11月 1日

 Osho Mixiでは、OSHO記念図書館 『無門館』のトピで、2011年7月5日に、

 「プラブッタの手書きガリ版刷りの、ラジネーシ・ニューズレターは6・7号で終わりなのでしょうか?
 また、新聞印刷タイプの、日本語版ニュースレターの創刊号(1号・創刊予告号とかもあるのでしょうか?)をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
 それと、小冊子になってからの、46号と62号は存在するのでしょうか?
 現在、長野県松本市にてOSHO図書館を開設(建物は徐々にリホーム中)しているのですが、 上記がまったく入手ができずにおり、もしかしたら 実在していない等の噂もあり、真偽が定かでありません。
 何とか死ぬまでに入手して、OSHO大蔵経蔵として未来に託したいと考えております。 情報があれば、教えて下さい。」

 ・・・・とある。現在まで誰もそれに対する情報は寄せていない。6年も前の話だが・・・

 私がその情報を与えたいが、このMixiを利用するには携帯のナンバーが必要になる。私は携帯は持っていない。

 そして、ラジネーシ・ニューズレターの手書きの号は創刊号と5号だけであり、プラブッダの訳した号は5号と6号12号だけだ。だからこの人の問い合わせはこの人の思い込みから始まっている。これらがガリ版刷りかどうかは知らないが、そのスタイルは13号まで続く。だから、6・7号で終わり、ではない。だが、それだとおかしい。
 この人はガリ版刷りタイプが6・7号で終わりなのかと問い合わせている。ということは、8号から13号まで持っていないことになる。なぜなら6・7号と8号から13号までは同じタイプだからだ。だが彼は、創刊号と46号と62号だけを取り上げて、上記が入手できていないと言っている。ようするに入手できていないのはこの3冊だけなのか?そこがはっきりしていない。

 ともあれ、ニューズレターの発行は日本最初のセンターであるアッシーシ・センターで、その代表者はおそらく日本人最初のサニヤシンであるアディナタ。彼は12号を最後に〜1978年8月〜日本を離れてアシュラムに行く。そして風の噂ではラジニーシプーラムの湖で溺れ死んだらしい。

 また、小冊子になってからの、46号と62号は、もちろん存在する。私は全冊持っている。手放す気はない。私にとっても貴重な大切なものである。入手したいのなら、現在ヤフオクに出品されているし、ネットの古本屋サイトにもある。そこで買えばいい。金も出さずに他人からの寄付を期待しているのならあまりにも虫が良すぎる。何かを手に入れるためには、それ相当の代償がいるのは当たり前だ。

 本気でOSHO大蔵経蔵として残したいなら、まず翻訳をするべきだろう。ただすでに翻訳されたものだけを収集しても、それを大蔵経蔵と呼ぶには価しない。OSHO大蔵経蔵と名付けたいなら、英語の講話本はもちろん、ヒンディー語の講話本も全て翻訳するべきだ。翻訳できなくても、少なくともその原書は全て入手するべきだ。それが完成されて初めて大蔵経蔵と呼ぶことができる。現状はあまりにも貧しい。ようするに、やっていることは小さいのに、言うことが大げさなのだ。

 Oshoの講話は、英語のものだけでまだ200冊ほどが翻訳されていない。ヒンディー語からの英訳はこれからも増えるだろうし、編集本も含めるとさらに数は多くなる。
 私の今の翻訳ペースは年3冊ほどで、80歳まで生きられたとして、あと20年、60冊の翻訳を一応の目標にしている。それでも200冊の3分の1にも満たない。
 私一人の手だけで、ようやくこの程度である。




 
11月 5日

 未訳の200冊の内訳は・・・
 禅が39冊、この中で特に訳したいのは Zen: The Path of Paradox Vol.1〜3
 インド神秘家が17冊、この中の Yoga:The Alpha and The Omega を現在翻訳中で、残りが5冊。
 ウパニシャッドが7冊、スーフィーが5冊、タオが4冊、初期講話が10冊余り・・・これは全てヒンディー語からの英訳なのでこれからも数は増えるだろう。
 キリストが4冊、西洋の思想家が8冊、仏教は残りダンマパダだけで12冊、ラジニーシプーラム時代が15冊ほど、ワールドツアーが3冊、Q&Aが6冊、
 ミステリー・スクールが17冊、そしてダルシャン日誌が46冊・・・・。

 個人的に優先する翻訳したい分野は、インド神秘家、初期講話、ミステリー・スクール、となる。がんばっても、せいぜい60冊くらいしか訳せないだろうから、厳選したい。

 ラジニーシ・ニューズレターの44号にナルタンのインタビューが載っているが、そこで彼女はOshoから翻訳をするように言われたが、もともとは翻訳するのが一番嫌だったので、最初はすごく抵抗したらしい。それでも逃げ場のないところにまで追い詰められて、それで翻訳を始めたらしい。その後に、翻訳するときの自分のエゴとの葛藤などが語られているが、ようするに、本人が好きでやりたくて始めたわけではないということだ。

 ラジニーシ・ニューズレターのバックナンバーを見返すと、当時の日本での瞑想センターの変遷がよくわかる。
 1978年に東京で最初のセンター、アッシーシが開かれてから、1981年には各地にセンターが続々と開かれる。1982年に東京にあった3つのセンター、アッシーシ、アナンド・ニケタン、シャンティ・ユガがシャンティ・ユガに統合される。この頃、Oshoはインドを離れてアメリカに移っていて、プーナのアシュラムは1981年8月14日に閉じられる。
 私がサニヤスを受けたのもこの頃で、全体的にラジニーシプーラムの建設のために熱狂している雰囲気が強かった。個人の変容・瞑想よりも、コミューンを作ることが第一になっていた。そのためのドネーション〜寄付〜を強いられていた。だから個人的には、この頃は嫌な思い出が多い。
 ラジニーシプーラムに永住するための手続きをセンターのスタッフに説明しなかったという理由だけで、東京のサニヤシンからひどく罵倒されたことがあった。
   〜すごく権力的、中央集権的だった〜
 それでも、永住といったって・・・、2年後には崩壊してしまうのだが・・・。現在、その不毛なコミューンの跡地に永住したい人はいるのだろうか・・・?

 その頃のことを総括しないまま、その後にマルチバーシティ・ジャパンやらセラピーとやらをやっても、私的には全部ウソっぽく見えるのだけれどね。




 
11月 9日

 Yoga:The Alpha and The Omega Vol.5 の翻訳も9章目に入る。今年中に終わるだろうと思っていたが、たぶん11月中に終わるだろう。これでも全10巻の内で、ようやく半分に来たところだ。ただ、出版がいつになるかはわからない・・・。

 サクシンが古いサニヤシンから嫌われているようなことは前にも書いたかもしれないが、未だにその理由はわからない。私は逆にその古いサニヤシンが嫌いだけれど。
 それは1997年頃のパルバの日記にも、その確執について書かれてある。20年も前の話だ。沖縄のウパニシャッドもサクシンが好きではないらしい。そして私はウパニシャッドが好きではない。おもしろい構図だな〜〜。
 ウパニシャッドは、なぜかOshoの最後の講話「禅マニフェスト」の出版に熱心だったらしく、自ら出版権を取ったらしいが、その有効期限が過ぎてもほったらかしていたらしい。このあたりがいいかげんだ。それで市民出版社から出版しようという話になって、それがウパニシャッドには気に入らなかったらしく、あわててサクシンと交渉し、最終的には出版に関しては合意したらしいが・・・。彼がサクシンに不信感を持っている理由もよくわからない。

 だが、現状として、Oshoのワークを一番熱心にやっているのはサクシンである。それを批判する古いサニヤシンは何をしているのだ?
 そして私は、その辺の事情に関してはまったく興味はないが、ただ、翻訳したいOshoの講話の傾向に関してはサクシンとは不思議と一致する。同じフィーリングを共有している。そして、古いサニヤシンに対しては何の共感もない。

 私とサクシンとの接点は、ただOshoの本の出版だけである。それ以外のことは興味がない。
 そもそも私は、Oshoのワークをしているという自覚はない。翻訳は、ただ好きだからやっている。Oshoの講話を翻訳することが好きであり、もっと多くの講話を知りたいからだ。そしてその関心の基本はエソテリズム〜神秘主義にある。

 世間のニュースを見ても、まったくつまらない、くだらないことばかりだ。何に心を躍らせることができるだろう。私の場合、それはOshoの翻訳でしかない。


 ヤフオクに永らくラジニーシ・ニューズレター50冊を出品していた人が、最初、50,000円からスタートして、なかなか入札がないので、一時は28,000円にまで値下げていたが、また50,000円に戻していた。何を考えているのだろう?安くしても買い手が見つからないのに、また高くするとは・・・・・?そしてバラで売る気もないらしい。

 でもこういうものは、どこかの古本屋にも眠っているのだろうか・・・・。




 
11月11日

 おそらくだが、日本人サニヤシンでエソテリック〜秘教的〜な話をまともにできる人はほとんどいないのではないか、と思ったりしている。

 バヴェッシュは、神智学大要を読むことを恐れているようで、刷り込まれる (洗脳の意味か?) 恐れがある、と言っているし、まともに読まずにそれをプラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」からの引用だと決め付けている。そして自身はアトランティスやレムリア時代に前世があると公言している。
 パルバは、Oshoの「奇跡の探求」で語られたことを笑ってまともに取っていない様子があり、パリトーショは逆にアセンションを信仰するようになっている。
 Oshoの初期の講話を神智学から影響を受けていると言う者もいる。あるいは、神道〜天川神社や伊勢のシャルノ〜に関連させたり、出口王仁三郎と関連させる御仁もいる。

 私から見ればこれらは全てナンセンスなことばかりで、単なる話としてはおもしろいだろうが、正直言ってレベル的にはあまりにも低い。
 逆に言えば、日本にはまだその程度の霊的知識しか普及していない、ということだろう。何かと言えばプレアデスからのありがたいメッセージとか・・・、未だに、霊はいるかいないか、死後の世界はあるのかないのか、という地点で立ち止まったままでいる。
 最近の江原氏の本も、売れ線を狙っているのか、占いまがいの開運方向に走っている。護符やら、お守りやら、パワースポットやら・・・・、どうも好きになれない。

 その意味で、個人的に寂しさを感じてはいる。話の通じる相手がいない、ということに・・・・。

 今、翻訳しているOshoのYoga:The Alpha and The Omega シリーズは、実はすごくエソテリックなのだけれど・・・、それを知っているのは、それを現在翻訳している私だけか・・・・




 
11月16日

 Oshoを知った人は、受け入れるにせよ否定するにせよ、無視することはできないのではないだろうか。特に、肉体をもって生きていた頃のOshoを知っている人、直接会ったことのある人はそうだろう。
 今は、Oshoは肉体としてはいないから、本を通して彼を知るしかないから、これからOshoを知る人はみんな本を通して知ることになるのだろう。
 ただ、直接Oshoを知っている人でも、そのOshoの捉え方は人それぞれだ。ようするに、古いサニヤシンだからOshoのことをよくわかっている、ということにはならない。

 Oshoのようなマスターが側にいても、全く気づかない人もいるだろうし、マスターを自分の霊的成長のために使う人もいれば、自分のエゴを満たすために使う人もいる。
 それはその人次第だ。

 2000年前後から、インド・プネーのアシュラムが変化し始めてきて、それに拒否反応を示す人が出てきている。つまり、アシュラムのリゾート化に対して・・・

 ある人のブログに興味深い事が書かれてある。

 「このラジニーシのメディテーション・リゾートに来て、思ったことは、ここにはラジニーシが生きていた時の強烈さはもう存在しないということである。
 昔、サニヤシンだった人々と交流するための社交場のようになっているようであった。
 悟りを得たり、高度な理解に到達したり、何らかの業績を達成しつつある非凡な人物の元に、人々が集って来て、新しいものを創造し始め、やがて組織化され、どんどん活動の規模が大きくなっていくという宗教や大学などの研究機関、実業界など、あらゆる領域で見られる成長する生きたプロセスは、このリゾートにはもう存在していないようだった。
 それらは、ラジニーシがまだ生きている時に身近で活動した人間たちが経験したことであり、当時の彼らにとって毎日が新鮮で冒険や危険に満ちたものだったに違いないと思われる。
 今はそうしたなつかしい時代をしのぶサニヤシン達の社交場になっているようであり、リゾートと名がつくとおり、プールサイドで水着を着て寝そべってくつろいでいる姿がよく見られた。」

 この文を読む限り、個人的にはプネーのアシュラムへの魅力や、そこへ行きたい気持ちはない。
 結局は、それぞれのサニヤシンやOshoに関心がある人の思惑でOshoが後世に伝えられていくことはしかたがないのかもしれない。
 インナー・サークルも、Oshoの死後数年で崩壊し始めている。サニヤシンのエゴが原因だろう。

 Oshoを直接知る人が、Oshoのエナジーを感じるとか感じないとか言っても、それは個人的なことであり、主観的である。
 今、Oshoを知るには本しかない。サニヤシンのエゴに惑わされないためには、Oshoが正確に何を言ったかを知ることが重要ではないだろうか。
 Oshoが歪曲されないためにも、アーカイヴとして本や映像を残すことは重要になってくる。その意味でも、Oshoの本を翻訳することは大切になる。




 11月19日

 2004年頃、プネーのアシュラムが変わったことについて、サニヤシンの間で議論が起こっていたが、個人的にはアシュラムに対する愛着はほとんどない。
 Oshoがいた頃のアシュラムを知らないから、過去に2度アシュラムを訪問しているが、特にOshoのエネルギーとかいうものはピンとこなかった。ただ、とても雰囲気は好きだった。だから、変わってゆくアシュラムに対してどうこうしようという気は全くない。正直、Oshoのいないアシュラムには興味はない。
 自分の今いる場所を、いわば瞑想的な場にする方がいいと思う。
 ただ、一つある望みは、インドの古書店でOshoの本を探したい、ということ。どこに行けば買えるのかは知らないが・・・・。




 
11月20日

 2004年頃のmixiでは、Oshoの本の改竄、著作権についても議論されている。たぶんその中の一人だろうと思われる人が書いた著作権に関する文書の訳文を載せたサイトを2016年2月4日の日記で紹介したが、そのサイトには現在アクセスできない。
 無断ではあったが、その文章を丸ごとコピーして自分のHPにOsho版権に関する問題としてその頃に作ったが、今ではその文章はとても貴重なものになってしまった。

 オリジナルのサイトがなぜ消えたのかはわからない。やはりOIFからの警告によるものか、あるいは単なるアドレスの変更なのかもしれないが・・・。
 パルバも初期の頃は自分でOshoのHPを作っていたらしいが、著作権やら肖像権の問題でOshoコミューンからクレームが来て、やむなくHPを閉じたらしい。
 私もサクシンから、OIFからの警告があるかもしれないから、版権に関する内容のことをHPに載せるのは控えた方がいい、というアドヴァイスを受けたが、今のところまで何の警告も受けていない。
 それに、版権に関する訳文の元であるThe History of Copyright Claims for Osho’s Workはやはり消えているが、別の一つであるOsho Copyright and Trademark  sannyasnewsは今でも存在している。

 そのあたりがよくわからない。OIFは気まぐれなのか?とりあえずは、具体的な警告が来るまでは現状通りにしておくつもりだ。




 
11月22日

 単純に〜〜

 翻訳の出来具合を批判する人は多いが、

 翻訳する人は少ない。

 部分的に訳する人はいても、1冊を完訳する人は少ない。


 Oshoの本が、特に初期の頃のものが絶版になっていることを嘆く人は多いが、それを改善するために働きかけている人はいない。
 復刊ドットコムはまったく役に立っていない。出版元がめるくまーる社である限り、ほぼ絶望的だろう。




 
11月27日

 Yoga:The Alpha and The Omega Vol.5 の翻訳が完了し、市民出版社に送る。約2ヶ月半で終わった。これで通算20冊目になる。

 2008年頃のosho mixiで、西洋人のセラピストは日本人を理解していない、日本人の反応にショックを受けて混乱している、とか、日本人は原初療法のような激しいカタルシスは向かない、という話が盛り上がっていたが、正直、ようやくそんな話か・・・、という感想。
 西洋式のセラピーで傷つけられた私としては、今さら日本人の違いがわかったところでどうしようもない。アシュラムでは、一時期、日本人はセラピー禁止になったとか・・・、正直、笑ってしまう。もっと早くに禁止にしろよ。
 別のところで、西洋人はキリスト教がバックグラウンドにある、という指摘があったが、これも私が前の日記に、西洋人は所詮キリスト教の条件付けに縛られている、ということを書いたが、それと同じことだ。
 まあ、今さらセラピーなどどうでもいい。無駄な浪費だ。

 ただ、他人からの評価を消し、マインドを相手にせず、今の自分を全面的に受け入れて、批判せず、拒否・否定せず、静かに、沈黙すること。それが瞑想だろ・・・・
 成長も、光明も忘れ、ただ今とここにいること。




 
11月28日

 市民出版社からの連絡で、Oshoの伝記「反逆の軌跡」は来年3月初めに出版予定らしい。1,2月は出版社の都合で出版には良くない時期とのこと。遅くても12月末までには出るだろうと期待していたから少しショックで残念な気分。延び延びに延びたな〜〜。この分だと来年以降も年にせいぜい1〜2冊程度しか出版されないかも・・・・。
 結局、今年はOshoの新刊は1冊も出なかったことになる。

 プネーのアシュラムは、サマーディのOshoの遺灰はずいぶん前に無くなっている。どこに行ったかは不明。あの石標も取り壊されている。
 つまり  は今はない。
話では、突然工事が始まってこれが取り壊され、その後、しばらく数センチのOshoの像が置かれていたらしい。ブッダホールにはOshoの椅子はない。Oshoの写真もない。ようするに、今のアシュラムにOshoの面影は何もないことになる。意図的にそれを消そうとしているようだ。
 インナー・サークルもずいぶん前に崩壊している。悪く言ってしまえば、サニヤシンはこの程度の人たちだったのか、と思ってしまう。「未知への扉」で語られていたアショカ・グループのようなものを、このインナー・サークルに期待していたが、買いかぶり過ぎていたようだった。
 アシュラムは完全に金持ち西洋人のためのリゾート地になり、そのためそこにOshoはいないから行く意味もないし、行く気もない。入場料もずいぶん高くなっているらしいし、アシュラムの管理者にとっては、ここをいい商売の場にしたいのだろう。それでも、過去のアシュラムを知らない新しい訪問者は多いらしいし、そんな彼らにとっては、昔のブッダホールやサマーディ・ルームなどは全く知らないから、現在のアシュラムの姿に何の疑問も感じないだろう。

 OIFからの規制では、本の帯にもOshoの写真を使うことを禁じるようになった。完全にOshoの存在を消す動きが進められている。







OSHO日記 2017年11月

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