6月9日

 翻訳をやっているせいで、当然Oshoの本について関心が集まる。

 よく、Oshoの本を
650冊と数え上げられるが、手元の集計では英語の本は270冊ほど。これはまだ少し調べる必要がある。ちなみに各国の翻訳本のリストはこちら
日本語訳だけでは100冊ほどになる。ただ、その全てが入手可能というわけではない。出版元は、やはり市民出版社が一番多い。
 他にはOEJの本があるが、HPで見る限り、Oshoの本は5冊だけ。
 また別に、Osho Japanというサイトもあるが、日本人向けのサイトなのに英語表記が多いのがあまり好きではない。
ここで取り上げている数は19冊だが、OEJの本とだぶっているものも多いし、そのほとんどはSOLD OUT 絶版。
 この二つのサイトを見る限り、Oshoの本の出版状況は寂しい状態だ。

 古くからOshoを知っている人は、Oshoの本はもう十分ある、とでも思っているのだろうか・・・。彼らにとってはそうかもしれないが、新しくOshoに惹かれ始めた人たちにとっては、やはり本から入って行くもので、その点から見れば、現状は決して十分ではない。
 Oshoを新しく知る人に対して、どの本を勧めたらいいのだろう。その辺りの全体的なビジョンが見えてこない。


 30年前、サニヤシンになった頃、初めて出会った日本人のサニヤシンたちの印象が悪く、やたら自分の感情を他人にぶつけたり、他人の粗探しばかりしていたので、そのイメージがずっとつきまとっている。 別に、Oshoの弟子になったからといって、他のOshoの弟子と関わる必要はないのだけれど、そう思えるようになるまで、ずいぶん嫌な経験をしてきたものだ、と思う。そこまで経験しないと、そう思えなくなるのかもしれない。

 それで他人と一切関わらなくなり、一日中、ただ翻訳作業をしていることで、ようやく自分らしく生きられるようになった。
 ようやく解放され、自由に生きている実感が持てるようになった。 もう、瞑想やセラピーへのこだわりもなくなった。成長へのこだわりもなくなった。
 ただ、その日、その時を生きるだけ。それだけで十分である。 それを邪魔していたのは、全て、他人からの批判であった。それが静まれば、消えれば、問題はなくなる。 自分は自分。ただ、あるがままにあるだけ。自分に対して何もしない。瞑想もしない。ただ、在るだけ。



 
6月12日

 Osho: The Luminous Rebelの翻訳が一応完了する。後は再度の見直しにかかる。

  ここで少しOsho関係のネットを興味半分に探ってみる。

  まず、バヴェッシュの「地球人スピリット・ジャーナル」では、Oshoの新刊翻訳「死について41の答え」が 取り上げられているが、「死ぬこと生きること」「炎の伝承(1)(2)」については全く無視されている。 彼がこれらの本を知らないはずはないだろうから、たぶん意識的に・・・だろう。

 また、タントラ秘法の書10巻の翻訳者パルバのサイトでは、本人からOshoの翻訳本の選択は主体性がなく、全て他人からの要望・勧めで選んでいることを明かしている。 つまり「タントラ秘法の書」は東京のセンターから、「ノー・マインド 永遠の花」はシャルノの要望から---当然、この本の中でシャルノはOshoから日本大使に任命されているため

---ちなみにパルバはシャルノの秘書だったらしい・・・、

そして「禅宣言」は沖縄のウパニシャッド(喜納昌吉)の要望から、ということらしい。
このあたりの人脈というか、人間関係は何となく嫌なものを感じてしまう。

 そしてシャルノについては、どうもこの4月に亡くなったらしい。結局この人は何をしたのか、よくわからない。
 ただ結果として「Osho日本大使」という畏れ多い肩書きは残ったことになる。
 で、日本マルチバーシティはどうなったのだ?

  2005年のmixiサイトには、シャルノが借りた金を返さないとかについてサニヤシンからのコメントが寄せられている。
 これでも10年前の話・・・。正直、くだらない・・・。基本的に借りたものを返さないというのは、人間的に常識がない、ということだ。
 まあ、でも、これらのコメントから察しても、シャルノという人物がどういう類の人物であるか、なんとなく自分の直感は当たっていたのが感じられた。やはりアニマと似ている。所詮は、みんな霊能者には弱い、ということだろう。自分には見えないものが見えている(?)のだから・・・。ただ、それを証明する術はないが・・・。

  結果として、関わりにならなくてよかったが、まあその代わり、アニマにどっぷり関わっていて、その類のトリップに 懲りていたからな・・・。

  このあたりのサニヤシンの世界、というか人間関係は、本当に嫌悪感を覚えてしまう。自分とは相容れない。
  同じOshoのワークをしている者から何らかのエネルギーを頂ければ、と期待してネットを探ってしまうが、 このような期待外ればかりを喰らう。
30年前に感じたものと何も変わっていない。それとも自分が異質なのだろうか・・・

  いずれにせよ、やはり一人でやっていくしかない、ということを改めて実感した。 何も頼れるものはない!



 
6月18日

 翻訳中の「Osho: The Luminous Rebel」第五章での好きなOshoの言葉〜  

 「西洋では、大昔からずっと成長してきた心理学は外向的で、それは社交的だ。東洋で発展してきた心理学は内向的で、それは内へ行く。真の東洋人が成長するために、グループは必要ない。彼にはヴィパッサナや坐禅のような、全ての外側を忘れてただ彼自身の存在に没頭することのできる瞑想が必要だ。
 彼にはどんな関係性も必要ない。関係を持つことは必要ない。彼には世界と彼自身を無関係にさせることだけが必要だ・・・。
 成長グループが必要なのは、あなたが関係すること、愛すること、意思を伝えること(コミュニケーション)を途方もなく必要としているからだ。西洋での基本的な問題は、どのように意思を伝えるか、どのように関係するか、だ・・・。
 これは異なる心理学だ。両方とも究極に達するための道で、一つは瞑想、もう一つは愛だ。
 東洋は瞑想のためのマインドを発達させてきた。西洋は愛のためのマインドを発達させてきた。
 愛は関係性を意味し、瞑想は非関係性を意味する。」

 ・・・自分には、関係性は必要と感じていない。だからこの文にはすごく共感できる。
 「・・・世界と彼自身を無関係にさせることだけが必要だ・・・」
 まさにそう思う。
 だが、そう思うと必ず外部から批判される。「引き篭もるな。逃げるな。」と---。

 自分がこれまで受けたサニヤシンのグループは全て西洋人向けにされていた、ということが、後になってわかった。
 そのグループ・リーダーもそれを感じていなかった。西洋人のやり方を押し付けられていた。
 それでうまくいかなければ、批判された。まさに西洋至上主義か、西洋人コンプレックスの結果か・・・

 ワドゥダが後ほど、
 「たとえば欧米のテクニックには欧米人のサイキには適していても、日本人のサイキには適さない、時には激しすぎるものがあります。たとえば、プライマルセラピーや両親に向けて怒りを表現する方法ですが、それは欧米人には適していても、日本人にとってはフラストレーションを発散する良い方法だとは思いません。」
 と言っていたが、今や後の祭り・・・

 だから、退職して四年間、独りこもってOshoの翻訳に没頭することで、つまり外部との関係を絶つことで、ようやく自分を受け入れられるようになり、自然に、自由に、楽に生きられるようになった。
 つまり、これが自分に適した道だ、ということだ。

 これは、ドラゴン・ヘッド前世リーディングでも、一人になる時間を持つことを勧めているし、
 竹下気学でも、集団行動には合わない性格、と鑑定されていることから、
 一人で生きることが自分にとって幸福な生き方だということだ。

 でも、それができるようになったのも、これまでの人間関係の経験から、他人に何も期待しなくなり、依存しなくなったからだろう。

 この「Osho: The Luminous Rebel」を翻訳することで、自分の人生に一つの区切りを付けることができた。
 「アティーシャの知恵の書」の翻訳から始まって、Oshoに関わる自分の人生の総括は終わりに至ったように感じる。
 これが終わった後は、より好きなようにワークを進められるだろう。



 
6月23日

 「Osho: The Luminous Rebel」の翻訳が21日に終わり、市民出版社へ送信する。おそらく、ページ数にして「死ぬこと 生きること」と同じくらいの分量になるだろう。

 これに伴い、日本のOshoワークの流れをまとめてみた。
 といっても、私がOshoに関わりだしたのは1981年頃からだから、それ以前のことは、当時発行されていた「ラジニーシ・ニューズレター」の記事から調べたもの。時期的に見ても、やはり一番混沌とした、動乱の時期にサニヤシンになっている。最初に関わった状況がこんな状態なら、まともに考えられる余裕はないだろう。

 社会情勢の欄にオウム真理教に関することを多く書いたのは、この動乱の時期にサニヤシンを止めてオウムに入信した人が少なからずいた、ということを聞いたことがあるから。その実態、実数は知らないが、少なくとも私の友人の一人もオウムに入信していた。その後の彼の音沙汰は知らない。
 ただ、それだけ、誰もが当時のOshoの動向に不信や疑問を抱いていた、ということの表れだろう。それらが全てシーラのエゴによるものであることがわかったのは、ずっと後になってから。

 その辺りの事情も、この「Osho: The Luminous Rebel」の本の中で鋭く指摘されている。

 頼れる術を求めて、シャルノの元に集まったのも無理からぬことだったのかもしれない。

 ちなみに私は、1985年にセンターを離れても、Oshoとの関わりがもう一つ整理できず、ただ混乱状態のまま、保有していた「ラジニーシ・ニューズレター」のバックナンバーをほとんど古本屋に売ったりした。当時の日本人サニヤシンに関する記事を見ることに強い嫌悪感を持っていたため。
 それでも、自分でOshoの原書を翻訳したり、洋書を購入したり、当時のサクシンからOshoアーカイブ・ビデオを購入したりしていた。
 日本人のサニヤシンを通さず、直にOshoを知りたい、という思いから〜〜。

 そしてその後、二回、プネーのアシュラムを訪れる。

 それでも、1995年の離婚から15年間、きっぱりOshoとの関わりを絶つ。だからこの期間の日本のOshoワークについては知らない。
 一時期は、それまで所有していたOshoの洋書を全て処分しようか、と考えたこともあった。そうしなくてよかったが・・・。
ちなみに、現在所有しているOshoの洋書は、約120冊ある。
 その中でも特に気になる本が、「Zen: Zest, Zip, Zap and Zing」。1980年12月27日から1981年1月10日の間の講話。

  

 「Zen〜」とタイトルされているから禅に関する講話だろうが、内容は質疑応答。ただ、生と死に関する講話の分類に入っている。
それよりも圧巻は、本の後部に、1981年1月9日に光明を得て翌日に肉体を離れたサニヤシン、ヴィマールキルティの写真がカラーで約70ページほど掲載されていることだ。

   

 これは1981年に発行されたもので、現在は絶版で、Amazonではハードカバーで14万円の高値が付いている。
ちなみに私が持っているのはペーパーバックだが、以前に同書のハードカバーを持っていた。それはある事情で手放すことになった。
今でも、このハードカバーの本に愛着を持っている。


 そんな私が今、Oshoの本の翻訳に人生を捧げている。
 なんともおもしろい状況だろう〜〜。



 6月27日

 25日より「Beyond Psychology」の翻訳を始めている。

 ワールド・ツァーのウルグアイ滞在中での一番最初の講話だ。この「Beyond Psychology」は1986年4月12日から5月4日まで語られたもので、1988年に初版が発行され、それから3回改版されている。ウルグアイ三部作の中では最も版数が多い。それだけ多く読まれているということだ。
 ちなみに「炎の伝承」の原書「The Transmission of the Lamp」は、1989年の初版以降は増版されていない。
 過去に、Osho Timesでこの「Beyond Psychology」の講話がシリーズとして20号分くらい掲載されていた。それだけに特別な講話である雰囲気が感じられる。
 あるサイトで、この「Beyond Psychology」が秘教科学の範疇に入れられているので、その面でも興味深い。・・・と、久々にそのサイトを見てみたら、このEsoteric Scienceの部分が変わっていた・・・・。

 Osho Timesに掲載されていた分は全体の約30パーセントほど。それが利用できるので、翻訳作業としては時間的にずいぶん助かることになる。

 これで、翻訳する本としては、通算で13冊目・・・「The Transmission of the Lamp」を2冊分と見て・・・になる。

既に5冊は出版されているので、残り7冊が出版待ちの状態となっている。



    




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