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2013年1月7日-筆写
年代順講話 & ワーク
The Sound of Running Water

ザ・サウンド・オブ・ランニング・ウォーター

 1939年〜1946年 アウトサイダー ----実験の開始

 引き続く探究は外見上はどれも聖者らしさからほど遠いものだった。ラジニーシと彼の若き追従者たちは奇異でいたずらっぽい、そしてしばしば危険な探検に専念した。そのために彼らはますます町の年長者や保守的な者たちと衝突するようになった。
 悪童一味への大方の非難は、それが非常に厳格な行動やタブーやおきてを持ったずいぶん異なる宗教的社会的背景の少年たちから成っているという事実によってますます増大した。当時のインドの典型的な伝統的共同体で育ったことのない者には、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、シーク教徒、イスラム教徒、そしてさらにより低いカーストの者までをも含めて混合したこのグループ構成の大胆さと革命性を正しく評価するのはまずむずかしい。
 おそらく、ひとえに自分は他の人たちとは違うという彼の自覚が育ちつつあったせいだろう。彼はいつも、奇妙で常軌を逸したふるまいをする者たちに同情とするどい関心を示した。

 私の町にひとりの狂人がいた。実際、どの村にもひとりいる。どうやら彼は、はけ口、安全弁として必要とされているようだ。町中は狂気で、彼が狂気の漏れ口になる。子供たちは彼を追いかけ石を投げた。すると彼も石を投げる。彼が通るたびにそんな光景が見られた。
 私は絶えず彼を見守っていた。私は一度も彼をいじめなかった。私はその狂人に対してある深い感情(フィーリング)を抱いていた。ときどき私は行って彼のそばに坐った----。彼はよく、ある樹の下にいた。やがて彼は、町のすべての子供たちや少年たち、そしてときには大人たちさえもがするように彼をいじめることを私が決していないことに気づくようになった。そこで彼はある日私に尋ねた。「おまえはどうして私をいじめないんだい? どうして石を投げないんだい? 私のことをキチガイだと思わないのかい?」 私は言った、「キチガイだなんて思ったことは一度もないよ」
 彼は笑って言った。「そばにおいで。秘密を教えてやろう----。違うのさ! でも誰にも話しちゃいけないぜ。これが私の生き方なのさ。私はこうして食べ物や着物を手に入れる。これは私と村との約束なんだ。私はキチガイの役をやる、簡単なことだよ。すると物事はとてもうまくいくってわけさ!」

 また別の機会には・・・・
 私が小さな子供で学校に通っていたとき、その地方全体のレスリング大会があった。私はその出来事を決して忘れることができない。ひとりのレスラーがいた。彼はその地方で一番有名だったが、その彼が負けた。彼はチャンピオンに、その地方のチャンピオンか何かになるはずだった。ところが、その彼がまったく無名の男に負けたのだ! 群衆はみんなあざ笑った。人々はそれを大いに楽しんだ。だが驚いたことに、全員が驚いたのだが、すぐにあたりは静まりかえった。というのも彼も手をたたいて笑ったからだ・・・、負けたその男がだ。彼があんまり高らかに笑うので、群衆はみんなとまどって静かになった。この男はどうしたのだろう?
 そしてまわりが静かになると、彼はいっそう高らかに笑った! あとで私が彼のもとにゆき---彼は私の家の正面にある寺院に滞在していた----こう言った。「あれは不思議だったね。でも僕とっても気に入ったよ! 全然、思いがけなかったんだもの」
 彼は言った、「実に意外だったね。だから私も笑ったんだ! まったく予想外だった。誰も聞いたことがない平凡な男に私が負けるなんて思いもよらなかった! 全部が全部あっけにとられるほどおかしかったから、私も笑ってしまったよ」
 だが、私は彼の顔を、彼の笑い方を、彼の手の叩き方を、群衆がみんな静まりかえった光景を二度と忘れることができなかった。この男は群衆全体とその嘲笑を打ち負かした・・・、彼は仲間に加わったのだ! だが大へんな勇気がいった! 私にとっては、彼が勝利者だった。そこで私は彼に言った。「僕は小さな子供で、あまりうまく言えないけど、僕にとっては、おじさんが勝ったんだ。僕はおじさんのことを忘れないよ」

 20年後に私は彼の町を訪れた。彼は私に会いにやってきた。彼は今ではすっかり年老いていた。彼は言った。「私を覚えているかね? 私も君の顔を忘れることができなかった。小さな子供が私のところにやってきて、私が本当の勝利者で、相手の負けだ、私は群衆全体に勝ったと言った。私も君の顔を忘れることができなかった」


                             Far Beyond the Stars 2章
 あらゆる点から見て、彼は東洋のティル・オイレンシュピーゲル(14世紀の北ドイツに実在したとされる伝説の奇人)、伝説上の町のいたずら者だった。けれども彼の手の込んだいたずらやからかいには、どんな悪意も見られなかった。もちろん、その少年のふるまいが度を過ごしていると見がちなのは、目撃者の記憶によくあるくせだ。しかし、ラジニーシは仲間たちがそそのかされたときでさえ、決して喧嘩をしなかったという興味深い証拠がある---。
 おそらくそれは彼が気立てのよいふざけ方を知っていたことを物語るものだ。彼のいたずらの多くは比較的害のない、その年齢の少年特有のものだった。腹を立てた町の人々から続々とくる苦情は、「格好の犠牲者」を求める探究と後に彼が呼ぶようになるものが次々と成功したことを立証している。生きた蛇や針金につけた抜け殻を急に見せたり、道路にコインをはりつけたり----、すべては憤慨した隣人をとりなさねばならなかった両親の忍耐力を試すところとなった。父親は何ともしようがなく心から途方に暮れた。というのも被害者の大半の苦情は、ちょっと体面を傷つけられたというだけでそれ以上の実害は何もなかったからだ。
 彼はたいていラジニーシをかばったが、あるときあるときもうすっかり腹を立てて息子を鍵をかけてトイレに閉じ込め、彼がおとなしくなるまで許そうとしなかった。ところがこれはまったく無意味なことが判明した。なぜなら、ラジニーシはいくらでも必要なだけ独りでまったく落ち着いていられるらしかったからだ。実際、長い間閉じ込められたすえ、彼は心配する親に向かって、いくらでもここにいられるからあっちへ行ってもいい、と言ったものだ。
 またあるときは何も知らない教師が和尚に罰として校庭を走らせた。その結果、少年は止めてほしいと頼まれるまで毎日その練習を続けた。

 これは私が誰も信頼しなかったとか、誰に対しても蔑みや無作法な態度をとったということではない。ただ私は誰も尊敬できなかったのだ。そしてそれらすべての当然の結果として、私の疑いは次第に強くなっていった。私はあらゆることを疑った。
 少年は7歳までには死ぬ、と予言した占星術師が、バース・チャートに取り掛かれないまま彼自身が死んでしまったので、その息子が彼に代わってクンダリを作ろうとした。彼は当惑してしまった、「この子はまず間違いなく21歳までに死ぬでしょう。7年ごとに彼は死に直面しなければなりません」そこで彼の両親や家族はいつも彼の死について心配していた。
 彼がその話題に魅せられ、小さな子供でありながら葬式や火葬場に興味を持つのを見るにつけても、彼らの心は不安にかられた。

 人々が誰かを焼いたり火葬にゆくとき、私はついて行って見守った----。彼らはそこに行くと度の過ぎたおしゃべりを始めた。彼らは火葬場で哲学的なことをたくさん論じ合う。子供の頃、私は誰の葬式でもついて行くのが大好きだった。いつも誰かが死ぬと、必ず私はそこにいた。両親までがそれを気遣うようになった。彼らは「どうして行くんだ? あの人とは面識もないのに。行かなくてもいいじゃないか」と言ったものだ。

 私は言った、「そんなことじゃないんだ。僕の関心は死んだ人じゃない。死なんだ----。それはとても美しい現象なんだ。最も神秘的なもののひとつなんだ。これを見逃すってことはないよ」 そこで私は誰かが死んだと聞くと、すぐにそこにかけつけ、起こっていることをいつも見守り、待ち、目撃したものだ。そして私は人々がたくさんのことを、「死とは何か?」といったさまざまな哲学的問題を論じ合っているのを見た。

すると誰かがこう言うのだった。「誰も死なないさ。内奥の自己は不死だよ」 彼らはウパニシャッドやギータを論じ、さまざまな権威を引用した。私はこう感じ始めた。「彼らは避けている。こうしてただ議論を始めることによって起こっている現象を避けている。彼らは死んだ人を見ていない。そして肝心なことはそこにある! 死がそこにあるのに、彼らはそれについて論じている! 何て馬鹿な人たちだろう!」

 私の村のとても敬虔な人が死んだ。私は彼に対してある愛着をおぼえていた。彼は小さな寺院の僧侶で、非常に貧しかった。そして私が通るたびに----私は少なくとも日に二度学校への通り道にその寺院のそばを通った----彼は私を呼びとめ、いつも果物や甘いものをくれた。
 彼が死んだとき、彼に会いに行った子供は私だけだった。町中の者たちが集まった。突然、何が起こったのか信じられなかったが、私は笑い出してしまった。そこにいた父は当惑して私を止めようとした。死は笑うようなときではない。彼は私を黙らせようとした。彼は何度も何度も、「静かにしなさい!」と言った。

 だが私はあんなにも強い衝動を感じたことは二度とない。それ以前にもそれ以後にも、私は一度もあんな感じになったことはない---。まるで何か素晴らしいことが起こったかのように、あんなに大声で笑うなどということは。

 私は自分を押さえることができなかった。私は大声で笑った。全員が腹を立て、私は家に送り返された。父は私にこう言った。「もう二度と、お前を真面目な場所には連れて行かないぞ! お前のおかげで、わしまで冷や汗をかいてしまった。なぜ笑ったんだ? あそこで何があったんだ? 死のなかに笑うような何があったんだ。みんなが涙を流して大声で泣いているというのに、お前だけが笑っていた」

 私は彼に言った、「何かが起こったんだ。あの人が何かを放ったんだ。それがものすごく素敵なものだったんだよ。あの人はオーガズミックな死に方をしたよ」 このとおりの言葉ではなかったが、私は父に、彼はとても幸せに至福に満ちて死んで行ったと感じたこと、そして私も彼の笑いに加わりたかったのだということを話した。彼は笑っていた。彼のエネルギーは笑っていたのだ。

 私は狂っていると思われた。どうして人が笑って死ねる? 以来私はたくさんの死を見守ってきたが、二度とあのようなタイプの死に方には出会わなかった。

                                           
 


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