4月 5日

 市民出版社の母体であるサクシン瞑想センターにリンクされていた大分のウツサバ瞑想センターのHPが消えていた。
 ということは、潰れたということか?

 ウツサバは、以前地元の奈良の生駒にあり、何度か訪れたことがある。
 それ以前、神戸の芦屋と大阪の服部にあった頃にも行ったことがあり、特に大阪のウツサバは瞑想センターとは信じられないほど雰囲気が雑で、非常に騒々しく、常識の欠けた無礼な嫌な印象が残っている。ここで私は自分一人だけの瞑想キャンプをした。もちろん主催はセンターだったが、参加者は私一人だけだったし、そもそもセンター・スタッフも当日が瞑想キャンプであることを忘れていた。
 そんな、ずさんでいいかげんなセンターだったのだが、サニヤシンの中にはこんなところを居心地が良かったと言う者もいるらしい。

 とにかく、私の初期のサニヤス体験はそんな嫌なものばかりで、今でもトラウマになっているものもある。

 少し前だが、アート・グループのリーダであったミーラが南アフリカで溺れ死んだらしい。

 日本人サニヤシンの鎮魂歌が始まるか・・・・・


 Oshoが肉体から離れて27年が過ぎた。・・・残された膨大な本・・・、今はそれでしかOshoを知ることはできない。
 古いプーナ時代、直接Oshoの存在を感じていた人たちは、今は何をして、何を思っているのか?



 
4月 6日

 とある2チャンネル的サイトに、アイコへの批判的コメントがずら〜〜っと書かれていた。単なるおふざけか本音かは知らないが、正常な感覚の持ち主ならそう感じるのは当然だろうな。
 ウツサバの代表者ニルグーノは、そんなアイコをサニヤシンの代表的な経験豊富なセラピストだと賞賛していたが、このあたりが、世代的に私の感覚とはずれている、というか、理解できないところだ。バヴェッシュもアイコと同世代だし、その世代が中心となって作っていた80年代のサニヤス・ムーブメントは、自分的にはやはり生理的に受け付ないものがある。どこか嫌悪感、抵抗を感じざるをえない。
 でも当時は、Oshoを知る入り口はそれしかなかったからな・・・・



 
4月 8日

 「Osho The Luminous Rebel」は6月に出版されるらしい。版権はインドにあり、OIFとは関係がないため、表紙にOshoの写真を載せることができるらしい。
 内容は前半のオレゴン・ラジニーシプーラムまでは「反逆のブッダ」とほぼ同じで、それ以降のワールドツアーから1990年に肉体を離れるまでは、この本で明らかにされている。
 そのあたりを知りたい人にとっては興味深い本になるかもしれない。

 「The Silent Explosion」は、当分は出版の見込みはないようだが、ラマ・カルマパのコメントのさわりは、この「Osho The Luminous Rebel」にもちらっと出ている。それも含めて個人的には、この著者でありマルチバーシティの学長でもあるヴァサント・ジョシの序文がとても優れていると思う。

 Oshoをよく知るための、または誤解や偏見を解消するための資料になったらいいと思うし、またそうなりうるとも思う。



 
4月10日

 実際に、Oshoの翻訳をする人は少なくなっているらしい。いつのまにか、私は出版社に頼られる存在になってしまった。別にそれは負担ではなく、むしろ喜びでもある。


 Oshoの言葉から、今の自分を支え、助けてくれる言葉〜〜

 「Osho The Luminous Rebel」のヴァサント・ジョシの序文から・・・

 人類に対するOshoの貢献について何らかの評価を下すのは早すぎる。しかし彼は自分がしてきたことをはっきり述べている。

「人々は今日理解するかもしれない、もしくは明日に、または明後日に---それは問題ではない---しかしある日彼らはそれを理解するだろう。私に言える一つのことは、私が言っていることは何であれ全人類の未来の哲学、未来の宗教であろうとしている、ということだ。」

 一九九〇年一月十九日に肉体から離れるほんの数週間前、Oshoは、彼が去った時彼のワークに何が起こるのかと尋ねられた。

 「私の存在への信頼は絶対だ。もし私の言っていることに何らかの真理があるなら、それは生き残るだろう・・・。私のワークに依然として関心を持つ人々は、ただその光を持ち運ぶだろうが、誰かに何かを押し付けることはない・・・。私は私の人々にとって啓示(インスピレーション)の源のままであるだろう。そしてそれは大多数のサニヤシンたちが感じることだ。私は彼らに愛のような、その周りにどんな教会も作ることのできない、彼ら自身の質を成長させてほしい---気づきのような、誰の独占物でもない質を、祝祭や喜びのような質を---、そして新鮮な、子供のような目を維持してほしい・・・。私は私の人々に、他の誰かに従うのではなく、自分自身を知ってほしい。そしてその道は内側にある。」


 ・・・そこで彼はマスターという役を演じ、弟子たちを入門させ、時には駅にいて、「サニヤス」にまつわる私たちの条件付けから皮肉を作り、全ての人たちを激怒させるためにバグワンという名前を受け入れ、それからある日、単に「ジョークは終わった。」と言う。

 もちろんOshoは、自分に追従者たちはいなくて、ただ共に旅をする仲間たちだけがいる、と常に主張してきたが、従うことはとても容易で居心地が良い。その時それは私たちの責任ではない・・・。人は責任を他の誰かに押し付けることができる---神、グル、仏陀、イエス、どんなものにでも。しかしゆっくりと、そして無情にも、Oshoは私たちの企てに対する彼の支援を引っ込める。鳥が巣から雛を誘い出すように。そしてそれは辛辣なテストであった。Oshoの存在に依存した何かを作り出すことは一つの事だった。どんな外側の助けもなしに自己再生、自己成長になる何かを作り出すためには、各個人の内側の拠り所に頼るしかないのだろうか?今日、彼のワークが、彼が予想するように「私たちのマインドを超えて」広がることがあり得るなどと誰が考えていただろう?

 それからある日、突然彼は立ち去る。それは一人で立つべき時だった。彼の意図は、彼が言うことにあまり関心を持つのではなく彼が指し示すものに関心を持つべきだ、ということだ。彼は私たちを一人に、完全に一人に残しておく。私たちが誰の助けも受け取らず、どんな預言にも固執しないように、ゴータマ・ブッダやイエスが私たちを救おうとしていると私たちが思わなくなるように。完全に一人に残されるため、私たちは自分の最も奥深い中心を見つけざるを得なくなる。彼はそれをはっきりさせる・・・

 「そこに道はなく、行くべきところはどこにもなく、助言者も、教師も、マスターもいない。それは厳しいように見え、荒々しいように見えるが、私がそれをしているのはあなたを愛するからだ。そしてそれをしてこなかった人々はあなたを全く愛していなかった。彼らは自分自身を愛していて、自分たちの周りに大きな群集を持つことを愛していた。群集が大きければ大きいほど、彼らは自分のエゴに栄養を与えていると感じる。
 だから私は光明を得ることさえ最後のゲームと呼んだのだ。あなたがそれを落すのが早ければ早いほど、それは良い。なぜただ在るだけではいけないのだ?なぜあちらこちらへ不必要に急ぐのだ?あなたとは存在があなたにそうあるように望んだものだ。ただくつろぎなさい。」
                                       --- Om Mani Padme Hum


 私はどんな運動の一部でもない。
 私がしていることは永遠の何かだ。
 それは最初の人間が地上に現れてから続いてきて、それは最後の人間まで続くだろう。それは運動ではない。それはまさに進化の核心だ・・・
私は人間の永遠の進化の一部だ。
 真理の探究は新しくも古くもない。あなた自身の存在の探求は時間とは何の関係もない。それは非時間的だ。
 私はいなくなるかもしれないが、私がしていることは継続する。他の誰かがそれをするだろう。私がここにいなかったら他の誰かがそれをしていた。そこでは誰も開祖ではないし、そこでは誰も指導者ではない。それは多くの光明を得た人々が現れ、助け、そして消えていったほどの巨大な現象だ。
 しかし彼らの助けは人類にいくらかの高みをもたらし、人類を少しは良く、いくらかより人間的にさせてきた。彼らは世界を、彼らがそれを見つけた時よりもう少し美しく残してきた。
 世界をより良いものに残すことは大きな満足になる。更にそれ以上のものがとても多く求められている。世界はあまりにも大きく、たった一人の個としての人間はとても小さい。もし彼が、何百万年もの間進化によって作られてきた絵画に、ほんの少しの一筆でも残せるなら、それで十分だ。ほんの少しの一筆で・・・もう少し完成し、もう少し明瞭になる。
 私はどんな流行の一部でもなく、どんな運動の一部でもない。私は永遠に属している。そして私はあなたも、一時的な段階にではなく永遠に属してもらいたい、と思っている。
                                      --- Socrates Poisoned Again After 25 Centuries

 私の言葉は燃えているだけではない。私は火薬をあちこちに置いてもいる。それは何世紀もの間爆発し続けるだろう。
                                           From Personality To Individuality

 私の考えから何らかの教義を作ることは不可能だが、それらを通してあなたは自分を変えることができる。
                                                Tao: The Golden Gate

 だからサニヤシンにとって最も重大なワークはメッセージを純粋に保つこと、あなたによってまたは他の人たちによって汚染されないままに保つこと、そして待つことだ。未来はより受容的になり、より歓迎するにちがいない。私たちはここにいないかもしれないが、私たちは来るべき世紀のためになんとか意識を変えることができる。そして私の関心はこの人類だけではない。私の関心は人類それ自体にある。
 メッセージを純粋に、24カラットの黄金のままに保ちなさい。
 そしてたとえあなたが寺院を建てている時に誰も来なくて、それが悲しくても、すぐにあなたがそのために寺院を建てたそれらの人々は来るだろう。そして人々が来始める時、あなたはここにいないだろう。だが人は一つのことを理解しなければならない。私たちは意識という流れる川の一部であることを。
                                                 Sermons In Stones




 4月16日

 所有しているOshoの洋書の写真〜〜

  

 

  


 所有しているOshoのアーカイヴ・ビデオ

 



 4月18日

 1日中座りっぱなしの生活だから、最近は腰痛に悩まされている。

 「Rinzai: The Master Of The Irrational 」という講話でOshoは、秘書のアナンドが300人の神秘家の本を編集している、という話をしている。こういう話は興味深い。この原書の邦訳は「臨済録」というタイトルで1991年に出ているが、既に絶版で、ヤフオクでたまに出品されているのを見かけるが、けっこう高値がついているし、ページ数から見たら編集本だろう。私は所有していないので、この部分が邦訳本に出ているかは知らない。

 「アナンドは私が話してきたすべての神秘家たちの本を編集している。彼女はコールマン・バークス教授と話した。彼は非常に興味を持っていた。彼は自分自身でそれを出版したかった。しかし彼は「どこから彼はこれらの300人を見つけたのだ?私はこれらの名前を、300人ものブッダたちを聞いたことさえない!」と言った。彼は立ち去った。さもなければ私は彼に、私はまだ生きていて、私は少なくともあと200人について話すつもりだ、というメッセージを送っただろう。まだより多くの人がいるが、彼らの名前さえ失われている。
 あなたは大多数の人間に忘れられている人々と彼らの経典に耳を傾けている。私の努力はあなたの意識の中にそれらの黄金の頂点をすべて復活させることだ。だからあなたは「もしとても多くの人々が光明を得たのなら、私が光明を得られない理由はない。」という信頼を持つことができる。
 私がこれらの人々について話すことには一つの目的がある。あなたの運命はブッダであることだ、というあなた自身についての信頼をあなたの中に作ることだ。」


 300人の神秘家たち・・・・!
 アナンドがこれを本にしたかどうかは知らないが、あればぜひ見つけて手に入れたい。




 4月19日

 邦訳の「臨済録」は編集本だろうと思ったが、調べてみるとそうではないようだった。
 邦訳本は持っていないが、原書のpdfファイルは持っている。それによると全8章で、ファイルの容量は約408KBある。邦訳の「臨済録」はAmazonのデータで208ページ。拙訳の「真理の泉」は407ページで、これのpdfファイルの容量は614KB。この割合を比較して、
「臨済録」は編集本ではないことがわかった。確かに全章がマニーシャからの臨済にまつわる質問への返答だから、編集のしようがないだろう。
 ただ、Oshoの他の講話に比べればこれは特に短い部類に入る。



 前から気になっていた事で、ある情報でOshoの最初の英語での講話は「My Way : The Way of White Clouds」だと言われていたが、これは1974年の講話であり、邦訳はナルタンの訳で1980年に「マイ・ウェイ」として出ている。私の最も好きな本だが、これも現在は絶版になっていて手に入れることはできない。
 ただそうなると、これ以前の講話は全てヒンディー語なのか?ということになるが、「Yoga:The Alpha and The Omega」の講話はその1年前に始まっているが、これは英語の講話と記されている。

 そもそも、Oshoが英語で話すのは西洋人に対してであり、同じインド人に対してならヒンディー語で十分である。
 西洋人がOshoのところに集まり始めたのは1970年代初期のOshoがムンバイに住んでいた頃といわれている。
 「My Way : The Way of White Clouds」はOshoがムンバイからプネーに移った後に行われた最初の講話である。
 それ以前のムンバイでは、あのヴィギャン・バイラヴ・タントラ・シリーズの講話も行われている。パルバが12年かけて翻訳したものである。これがヒンディー語からの英訳という情報は知らない。

 結局のところ、よくわからない。


 ちなみに、ヒンディー語からの英訳で邦訳された本は、私が調べた限りでは、
 「瞑想・祝祭の芸術」、「セックスから超意識へ」、「死・終わりなき生」、「未知の扉」、「神秘の次元」、「秘教の心理学」、「グレート・チャレンジ」、「奇跡の探求」、「イーシャ・ウパニシャッド」、「知恵の種子」、「隠された神秘」、「シャワリング・ウィズアウト・クラウズ」、「インナー・ジャーニー」、「探求の詩」、「エンライトメント」、「死ぬこと生きること」
「真理の泉」がある。
 そして翻訳が済んで、まだ出版されていないものに「The Eternal Quest」。
 現在翻訳中のものとして、「Nowhere to Go but In」、「Krishna: The Man and His Philosophy」がある。


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 「臨済録」Oshoでネットを検索していたら、パルバの日記サイトに当たった。1997年のトピックスでずいぶん前だが、そこでサクシンが古いサニヤシンから嫌われていることについて書いている。そもそもはOshoのセレブレーションで、サクシンのサニヤシンたちがキルタンを歌い始めたことにパルバはショックを受けて、その非常にインド的な傾向が古いサニヤシンから批判されている要因だと解釈している。
 私自身はキルタンは好きだし、キルタンが嫌いなのはあくまでパルバの好みだが、その程度のことで古いサニヤシンから批判を受けるのかというところに、逆に私は????〜と思った。そういうところが逆に私が古いサニヤシンを好きになれない理由である。自分の持つ観念に合わないものを批判するところが〜。


 私自身は、サクシンについては何も知らないし、彼らの活動にも興味はない。ただ、翻訳を通して市民出版社と関わっているだけだ。

 パルバはサクシンの人たちをマイノリティー〜少数派〜と決め付けているが、これはバカげている。実際、私が知る限りサクシンほどの大きな活動をしている日本のOshoの機関・組織は他に知らない。出版物は最も多いし、ブックフェアも毎年盛んに催しているし、なによりクチワダのOshoの生家をリフォームしてその近くに瞑想・宿泊設備を建てたことは大きい。一番がんばっているではないか!それを批判する古いサニヤシンは何をしているというのだろう?彼らが少数派というなら、多数派は誰なのだ?

 まあ、これも約20年前の話だが、このセレブレーションに参加してリードしたらしい古いサニヤシンのニーラムはプネーのアシュラムに出入りすることを禁じられる。つまらないことだ。
 ウパニシャッドもサクシンに批判的らしいが、サクシンのどこが気に入らないのか知らないが、私にとってはウパニシャッドの方がウザく感じる。

 私は何の組織にも団体にも属していないし、傾倒もしていない。いわば私こそマイノリティーだろう。私は一人で歩いている。

 ただ、市民出版社とはウマが合う。出版したいOshoの講話の傾向が不思議と一致することが多い。だから市民出版社との関係はこれからも続けていきたい。




 4月20日

 ちなみに1997年頃の私は、Oshoの世界から離れて2年が経ち、この年に中古の一戸建て住宅を買っている。数年前にローンは完済した。この頃はサニヤシンの世界を最も嫌悪していた時期だが、同じ年にサクシンはクチワダのOshoの生家をリフォームして周辺に瞑想宿泊施設を建てている。

 このように私にとって時期的にOshoとシンクロしていることは多い。

 1974年3月、私は京都に移転して一人暮らしを始める。同年同月にOshoはムンバイからプネーに移っている。
 1985年、福岡のセンターを離れて大阪に戻る。同年にオレゴンのラジニーシプーラムが解体する。
 1988年、最初のOshoの翻訳をする。同年にサクシンが東京・西荻窪に開かれる。
 1990年、母親が死亡。同年にOshoは肉体を離れる。
 1992年、ドイツ人サニヤシンと結婚。同年に市民出版社が設立される。

 1997年、一戸建て住宅購入。同年にサクシンはクチワダのOshoの生家をリフォームする。

 神戸でサクシンのスタッフと初めて会った時、彼らの受容的な態度が私の知っていたサニヤシンの態度と違っていたのに驚いたことは前に書いた。その時、私が持っていた古いサニヤシンにある攻撃的で高慢な強いエゴのイメージは彼らにはなかった。ただ、センター・リーダーらしき女性には威圧感があった。2011年の時で、その頃でもサクシンと古いサニヤシンとの間に確執があることを知った。確執といっても、どうも古いサニヤシンが一方的にサクシンのやり方を批判しているらしいが。あれはOshoのワークではない、というふうに。
 私から見れば、サクシンの方がオープンな感じがしている。つまらないことに拘っているのは古いサニヤシンの方のように見える。

 サクシンがインド・スタイルのセレブレーションをすることに私はまったく違和感を感じない。私もインドは大好きだし、特に古典的なインドに関心がある。パルバがそれにショックを受けるというのが、逆に私はパルバに対して違和感を感じる。なぜショックを受けるのか?それがわからない。
 市民出版社が、Oshoのヒンディー語講話からの英訳に特に興味を持っているところも私と同じだし、そもそもOshoがインドに対して持っている愛は特別なものがあるから、インド的にやることには何も問題はないはずだ。それに対してショックを受けるというのは私には理解できない。


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 2015年1月に翻訳が完了した「The Discipline of Transcendence 」全4巻の仏教教義解説各章分類をやってみた。

  1巻 1章.・・・ 人四依 -- 須陀シ亘・斯陀含・阿那含・阿羅漢 - 大乗経典の「涅槃経」
  2巻 5章 ・・・ 自灯明 -- 「大涅槃経」
  3巻 7章 ・・・ 小乗・大乗・金剛乗
  4巻 1章 ・・・ 八正道 --「長阿含経」「中阿含経」「雑阿含経」「大涅槃経」「大般若波羅蜜多経」「阿毘達磨倶舎論」
    7章 ・・・ 十地 ----「十地経」=「華厳経」
    9章 ・・・ 十波羅蜜 -- 「華厳経」

 私も仏教はあまり詳しくないから、今わかる段階ではこのようになる。

 宗教とはそもそも仏教用語である。仏教はバラモン教から派生したものという考えは違う。バラモン教という宗教はない。それは一つの宗派ではない。それは全てヴェーダに帰するが、これは数多くの賢人・聖者たちからの教えをまとめたもの、と言える。だから体系化されていない。ただ、共通の真実を持っている。アートマン(個人的原理)を肯定する。
 仏陀はこれ---アートマン---を否定し、「空」を説く。このように説いたのは仏陀以外にいない。

 一般的な宗教のイメージは、教祖がいて、それを盲信する信者がいて、その団体がある、というもの。
 本来の、インドの宗教は、教祖=人よりも、教え=法(ダルマ)を重視する。だから各聖者の生涯は記録されなかった。
教えが理解できない凡人は、教祖を崇拝し始める。ここから信仰が始まる。



 4月24日

 翻訳は完全な受身作業であり、自分のマインドを吐き出すというバランスをとるためにもこの日記は役立っている。


 2011年から、ここでは主に自分のOshoにまつわることを書いてきたが、大方書きたいことは書いたように思える。読み返してもけっこう同じ事を繰り返して書いていたりする。
 書くことで自分のマインドを整理できる。自分のためのHPであり日記だから、好き勝手なことを正直に書いている。まったく自分のために書いている。




 4月26日

  「他人なんて回避しなさい。あなた自身でありなさい。」というOshoの言葉が、昔は妙に印象的で気になっていた。本当にそれでいいのか?という感覚だ。他人を回避することは他人から逃げることではないのか?という疑問があった。それは私自身の経験不足がまだその意味を把握できていなかったのだろう。当時としては、この言葉は自分に言い聞かせるものであり、そうすることは自分をそのように仕向けることでもあった。

 その後、人生のどん底を味わった頃、誰も自分を助けてくれないことを実感した。まったくの孤独感を味わった。
 今、一人でいることは、他人を回避していることではない。別に避けようとしていない。そもそも何も期待していないから、期待できないことが嫌というほどわかったから、ただ関わっていないだけ。関わる意味も必要性も自分にはない。避けようとすることは、まだ他人に対する関心がある証拠だ。でなければ、なぜ避けるのだ?避けるという行為は他人に向けられている。つまり、そこには他人が存在している。葛藤がある。
 今の私にはそんな葛藤はまったくない。

 もう一つ、「あなた自身でありなさい。」・・・。これも、そうしなければならない、ということではなく、そうするしかない、という感じだ。他にどうしようがあるだろう?他人の存在が自分から消えたのなら、自分自身でいるしかない。当然の結末だ。


 Oshoの言葉は、自分が経験を積み重ねることによって、その意味がわかってくる、というものが多い。つまり、頭だけで理解するのではなく、実感して初めて自分の理解になるということだ。








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