11月3日 

2003年の秋から気学の祐気取りを続けている。
祐気取りとは (流派によっては方位取りともいう) 吉方位に旅行をして運気を上げる、というもの。吉方位は毎年・毎月変わるし、まったく吉方位のない月も多い。それを続けてもう足掛け8年になるが、じわりじわりとその効果を実感しつつある。本当に、効果がある。
ただ、本当にゆっくりと、知らず知らずに変化している。振り返って、長い目で見ると、それがわかる。

気学に興味を持ったきっかけは、それまであまりに嫌なことばかりが続いてきたので、なんとか人生を変えたいと思い、唯一開運できる占いとして気学を知り、半信半疑で始めた。
理屈はわからない。なぜ、或る方角に旅行をすれば運がよくなっていくのか。そして、すぐに効果は出てこない。
その点から、気学をデタラメだと批判する人も多い。漢方薬のようなもので、ゆっくりと効果が表れるものらしい。

私の場合のその効果とは住宅環境の変化だ。25年前に福岡から大阪に移転し、その後奈良に移ったが、最初の奈良の住居は隣近所が非常にやかましい環境だった。
隣は毎日夫婦喧嘩、二階は学生で毎晩宴会、向いはピアノ教室、外は坂道でバイクの騒音、と、四方を騒音に囲まれた生活だった。

一年後に引越したが、新居も同じようにやかましい所になった。
そして15年前に今の家を購入したのだが、ここも隣が同じくヒステリー奥さんの叫び声が上がり、向かいはまたピアノ教室、裏手のアパートにはブラジル人が住んで毎晩パーティ、朝は隣の飼い犬の吠える声が響き渡る。夜は暴走族のバイク音。

・・・家の中で耳栓をして暮らしていた・・・

気学で調べたらこれらの引越しは全て大凶方位だった。
これ以外にもいろんなトラブルに遭っていたが、現在は、まったく静かになっている。
ブラジル人は不況で出て行ってアパートは空室、ピアノ教室は学習塾に変わり、犬は散歩時間が早朝になり、暴走族も消え失せた。

不気味なほど、静かになった。

こんな静かな生活は、実は50数年生きてきて、初めてである。一日中パソコンをして暮らしているが、たまに聞こえるのが廃品回収のアナウンスくらい。
過去の騒音にまみれて暮らしていた生活が、まったく嘘のように、信じられなく、環境は変化した。

この変化効果が気学の祐気取りによるものかどうかは証明はできない。しかし、この8年は祐気取りは最大限に実践してきた。
そして、自分の生きる環境は、住宅以外も含めて、着実に良くなってきている。
それがあまりにゆっくりと変化しているようなので、なかなか実感することができないが、過去の生活と比較してみると本当にそう感じている。






 11月7日

霊的世界の証明

これがけっこうややこしくてめんどくさい。見えるものしか信じない人に霊の世界を説明することは・・・
耳の不自由な人、音の聞こえない人に、バッハやモーツァルトの音楽の感動を伝えるようなもの。
目の見えない人にダ・ビンチやミケランジェロの美術の素晴らしさを説明するようなもの。

シュタイナーは霊の世界をこう例えている。
氷は見えるが水蒸気は見えない。しかし水の成分に変わりはない。

電波は見えない。受信機があって、それは感知される。
可視光線、可聴音域・・・人間の五感で捉えられる世界には限りがある。
その五感で感じられる世界が全てだと言う人がいる。

見えるものだけを信じている人がそうだ。人間の五感というものが、いかに頼りなくごまかされやすいものか。
それも訓練しだいで、かなり向上できる。五感の世界は非常に個人差が大きい。
つまり、人によって違う。
それを唯一の信じられるものとしてみるとは、逆にそれこそ信じられない。

人間の生命活動を単なる脳細胞の化学反応の結果にすぎない、と説く人がいる。
この説には重要なポイントが欠けている。
なぜ、化学反応が起こるのか?そのエネルギーはどこから来ているのか?なぜ個人差があるのか?

人間は肉体細胞活動の操り人形ではない。






 11月13日

1ヶ月前のHDDのクラッシュによって、保存していた写真データが全部消えた。
フィルムで撮影したものは再度スキャンできるのでいいが、コンデジで撮ったものはもうどうしようもない。
バックアップが面倒で、そのうちやろうと思っていたのがよくなかった。
4月に広島へ行って撮影した原爆ドームや宮島の写真は、みごとに消滅した。
広島の原爆のように。

デジタルには実物がない。フィルムは現物が残るがデジタルはデータが読み込めなければ存在しないのと同じだ。

確かにフィルムは色調が劣化するし、現像・プリントできる店も減ってきているが、とにかく現物としてあればなんとか処理はできる。
デジタルは劣化しない(と言われている)が、保存にはそれなりの注意が必要となる。
修正も簡単にできるが、だからオリジナル性がない。
今回の尖閣諸島のビデオ流出でも、デジタルだから簡単にコピーし、公開できたわけだ。

簡単に保存でき、簡単にコピーできるが、簡単に消去できる。
なんか、頼りないというか、虚しさを感じる。






 11月15日

青木勇一郎の「催眠トラベル」という本の付属CDで自己催眠をやってみた。
CDの青木の声は優しい。催眠のコツは集中力とイメージ力だと言う。ポイントが集中力とは少し以外だった。

導入は呼吸法でリラックスし、ガイダンスに従って進んでいくが、指示される情景がそう簡単に表れてはこない。
初めてだからかもしれないが、自分で作っているのではないか、という疑念が起こる。
だから時々集中力が途切れ、催眠が深く進まないようにみえた。

感じた前世の情景は中世のイタリア、寂れた農家に住んでいる。
一番幸せを感じたときを思い出せ、と言われて、現れたのが、薄暗い家の中でパスタのようなものを食べている。
住む所と食べるものが与えられ、自分が守られていると感じられるときが一番の幸せだったのだろうか。
逆に不幸だったとき、として現れたのが、家を失い雑草の生えた荒地に佇んでいる様子。

これらもはっきり現れたわけではないが、微かな情景としてはこれが精一杯だった。
あまり催眠については詳しくないし、意識もすごくはっきりしているので、こんなんでいいのだろうか、という疑念はずっと持ったまま催眠していた。

家・住む所に関しては、子供の頃から、とにかくまともに住める家が欲しかった。
そして50数年かかってようやく自分らしい居住地が得られたわけだから、そういう意味では、この催眠で出てきたイメージは前世として今に繋がっているとも言えるのかもしれない。





 11月18日

毎年3万人の自殺者が10年以上出ている。
霊を信じること、死後の世界の存在を信じることが自殺を勧めることになると言う人がいる。
とんでもない誤解だ。霊の世界を知らないからそういうことが言える。

死とは肉体から霊体が離れるだけのことであって、霊(その人)の持つ思いはそのまま残り続ける。
つまり心の苦しみは死んでも消えないのである。いやむしろ、生前は肉体がフィルターの役目をしていたため、その苦しみは弱められていた。
死後、肉体(フィルター)が無いので、苦しみはより強くなる。

だから自殺しても苦しみから逃れることはできない。無駄な行為なのだ。

生まれるとき、その人の寿命はすでに決まっている。
自殺をすることは、自分の寿命を自ら途中で縮めることだから、消された残りの寿命は次の生で埋め合わさなければならない。
そして次の生では同じことがまた繰り返される。カルマ(業)が消えていないから、同じ人生を体験する。しかも以前より厳しい環境で・・・

自殺した霊は、それでも自分に意識があるため、自分が死んでいることが信じられない。
だから何度も自殺しようと、同様に自殺したがっている生きている人間を利用する。これが、同じ場所で何度も自殺が起こる理由だ。
自殺した霊はその場所の地縛霊・憑依霊となりやすい。

ただしこれは一般的な話で、死んでから自分の苦しみを捨てることができた霊は浄化が早い。
その人がどれだけ苦しみに執着しているかがポイントになる。
死ぬ動機・理由が要点になるので、他人の犠牲になって自殺した人やサムライの切腹などは、死後の浄化は早いらしい。

霊の世界を否定すること、死んだあとは無になるという考えが自殺を容認していることになる。
霊的知識を知ると、自殺できなくなる。
自殺しても無駄であること、逆に自分にとって損であることがわかるからだ。










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