだろう。

 先祖のカルマ・・・・、というか、家系の影響は確かにある。というか、それでその人の人生は決まったようなもの。
 別の視点から、竹下気学も親の影響を語っている。  親子電波理論について


 まあ・・・、私の家系は、というか、親からしてどうしようもないから、こんな人生を生きてきたのだろう。
 こんなOshoの翻訳も先祖のカルマの解消に役立っているのだろうか?






 9月20日

 関西電力の電気使用量通知は普段は10日頃だったのが、大阪の停電復旧の為、18日まで延びてようやく通知が来た。

 以前は電話がかかってくるのがうっとおしくて何度か電話線を外すことがあったが、今はずっと繋いでいても問題ない。また、ほとんど電話はかかってこないし、それも自分的にはありがたい。

 改めて自分の人生を振り返ると、支えてくれたり認めてくれた人は誰もいなかったし、今もいないのがよくのがわかる。で、それが自分にとって普通に感じている。自分が一人でいることも意識しなくなった。寂しいとか、孤独感とかはずいぶん前に忘れてしまった。

 今は、過去に否定していた自分のいろいろな部分を取り戻したい、という感情が強い。そして可能な限り、それは取り戻しつつある。

 Oshoの、既成のセラピーはまったく役に立たなかった。むしろ、害になった。
 今は、自分で自分を癒し、治療している。その方法は結局は自分にしかわからないものだし、自分にしかできないものだろう。
 つまり、何であれ自分を完全に受け入れること。自分の何も否定しないこと。







 9月23日

 この歳になっても、いまだに人生の意味はわからない。自分の人生とは何か、がわからない。というか、そもそも生きることにそんなに意欲はなかった。勝ち負けにも興味がなく、そんなに負けず嫌いでもなかった。ようするに、なぜ生きるのか?という疑問を子供の頃から抱えたまま、今日まで生きてきた。
 だから他人から、生きていないとか、死んでいるとか言われてもしかたがなかったのだろう。でも、生きる、とは何なのだ?

 でも本当に知りたい。なぜ生きるのだ?・・・だから精神世界、スピリチュアルの世界に入り、最終的にOshoに来たのだろう。
 逆に、その答えを知っているというやつは信用しない。

 たぶん、愛を知らないからかもしれない。愛を学ぶべき基盤である家族が歪んでいるのなら、どうしようもない。

 いろんな状況を知るために生きているのかもしれない。小学生の頃、自分は汚れるために生きている、という感覚があった。
 あえて失敗し、あえて恥をかき、あえて自分を落し込むような生き方だった。だから結局は自己否定であり、自己卑下になる。マゾ的な生き方だったな。
 憧れや目標は何もなかった。逆に、あがいて、いろいろな事をやって生き、いろんなところに住み、いろんなところに旅をした。そして、それなりに裏を知った。

 その、これまで生きた証のひとつが、写真としてこのHPを作っている。

 何かをするたびに、夢が消えていく、という感覚が20才頃にあった。

 やっぱり変人なのだろう・・・、こんなこと、他の誰かにわかってもらえるとは思えない。
 ただ、そういう感覚は子供の頃からずっと持っていた。〜〜生きる意欲がない、なぜ生きるのかがわからないから。それを教えてくれそうな人が身近にいなかった。
まあ、1年単位で引っ越しを繰り返して、そのたびに人間関係が変わるのだから、人間関係は長続きしない、つかの間のもの、とりあえずは表面的に仲良く無難に付き合えばいい、という感覚になっていた。どうせ1年後には別れるのだから。

 だから今、一人で生きているのは自分にとって自然なことであり、何の問題もない。
 何もなく、ただ生きている。何もなく・・・、ではないか。Oshoの翻訳をする、という楽しみ、生きがいがある。
 自分にエネルギーを与えてくれるのは、一番が音楽だ。音楽とOsho、そしてそれを保つためのパソコン。それだけあればいい。


 本音から今、感謝していることのひとつは、両親が早く亡くなったこと。介護をせずに自分だけのために生きられるから。
 二つめは、早く、いいタイミングでリストラされたこと。いいタイミングとは経済的な面で。
 それから、結婚が自分に合わないことを早く体験し、離婚できて、子供を作らずに済んだこと。だから今では結婚に対する憧れはまったくないし、今、何の重荷も背負っていないことがありがたい。


 いわゆる世間的な不幸、不遇は、今、自分が一人で幸せに生きるための役に立っている。






 9月25日

 今年の私の運勢は大凶と書いたが、大凶の意味を誤解している人もいるみたいだ。
 大凶とは、一日で言えば夜に、季節で言えば冬に相当する。つまり、静かに休む時期のことだ。その時期はエネルギーが低下し、判断能力が落ちる。だから当然、やる気や意欲は落ちる。
 大凶が悪い事が起こるイメージを持つのは、エネルギーや判断能力が落ちているのに無理に行動すると結果が悪くなるからだ。だから外的には何もしないほうがいい。
 また、自分のオーラが弱まっているので、それに感応してレベルの低いろくでもない人間と関わりを持ちやすくなる。類は友を呼ぶ、引き寄せの法則から〜。だからこの時期は可能な限り一人でいたほうが無難であろう。この時期は、一人に篭って、エネルギーを浪費せず、内省して、準備をすることだろう。
 エネルギーが低下しているから、当然、病気になりやすい。疲れやすく、だるくなる。休息すべき時期だ。

 私にとって大凶の影響は、まず歯に来る。歯が痛む。
 そして、翻訳に迷いが生じている。どの本を翻訳するか決められない。だから今年は今まで一冊も完訳していない。あちこちを部分的に翻訳している。
 さらに、出版予定の本が1年以上も延期していて、いまだにいつ出版されるのかわからない。

 外的には、全国的に災害が多い。まさに日本全体が大凶である。これは自分の運勢とシンクロしているのか、よくわからない。







 9月26日

 情熱大陸でのボランティアの尾畠春夫さんを観たが、彼は子供の頃に母親を亡くしている。彼は78歳の今でも本音は母親に抱きしめられたいと思っている。母親の愛を求めている。
 また、2008年のマチャアキJAPANで、モルドバへ行って木炭づくりを伝えた斉藤和彦さん65歳(2008年当時で)は、自分ががんばれる活力の元は母親に褒められたいから、と言っていた。
 年老いても母親の愛の力は大きい。それが私にはうらやましい。なぜなら私は自分の母親の愛が感じられないし、素直に受け入れられないからだ。母親に傷つけられて、または嘲笑されて育った子供はどうなるのか・・・。

 また、よくアスリートの自宅を紹介する番組で、子供の小さい頃からの記念品を親が大切に保存しているのを見て、それもうらやましく思う。
私は自分の宝物を全て親に捨てられたから。その理由はただ親にとっては価値がなかったからだ。

 そしてそんな私の親は、世間ではとてもいい人に見られていた。

 私を傷つける人が、世間では尊敬される・・・・・

 これはOshoの世界でも同じだった。私を傷つけるセラピストが、サニヤシンの間で尊敬されている。


 親への怒りは、3年間のダイナミック瞑想でだいぶ解消されたと思うが、それでも完全ではない。この理不順なものは一生持ち抱えたままになるのか・・・・? まあ、好き勝手にしろ、と手放しているから、それなりに消えていくだろう。少なくとも、他の誰かがこれを助けてくれるだろうとは全く1パーセントも思っていないし期待していない。他人への期待も消えている。誰も自分を助けない、助けられない、ということを100パーセントのポジティブで受け止めている。








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