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2013年1月7日-筆写
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The Sound of Running Water

ザ・サウンド・オブ・ランニング・ウォーター

私は徹底した無神論者だった---誰も私と宗教が手をたずさえてゆけるとは信じなかっただろう 
 私は起きているこれらの出来事が精神霊的(スピリチュアル)なものの探求の本質をなしていることにまったく気づかなかった。私は後になって初めて、起きた事が、「精神霊的(スピリチュアル)な知識」だったことを知った。だが本当のところ、私を子供時代から知っている者たちは、私と宗教が手をたずさえてゆけるとは決して信じていなかっただろう。それは彼らの予想を超えることだった。なぜなら、彼らが宗教と呼んだり、知ったりしているものと、私はいつも闘っていたからだ。

 彼らが礼拝と呼んでいたものは、私にとってはまったくナンセンスにすぎなかった。彼らがサニヤシンと呼ぶ者は、私にとっては逃避主義者以外の何者でもなかった。彼らが聖典と呼び、彼らが額づいて礼拝するその対象は、私にとってはその上に足を乗せて休むことのできる普通の本にすぎなかった。何であれ、彼らが疑いを容れぬ存在として主張するものすべてを、私は不確かさと懐疑のなかに引きずり込んだ。彼らの神、彼らの魂、彼らの救済は、私にとってはすべて冗談とからかいの種でしかなかった。
 彼らの真面目さは私には子供っぽく見えた。彼らがその神の前で手を合わせ、坐っているのを見ると、私は声を上げて笑い、彼らの邪魔をしたものだ。こんなことすべてが私にはあまりに子供っぽく見えたので、彼らには、人もあろうにこの私が宗教的になり得るなどとは信じることもできなかっただろう。

 もしあの爆発に先立つこの期間に私を知っていた者が、その後死んで、再び生き返ったとしたら、そして出会うこともなく過ぎた永い期間のあとに、現在の私を見たとしたら、現在の私をそれと見分けることすらできないだろうし、この私が以前彼らが知っていたその同じ人物であるとは想像もできないだろう。
 彼らにはそれは信じられなかっただろう。というのも、何であれ彼らが宗教だと信じていたものを、私はとにかく宗教でだけはないものと信じていたからだ。彼らの考えでは、私は無神論者だったし、しかもその点では徹底していた。家族の者、友達、親戚、仲間たちにとって、私は無神論の大家だった。そのため、20年、あるいは25年ぶりに私とばったり出会った者はたいへんなショックを受ける。だから私と一緒にいて、あるいは私の影響で無神論者になった者が、今もそのまま無神論者でいるために面食らうといったことが起こる。
 1948年1月30日、マハトマ・ガンジーが暗殺されると、ラジニーシは涙も出ないほど悲しいと告げ、友人たちを驚かせた。彼とその友人たちは、その指導者の死を悼んで瞑想しながら坐った。彼がかの老翁やその信条、政策についてきわめて批判的で、しばしば痛烈に蔑んでいたことを考えるとこれは意外に思われる。この頃には、彼は社会主義や共産主義に対しても、インド全般の実に複雑な政治論争に対しても幻滅していた。結局は砂上の楼閣であったものの他に彼が発見できたものは何もなかった。
 私の状態は緊張と不安と危険でいっぱいだった。親戚や親しい者たちは、私が反抗的で扇動的なのはこの状態のせいだと考えた。だんだんみんなが私は狂うかもしれないと考え始めるような状況だった。
 どんなにささいなことにも疑いがあったし、疑い以外には何もなかった。答えがないまま、疑問だけがいつまでも続いた。ある意味で、私は狂人と等しかった。私自身、今にも狂うのではないかと恐れていた。私は夜眠ることができなかった。 
 夜も昼も四六時中、次から次へと問いが私のまわりを舞っていた。どの問いにも答えはなかった。言うなれば私は、一隻の船もなく、どこにも岸のない深い海にいた。たとえどんな船がそこにあっても、私は自分でそれを沈めるか拒むかした。船も船乗りも大勢いたが、私は他人の船に乗り込むことを自分で拒絶した。他人の船に乗るくらいなら、ひとりで溺れる方がましだと思った。もし生が私を溺死させようとするのなら、溺れることも受け容れるべきだと感じた。

 彼はこの直前に、もうひとつの身近な死によって深い影響を受けていた。それは腸チフスで死んだ恋人の死だ。彼女は渦巻ガートの寺院のすぐそばの家で死んだ。この死は30年後に、彼女が彼の誠実な伴侶として再び生きているのを我々が知った時、弟子たちの間に長い波紋を送ることになった。
 青年時代、私には恋人がいた。その後彼女は死んだ。だが死の床で彼女は私に戻って来ると約束した。そして彼女は戻ってきた。その恋人の名はシャシといった。彼女は1947年に死んだ。彼女は私の村の医者、シャルマ先生の娘だった。彼ももういない。そして今、彼女は私の面倒を見るためにヴィヴェックとして戻ってきた。ヴィヴェックはそれを思い出せない。私はシャシ・グディヤと呼んでいたが、ヴィヴェック・グディヤと呼び始めている。ちょっと繋がりを与えるためにね。

 生は偉大なドラマ、大いなる遊戯だ----。
それはひとつの生からまた別の生へ、また別の生へと続いてゆく。




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