12月5日 

デジカメの画質が好きになれない、ということは以前の日記にも書いたが、オーディオでも同じだ。

特にクラシックを聴く場合、CDよりもレコードで聴くほうがリラックスできるし疲れない、開放感がある。
CDで聴くと、何か詰まった感じ、狭い空間に閉じ込められた感じの音楽に聴こえる。
音の奥行きが違う。奥深さとでもいうか・・・

デジカメとフィルムの画質の違いも、奥深さにあるようだ。フィルムのほうが断然奥が深い。
デシカメの画質は一見美しいが、奥行きが感じられない。

テレビ・モニターでも同じ。液晶やプラズマが高画質だというが、私にはCRTがいい。
液晶画面のギラギラした画質を見ているとイライラしてくる。CRTのほうが目に優しい。

デシタルが普及した要因は、そのお手軽さだろう。確かにアナログは手間がかかる。
ただ、その手間をめんどくさいと思うか、楽しめるかで好みが分かれてくるようだ。

しかし、これからますますテジタル化が進むと、アナログを知らない人たち、デジタルとアナログの質の違いがわからない人たちが増えてくるのだろう。
アナログの良さがわからない人が増えていくことに、どうも危機感を感じてしまう・・・





星は、夜は見えるが、昼間は見えない。
見えないからといって、存在しないわけではない。ただ、太陽の光がそれを見えなくしているだけ。

霊も同じようなものだろう。

霊など無い、と主張する人は昼間だけ空を見て、星など無い、と言っていることと同じだ。

無いのではなく、ただ、その人に見えないだけのこと。

自分に見えない世界を否定することは、その人の自由、勝手だが、それは真実ではない。
人間の知らない世界は無限に存在する。






 12月11日

来年の九紫火星の大吉方位は北西が3月、7月、12月 南西が3月、5月、12月となっている。
大吉方位で海外旅行のできるチャンスだが、失業中で節約生活中の身で海外旅行などにうつつをぬかしていいものか・・・
でも行けるときに行かなきゃもったいない・・・

南西方位は、シンガポール、ジャカルタ、バリ島など、北西方位は、ヨーロッパ全域に、エジプトも含まれる。
南西で行きたいところはカンボジアのアンコール・ワット。

この位置が南西と西との境界にふれるビミョーな場所で、大凶作用を食らう恐れがある。

北西ではエジプトに行きたい。死ぬまでにピラミッドを見てみたい。
ただ、エジプトは個人旅行には難しい問題が多いらしい。
初めてのエジプトだからツアーのほうが楽だろうが、いかんせん、私は団体行動が苦手である。
ツアー代金も見所を全部行くとなると30万円ほどする。これまで貧乏旅行をしてきた私にとっては大金である。

でも、無理してでも、行ける時に行っといたほうがいいじゃろか・・・ ツアーがあまり好きじゃないので、少々迷っています。

ちなみに、ギザの三大ピラミッドは王の墓などではない。
なにしろ王の副葬品など一切発見されていない。

神秘学では、イニシエーション(秘儀伝授)の場、もうひとつはアトランティスの歴史と知識を記録・保存しているモニュメント、という見方をしている。
どちらにしても、最大のパワースポットということが言える。

ハンコックの説によると、三大ピラミッドの配置を上空から見下ろすと、オリオン座の三ツ星の配置とピタリと照合するという。





 12月14日

12月12日に方位取りで東北方角-岐阜・大垣まで行って来た。125ccのバイクに乗って奈良の天理を過ぎてまず訪れた所は伊賀上野。
忍者の里で知られているがここは通過。そのまま東へ走ると道の駅・関宿で休憩。
ここで近くに昔の宿場町、古い町並みが保存されている関宿があることを知る。


関宿(東海道五十三次)
http://smcb.jp/_as01?album_id=693161


関宿を過ぎて北へ進路を変え、関ヶ原を目指す。どこからともなく法螺貝の音が聞こえてきそうな古戦場跡。
関ヶ原合戦跡
http://smcb.jp/_as01?album_id=693168
たぶん、まだ不浄仏霊が漂っていることだろう。


ここから東に進めばすぐに大垣に着く。大垣の地は松尾芭蕉の奥の細道の終着地として知られている。ただ、文学に疎い私はそれ以上のことは知りません。
大垣-松尾芭蕉
http://smcb.jp/_as01?album_id=693190&oid=35292..

バイクの走行距離約190km

次の日、帰りは雨となった。天気が雨になることはあらかじめわかっていたが、さすがに冬の雨はバイクで走るには冷たい。
しかも亀山と上野あたりで道に迷う。125ccなので高速が走れないので下の道を走っていったのだが、これが細かく入り組んでいて迷いやすい。

今回もやはり、帰路で迷ってしまった。悪いクセはまだ直らない・・・
約6時間走り続け、身体は冷え切ってしまい、ようやく家にたどり着いて、すぐ風呂に入って温まった。

方位取りも楽ではない。






 12月15日

今持っているパスポートは、すでに3月で期限が切れているので、新しくパスポート申請を行ったが、何気なく10年有効のものを選択した。
その後よく考えて、10年後も海外に行くだろうか、5年で十分だったのじゃないか、と少し弱気に後悔した。

10年後は64才になる。その時の自分がどんな健康状態であるかはわからない。まったく想像つかない。

申請料金は5000円の違いがあるし、もったいないことをしたかな、と思っていたら、
録画していた「深イイ話」の番組の中で、伊集院光の話に、彼の祖母が87才の時に10年パスポートを申請した、という話を知った。
そのおばあさんは100才になってもピンピンしているそうだ。

なんというタイミングでのメッセージだろうか、と思った。
ちゃんと教えを受け取った。弱気になっていた自分を反省している。
あえてハードルを高く設定することで自分を奮い立たせることが必要だということだろう。
70才、80才になっても海外旅行ができるくらい元気に生きていきたいものだ






 12月23日

やれやれ、やっとエジプト旅行の日程ができた。

一週間かかった。まだ細かいところでは未定、不安なところもあるけれど大筋では完了。
こんなこと、ツアーに参加すればまったく必要ない作業なのだけれど、旅の楽しさはその準備から始まっているし、これまで個人旅行ばかりしてきたので、すべて自分で決めなければ納得できない。
ツアーで嫌なのがガイドの長々とした解説を聞くこと。
興味のない場所に長くいたり、じっくり見たい所を素通りされたり、楽に行ける分ほとんど印象に残らない。

しかし、エジプトに初めて行くならツアーがいい、とよく言われる。
その意味が、エジプトの情報を集めていくうちにわかってきた。
エジプトは手強い、旅するにはめんどうな国だということが・・・

まず、買い物などで、定価がないという。つまり、売り手と買い手の値段交渉で決まるという。
当然相手はふっかけてくる。こちらは相場がわからない。買い物ごとに店員と言い争うことになる。
これは疲れる。
しかも強引でしつこいらしい。
インドでもこれは同じで、私としては経験済みだが、どうもエジプトの方が上手らしい。

そして、交通がややこしい。
観光地までの交通が整備されていないらしい。
だから行く手段としてはツアーのバスかタクシーとなる。そしてタクシーは乗るたびに運賃交渉となる。
だからツアーのほうが安心ではある。

これについては個人旅行者専用の旅行会社兼ホテルを現地に見つけたのでなんとか安心できた。しかも日本人スタッフで。
大筋はこのホテルのツアーを利用することになった。
といってもほとんど自分ひとりで専用車利用という形なので逆に高くついてしまった。

というのも、このツアーも自分の行きたい所には行かない旅程だから、自分の好きなようにアレンジしたため、通常よりも高くなった。
しかしアレンジが可能であるだけでもありがたい。

次の問題は暑さ。砂漠の暑さは尋常ではないらしい。
現地のエジプト人は日中は外に出ずに昼寝している。
体調管理が難しい。無理をして多く観光しようとして暑さでぶっ倒れてしまってはどうしようもない。

難儀なのが観光地で写真撮影禁止、カメラ持込禁止の場所が多いこと。特に遺跡の内部など。昔は自由だったらしい。昔行った人がうらやましい。写真撮影が目的であるため、これは痛い。また、カメラを預ける場所もない。ツアーならガイドに預けられる。

個人旅行ならどうするか、これはまだ未解決。
そしてカメラは砂漠の砂塵で壊れるらしい。となると丈夫なフイルム・マニュアル機の方がいいか・・・そんな不安要素を抱えながらも出来上がった旅行計画で予算は20万円以下に収まった。

ネットには多くのエジプト旅行記がブログで公開されているのですごく参考になったが、
その中で私と同じように気学の吉方位としてエジプトに行った人がいたが、かわいそうなのはその人がエジプトを西の方位と見ていたこと。
おそらく普通の世界地図を見て素人判断で決めたのだろうけれど、エジプトは西ではなく北西となる。

海外の方位取りは距離が長いので吉も凶も影響が大きいから、間違えないように慎重に判断すべし。
スポーツで海外に移籍した日本人選手など、方位を知らずに大凶方位で移って成績不振に陥っている人が多いという話もある。






 12月25日

この世に生まれてくる前は、みんな自分の人生がどうなるのかわかって生まれてくる。
自分の親、境遇、寿命まで自分で納得して生まれてきている。
その意味、必要性がわかっているから。
そして生まれてしまったあと、それを全て忘れてしまう。

自分がそれを決めたことを忘れているから、学びとして役に立つのだろうけれど、考えたらバカな話にも見える。
生まれる前に自分で設定した人生を、生まれてから嘆きはじめる。
「なんでこんな親の下に生まれたのだろう」と・・・選んだのはあなた自身です。

だからある意味で、みんな記憶喪失の状態で生きているといえる。
人生における苦しみ、不幸などは、生まれる前にはみんなそうなることがわかっている。
だから覚悟を決めて生まれてきているともいえる。

自分で決めた人生に自分で苦労しているのだから、考えによっては物好きな話でもある。

ときおり、神仏や守護霊に訴えることもあるだろう。
「なんでこんな目にあわなきゃならないんだ!?」
守護霊は言うだろう。「だって、お前がそうなることを選んだんだろ?」
守護霊には全てお見通しだから、実際はこんな突き放した言い方はしないだろう。

シュタイナーはもっとはっきりと言い放っている。

「我々は不幸になるために生まれてきている。」

・・・・・・これはちょっと言い過ぎだと思うが・・・

江原さんの話では、生まれるまえは、同じ魂の家族たち (この世の肉親とは関係ない) から涙ながらの別れの挨拶を受けるのだそうな。
これからきびしい修行が始まるのだ、ということで・・・

なぜ忘れるのか、というと肉体という鈍重な器の中に霊が閉じ込められるからだそうな。
それでも子供はだいたい5才くらいまではみんな霊が見えたり前世を覚えていたりする。

睡眠中はみんな霊界に行っている。

守護霊と今後の人生について打ち合わせをしたり、死後に訪れる霊の世界を下見したり、すでに霊界で仕事を始めている人もいるらしい。
そして目覚めると、それも全て忘れてしまう。
この理由も同じく、脳にその霊界での記憶を留めるだけの容量がないかららしい。

いったい誰がこんなシステムを作ったのだろう、と思えば、それが神だということになるようで。
まったくよくできた不思議な世界だと思う。





 12月27日

悪いことをして死んだら地獄に落とされる、という。地獄絵図というのを見たことがあると思う。
釜茹でにされたり、肉体を引き裂かれたりと、ありとあらゆる拷問が描かれている。

しかし、よく考えてみると、おかしなことに気づくだろう。

死んだ後は肉体はないのであるなら、肉体的苦痛を与えても意味がないのである。拷問を受けようにも、肉体が無いのだから。

だからこれらは霊的な世界を理解していない人間が想像して描いた架空の世界にすぎない。

では地獄とは人間の創作にすぎないのであろうか・・・どうも本当に霊界にはあるらしい。
ただ、いわゆる閻魔大王みたいな人に命令されてそこへ行かされるのではない。磁石のように引き寄せられるものらしい。

霊界は波動の世界で、同調する霊たちが集まる。似たもの同士、同じレベルの者たちが集まるようになっている。
だから、低いレベルの霊、悪意に満ちたり欲望にとわられた霊は、同類の霊たちのところへ行く。

そこが地獄となる。相当に陰鬱な世界らしい。

霊界は複層の世界といえる。いろんなレベルの霊が同じ場所に住んでいる。
波長の違いから、それらはお互いに干渉しない。

天上界にもいろんなレベル・層があるように、地獄にもレベルに応じていろんな層があるらしい。
高級霊による地獄に堕ちた霊の救済行為もあるが、基本的には本人が更正したいという意志がなければその世界から抜け出すことはできないらしい。

最近の悲惨な事件の裏には、この地獄に堕ちた霊たちの憑依によるものが多いらしい。
彼らは呼ばれて来る。人間のネガティブな思念が低級霊を引き寄せている。





 12月29日

ある人の日記で、人間が不幸なのは神が悪だからだ、という内容のコメントがあったので、私から見れば、人間が作った神の概念に囚われているように思え、また、人間の愚行を神の陰謀だとする責任転換が見られるので、スピリチュアリズムの観点から、間違いを指摘したのだが、頑として自己の説を主張されていた。
自分の考えに反論されることは誰も嫌なものだ。

特に、霊的な世界、信仰、宗教的なものは、その人の生き方につながっているので、議論がいき過ぎるとその人の生き方を否定することにもなりかねない。だから、よけいなお世話だったのかもしれない、と思っている。その人がそう思いたいのは、その人の自由なのだから、放っておけばいいのだけれど、明らかに間違っている、誤解していると思えると、やはりこちらも言いたくなる。そのところの兼ね合いが難しい。

また、以前、シュタイナーの前世・因果説を書いたところ、それはシュタイナーらしくない、という批判が来た。
私はシュタイナーが言った言葉をただ書き写しただけだが、それがシュタイナーらしくないと言う。
おかしな話だ。その人独自のシュタイナー観が強く偏っている。

また、江原さんの話をすると、江原氏は偽者だ。本物の霊能者ならそんなことをするはずがない、という人がいる。
しかし、よく聞けばその人は霊を信じていない。

霊を信じない人に本物の霊能者のことがなぜわかるのだろう?

自分の思い込みを頑なに信じて、それを基準にして判断している。
霊の世界は自分の思いが具体化する世界であることは確かだが、それは、なんでもありの世界になってしまう危険性がある。






 12月30日

イエスの説いた教えは、現代に伝わっているキリスト教の教義内容とは異なる。

キリスト教はローマ帝国のコンスタンチヌス皇帝によって書き換えられている。
権力の道具として。
そこからキリスト教教団は大きな権力機構として肥大化していく。

イエスはまったく組織化、教団化に反対している。それは当時のユダヤ教の形式化・権力化した姿を見ているからだ。
イエスはユダヤ教を批判したため、ユダヤ教の教皇たちの反感を買い、十字架にかけられて殺されてしまう。

イエスは異端者であった。キリスト教はユダヤ教から生まれたものではなく、反ユダヤ教として生まれたものだ。

イエスの弟子たちは彼の教えを完全に理解することはできなかった。
これは当時の人々の知識レベルのせいであり、弟子たちは自分の理解できる範囲でしかイエスの教えを受け入れることができなかった。

そういう弟子たちがイエスの教えを記したのが聖書だが、その言葉も象徴的に書かれてある。
その聖書の言葉を、文字通りに捉えるか否かで、解釈はさまざまに分かれてくる。

イエスの本当の教えを知るには霊界通信によって記録された本によるしかない。
そこでは現代のキリスト教の教義の誤りが多く指摘されている。






 12月31日

小学生の頃は、少年マガジンなどに心霊特集があり、エクトプラズム、幽体離脱、ヨーガの超能力、宇宙人などに興味があった。

中学の時、校長がプラトン対話編を子供向けに翻訳して自費出版するとして私がその挿絵を描くことになる。
プラトンを初めて読むがほとんど理解できず、ただ哲学というものには興味を持ち、カント、デカルト、ショーペンハウエルなどを読む。
ショーペンハウエルがインド哲学に影響されていることに興味があった。

友人にほんみち本道(天理教の分派)の信者がいていろいろ話を聞かされるがあまり好きになれなかった。
他にも生長の家、創価学会、統一教会、真光の業などを知るがやはり何か自分に合わなかった。

集団、教団、組織が嫌だった。

横尾忠則の影響で禅、瞑想、インドに興味を持つ。ただし禅寺に参禅したことはまだない。
密教瞑想(桐山靖雄)をやってみるが何も感じられず、超越瞑想(マハリシ・マヘッシ・ヨーギ)も入門してやってみる。
マントラによる催眠的効果はあるが空中浮遊は無理。これはビートルズもやっている。

26才の時、和尚ラジニーシに弟子入りする。
ここではいろんな瞑想、セッションを受けたが、特にリバーシングという呼吸法のセラピーで誕生時の状況を再体験する。
そのとき誕生と死とはまったく同じ現象だということを理解する。
最高の至福体験をする、がその後、その反動として最悪の気分に落ち込む。

和尚の弟子で有名人として喜多郎、喜納昌吉などがいる。
弟子の中に多くの霊能者もいて、その中のひとりと親しくなり霊的瞑想生活が始まるが私には霊能力は発現せずじまい。
彼女の勧めで神智学を学ぶ。他にM.ドーリル、三浦関造、アダムスキーなども。

和尚ラジニーシはその後、ある弟子が問題を起こして、活動は下火になる。
その頃オーム真理教に移った弟子も多いと聞く。ちなみに麻原は完全にこの和尚を模倣している。

その後しばらく瞑想から遠ざかる。
とあるTV番組で江原啓之を知る。
彼の言っている霊の話が私の過去に出会った霊能者との話とまったく符合しているので江原氏を本物と認識する。
彼の本からシルバー・バーチを知る。

それからスピリチュアリズムの本を読みあさり、同時にシュタイナー、エドガー・ケイシーなども知る。





   2010年 12月
 日記TOP                  5月   6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月 

inserted by FC2 system