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Osho版権に関する問題


 ★Oshoのワーク、PDF、印刷、電子メールに対する著作権主張の歴史

 
The History of Copyright Claims for Osho’s Work から翻訳。

 Oshoは1960年代に講話を始めた。1969年までに公益信託がOshoのワークを支援するためにボンベイに設立された。
 この信託はJivan Jagruti Kendra(JJK)となり、それはOshoの講話のいくつかを手書きの形で出版し始めた。これらは実際は講話の収集物を含む小さな小冊子であり、それらの講話のいくつかはヒンドゥー語の講話の英訳だった。
 それらの小さな小冊子の中でJJKはそれ自身を版権所有者として掲載したが、JJKがこれまでその仕事においてOshoの著作権権益の所有権を主張しようとしたという証拠は全くない。 Oshoが内容について多くの考えを表現することに対する著作権を保持していた一方で、JJKは翻訳と編纂への著作権を持っていたのかもしれない。

 1974年にOshoはプネーに移り、アシュラムがそこに設立された。より多くの人々がプネーに来た時、出版部門が設立されて、ヒンディー語と英語の両方の講話シリーズが本の形で出版された。そして記録用として、Oshoの個人との夕方の会見の記録であるダルシャン日記もまた出版された。1975年にJJKはその名前をラジニーシ・ファウンデーション(RF)に変え、出版されたこれらの本を所有していて、RFを版権所有者として掲載した。

 本は講話から書き写され、編集されて、時には他の言語に翻訳された。これらの貢献のすべては著作権で保護され得るワークの面を作る。すなわちワークの中にいくつかの著作権があり得ることになる。
 Oshoは彼の講話の中に含まれている考えの表現に関して著作権権益を所有していたが、RFや関係している個人もまた編纂、翻訳、そして広範囲に及ぶ編集における権益を所有したかもしれない。

 いずれにせよ問題は慈悲深い信託が、インドのある市民たちや外国の訪問者の手によった、信頼によって資金提供されて、信頼という後押しでなされるボランティアの仕事を認めるかどうかにある。たとえ答えが否であっても、RFは仕事においてそれらの権利を所有していると考えられ、著作権を主張したことはかなり明らかなようだ。


 Oshoが本の中で自らの権益に対するRFの権利を明らかにしている1978年の文書のコピーがある。もしこれが信ずべき証書(原本は手に入らない)であったなら、その文書は、RFが出版できてしかも他の出版社にワークを許可できるように、著作権に関するOshoの取り分を所有しないことと彼との合意を求めることにRFはよく気づいていたことを示している。
それからRFはいくつかの大手のアメリカ出版社に権利を許可し始めて、これらの本はOshoという非常に大きなプロフィールを西洋に与えた。

 1980年代初期に、Oshoは自らの健康を好転させる休暇のためにUSA(アメリカ合衆国)に行くことに同意した。
Oshoは晩年にはプネーのアシュラムに戻った。 チューリッヒのOIFは、OshoがRFと共に持っていた出版許可契約をRFIに移したか、またはその許可がRFからRFIに移ることに同意したと主張する。
Oshoがインドに帰国することを固く決意していたことを考えるなら、彼がインドからUSAへ出版のセンターを移すことに同意したとはまったくありそうにもない話だ。

 アメリカのラジニーシプーラムでの4年の間に、そこにいる人々は、書き写し、翻訳し、編集することを含めて、Oshoの講話から広範囲に本を作ることに参加した。ラジニーシプーラムでの活動にもあてはまる米国の法律のもとでは、ワークがされる前に彼らが誰かとの正当なワーク使用料契約に署名しない限りは、これらの活動からの本に関する権利は何であれその仕事をした個人に属していた。ワーク使用料契約が署名されたというは証拠はない。

 それにもかかわらず、RFIはそれが何らの権利を所有したと考えたかもしれない。 いずれにしても、RFIはそれ自体を著作権者として掲載するというRFの慣例を続けた。 ラジニーシプーラムが1985年に崩壊した時、RFIはラジニーシ財団ヨーロッパにそれが持っていたどんな権利でも譲渡した。(RFEはOshoが身体から離れた1990年後半に、Oshoインターナショナル・ファウンデーション[OIF・チューリッヒ]に変わる)

 ラジニーシプーラム以後、誰が著作権を主張していたかという状況はより複雑になった。
 Oshoがインドに戻った時、彼は自分の出版のワークはインドを中心とするべきだということを求めたため、権利が米国へ移されたというどんな主張も撤回される、という報告がある。この報告はいくつかの事実によって支持されている。

 第1に、権利をUSAへ移すことを趣旨としている文書に関するどんな原文も提示されなかった。それならその権利は破棄されたかもしれなかった。

 第2に、Oshoがプネーに戻って彼が身体から離れるまでの期間であるプネーIIの間、いくつかのインドの機関はOshoのワークの著作権を所有していると主張した。
Oshoがそれらの出版物を見た時、彼は多分これらの主張に気づいただろう。


 OIFは、Oshoは出版された自分の講話の本を見た、そして彼はOIFが著作権を主張していたのを見てきた、と米国商標訴訟で主張した。これはまったくもって必ずしも真実ではない。 
1985年以後、当時のラジニーシ・ファウンデーション・ヨーロッパは、その名前をネオ・サニヤス・インターナショナルに変えた。 同時期にインドのラジニーシ・ファウンデーション(RF)も名前をネオ・サニヤス・インターナショナルに変えた。

 1985年以後出版される本は、ネオ・サニヤス・インターナショナルを著作権保有者として掲載したが、問合せ先がインドのファウンデーションであるかスイスのファウンデーションであるかを示さなかった。
インドのファウンデーションは著作権を主張する際に、Oshoから主張された1978年の許可に頼っていたのかもしれない。

 ネオ・サニヤス・インターナショナルと呼ばれる機関のその一方または両方が本に対する著作権を主張していたと同時に、タオは英語とヒンディー語のラジニーシ/Oshoタイムズの中で世に出したOshoのワークの全てを所有していると主張した。
 我々はこれらの主張を支持する文書を持っていないが、それは文書が存在しなかったという意味にはならない。
 要点は、インドの機関からのこれらの全ての主張を与えられたため、スイスのファウンデーションは彼の全ての著作権についての独占的な所有を主張していた、ということを考える理由がOshoには全くなかったということだ。

 
 Oshoが身体から離れた後、1991年にネオ・サニヤス・インターナショナルは名前をOsho・インターナショナル・ファウンデーション(OIF)に変えた。
同じ時期に、インドで新しい慈善信託が設立され、それもまたOsho・インターナショナル・ファウンデーションと呼ばれた。
数年間OIFを著作権保有者と掲載して本が出版された。これがインドの機関かまたはスイスの機関であったのかどうかを示すことなく---。タオ出版もしばらくの間著作権の所有を主張し続けた。

 Oshoがこの著作権の所有を他の誰かにこれまで譲渡したという証拠がないため、いずれにせよこれらの請求者の誰もがワークにおいて著作権に関するOshoの取り分を実際に所有しなかった、ということは全てある意味において要領を得ない。それでも、これは妥当になる。
 なぜならインドのネオ・サニヤス・インターナショナルとは対照的に、スイスのファウンデーションネオ・サニヤスは出版されたワークでのどんな権利でも所有していることを主張していた、というこれらの全てに対して、Oshoは何らかの考えを持っていたという証拠がないことを示しているからだ。

 Oshoはその著作権主張を知っていて承認したというOIFの、チューリッヒの主張は完全に支持のないものだ。



  


2004.9.12

 愛する友人よ。
 ラブ。

 この手紙を注意深く読んで、そこから起こりうる結果の重大性を理解してみてください。 この手紙は私たちのメールアドレスからも手に入ります。 和尚とインドプネー市の和尚コミューン・インターナショナルが売りに出されています。 4月2日付けインディアン・エクスプレスのエクスプレス・マガジンもどうぞ読んで下さい。

 カルデカールは言っています。「私たちの調査によればこれらの信託(財産)の多くは、プネーどころかマハラシュトラにさえ登録されていない。」 コレガオンパークのコミューンによって取得された様々な資産の所有権は、いくつかの信託(財産)または個人にさえ帰属します。信託(財産)の管理者は誰なのか?そしてなぜ彼らはインナー・サークルの下で機能しているのか?私たちが大騒ぎしたので情報機関による調査が行なわれましたが、私たちの元には誰からもその報告が来ていません。

 私はコミューンの中枢がすでに海外に移されたものと考えています。行くとすればスイス以外どこがあるでしょう。スイス国チューリヒ市Bshnhofstrasse 52, 8001、MichaelO'Byme and colleagues(インナーサークルの21人に入っていない人物)によって管理される法人である「和尚インターナショナル・ファウンデーション」こそが「著者和尚の刊行されたそして未完のあらゆる言葉と仕事の、あらゆるメディアにおける唯一にして登録済みの版権所有者」(オフィシャルホームページからの引用)なのです。

 さらに「著者の写真や、著者によって作成されるかまたは著者に結びつけられている各種著作、音楽、美術、その他の制作物のすべてについて著作権を所有するものである。」と引用は続きます。

 「Osho」という単語は今すでに登録商標となっており、プネーでなくチューリッヒを所在地とする和尚インターナショナル・ファウンデーションによって所有されています。和尚によって考案され広く愛されてきたセラピーや瞑想技法のすべてにこの財団によって著作権が設定されています。Oshoリバランシング、 Osho Divine Healing, Osho Craniosacral Balancing, Oshoチベッタン・パルシングなどのセラピーや、ミスティック・ローズ、ダイナミック瞑想、グリシャンカール瞑想、クンダリーニ瞑想、ナダブラーマ瞑想、ナタラジ瞑想などの活動的瞑想を行なうためにはこの財団の許可が必要になります。

 オーストラリアからメキシコまで、世界に広がるセンターや「リゾート」は今やフランチャイズとして組織されてしまいました。これらの施設は、プネーに集中するはずであった多くの客層を奪う結果となっています。
しかしチューリヒの財団には直接接触することはできません。中間組織が存在するからです。これが米国内に会社として登録された「和尚インターナショナル」570,Lexington Avenue, New York, NY 10022)で、「和尚インターナショナルファウンデーション」により著作や登録商標の使用許可などの日常業務を「マネージャ」として一任されています。

 ニューヨークの「和尚インターナショナル」は和尚センターとなっています。その公式ホームページによれば「和尚インターナショナル・ファウンデーション」のための著作の管理を行なっているとされています。この会社は版権管理者として、また瞑想、身体-マインド-精神、哲学、そして霊性の分野の出版元として機能しています。「著作を構成するのは七千時間分のオーディオとビデオの記録に基づいて出版された350冊の本です。さらに数百点におよぶユニークな和尚の美術作品、それぞれに音楽の数々です。」

 ですから版権やフランチャイズからあがる多額のロイヤルティーが、インドを除く世界中の出版社、オーディオテープ制作会社、センターやリゾートから集められて、まずニューヨークそしてチューリヒの法人へと一握りの非インド人によって吸い上げられることになります。

 この繋がりの中で最後の所有権を握るのはスワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリットで、スイスにいて経営を監督し、すべての金銭は和尚のビジョンを拡大するという名の下に蓄積されることになります。金銭はロイヤルティー、フランチャイズ、登録商標のかたちで世界中から徴収され、まずニューヨークの「和尚インターナショナル」へ、最終的にはスイス、チューリヒの「和尚インターナショナル・ファウンデーション」に入金されてスワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリットの共同的あるいは個人利用に伴されることになります。

 私が知る限り和尚はいつも1人1人全員がマーケットプレース(俗世)に出て働き、自らの存在を人々の手に届くところに置くようにと言ってきました。しかしこの財政計画のもとでは、あなたが瞑想したいと思ったらそして許可を取ったりロイヤルティーを支払ったりしないとしたら、この計画によりあなたは差し止めや訴追を受けることになります。

 その上スワミ・ムケシュ・バルティは米国において銀行口座と永住権査証を持っています。スワミ・デヴェンドラも銀行口座を持っています。マ・プレム・ザリーンは自分の息子ファロックのイギリスにおける教育費の全額をスワミ・ジャイエッシュから受け取ることで手なずけられています。
 スワミ・サティヤ・ヴェーダントは米国で6ヶ月間客員教授の職に就いています。マ・アムリット・サダーナは要職にあり(インナーサークル、メンバーで和尚タイムズ編集長)スワミ・ヨーガ・プラタプ・バルティ (かって和尚の秘書を務め、現在はコミューンを出てしまったマ・ヨーガ・ニーラムを公然と批判した人)はラオ・ツー・ハウスに住んで生活すべてを保証されています。

 したがってコミューンのインド人サニヤシンは誰もこの悪党達に反対する立場にないわけです。そしてもし誰かが反対意見を持って立ち上がれば、単に追放されるだけのことです。


最近の噂ではサマディの下に安置された和尚の灰(遺骨)はすでに取り去られたか、破壊されたか、変更を加えられたものと言われています。
 和尚の本と和尚タイムズのデザインは契約によりプーナのサンガムプレスに委譲されています。
 そして第三の最も重大な点は、3人の悪党達---スワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリット---は、世界中に広がるサニヤシンと和尚を愛する人々による法律上の請願と反対運動を避けるため、いつ何時でも飛行機に飛び乗る準備ができているということです。

 ヒンディー語版の書籍の60%が絶版になっている一方で、寄付金や書籍展示と販売による収入の形で再版を行なうのに必要な充分の予算が眠っています。その上400冊以上の書籍を出版してきたインドの出版社はどこも高額のロイヤルティーを払う気にはなっていません。


 1996年7月のグル・ブルニマ・セレブレーションの間に和尚のサニヤシンと和尚を愛する人々は、インドに住むサニヤシンのための経済的な宿泊施設を提供すべく、ダルマサラDharmasalaの用地買収と建設資金として多額の金を寄付しました。
しかし4年後の今日に至るまで用地買収もダルマサラの建設も全く行われないままです。そしてそのお金がどこに消えたのか、スワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリット以外の誰も知らないのです。

 皆さんご存知無いかもしれませんが、コミューン(スワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリット)がかってムンバイ経由でやってくる外国人サニヤシンの一時宿泊施設を建てる目的で買い入れたポッダルスPoddarsの紡績工場は、今や売りに出されています。そして売却の後には収入は自動的にスワミ・ジャイエッシュによって管理されるスイスの銀行口座に振り込まれることになっています。

 マ・アムリット・サダーナ(インナーサークル.メンバー)は3日間(3月24日〜26日)の瞑想キャンプをしにデハラドゥンDeharadunの和尚リゾートにやって来ましたが、瞑想やサニヤス・イニシエーションの時にマルーンローブを着ないように、また和尚ホワイトローブ・ブラザーフッドの時にホワイトローブを着ないようにと強調する彼女の態度には、大部分のサニヤシンと和尚を愛する人々が気分を害しました。
マ・アムリット・サダーナ自身は、瞑想キャンプ中一度もマルーンあるいはホワイトローブを着ませんでした。ある朝など、彼女はインナーサークルが提起するこの転換を実践して見せようとして、ジーンズとシャツ姿でダイナミック瞑想を行いました。そしてこれらのすべてはカルトの名において起きています。しかし彼らは単にマスターと弟子の関係を忘れたのであり、これこそが私たちの愛する和尚のビジョンの中でより大きな価値を持つものです。


 どうかスワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリットが、最終的にスイスの銀行にあるお金のすべてを流用してしまうことができるのだということを理解してください。そこで私たちの愛するマスターが生活し、サマーディがあり、彼が仏陀ホールで講話を行い、さまざまな瞑想法を考案し、セラピーを改良した場所であるプネーのコミューンが、日常の活動を行う費用さえない状態に追い込まれるのだ、ということを理解してください。
そしてもしプネーの和尚コミューンがお金を必要とする時は、それをお願いする、あるいは乞うことが必要だということ、そしてそれが叶えられるかどうかは3人の悪党の胸先三寸だということを理解してください。

「和尚コミューン、インド人を押しのける」(地位の高いスポークスマンがHaima Purushttamによって「客人」として歓迎されたことを指摘した「2000年3月10日にThe Asian Age:The Mumbai Ageに掲載された)というのはほとんど真実の話に近い、コミューンに住む高齢者のメンバーは半年ほど前、20ないし25年間コミューン内で働いてきたにもかかわらず、全員自立するようにとの勧告をうけました。そして老齢のサニヤシンがコミューンを出ることをよぎなくされる一方で、あたかも自分自身の決定によってそうしたかのように言わざるをえない状況が作り出されています。

 このストラテジーはアメリカ政府がオレゴンのラジニシー・プーラムを破壊するのに使った戦略とまったく同じものです。ただ今度の目標は和尚コミューン・インターナショナルというわけです。あなたに知性がありさえすれば簡単にお分かりでしょう。誰かがCIAによって送り込まれ、やり残された仕事を組織的に完了し、何か他の目的のためにお金を集めて流用することで、和尚のビションとワークを破壊するということです。この仕事を監督し実行しているのは誰かと問われるのであれば、その人の名はスワミ・ジャイエッシュ(首謀者でありCIAのエージェント)です。

 マ・アムリット・サダーナ(インナーサークル、メンバー)の発言の落ち: 「私たちはあなたがたのマインド、記事から和尚を消そうとしているのです。」

私たちは公益保護(Public Interest Litigation)と著作権請求(copyright petitiln)で、スワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリットさらに和尚コミューン・インターナショナル(現メディテーション・リゾート)のインナー・サークルの全メンバーを訴追する動きを支持します。


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 ナレンドラからのメッセージより

 親愛なる友人達へ、OSHOの最も愛する友人への開かれた手紙
 LOVE

 インドのプーナ、OSHOコミューン・インターナショナルのインナー・サークルで起こっている和尚のビジョン、和尚のワーク、和尚関係の動きについての歪曲を行っているのか。個そして集団として、友達、和尚を愛するもの、サニヤシンが一体になり質問をすると言う正当な動きです。

 私服による和尚サニヤシンの新しい友人達へのイ二シェーションは和尚サニヤスと言う事が曲解されている。この事はOSHO TIMES(ヒンディー)に掲載されています。なぜOSHOはサニヤスにマルーンの色を選んだのか、ホワイト・ローブ・ブラザーフッドにホワイト・ローブそしてグループ・セラピストと3日間の瞑想キャンプのコンダクターにブラック・ローブを選らんだか。

 和尚は言っています。コミューンの中で違った瞑想、そしてグループに参加している人達もすべてコミューン・メンバーはコミューンの中でマルーン・ローブを着る事によって、瞑想的な環境のための瞑想的なエネルギーを作り出すことが出来る。

 和尚は言っています。瞑想と愛はサニヤスの二つの異なった両翼である。もしサニヤスの意味が曲解されるならば、必然的に瞑想と愛の意味も歪曲されてしまうでしょう。そして瞑想と愛が歪曲されれば自動的に、セレブレ−ションそしてコミューンの持つ目的(意義)も歪曲されます。そして、この道(私服導入)をたどれば和尚のビジョン、和尚のワークはシステム的に歪曲されていきます。 


 コミューンから和尚の写真をとりはずしていくこと、崇拝であるという名のもとに、本からも写真をとりはずしていくこと。和尚が述べている所では崇拝(カルト)は決して起こらない。(カルトやジョーンズ・タウンを参照にして下さい。和尚が一貫した意味(固まった考え)や、誓いや約束を誰にも求めない態度である限り、更に言えば、彼は論争では彼自身が矛盾しているからです。

 和尚はいつも言っていました。彼の目を通して、彼の異なった身振りを通して、あらゆるタイプの違った人々を刺激している。ですから、インナー・サークルが彼のビジョンや彼の人々に働きかけるやり方(OSHO'S WAY)を全く知っていながら、なぜ写真を取り除こうとしているのか、想像がつかないのです。
 ナレンドラはパブリケーションに20年近くも関わってきました。そして和尚が彼自身で本の表紙の装丁や、それぞれの講話の始まりに写真を選んできたのを知っています。

 和尚の椅子をホワイト・ローブの間ブッダ・ホールに運び込まないことについて、和尚は言っています。あなた方が私の椅子をブッダホールに持ち運んだとき、私の臨在はより強く感じられるだろう、と。更に、和尚の椅子は世界中のどこのコミューンにも全く存在しないものです。この質問(疑問)がわきあがるのも当然のことでしょう。


 OSHOコミューンの内の土地の売却について、和尚マンデラそしてダラムサラも提案されている。新しいOSHOマンデラの建設が進んでいるとはいえ、完成は不確定であるのに。土地はGODREJ(インドの金持ち)に売却されたとなっている。理由は財政難。

 そして再び疑問が起こる。なぜ、どんな状況でコミューンの土地を売ることになっているのか、誰が財政難の責任をとるのか?そして、なぜ全てのインナー・サークルのメンバーは傍観者でいるのか、または沈黙を守っているのか、又はこの動きに同意しているのか?

又、聞いた所によると和尚コミューン・インターナショナルの他の土地も将来的に、ラジニーシダム・トラスト(和尚メディテーション・リゾートに変名される)以外の土地は売却される予定になっている。
なぜ、和尚の現存の臨在がある(和尚の部屋、サマーディ、ブッダ・ホール、彼のエネルギーがいまでも溢れ、世界中から和尚の友人達をひきつけ、そして瞑想の雰囲気が漂っている場所)その和尚コミューン・インターナショナル(和尚ムーブメントのヘッドクォーター)が切り取られるプロセスにあるのか、そしてどんな新しいブランコがコミューンについて、又は新しい場所(国)にあるのか、インナー・サークルによって同意されているのか。なぜ、こんなにも秘密になっているのか?

 ほとんど数百もの和尚のサインが彼の本から動かされている。そして誰に与えられたのか、ギネスブックに保存されているのか、なぜ?ボディアム(ブッダホールの中心)にあった和尚の写真が取り去られた。全ての瞑想の時に置かれてきたものだった。

 和尚コミューン・インターナショナルは、和尚メディテ−ティブ・リゾートに変わろうとしている、なぜか? 全てのこれから起こる、そして今起こっているうアクティビティは、名前を変えることによって財政的にサポートされるのだろうか?


 ローブに関する問題(論点)(照会:1983年8月、マ・アナンドによって読まれた) なぜ、あなたがた皆さん(賢い男性、女性であるインナー・サークル)は10年近くも沈黙を保っているのか、そして何がどんなインサイト(洞察)がこの変化を発起しているのか。ナレンドラは和尚のお気に入りのマルーンの引用をより照会させることが出来る。

 ”私服ではあなたは群集の一人であり、あなたがマルーンを着たときに、あなたの個別性は個としての統合、マスターである和尚に向けての親密感が生まれる。サニヤスとはあなたにその方向性へのセンスを与えるもの。共にあること、根ずくこと、あなたが誰でありどのような存在であらしめるのかと言うことに覚醒することだ。OSHO”

 近ごろ、OSHOリゾートのマ・サンギータによって伝達されたことによると、マルーンとホワイト・ローブは瞑想キャンプの間に必修のものではない。
 ナレンドラの経験ではマルーンとホワイト・ローブは瞑想キャンプの最中でもエネルギー・フィールドを創造するが、


 スワミ・アムリットは1990年1月19日近々和尚のラスト・メッセージを伝えることを誓言しました。しかしいくつかの和尚の引用を除いては、いままでのところ何も公表されておりません。マ・アナンド(和尚ミディアム&セクレタリー)、マ・ニーラム(和尚セクレタリー、和尚からの口受を受けた) その誰もが何も公表していません。もしも和尚からのラスト・メッセージであるなら、もしもなんらかの和尚からの伝達であるのなら、いつあなた方(賢い男性と女性であるインナー・サークルの方々)はそのことをOSHOの弟子、サニヤシン達に公表し一緒に深めていこうとしないのでしょうか?

 Swami Narendra Bodhisatva



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 ニーラムの記事と反論記事
 
 マ・ニーラム、コミューンの入場を拒否される。エクスプレス・ニュース・サービス

プーナ6月20日、和尚の弟子として誇るべ経歴を持つ、マ・ヨガ・ニーラムは昨日、和尚コミューンの運営責任者達の独裁的な態度に反対して発言した。そして彼女は彼女が報道機関に発言してからの数時間内の今朝、コミューンに入るのを止められた。

 「私はブレークを取るように言われました。」とインドの和尚の秘書であるニーラムはインディアンエクスプレスに語った。「私がいつものように朝の和尚サマディーのサイレントメディテーションに行こうとした時です。」

 ニーラムはコミューンに午前7:30から始まるサマーディでの沈黙瞑想の一日の入場のために、お金を払って買うIDカードに貼付するステッカーをニーラムは求めたが、担当のサニヤシンにマネージメント・チームと会うように求められた。

 彼女はコミューン内の運営チームのメンバーであるスワミ・サティヤ・ヴェーダントに話した。ニーラムによれば、ヴェーダントは「彼女はブレークが必要です。入る必要はありません」と話した。 「和尚のサマーディでの沈黙瞑想を私がしないことが、どうやってコミューンと私自身の助けになれるでしょうか?」 「私は追放されるのですか?」と彼女は尋ねた。ニーラムは「ベダントは、私は追放されるのではなく、IDカードは撤収されない、と答えましたが、あなたはブレークが必要ですと繰り返しました」と言う。それ以外議論せず、ニーラムはコレガオン・パークの自分のフラットに戻った。

 プレス・オフィスとマネージメント・チームのスワミ・サティヤ・ヴェーダントへのe-mailで、現状についてコミューンの説明が求められたが、返事はなかった。

一方、最近まで和尚コミューン・インターナショナルのスポークスマンで、現在はコミューンを出て、デリーに存在するスワミ・チャイタニヤ・キルティはe-mailでこのように語っている。「自分は今回のこの追放に対して、ニューデリーにある私達の和尚ラジョヤ・センターで反対のためのセレブレーションを行おうかと思います。」

「私はニーラムが和尚と手を取って歩いている写真を私のホームページ:www.meditate-celebrate.com に掲載します。彼は付け加えて「ここニュー・デリーのサニヤシンは二ーラムがコミューンに入るのを拒否されたことを好ましく思っていません。ニーラムは和尚サマーディの隣の部屋に住んでいました。それは和尚がニーラムにあげたのです。国中のサニヤシンがこのマネージメントチームの愚かな行動に反対しています。そして私はこれはマネージメントチームの決定ではないと知っています。これもまた、アムリット、ジャエッシュ、アナンドがやっていることなんです。チームスポークスマンをやる必要がなくてよかったです」

 Copyright c 2000 Indian Express Newspapers (Bombay) Ltd.



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 インディアン、エクスプレス、新聞記事より

スワミ・サハジャナンドのマ・ニーラムの告発に対する反論

 スワミ・サハジャナンド(ピータ・クロイツフェルト)はスイスのチューリヒにある和尚インターナショナル・ファンデーションの5人の理事の中の1人であり、和尚コミューンのインナー・サークルのメンバーである。
 その彼がドイツから火曜日に発表されたニーラムの告発について反論した。ニーラムの告発は「コミューンの3人の人間が独裁的なやり方で動いていて、残りのインナー・サ−クルのメンバーは言いなりになっている。ついでながらインド国籍のニーラムは3人の独裁者の名前はカナダ国籍のスワミ・ジャエッシュ(マイケル・オブライエン)、英国国籍のスワミ・アムリト(ジョージ・メレディス博士、現在はジョン・アンドリュース)、オーストラア国籍のマ・アナンド(スー・アベントン)としている。

 私はインナー・サークルのメンバーが米国に瞑想センターを設立するために辞めて行った時、ちょうど和尚が肉体を離れてから1年後にインナー・サークルに参加しました。だからこの手紙は少し慎重に取り扱ってください。私がニーラムの言う「言いなり、イエスマン」の1人でインナー・サークルのもともとのメンバーではない、ということを心に止めておいてください。

 和尚が肉体にいたとき、私はレベルで出版のディレクターでした。その会社は和尚が望む質で和尚の本を作るようにという和尚の要望でドイツに設立されました。これはインドで同じ質のものを作ることが出来るようになる以前のことでした。
その当事でさえ、私はインナー・サークルではなく、インドにいたのは自分の時間の一部にしか過ぎませんでしたが、コミューンの重要人物と大変近い立場で働いていました。私はしばしば、なぜニーラムは和尚が望んだと誰もが知っているような何かである本がドイツで出版されることを問題にしているようなのか、と思っていました。

 私は1991年から1997年までロンドン、ケルン、チューリッヒで行なわれた和尚の録音されたオーディオとビデオの全てのアップグレードとデジタル化のプロジェクトの責任者でした。

 1987年以降、私はプーナと私のプロジェクトが進行している場所を行ったり来たりしていました。私はニーラムのパートナーのタターガタとも大変近くでワークしました。彼は和尚の本の流通に深く関わっていました。

 私は個人的にはニーラムがとても好きでした。しかし私がニーラムと仕事するのは骨の折れることでした。物事はなされるまでとても時間がかかりました。もし皆がただニーラムの見方に従わない限り、そしてそれはよくあるケースでした。実際、多くの内部の人間の間には、つまりインドのことを特に話しているのですが「優雅な女王」はちがうイメージを持っていました。

 この全てにおいて、私は驚いてそしてショックを受けました。他の人々の我慢強さにです。特に「独裁者」です。そしてジャイエッシュは一人前の頑固さの中にいるニーラムに対しもっとも我慢強さを示しました。
3人の独裁者の少数が皆に押し付けている、ということではありません。チームは大体においてすばやく(そして勿論それほど早くないときもありますが)結論に達していました。そしてニーラムは何度も何度も頑固に彼女の「私の方がよく知っている」という態度にアピールすることでなければ拒否しました。何年も保留されたままに物事もありました。

 私は静かな怒りだと疑うべきだったと言わなければなりません。私はまだ和尚の精神における全員の合意という理解を信じている時のことです。オルガズムが意味することは広く変化するという考えを私は憶測します。私の方にとっては、それは私自身の瞑想とよりよく知ることについての私自身の考えを問うことのテストとして私はただそれを見ていました、そして忍耐を学びました。私がのちにしばしばニーラムとタターガタの間の調停者であったという点においてです。

 和尚は和尚のワークのロイヤリティを請求することを望んだ。そして1986年にプロモーションファンドの口座を望んだ。その後私はプロモーションファンドを望まないこれらサニヤシンとのミーティングに何年も費やした。実際、通常の出版社はロイヤリティに問題は無かった。ニーラムの特別の連絡係である人々 (特に1人はフランスにいて、1人は日本にいる、両方ともニーラムと近い関係にあるインド人によって経営されている。)だけが頑固に反対していました。究極的にはそれはニーラムが彼らにOIF(和尚インターナショナルファンデーション)が間違った決定をしたのだと話す結果になりました。彼女は我々のミーティングでは決定について不満を決して言いませんでした。


私はただここで私の理解することとニーラムの理解を対照の中において要約します。

和尚はクラブ・メディテーションを望んだ。ニーラムはそれを商業主義と呼ぶ。
和尚は著作権を任命したがインドにそれを戻すことは望まなかった。ニーラムはそのことに決して含まれなかった。

 そして最後に和尚は彼自身確認しています。「ニーラムは彼女は他の誰よりもよく知っている、と考えている。彼女は頑固なタイプだ」それをごく最近聞いて私はショックでした。和尚が信頼した「独裁者達」はニーラムについてのかなり恥ずかしい発言をインナーサークル内でさえ広げる必要はないと思います。

 多くのパズルのかけらが今私に落ちてきています。ニーラム、昔の「優雅な女王」(私を信じてください、私に印象もです。)は蛙、つまり間違った時期に、間違った場所にいた政治家になったのです。彼女は和尚の場所を理解していません。彼は全員一致でワークする委員会(インナーサークル)の潜在性について語っています。
和尚は歴史上の全ての委員会がまさにニーラムによってここで示されているような人物のせいで失敗した、と警告しています。彼女はオープンに見ないでプロセスを静かに進めています。

 彼女は本当は和尚からの何かや瞑想に興味を持っていません。彼女はただ自分が正しいと思うことを押し付けるために、自分の武器庫にある全てのトリックを使いたいのです。これは何ですか?それは単純なパワーゲームです。和尚は私達が思うことは正しい、そして他人によって私達に強制されることは間違っている、と教えました。彼の瞑想の働きはどのように「学ばない」かを学ぶことです。 ニーラムはこのポイントを見失っています。

 21人のニーラムが本当のオルガニズム、商業の自由やその他を運営することをどう思いますか?彼女達は行くところどころであれをお互いの名前を毒し、お互いに激しく対立するでしょう。そして何も動かないでしょう。そして彼女達は完全な調和のうちに生きるでしょう。いいですか。

 Ma Neelam denied in Commune

  EXPRESS NEWS SERVICE



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 インディアン、エクスプレス、新聞記事より

これらニューヨークの3人は和尚の遺産を乗っ取ることはできない。

スワミ・チャイタニヤ・キルティはひどく怒っている。
 和尚タイムスの前編集長であるプーナのコミューンのスポークスマンは、Omerataの規定を破って和尚のワークの版権と所有物がニューヨークへ移されたことをしゃべった。そこへアシュラムの本部がこっそりと移されたのだ。この精神的遺産の窃盗は苦い結果に終わる闘争となるだろうと、彼はブリティシュ・ナンディに語る。
 以下はインタビューからの抜粋である。


和尚のワークの版権についてのこの論争とは正確には何なのでしょう?マ・ニーラムによれば、和尚がアメリカから追放され、他の21カ国にも拒否された後インドに戻ってきた時、和尚が最初に決めたことは彼に属するもの全て、彼の書籍も含めてインドに移されるべきだ、ということです。彼がオレゴンに移ったとき、全て彼と共にそこに移されました。そこで彼はニーラムに全部戻すよう言ったのです。しかしある奇妙な理由により、戻らなかったのです。彼らは和尚の所有物と版権の多くをアメリカに戻し、それからチューリヒに登録したのです。

   これは和尚が存命中になされたのですか?

 マ・シーラが最初のうちはそれをやっていました。彼女の仕事を引き継いだ人間が同じように卑劣なことを続けたのです。和尚が全てここにもどさなければいけない、と言ったにも関わらずです。

   これについて誰か証人はいますか?

 マ・ニーラムです。彼女は当時和尚の秘書でした。けれども私達はそれより後1998年になってそれを知るに至りました。この過程は明らかに1991年の7月10日に始まっています。和尚は1990年の1月19日に肉体を去りました。そして1年のうちに彼らは和尚の全ての版権と商標を海外に概に登録していました。
 私達はこの情報を偶然1998年にインターネットを見ているときに知りました。osho.orgでさえosho.comになっていました。つまりこれは明らかに彼らがやったことです。これを私が指摘したとき、彼らの私に対する態度全てが変わりました。

彼らはまた、今回ニューヨークに本部を持ったとアナウンスしました。それまで誰もそんなことを聞いたことはありません。私達は皆大変驚きました。それまで私達はプーナが私達の世界的な中心だと思っていました。そこは和尚が彼の生の最後の年月を過ごした場所です。そして彼が肉体を去ったところです。ニューヨークからなにがもたらされたでしょう?

   あなたは抗議したのですか?

私達が質問し始めた瞬間、私達は全ての答えはニューヨークからくるだろう、と言われました。もしインドが和尚の本を出版したければニューヨークに頼まなければならないのです。もし日本が本を出版したければニューヨークに聞かなければならないのです。もしフランスが何か出版したければニューヨークにチェックしなければいけないのです。私達は皆驚きました。コミューン全体はここにあるのにニューヨークの3人の人間が全てをコントロールするなんてどうして起こったのでしょう?

   このニューヨークの3人とは誰ですか?

 あらゆる事にいつも浮かび上がってくるのはクラウス・スティーグという名前です。彼のサニヤス・ネームはプラモードです。しかし妙なことに彼がサニヤスを取ったのは1990年以降のことで和尚が肉体にいるときは彼は和尚に会っていません。どうして和尚が肉体にいて血肉が通っているときに、和尚を見たことも会ったこともないない人物が、今や和尚が残した物事全ての責任者であれるのでしょう?

   ニューヨーク本部にはインド人もいますか?

 1人いるでしょう。

   誰ですか?

 スワミ・ムケッシュです。私は、彼は3人の中の1人である、と言われました。もしアメリカのパテントとの商標のオフィスのウェーブサイトをみれば、自分で全てのインフォメーションを得られます。非常にたくさんの瞑想が商標登録され、多くの本の版権も持っています。私は昨年まで出版された全ての和尚の本のファンデーションの理事でした。しかし私はこれが隠れて行なわれているなんて知る由もありませんでした。

  なぜ、理事を辞めたのですか?

 ニーラムは去年の2月に突然コミューンを去りました。彼女はインナー・サークルのメンバーでした。彼女が去ったことで私達に全てが閉じられてしまいました。それから、こういった異常な事が始まったのです。和尚の本の出版に深く関わっていた、フランスのスワミ・サントや日本のサティヤティルス(2人ともインド人ですが)のようなサニヤシン達は急に現金でロイヤルティを出せ、さもなくば法的通運を送る、と言われたのです。

和尚は彼の祝福を世界中の全ての人に送っていました。これらの人間は法的な通運を送りたいのです。和尚はサニヤシンが出版というワークをすることを励ましていました。というのも彼は普通の出版社は和尚の本に触れる準備が出来ていないと彼は解っていたからです。ある人は和尚はキリスト教に反対している、と言います。また、和尚はヒンズー教に反対しているという人もいます。サニヤシンだけが和尚の考えを出版し、普及するに十分な勇気を持っているのです。今は励まし、評価するかわりに本部は法的通運を送ろうとしているのです。大変な驚きです。

  あなたはこの全ては商業的に和尚の遺産を搾取するものだとお考えですか?

 ええ。しかし私は新聞が報じたように東洋と西洋の間の分裂があるのだ、と思ってはいません。私達は皆全てを握ろうとしているニューヨークの3人の人間に反対しているのです。本部は和尚が常に望んだようにプーナにあるべきです。そこは和尚が肉体を去った場所です。プーナは私達スピリチュアルなメッカなのです。

私はまた愚かな商業主義にも反対です。コミューンは五つ星のリゾートではないのです。そこは信頼の場所なのです。私達はこの商業主義に憤慨しています。ご自分でウェーブサイトを見れば私が言っていることがわかると思います。まるでツーリストのサイトです。

  一体どういう意味で?

 つまり休日を売っている、という意味です。そこではコミューンはリゾートとして売られているのです。そこでは和尚の愛や祝福を強調していません。これが私達を傷つけるのです。彼らは和尚から動き前方を見るときだ、と言います。どうやって?私達は和尚と過ごして、彼の愛を経験し、彼の思想を分かち合い、和尚と共に踊りお祝いしたのです。どうやって私達はこれほど多くの愛と喜びをもたらした人について急に忘れ、和尚を商業的に搾取することだけを考えることができるでしょう。

  ですが、全てのグルは死後、産業化されないでしょうか?ガンジーしかり、タゴールしかり。皆、産業化されました。

 もし私が私のマスターから何かを学ぶとしたら、私はこれを許しません、私が生きている間は確実です。和尚の足元に何年も座り和尚の無条件の愛を感じた私達は、和尚が取引されるただの商品だという考えを絶対に受け入れることは出来ません。

  そのことであなたは孤独になりませんか?

 ええ、ある意味では。皆私が攻撃されるだろうといいます。どうなんでしょうか。私は真実を話しており、私と共に多くの人々がいて同じように感じ、今日起こっていることに怒っているということだけは解っています。私達は戦いを諦めません。

  あなたは法廷の調停も考えていますか?

 いいえまだです。まず、私達はこの全てを人々の前に見せてから、もし皆がそれでも主張すれば法廷に行くかもしれません。何が起ころうと、私達はコストがかかっても、これを止めなければなりません。ニューヨークの小さいオフィスに座っているこれら3人の人間が和尚の生涯のワークをハイジャックすることは許されえないことです。


 レディフ・インタビュー/スワミ・チャイタニヤ・キルティ



 

 「Osho The Luminous Rebel」 by Vedant Joshi  追記3: マ・ヨーガ・ニーラムとの対談 より

 私はここで、彼は誰にも彼の名前を利用することを決して思いとどまらせなかった、ということにも言及したいと思います。たとえそれが店や事業を名付けることに関連して使われたとしても。私はこれがより重要性を帯びているのに気づいています。なぜなら「Osho」と彼によって考案された瞑想を使うことについて言えば、そのような大きな著作権問題が最後の数年間に起こってきたからです。私はこの問題がOshoのビジョン、彼のワーク、彼の導きとは完全にそぐわないことに気づいています。

 それはさまざまな疑問を引き起こします。Oshoの言葉の著作権は存在すべきなのか?というような---。この地球の六十億人以上の人々にとって、どこかの権威者からのどんな許可も求めず、どんな制限もなく、足枷なしで彼の講話や瞑想テクニックを直接利用することは良くないのでしょうか?もし彼の全ての本の所有権が自由であるなら、どんな不利なことが起こり得るのでしょう?そしてもし何らかの財団が有する著作権があるなら、彼の本は編集と歪曲から守られるのでしょうか?その時彼の本はより多く出版されるのでしょうか?それが管理されている時、どんな種類の知識がより以上に栄えて成長するのでしょうか?

 私にとって、それは管理に勝る自由の重要性に関する根本的な問題を引き起こします。人は、Oshoの運動の管理についての彼の洞察はどういうものなのか?そして彼は自分の運動をどのように成長させたかったのか?を知る必要があります。



 

 Osho Copyright and Trademark  sannyasnews より一部を翻訳。

 アマノは語る:       2010年4月4日
  著作権はある個人たちによってされている大きな政治だ。我々は巻き込まれるべきではない。そこには語るべきより深刻な問題がある。著作権は大きな罠であり、大量破壊兵器のようなものだ。アメリカが決して攻撃しないイラクや他の国に対してそれをしたように。アメリカはその資源と手段を彼ら自身のビジネスのために誤って導き、搾取した………
 著作権はある個人たちのための大きなビジネスであり、ある個人たちにとってそれはパワー・トリップだ……。本当に自らの生をOshoのワークに対して創造的にさせたい、そのワークのために貢献させたいサニヤシンについて両方の当事者たちは気にかけていない。
 どうかアメリカのイランとの戦いから学んでほしい、また1人の人間を他から分離させようとする宗教的な指導者からも学んでほしい…….
 もし我々が著作権について悩まされることを止めるなら、Oshoの世界は今よりもほんの少し美しくなるだろう。



 ヘラクレイトスは語る:       2010年4月4日
  複数の著作権違反が特にインドにある。何も法的にこれらの人々に起こっているようには見えない。それは全て少し奇妙な事だ。
 私はアムリットとジャイエッシュがインドではあきらめたのだろうと推測する。
 しかし彼らはまだ、明らかに他のどこかで著作権を犯している人たちへ法的通告を送っていて、その違反を犯している人々を脅迫しようとしている。インターネットに関しては、それは多かれ少なかれ全く自由な一帯のように見える。そして人はあらゆるところでOshoの著作やその他のものを見る。カリフォルニアの誰かで、著作権問題を法的にも調べ出そうとする者はいなかったのだろうか?

 肝心なことは、まだ手配中のものが50冊以上あると何人かが言う未出版のOshoのヒンディー語本とそれらの翻訳だ。
 それらのテキストはうまく秘密裏にされていて、普通の弟子が近いうちにそれらを読む見込みがないように、どんな将来的な出版もうまく守られている!



 

 Osho Copyrights Paradoxes

 Osho著作権の逆説          2009年1月25日

 多くの人々は、Oshoの言葉とワークの純正をどんな歪曲、薄弱化、編集からも保護するために、Oshoの商標と著作権を所有することがOIF(Osho・インターナショナル財団)にとって重要であると感じている。とはいっても、これはどんな時でも起こっている。そして私の考えでは、最大の犯罪者はOIFだ。誰がOIFに、Oshoのワークに関する彼らの編集、薄弱化と歪曲について異議を申し立てることができるだろう? 

 例えば、OIFは25冊のOshoの編集本を出版した。それらのほとんどはセント・マーチン出版(NY)によって出版された。これらの編集本は何らかの形でOshoの言葉を含んでいるが、それらは純粋なOshoの本ではない。

 私は1980年代に、(Oshoがまだ生きていた頃)「レベル出版」(Oshoのワークの公式出版社)が多くの人気がある編集されたOshoの本を出版したのを覚えている。私が後になってこれらの本を注文しようとした時、私はOshoが自分の本を編集本として出版するのを望んでいなかったことを知った。そしてレベル出版は(その時に)どんな編集でも出版するのを止めた。

 しかしもう一つの見方がこの話にある。 セント・マーチン出版と他の少数の出版社によって(Oshoの死から数年以内に)出版されたOshoの編集本は、世界で数100万部売れて、OIFのためにたくさんの著作権料を生じさせ、Oshoに対してもたくさんの人々の関心を寄せた。良い広告と宣伝のために、編集は非常に人気があって、すべてのOshoの原書より多く売れている。

 私は23年間Oshoの本を売ってきて、新しい人々は特に編集本が好きだということを知っている。数年前ブラジルに行って、ブラジリア空港の本屋を訪ねた時、私は8冊のポルトガル語のOshoの編集本が店舗の飾り窓に目立って展示されているのを見つけた。 私が(現在は)地元のバーンズ&ノーブルまたはカリフォルニアにあるボーダーズ書店を訪れる時、私は10〜20冊のOshoの編集本が売られているのを見る。

 OIFは世界中で手に入れられるOshoの本を製作する際に大きな仕事をしたが、それらは純粋なOshoの本ではない。
 ここ数年で、私は面白い傾向に注目した。私の買い手の何人かは「ラジニーシ」の本を買うことを主張する。彼らがこれらは純粋な未編集の本であることを知っているかのように。

 ダンヤム




 





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