10月20日

 日本の仏教について 「世界の名著:大乗仏典」P63〜から引用する。筆者は長尾雅人。昭和42年12月、1967年発行の本。50年前のものであるが、今、これだけ分析的に述べられる人がいるだろうか?


 「ひとくちに仏教といえば、すべて同質のもののように考えがちであるが、中国の仏教はインドのそれとはまったく違い、日本の仏教も同じように中国のそれとは大いに違う。インドの中観・瑜伽行唯識の両大乗は、中国に輸入されて、前者から三論宗、四論宗などが誕生し、後者からは地論宗、摂論宗、法相宗などが生まれた。後には真言密教も入ってくる。
 しかしこれらはいずれも、移植された輸入仏教、あるいは翻訳仏教にすぎず、しかもそれがどこまで正当に、また純粋さをもって理解されたかは疑問である。・・・天台宗や華厳宗の高度な哲学が生み出され、さらに浄土教の興隆があり、禅宗の創造があった。これらの仏教は、インドのそれとは非常に異質的なもので、漢民族という土壌の上でなくては芽をふかなかったものである。・・・ことに民衆に近づいた禅と念仏(浄土教)は、インド人の思いもかけなかった方向へ仏教を深めていった。それらは、真言密教とともに、その後も長く中国の民衆の心をとらえるものとなった。

 日本では、最も初期から中観と唯識との思想は、三論宗、法相宗の形で輸入された。・・・平安期に輸入された天台・真言、浄土教、そして鎌倉時代になって初めて導入された禅宗、これらはいずれも輸入仏教と言うことができる。
 しかし日本人の魂は、これらを巧みに消化し、真に日本的なものに脱皮させ育て上げた。ことに宗派としての成立の上から言って、日蓮宗にせよ、浄土宗や真宗その他にせよ、インドとも中国とも、ないしはスリランカなどの南方仏教とも、まったく違った性格の仏教を作り上げていった。

 日本は古くからの仏教国として考えられやすい。しかしある意味では、日本が仏教に出会うのは現代が最初なのである。というのは、いままでは漢訳という訳文のみを通じ、中国仏教というインドとはまったくといってもよいほど違っている仏教に導かれて、仏教が考えられてきたにすぎないからである。直接にインドの原典に遭遇するのは、西欧の学者のインド研究のあとを受けて、わが国にも仏教学が輸入されてからのちのことである。それはまだ100年にもならない。」


 ★ウィキペディア
 長尾 雅人 (ながお がじん、1907年8月22日 - 2005年3月13日)は、日本の仏教学者、チベット学者。
 
 京都大学名誉教授。日本学士院会員。仏典に対する文献学的な研究を推し進め、また、チベット学の樹立に対しても貢献した。仙台市出身(父雲龍は広島の寺院住職)。
 チベット語や梵語(サンスクリット)で書かれた仏典を原典の意味に忠実に訳すことを重視し、インドの大乗仏教における中心的な思想である中観及び唯識の思想を研究した。 また、チベットの宗教および文化全般にわたる学問としてのチベット学を樹立した。
 1958年より1959年には、京都大学インド仏跡調査隊の隊長として、日本初の本格的な仏教遺跡発掘の指揮をとった。
 1959年、『居庸関』(共同研究)により日本学士院賞を受賞。その後、仏教伝道文化賞等を受賞、1980年日本学士院会員に任ぜられた。
 また中央公論社『大乗仏典』<インド編、中国・日本編>や、岩波書店<岩波講座東洋思想>などの編集委員を務めている。







 10月22日

  「バウッダ 佛教」(小学館)より〜

  ※「宗教」と「哲学」の意義 P312 中村 元
 われわれ日本人が言う「宗教」、そして漢字で表現する「宗教」は、元来、一般的には文字通りの「宗の教え」で、かつて明治期以前、仏教が「仏道」あるいは「ほとけのおしえ」と呼ばれ、仏教とは呼ばれなかった時代には、宗教は仏教の下位概念語であり、それが明治において西欧思想の導入に伴って、一応「レリジョン religion」の訳語として「宗教」が当てられ、仏教の上位概念語に昇格して今日に至ったのである。しかし、両者は完全に同一ではない。

  「宗教」というのは特に仏教的な概念なのである。この語は「宗」と「教」との二字より成る。「宗」とは、原初的、根本的な究極の原理、あるいは究極的な真理を意味する。それは言語をもってして表現できないものである。ところが「教」は、言葉の助けを借りる教え、または説明である。究極の原理は言葉をもってする表現を超えたものであるが、人の心にそれを伝えるためには、人は言葉に頼らなければならない。真理または実在のもつこの両局面が「宗教」という語のうちに内含されているのである。

  ※阿含経典 P61 三枝充悳
 釈迦仏の説すなわち「釈尊の直接の教え」そのものは、わが国の江戸時代まで、そして今日の大多数の日本人(仏教者を含めて)が幻想するように、代々継承されてきている大乗経典のどこにも、決して存在してはいない。換言すれば、常識や社会通念に反して、日本に繁栄した仏教、すなわち大乗仏教は、「釈尊の直接の教え」そのものではあり得ない。そして「釈尊の直接の教え」である「金口の説法」は、ただアーガマすなわち阿含経にある。ただし、その阿含経は、特に日本ではまったく無視され続け、存在さえも定かではなかった。



 たぶん、仏教--日本の仏教--を正確に知るには、この「バウッダ 佛教」(小学館)という本が最もいいだろう。いろんな面で目から鱗になる。これも30年前の本だが、それでも一般的にはいまだに宗教や仏教に関する先入観は消えていないように思える。






 10月23日

 もう消去法というか、日本の仏教がインドの仏教と違うというのは上の仏教学者の研究からはっきりしているので、日本の仏教に関わる意味は個人的にはない。少しあるとすれば、それが日本の文化や慣習にどんな影響を与えてきたかを知ることくらい。たぶんほとんど影響を与えているだろうが、そもそも日本の仏教にはヒンドゥー教の神が入っているし、そのあたりから既に混乱状態になっている。
 とりあえずは日本の仏教にはそれほど関心を持てなくなっている。どれも現世利益的であり、厄除け的、つまり呪術的な面がある。このあたりはヒンドゥー教に近いかもしれない。
 禅宗がまだましかな、とも思うが、伝統的なものに固執しすぎる面がしんどい。厳格すぎる。


 となると、やはりOshoしかないか・・・。という意味での消去法。

 チョギャム・トゥルンパの「タントラへの道」がスピリチュアル・マニアにとって非常に人気のある本で、いまだに再販を望む声が絶たないが、あの本の内容は単に仏教の教えをアメリカ人のために現代風にわかりやすく説いたもので、トゥルンパは伝統的なチベット仏教の継承者だが、仏教のエリート教育を受けてきた彼が仏教を西洋社会に伝えるために西洋社会の世俗的な生活に染まりすぎ、そこで自己破滅してしまった。
 逆に言えば、あれくらい内容の濃くてわかりやすい仏教の本を日本人で書ける人が誰かいるだろうか。


 上に挙げた3人の仏教学者はいずれも故人である。共通しているのは3人とも漢訳仏教ではなくサンスクリット語の仏典から直接翻訳していることで、ほぼ仏教に限らずインド全般の宗教研究の大家、権威だ。彼らの後に続く仏教学者はいるのだろうか?サンスクリット語の仏典からの現代語訳はどれほど進んでいるのだろうか?
 少なくとも、リグ・ヴェーダの完訳はまだ存在しないし、ウパニシャッドの全訳も現代はない。ジャイナ教の経典の邦訳もない。

 日本でのインド学研究や仏教研究は、結局は中村 元らに頼るしかないのだろうか・・・






 10月24日

 仏教経典のページから気になるところ〜

 「キリスト教の聖書、イスラム教のコーランに相当する仏教の教典は「お経」と日本では通称されている。 しかし聖書やコーランは、正典(教団・教会によって公に認められ,信仰・教義・生活に規準を与える書物。 カノン=canon,kanono)として一冊の書物になっているのに対し、仏教には「この一冊」という正典はない。
 キリスト教と同様、仏教でも開祖が著述したのではなく、その教えや行跡が長い間口伝されていた。 しかし仏教では早い時期に教団が分裂して別々に口伝されたという事情、また大乗仏教で釈尊に仮託して 次々に経典が創作されていったという事情から、その数が膨大になり、一人の人間が一生かかっても読み切れないくらいになっている。
 この典籍群をさして大蔵経(一切経)という。しかしそれは仏教の正典というわけにはいかない。 つまり、世界全仏教徒から「たしかに釈尊の教え」と承認をうけてはいないのである。 たしかにパーリ仏典はかなりの程度釈尊の教えを再現しているが、その由来からすれば一部派の所伝に過ぎず、 これをもって正典とすることは大乗仏教からは認められないだろう。 このような膨大な典籍群からどの教典が釈尊の真意により近いかを判定するのを「教相判釈」といい、 中国で盛んに行われ、宗派ごとに「所依の経典」が定められることとなった。
 あえていえば、仏教では教団の数だけ正典があることになる。 しかし、全仏教を通じての正典は存在しない、といえる。 


 漢訳の阿含経はかなりの部分がパーリ経蔵と共通しているが、経の種類や数も違い、類似の経も内容には細かな違いがある。 例えば、「ダンマパダ」は漢訳では「法句経」に相当するが、偈の配列も違い、内容も全く同一ではない。 つまり、漢訳阿含経は南方上座部に伝えられたパーリ経蔵の翻訳ではなく、説一切有部など複数の部派に伝わった経を 翻訳したものである。 これはつまり、部派に口伝で伝承されているうちに、だんだんと付加削除が生じてきた結果としての差異であり、 どちらが古いかということはいえない。むしろ部分的には、漢訳阿含経のほうがより古い形態を残している場合もある。

 なお、チベット仏教というと密教のイメージが強いが、本来は顕教であり、学問仏教でもある。とりわけインドで仏教が迫害されるようになってから、多くの学僧がチベットに渡った。794年の「サムイェーの宗論」では中観派のインド僧カマラシーラが中国の禅僧摩訶衍を論破して以来、チベットでは中観派が正統とされ、ダライラマが属するゲルク派は中観派のツォンカパを宗祖としている。


 仏典のデジタル化の現状のページから気になるところ〜

 「自国の言語に対して強烈な自信をもっていた当時の中国人は,苦労して輸入した原典であっても翻訳が完了した時点で捨ててしまっていたらしく,漢訳仏典に比してインドネイティブの仏典の残存は少ない。したがって偽書を作りやすい環境と言える。」

 仏典のデジタル化が進められているといっても、それは漢文をそのままデータ化しているだけで、それの日本語訳が行われているわけではない。
 〜漢訳の元になった原典が捨てられたのなら、漢訳の正誤は確かめようがない。そして日本はその漢訳仏典を頼りに江戸時代末期まで仏教が広められてきた。約1,000年以上・・・、これはどうしようもなく日本文化に浸透してきている。そしてそのほとんどは大乗仏教である。
 それでも、江戸中期に富永仲基(1715-1746)が「大乗非仏説」を論じる。ようするに大乗仏教は仏陀の教えではない、ということ。彼は31歳で亡くなる。
 仏陀の直接の教えにこだわるか、その教えの質にこだわるか、で、大乗仏教の評価は変わってくる。
 ただそれでも、日本の仏教の歴史・形成は、漢訳大乗仏教によるものだった。そこでは仏陀の教えの純粋性が問われる。
 原始仏典が日本に伝わったのは明治期、それも西洋の仏教研究を通して、らしい。つまり明治になってようやく仏陀に最も近いとされる仏典が伝えられた。それらは大乗仏教の信奉者たちから小乗と揶揄された。


 小乗と大乗は対立するものではない。それは仏教を学ぶプロセスの一部であり、小乗から入って大乗に移り、そして金剛乗に行く。それをチベット仏教は実践している。

 こうしてみると、日本の仏教を検証するだけでもいろんな矛盾点が出てくる。それを一つ一つインドの仏教やサンスクリット語の仏典と照合して確認するだけでも膨大な作業になるだろう。
 つまり、日本の仏教は日本独自の仏教であり、それだけをもって仏教を論じるのは間違っているだろう。伝統があるからこそ、新しい考え方を受け入れるのには抵抗があるだろう。西洋にとって仏教は新鮮な宗教であるため、その意味では西洋の仏教研究の方が開かれているとも言える。ということは、洋書や翻訳書の方が受け入れやすいということか・・・


 日本人で新しい革新的・反逆的な仏教研究家は現れるのだろうか・・・






 10月25日

 昨日、上の日記を書いた後、私のマインドのアンテナに次の3冊がひっかかった。

 「大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか」大竹晋 (著) 国書刊行会 (2018/8/24) \2,376
 「仏典はどう漢訳されたのか――スートラが経典になるとき 」船山 徹 (著) 岩波書店 \3,240
 「現代思想 2018年10月臨時増刊号 総特集◎仏教を考える」 (現代思想10月臨時増刊号) ムック 青土社 \2,808

 1冊目と3冊目はまだ出版されたばかりの本で、こういった日本仏教に対する問題提起的な本が出ること自体いいことだが、それは反面、日本仏教の混乱状態を示してもいる。ただ、いずれも各著者の考え・解釈を述べたものにすぎないだろうから、これだけのお金を出してまで買って読みたいとは思えない。その視点がどこにあるかだけでもだいたい何を言おうとしているのか想像がつく。少し待ってヤフオクか古本屋で安く出品されれば買うかもしれないが・・・

 特に、 「大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか」の目次から興味ある項目は〜
  序 論 大乗仏教は存在意義を求めずにはいられない
   二 仏教は一つの宗教であり得るか
   三 大乗仏教には存在意義があるか
   四 大乗非仏説は大乗仏教の恥部か
  第三章 大乗仏教が悟りを齎すことは否定できない 
   四 大乗仏教の悟りとは結局何か 
  第四章 大乗仏教は歴史的ブッダへの回帰ではない
  第五章 大乗仏教は部派仏教へと還元可能ではない 
  第六章 大乗仏教は閉ざされた仏教ではいられない
   二 大乗非仏説は法華と浄土の問題
   三 法華と浄土はなぜ排他的なのか
  結 論 大乗仏教は仏教を超えてゆかずにいられない 
   二 大乗仏教は独立した宗教である
   四 歴史的ブッダは上座部に任せよ
   五 大乗仏教は混血性を誇ってよい
   六 大乗仏教は何のためにあるのか

 「内容紹介 《末木文美士》《佐々木閑》《宮崎哲弥》3氏推奨!

 歴史的ブッダの死後500年頃(紀元前後)から出現し始めた大乗仏教は、その始まりから「大乗非仏説論」(大乗は仏説に非ずという論)に晒され、大乗仏教徒は大乗非仏説論を厳しいトレーナーとして、大乗仏教の存在意義を懸命に探し求めてきた。しかし、内外に問題をかかえたまま、新来の上座部仏教(テーラワーダ仏教)の正統性に追従する近年の日本大乗仏教諸宗は、大乗仏教の存在意義を見失いつつある。
 そのような状況の中、本書は、大乗仏教に共感や関心を持つ方のために、改めて大乗非仏説論に真摯に向き合い、大乗仏教の存在意義を明快に説きあかす。
 序論では、大乗仏教は歴史的ブッダの死後500年頃から出現し始めた、というその疑わしい出自ゆえに、本質的に自己の存在意義を求めるよう運命づけられていることを確認。
 第1章では、大乗仏教の起源について、前近代の「神話的大乗起源説」、近現代の「歴史的大乗起源説」を紹介し、最後に前近代における大乗非仏説論史を確認。
 第2章では、近現代の日本における大乗仏説論を、
  @「直接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの直説)
  A「間接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの準直説)
  B「変則的大乗仏説論」(大乗経はほかのブッダの直説)
  C「超越的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの真意)
に分類し、そのいずれもが〈成功していない〉ことを確認。
 第3章では、大乗経が仏説であることは推理によっては論証できず、大乗経にもとづいて修行した者の悟りの体験によって自内証(個人的に確証)されるべき、という「体験的大乗仏説論」を提示。
 第4章では、大乗仏教の本質は、「歴史的ブッダへの回帰」ではなく、「仏伝的ブッダの模倣(まねび)」であることを確認。
 第5章では、大乗仏教のアイデンティティは、他者を救うためなら仏伝的ブッダの故事にもとづいて敢えて歴史的ブッダの教えに反することすらやってのける、「利他ゆえの仏教否定」であることを確認。
 第6章では、日本の大乗仏教のうち、かつて「何のためであろうと宗義に反してはならない」という原理主義に陥りがちであった一部の諸宗も、大乗仏教のアイデンティティである「利他ゆえの仏教否定」に復帰すべきことを確認。
 第7章では、大乗仏教のブッダとその仏国土とが実在することは推理では論証できず、大乗経にもとづいて修行した者の見仏の体験によって自内証されるべき、という「体験的仏身土実在論」を提示。
 結論では、大乗仏教は歴史的ブッダの宗教(原始仏教、部派仏教)とは異なる宗教であること、大乗仏教徒は歴史的ブッダという権威に同調することを正義とする「権威主義」や、純粋な仏教にこだわる「純血主義」を捨て、歴史的ブッダの宗教を超える高貴な人間性や豊かな人間観にもとづいて、人類の無限の向上へと進み続けるべきことを確認。
 経、律、論や僧伝を縦横無尽に使いこなし、的確な論証で原始仏教と部派仏教とに対する大乗仏教の存在意義を明快に説く、斬新な大乗論。




 上の内容紹介を読む限り、かなり極論的なイメージがあり、特に「すべき」という言葉が多くみられるところから、断言的なイメージが個人的には好きではない。大乗非仏説によって批判された大乗仏教の立場をなんとか守りたいという思いが先走り、そのための理論を無理して作り上げているようだ。
 それぞれ各章の内容紹介文は、どれも何を言っているのかよくわからないが、こういう本が出ること自体、大乗仏教の現状がどうなっているのかのひとつの表れでもあろう。日本の仏教界をかき回すひとつのきっかけになれば、それはそれでおもしろいかもしれない。ただそこに見られるのはやはり小乗(原始仏教、部派仏教)と大乗との対立構図だ。表面的なつまらない争いだ。
 伝統仏教に飽き足らない人が、仏教を好き勝手に解釈して、いろんな似非仏教教団〜新興宗教団体を作り出しているが、
この本もそんな新たな宗派・教団を生む元になる可能性になりかねない。








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