2月2日
寒い日々が続いている。週間天気予報では向こう一週間はまだ厳しい寒さが続くらしい。うちの暖房は電気ストーブだけ。年金が出るまでは節約して、何とかこれで耐えている。
このHPも作り始めて早10年になるが、最近は日記しか更新していない。毎日同じことの繰り返しだから、自分に関してはとりたてて新しく書く事はないが、インターネットではいろいろとおもしろいことが起こる。
新聞は取っていない。Yahoo!ニュースで十分だ。新聞代がもったいない。たまにYahoo!ニュースにコメントをすることがある。世相を知るにはそのコメント欄は興味深い。特に年金問題では、相当の人たちが年金に不信感を持っている。よく引き合いに出されるのが、年金より生活保護の方が得だ、という話。たいていは中途半端な知識で主張している人が多い。
実態はよくわからないけれどね・・・。所詮、マスコミの報じるニュースでしか情報を得られないのだから。
悲惨なニュースも多い。仮想通貨流出で財産を失った人とか・・・。相変わらずクルマの事故・・・アクセルとブレーキの踏み間違いで人が殺される。それも老人の運転で若い人が死ぬ。何の進展もない問題・・・、福島原発事故処理、北朝鮮拉致、沖縄基地問題、北方領土、高齢化、少子化、いじめ自殺の隠蔽、等等・・・・
ますます夢のない、夢の持てない社会になっているな。精神的に荒んでいる、という印象を持つけれど、考えすぎかな?少なくとも今の若者は、日本の未来にあまり希望を持っていないように思えるけれど・・・。年金で悠々自適の老人には、そんなことはわからないだろう。
こういう閉塞状態というのは、スピリチュアルにとっては絶好の機会でもあるらしい。つまり、外的なものに何の期待も持てず、真に絶望した時に、内面の旅が始まるのだから。
・・・というのがOshoの教えでもあるのだが、私個人としても、昔から人生の無意味さを何となく感じてきたが・・・。
だからこんな霊的な、スピリチュアルな、精神世界に興味を持っているのだけれど。
2月5日
毎日寒い・・・。雪国の人たちは大変だろう。
家から遠出しなくなってずいぶん経つ。最後に電車に乗ったのはいつなのか覚えていない。今の初乗り運賃も知らない。ほとんどネットで事が済ませるようになって、町に出る必要性がなくなった。雑踏が苦手だし・・・。ただ、経済的に余裕が出てくれば、大阪や京都の古書店を巡ってみたい。
今日は太陽光発電の定期点検。足掛け9年になるが、今までのところ何の問題も起こっていない。既に元は取れている。10年目に入ってぼちぼち各機械が老朽化していく時期に入ったことになる。そのへんのメンテナンスは定期点検によって補っていくことになろう。
売電買取価格の単価がますます引き下げられているし、これから太陽光発電を設置することにはあまりメリットが感じられない。その意味では9年前に設置して良かった。
太陽光発電そのものが新しく開発された設備だから、その経年劣化や寿命などのデータがないらしい。まあできるだけ長持ちしてほしいけれど。
今唯一心配なのが南海トラフの地震。いつ来るかわからないし、奈良への影響もわからない。歴史学者の磯田氏によれば、南海トラフ地震は100年から150年周期で起こっていて、最後に起こったのが1944年。現在はそれから70年ちょっと経っている。この先20〜30年は危ないと言われている。
家の耐震補強は大丈夫みたいだが、その前に自分の寿命が尽きるかもしれない。微妙な時期だな・・・。
2月12日
奈良の平地でも今日初雪となる。山間部の天川村は数日前に雪に覆われていたのがニュースで伝えられていた。近年にない記録的な豪雪が各地で記録されている。一方では、氷山が減ってシロクマが減少しているというニュースもある。地球はどうなっているのかよくわからない。
南海トラフ地震は、この先30年以内に発生する確率が70%から80%に引き上げられたらしい。より危険度が増したということだか、あくまで過去のデータに基づいた推測であり、確実なことは誰にも言えない。
そこで気になるのが家の耐震強度。1981年に建築基準法が改正され、それ以降の建物は新耐震基準で建てられている。我が家は1984年に建てられた。5DKの2階建てで、家の中央に階段がある。これが斜めの筋交いを通していて、全体の倒壊を防いでいるように思えるし、2004年の補強工事で各柱の継ぎ目に金具を取り付けて、2007年と2017年の基礎補修工事で基礎のひび割れを補修した。
耐震性の強弱見取り図 我が家の見取り図
見取り図で見ても耐震性は強いように思える。
2月15日
平昌オリンピック観戦に時間を取られて、翻訳の方はかなりゆっくりになっている。それでも少しずつは進んでいるが・・・。普通にスポーツを観戦するのは好きだ。努力の結果がはっきり表われるのがいい。それでもオリンピックに出場する選手は、ほとんどみんな非常に幼い頃からそれだけに集中してがんばってきている。そうでないと出場できないくらいレベルの高さがある、ということだろうし、またそれができる環境に生まれてきたという幸運もある。
その特別な分野においては突出した才能を持っているが、逆に言えば他の分野に関しては無知とも言える。それだけのために、それ以外のものを犠牲にして生きている人たちである。Oshoの言う多次元的に生きることとは反対である。いろいろな生き方があっていいと思うが、ただスポーツ選手の後半の人生はいろいろと大変らしい。引退した後をどう生きるか、という問題がある。監督やコーチ、解説者として生きられるのはほんの一部であろう。
人生の栄光を、ピークを若いうちに迎えた後の悲劇にならないようにしてほしい。
頂点が高ければ高いほど、その底辺は低くなる。
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