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2013年1月5日-筆写
The Sound of Running Water

ザ・サウンド・オブ・ランニング・ウォーター

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 戻ってきた放浪者 ---再び私たちのなかに在るために

 マスターは戻ってきた。

 私たちがいくたび彼と知り合ってきたか、彼がいくたび私たちの生に触れてきたか、彼が私たちの運命をどのようなスタイルに形づくってきたか、それは忘れられている。

 ときとして、夢や突然のひらめきの中で、太古の砂漠を歩き、高い山々から見守っている彼の弧高の香りをかすかにかぐことがある。彼はいつも動いているので、彼を記憶にとどめるのはむずかしい。彼を偉大なスーフィーとして知った者もいれば、あたかも仏陀のそばにいるかのように感じた者もいる。山腹の火としての彼は、新しい薪にすばやく飛び火する炎だ。どこで人の意識が覚醒へと燃え上がろうと、必ずその放浪者が畏敬の眼でそれを見守り、人間の探究とエクスタシーの新しい味を楽しみ、また旅を続けてゆく姿が見られた。

 知識のあらゆる道を旅しようとするそれほどの渇望が、なぜあったのかはわからない。しかし、彼が何度も何度も旅の終わりに姿を現わすのは、ただ荒野に戻るためだけであり、それは草木におおわれた古代の道を切りひらき、あるいは新たな未知の道を発見するためだったと言われている。

 たくさんの伝統が、彼がそこを通り過ぎていったことを記録している。チベットでは、神堂 ”the Halls of Incarnation”に彼の黄金の像が安置されているという。

 彼のこの前の生は、山地のなかであったとも言われている。彼は、さまざまな伝統や大きく異なる道からやってきた弟子たち、彼が旅をしてきたあらゆる場所や時間からやってきた弟子たちのミスティック・スクールを招集していた。彼はファミリーとして共に仕事をし、マスターは106歳になるまで彼らと共にあった。そして、この大いなる歳にもついに死が訪れようとしていた。

 老齢のマスターは、21日間の断食に入った。それは彼の<究極の覚醒>のクライマックスに達するものだった。意識のその頂(ピーク)からは、あとひとつの生のみが可能だった。ひとつの生ではほとんど成し遂げ得ないことを承知のうえで、彼はファミリーを吟味した。彼はそこに、非常に多くの道の可能性を、多くの道の統合を見た。彼は新しい人間、そして過去とまったくつながりを持たないものを作り出せるという可能性を見た。だが、用意ができている者はほとんどなく、実に多くの者が助けを必要としていた。

 その頂から顔をそむける困難は、想像を絶する。自分が幾多の生にわたって努力し求めてきた究極のゴールが、視野に入ったまさにその最後の瞬間に、再び彼は暗闇の中に後戻りした。愛と慈しみから、彼はファミリーに戻ってくることを約束し、それを成し遂げるための方策を考えだした。
 
 断食の18日目に、賢者は殺された---彼の最終的な帰還には3日足りなかった。

 700年が過ぎた。約束が成就されるときがきた。

 彼は、今再びインドに生まれた。失われた3日間は、3回の7年周期に持ち越された。21歳のとき究極の光明が起こり、ワークが始まった。

 漁師が網をゆっくり手繰り寄せるように、マスターは、ファミリーをひとつに引き寄せた。次第に昔の弟子たちが戻ってきた。世界のあらゆる地域から、形づくられてゆくコミュニティに再び加わるために、私たちは中心に引き寄せられた。

 私たちがちりぢりになってから、多くの生が過ぎた。私たちは多くの苦しみを味わった。私たちは、数え切れないほどたくさんの道からさまざまな歓びを味わった。そして、多くのカルマを、すでに達成していたワークを曇らせる作業を蓄積した。それでも、呼び声は耳に届いた。私たちの実存のどこかでその約束が覚えられていたのだ。

 これは生きたマスターと、彼の周りに集まった神秘的な放浪の民の物語だ。彼が何を計画し、どんな新しい旅を私たちに準備しているかはほとんどわからない。私たちは、この集まりがこの地上において類例のないものであることを承知している。新しい弟子のひとりひとりがそのユニークなエネルギーをマスターに差し出し、その存在をコミューンと融合させ結び合わせるとき、彼はグループのなかに消え、その豊かさのなかで、エクスタシーに満ちた歓喜を味わう。なぜならこれは、覚醒とエネルギーの知られざるレベルにおける未知の波動(ヴァイブレーション)へと神を、全存在を喚起させることのできる新しい意識、エネルギーの場だからだ。 





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