10月 4日
OshoのPhoto Historyを作成。 何度も書いているけれど、他のOshoに関する日本のサイトはまったく頼りにならない。情報が少なすぎる。
自分にとって必要なものは自分で作るしかない。
このホームページ自体は 2008年10月4日に作り始めたが、このOshoのページはいつから作り始めたのか記録していない。
一応、Osho日記は2011年3月25日から始めているが、これはもともと普通の日記に書いていたもので、後になってOshoに関連するものだけを選別してOsho日記とした。
最初の翻訳「アティーシャの知恵の書」を始めたのもこの頃で、この翻訳を通してOshoへの理解、見方が変わって受け入れられるようになったのだから、Oshoのページを作ったのはその後ということになる。でなければ、そんなページを作りたいとは思わなかっただろう。 だから、たぶん2011年の秋頃のことだろう。
日記を最初から読み返すと、けっこう内的な葛藤が綴られている。それは自分にとっての内省という意味ですごく役に立ったと思っている。
今は当時に比べてすごく軽くなったから〜〜
10月 5日
Osho「探求の詩」より〜〜
Oshoがインドの宗教に輝く人を12人を挙げると、
クリシュナ、パタンジャリ、仏陀、マハヴィーラ、ナーガルジュナ、シャンカラ、ゴラク、カビール、ナナク、ミーラ、ラーマクリシュナ、クリシュナムルティ
7人では〜
クリシュナ、パタンジャリ、仏陀、マハヴィーラ、シャンカラ、ゴラク、カビール、
・・・ナーガルジュナとクリシュナムルティは仏陀に含まれる。ラーマクリシュナはクリシュナに入れられる。ミーラとナナクはカビールになる。
5人では〜
クリシュナ、パタンジャリ、仏陀、マハヴィーラ、ゴラク、
・・・カビールはゴラクに含まれる。シャンカラはクリシュナに含まれる。
4人では〜
クリシュナ、パタンジャリ、仏陀、ゴラク、
・・・マハヴィーラは仏陀と大差はない。
3人は・・・無理。
クリシュナは愛の道、パタンジャリはヨーガの道、仏陀は瞑想の道、ゴラクは全ての道の原石と言える。
それで、
仏陀は「超越の道 The Discipline of Transcendence」4巻を翻訳済み。
パタンジャリは「Yoga- The Alpha and the Omega」2,3,4巻を翻訳済み。現在5巻を翻訳中。
クリシュナは「Krishna - The Man and His Philosophy」1,2,15,16章を翻訳済み。他の章をぼちぼち翻訳中。
これまで翻訳出版された本と、その原書を対比させてみる。
翻訳済みの出版待ち〜、原書を所有しているものだけ・・・
現在翻訳中〜、原書を所有しているものだけ・・・
10月 6日
1989年12月にOshoは21人からなるインナー・サークルを作る。そのメンバーとその後の状況は・・・
スワミ・アムリット (Oshoの主治医) ................... OIF (ニューヨークに移転)
スワミ・アミターブ
マ・アナーシャ
マ・アナンド
マ・アヴィルバヴァ .................................................
1991年に離脱。コミューンを離れる。
スワミ・チテン
マ・ガリモ
マ・ハシャ .......................................................................
1991年に離脱。コミューンを離れる。
ジャヤンティーバイ(スワミ・サティヤ・ボディサットヴァ)
スワミ・ジャイエッシュ ............................................ OIF
(ニューヨークに移転)
マ・カヴィーシャ .....................................................
1991年に離脱。コミューンを離れる。
マ・ムクタ
マ・ニーラム ............................................................
2000年頃に離脱。コミューンの入場を拒否される。OSHO WORLD
マ・ニルヴァーノ (元ヴィヴェック) ....................... 死亡
スワミ・プロティヌス
スワミ・プラサド
スワミ・サティヤ・ヴェーダント (Osho The Luminous Rebelの著者)
スワミ・タターガット
マ・トゥリヤ
スワミ・ヨギ ............................................................
1991年に離脱。コミューンを離れる。
マ・ザリーン
上記のメンバーは設立当初のメンバーで、既に8人が去っている。新たにマ・アムリット・サダーナ、スワミ・サハジャナンドが加わっている。
アムリットやジャイエッシュを中心とするOIFによるOshoの出版への規制強化に対抗するために、ニーラムのOSHO WORLDは非常に助けになっている。
10月 7日
Yoga- The Alpha and the Omega 5巻の6章から、Osho Times 66号に引用されていたもの〜〜
「私を釈明しようとしてはいけない。誰にも私の釈明などできない。・・・・・
世間はそれなりのやり方で進む。人々にはその人なりのマインドがあり、自分の意見がある・・・・。そして私がしているのは意見というものを粉砕すること、伝統を粉砕することだ。
わかっている。私をまったく知らない人が私に反対するようなことを何か言えば、私を長く知っているあなた方がそれを聞くと、傷つき、それと闘いたくなるだろう。が、闘ってはいけない。・・・・
無関心、完全な無関心こそが唯一あなたに必要なものだ。私を理解しない人たちはそれを続けるだろう。だからもしそれに反応すれば、あなたは彼らを元気づけることになる。無関心でいなさい。
・・・・ そして私は、普通の大衆に私が正しいか間違っているかを説得するためにここにいるのではない。
私は大衆にはまったく興味がない。私の関心は選ばれたわずかの人たちにしかない。私はその人たちに働きかけるためにここにいる。」
1975年7月の講話だ。
そして1989年のプレスリリースから・・・・
アムリットからの伝言で〜
「Oshoは最近、自分はもう話していないのだから、みんなは本を買って、読んで、その哲学を理解するようにすべきだ、と言いました。・・・・、また、Oshoはこう言いました。この愚かしい世界の中では、我々は本当の少数派に過ぎない。我々はこれらの言葉を外に出すために、自分でできるだけのことをしなければならない、と。それで、Oshoはここにいるみんなに、彼はもう話していないのだから、彼の言っていることと接触を保っているために、彼の本を読むように、と提案しました。」
それでもそのアムリットが、ニューヨークでOIFなる権力機構を勝手に立ち上げて、Oshoの本の出版に規制・圧力を強いているのだからあきれてしまう。
10月 8日
2日前のことだが・・・・ 市民出版社から他の人が訳したOshoTimesのチェックを頼まれる。
翻訳者は中年のプロの人らしくて、名前からしてサニヤシンのようだが、Timesの翻訳は初めてとのこと。訳語の言葉選びからしてOshoの翻訳に慣れていないことがわかる。訳語に苦労していて自信を持っていない。
プロでもOshoの翻訳には苦労するのだ、ということを知っておもしろかった。
また、本人の考えから、原文の意味がおかしいと判断したところは、常識的な視点から意図的に原文とは違う意味に訳しているところもある。
つまり、この翻訳者は、Oshoの言っていることは間違いだと思うところは、その間違いを翻訳で正している。
これはもう翻訳ではない。翻訳者の考えを書いているにすぎない。
確かに常識的に、または歴史的に見るなら、Oshoの言っていることはおかしいと思われる所はよくある。それは最初の翻訳者プラブッダさえ直接Oshoに指摘している。だがOshoはそのまま訳しなさいと言っている。だからこの人の意訳した部分は原文通りに訳し直した。7日丸1日でこの作業を終えて返送する。
私は、Oshoの翻訳では意訳はしない。たとえどんなにおかしなことを言っていようとも、あきらかに間違ったことを言っていようとも、Oshoがそう言った言葉をそのまま原文通りに訳するだけ。
Oshoがどういう意図でそう言ったのか、それはわからない。ただ、確かに言える事は、Oshoは講話で知識を伝えているのではないということだ。
これまで訳してきても、内容的におかしいと思った話は多い。しかし、おかしいと思うのは自分のマインドである。どう思うかは自分の勝手だが、それを翻訳に反映させるべきではないだろう。
翻訳は完全に受身であるべき、媒体であるべき、というのが私の最初からの翻訳のやり方だ。つまり、自分のエゴやマインドを翻訳に介入させないこと。だから直訳に近い形で翻訳している。読みやすさは二の次にしている。できるだけOshoが言った言葉をそのまま正確に伝えたいだけ。
結局、明け渡しとはそういうことじゃないの?
10月10日
Oshoが肉体を離れた1990年以降のサニヤシンの動向を、知っている限り大雑把にまとめた〜〜
1990年: この年の後半頃にOIFが設立される。スワミ・ジャイエッシュ、スワミ・ムケシュ、スワミ・アムリット
1991年: 三重県でシャルノを中心とした日本マルチバーシティ計画が起こる。
1992年: ★インナー・サークルから4人が離脱。マ・アヴィルバヴァ、マ・ハシャ、マ・カヴィーシャ、スワミ・ヨギ、
このメンバーは後にセドナのOshoアカデミーを作る。
市民出版社設立。
1993年: OEJ、和尚アートユニティ設立。
1995年: オウム真理教強制捜査に伴い、各マスコミからオウム真理教とOsho〜そのワークと日本人弟子〜を混同した報道がなされる。
1997年: ★クチワダのOshoの生家が補修される。(サクシン)
2000年: ★インナー・サークルからニーラムが離脱。デリーにOsho Worldサイト設立。キルティが代表(?)
7月: Oshoドメイン裁判--Oshoworldというインド人達がやってるホームページに対して、Oshoという名前(ドメインネーム)を使うなと、
OIF和尚インターナショナルファウンデーションが裁判を仕掛けて、2000年7月OIFが敗訴した。
2003年: 玉川信明、独自にOshoの編集本を4冊出版。
2004年: Osho Mixiコミュでアシュラムに関する疑問・議論が湧き上がる。
2005年: 「アメリカへの道」の翻訳出版支援要請。
2006年: 過去1991年シャルノの企画で持ち上がったマルチバーシティ運動が、ここで再び立ち上げられる。
ただ、その宣伝文句だけで、その実態、具体的な活動、現状はまったく不明。
2009年 8月10日: Osho記念図書館 『無門館』のお知らせ。---その後の進展は不明。
2010年 2月14日: ★プネー、ジャーマン・ベーカリー爆破事件。死者9人、負傷者45人。
2013年: 山川紘矢/亜希子の翻訳者によるOshoの編集本「Joy 喜び」が発行される。
阿部敏郎により初期のOshoの邦訳本の版権が買い取られ、まず「究極の旅」が改訂再販される。
2015年 4月: シャルノ亡くなる。
2017年 2月: ミーラ、南アフリカで亡くなる。
個人的には、2000年頃にニーラムによって設立されたOshoWorldを支持しているし、このサイトには本当に助けられている。
2013年頃に一時的なOshoの再ブームが訪れたが、今はまた静かになっている。
現実的に、OIFへの抵抗・抗議は無理だということ・・・・?
プネーのアシュラムのリゾート化された雰囲気は変えられない、ということ・・・・?
出版に関しては、OIFもOshoをカルトと誤解されたないために、その誤用に使われそうな情報を消しているし、日本の出版社も、スピリチュアル・神秘的・霊的な傾向のものは控えているらしい。だからナルタンの新刊は大手から出版できなかったらしいし、それで「サイレント・エクスプロージョン」の出版も当面は見合わせているらしい。
ようするに、すごく不自由な、締め付けられた状況と言える。
結局は、霊的知識に対する無知と偏見から、このようなびびった状態になっているのだろうが、Oshoはそういったことを壊そうとしてきたのに、現状はこれもOshoと真逆の方向に進んでいることになる。
10月13日
Yoga- The Alpha and the Omega Vol.5 の5章の翻訳に移る。この章は瞑想社から出ていた「魂の科学」の4章:「8つの段階」の元々の章である。
「魂の科学」は前にも書いた通りYoga- The Alpha and the Omega 全10巻の編集本である。この「魂の科学」では、この章のタイトルは
The Eight Steps 「8つの段階」となっているが、オリジナルのYoga- The Alpha
and the Omega Vol.5 の5章のタイトルは The eight limbs of yoga となっている。
このlimbという言葉をどう訳するか、まだ迷っている。基本的には「枝」〜分枝、または手足、または翼という訳語がある。ニュアンス的にはわかるが、「ヨーガの八つの・・・」となると適当な言葉が浮かばない。とりあえずは「翼」にして「ヨーガの8枚の翼」としたが、翼なら別にwingという言葉もある。このあたり、編集本の「魂の科学」ではこの章のタイトルを単純に変えている。
この本を参照したときに気づいたが、この本の発行者、つまり瞑想社の現在の社長である近井俊雄になっている。
この瞑想社はもともとヴィラーゴ(西原雅文)が社長だったので、いつ社長が代わったのかを調べたら、1994年刊の「ダンマパダ」「秘教の心理学」では西原雅文になっていて、2003年刊の「不滅の言葉」では近井俊雄になっている。
つまり、1994年から2003年の間に社長が交代したことになる。そしてこの間、瞑想社からはOshoの本は出ていない。約10年のブランクがある。
現在、この瞑想社は主宰がサーンキャ・ヨーガ・アシュラムとなっていて、Oshoとは全く関係なくなっている。ただ、ヴィラーゴの瞑想社時代から引き継いだOshoの本を出しているにすぎない。そしてその大方は既に絶版になっている。
ちなみに、前社長のヴィラーゴは翻訳としても「瞑想・祝祭の芸術」、「ダイヤモンド・スートラ」、「マイトレーヤ」など貴重ないい本を残している。
現在はどうしているのか行方がわからない・・・・
10月16日
Yoga- The Alpha and the Omega Vol.5 の5章のタイトルは、limbは翼ではなく普通に手足だった。それで「ヨーガの八本の手足」となる。
それはOshoが講話の中でそう言っている。段階でもあり手足でもある、と。段階ではそれぞれが梯子の段のように分離している印象があるが、手足だとそれは分離しておらず、有機的に関連し合ったものになる。Oshoはそういう意味で手足という言葉を使う。
それでも・・・、タイトルに「ヨーガの八本の手足」とくると、正直わけがわからず混乱する。タコの間違いではないか?と・・・・
1980年代の東京のセンターは、オレゴンのコミューンのシーラの言いなりだったという声がある。たぶんシャンティユガのことだろう。シャンティユガ、と言って、知らない人は別に知らなくてもいい。
要点は、オレゴンのコミューンが崩壊してシーラとその一味が逃亡した後、そのシャンティユガのスタッフたちは何を感じたのか、だ・・・
センターを運営するということは、ある種の拘束を受ける、ある組織に逆らえない、という状況になるのだろう。
シャンティユガはラジニーシプーラムに逆らえなかった。サクシンは出版していく限りOIFには逆らえない。他にも、Osho
JapanやOEJなどは、あからさまにプネーのコミューンについて批判することはできないだろう。つまり本音が出せない。きれいごとしか自らのサイトには載せられない。そのため、それぞれのサイトからだけでは、その本当の姿が見えにくい。
私はどのセンターにもどの組織にも属していない。完全に自由な立場にいる。だからこの自分のサイトで好き勝手なことが書ける。
10月20日
ある人からメールで、Yoga- The Alpha and the Omega Vol.5 の5章のタイトルの、limbの訳語についてご意見をいただいた。とても参考になった。
それよりも、この日記がよく読まれていることに恐縮した。私のサニヤシンに対する愚痴もみんな読まれているのだろう〜〜
ともあれ、The eight limbs については8支則という訳語が定着しているらしい。伝統的ヨーガの世界では〜〜
ここが難しい。一般的に普及している言葉でも、Oshoは独自の観点からそれについて語っているので、その一般的な言葉をそのまま用いると、文脈上で違和感が生まれやすい。それがよく感じられるのが、同じ章で、この8つの段階を言葉にしたもの〜
あくまでこのYoga- The Alpha and the Omega Vol.5 の5章で用いられている言葉では〜
ヤーマ - Self-Restraint
ニヤーマ - Fixed Observance
アーサナ - Posture
プラーナヤーマ - Breath Regulation
プラティヤハーラ - Abstraction
ダラーナ - Concentration
ディヤン - Contemplation
サマーディヤ・アシュト・アンガニ - Trance
この英語はOshoが使った言葉であり、私はそのまま、自制、一定の行、坐法、調息、抽出、集中、黙想、法悦(トランス)と訳した。
トランスはほとんど日本語としても通用するが、私はあまりカタカナ英語をそのまま使うことが好きではない。どうしても無理な場合を除いて、できるだけ日本語に訳そうとしている。アーサナは普通に坐法として知られているからそれに従ったが、英語のPostureでは単に姿勢になる。ディヤンはそのままでは瞑想だが、英語のContemplationでは黙想になり、瞑想だとMeditationという言葉がある。
これが他の本の訳語では〜
「魂の科学」(ソパン訳)では、 自制、戒律、坐法、調気、捨象、集中、黙想、没我
「インテグラル・ヨーガ」では、 禁戒、勧戒、坐法、調気、制感、集中、瞑想、三昧
「世界の名著・バラモン経典」の
ヨーガ根本経典では、禁戒、勧戒、坐法、調息、制感、凝念、禅定、三昧
ネットでは、 禁戒、勧戒、坐法、呼吸、感覚の制御、集中、瞑想、三昧・・・・となっている。
それぞれの原語は知らないので、これらの訳語の妥当性はわからない。
ほぼ共通している言葉もあれば、意味のよくわからない言葉もある。「魂の科学」で訳された「捨象」という言葉はよくわからない。
ここでも最初に書いたように、一般的に使われている言葉をそのままOshoの翻訳に使うなら、Oshoのその言葉についての話とつじつまが合わなくなる。
特に苦労している言葉が、ニヤーマ - Fixed Observance。直訳では確固たる(一定の、固定した)遵守(儀式、習慣)。まあ、どう訳しても堅苦しく重たくなる。他の本の訳語では「戒律」「勧戒」、私は一応「一定の行」と訳した。Oshoはこの言葉の解釈を規則正しい行いと言っている。
正直、この言葉から「戒律」「勧戒」という訳語が出てくることが理解できない。おそらく元の原語〜サンスクリット語からの英訳〜が違っているのだろう。
次に苦労している言葉が、プラティヤハーラ - Abstraction。直訳では「抽象」。Oshoのこの言葉の解釈は、原点に戻る、という意味にとらえていて、これをキリスト教は「悔い改める」と誤解したと言っている。
で、抽象と戻ることの関連性がわからない。苦し紛れだが「抽出」という言葉を選んだ。戻ることによってその原因を、種を抽出する、と理解して・・・。本来、「抽象」という言葉がその意味を持っているのだが、それが読む人にどこまで伝わるかがわからない。まだ、抽出の方がましだろうと解釈した。
他の本では、捨象、制感、感覚の制御・・・・、意味がわからないし、そのままでは全く使えない。
あくまで、Oshoの説くパタンジャリのヨーガ、という話だから、伝統的ヨーガの立場からは異論が出るかもしれなくても、私はOshoが言った言葉をそのまま訳することにする。
そもそも、伝統的ヨーガが真実であるかどうかは知らないし、そういうものに疑いを持ち、検証して真実を理解することがOshoの教えだからな〜〜〜
10月22日
ダルシャン日誌は、本としては47冊出ているが、現在ではほとんど全て入手不可能だろう。手に入っても高価だろうな。Osho
Worldでは、このダルシャン日誌のpdfファイルは、なぜか13冊目の「The Shadow
of the Whip」がない。他の1冊目から46冊目までは全てある。47冊目の「The Sound
of One Hand Clapping」もない。
この2冊は持っているから、翻訳的には問題ないし、「The Sound of One Hand
Clapping」は他の人が翻訳済みで出版社に保存されている。
現在はOIFの権限でダルシャン日誌の出版は禁じられている。翻訳者がこの最後のダルシャン日誌をなぜ翻訳したのかわからないが、Osho
Timesではけっこうダルシャン日誌からの引用が多い。それだけ内容的に興味深いということになるだろう。
これこそ、編集本で出した方がいいようなシリーズだな。私はこの洋書を30冊所有している。翻訳する材料には事欠かない。ただ、死ぬまでにできるかどうかはわからない。
10月24日
ラジニーシ・ニューズレターのバックナンバー 10号と13号をネットの古本屋で購入する。これで持っていないバックナンバーは100冊中11冊になる。この2冊は1979年の頃。小冊子になる前の新聞形式で、翻訳はソパン。「ダンマパダ」や「魂の科学」の翻訳者。発行は最初のセンターであるアッシーシ。
この頃の私は東京に住んでいたが、まだOshoへの関心はそれほど強くなく、アッシーシの存在も知らなかった。たぶん知っていても訪ねなかっただろうな。長髪と髭面のヒッピー的な雰囲気が好きではなかった。
でも、この頃のサニヤシンの活動が一番よかったのかもしれない。始まりの頃で何の制約もなく、自由に素朴にやっているように感じられる。
その頃の私にとってのOshoは数多くいるスピリチュアルなグルたちの一人にすぎなかった。他にはクリシュナムルティ、マハリシ・マヘッシ・ヨーギ、オルダス・ハックスリー、チョギャム・トゥルンパ、ババ・ラム・ダスなどを知っていたが、まだ美術や音楽の方に興味が強かった。
そのままずっと東京に住んでいたなら、Oshoの弟子にはならなかったかもしれない。そうしたら今のように翻訳などしていなかったかもしれない。
10月26日
マルチバーシティ・ジャパンとは、そもそもはシャルノが1991年に立ち上げたものだったが、ただの観念だけで何の具体性・実現性もなく立ち消えて、それから2006年にDeva
Yoshiroというサニヤシンが再びこの構想を掲げている。その頃はシャルノもまだ存命中だったから、その構想の中心にシャルノを置いている。
その概念は非常に美しい理想的な言葉で飾られているが、何の具体性も感じられない。そのベースは「山の椒エコビレッジ」というコミューンにあるようで、2011年頃にはBaveshも一役買っているようだが、この頃の情報を見る限り、どこかの自然豊かな土地にようやくそれなりの施設を造り始めたような状態である。
ようするに自然回帰的コミューンの一つだろう。
このようなエコロジー重視志向の自然回帰は、そもそもは日本人最初のヒッピーと言われた詩人山尾三省が屋久島に住みつき、その後プラブッダも屋久島に移住して地球ガイアという概念を発信していく。それ以前には、ヒッピーくずれの連中が福島に「獏原人」というコミューンを作ったり、他にも藤門弘の「アリス・ファーム」、「オーク・ヴィレッジ」などがあった。一つのブームの観はあるが、コミューンとして持続させていくのは現実的に難しいだろう。
サクシンは、山梨にOshoプレム・コミューンというものを作っているが、これも東京での経済的な基盤があればこそ運営できるものだろう。
要は、単なる自然への憧れだけではうまくやっていけないということ。田舎に住むとなると、その現地の人との交流も大切になるし、意外とこれが問題の種にもなる。その土地の慣習になじまなければならない。土地の人が新参のよそ者をすんなりと受け入れてくれる保証はない。
実際、地方の過疎化、老齢化は急速に進んでいて、さらに少子化も相まって、廃村となる地域はこれから増えていくだろうから、そういうところにコミューンを作ろうとする考えはおもしろいだろうが・・・・。
ともかく、そんな田舎に人の生活できる設備を整えるのは、都会に住むよりも結構不経済な事が多い。インフラは整備されていないだろうし、まず、車がなければ何もできない。
だから実際、この「山の椒エコビレッジ」というコミューンが、マルチバーシティ・ジャパンという理想概念をどこまで実現させられるのか知らないし、私は正直、あまり期待していない。少なくとも、2017年の現在、PCネット上ではそれに関する情報は全く手に入らない。
Osho自身は、オレゴンでのラジニーシプーラムのコミューン崩壊後、コミューンを作らずに世間の中で生きなさい、と告げている。
どんなコミューンも、いずれはそれ自体が世間に、組織に、社会になる。最初の理想・理念がどれほど素晴らしくても。エゴと欲望を持った人間たちが集まって何かをしようするなら、結局はドロドロした醜い状態になりやすい。
だから私は、今ではどんなコミューンにも、どんな集団生活にも興味はないし、憧れもない。一人でやっていくほうがいい。そしてネットがあるおかげで、さまざまな情報が手に入りやすい。一人で生きやすい時代だと言える。それは自分にとっては非常にありがたい。
一つ、夢を言えば、今話題のAI(人工知能)を利用して、スピリチュアルな情報を、図書館のように管理し、翻訳作業をもっと早くできないものか、と思ったりする。
Amazonで「Zen: Zest, Zip, Zap and Zing」の本は完全に消えてしまった。あのタイミングで購入してよかった。しかもあの低価格で・・・・。ほんの数日間の出品だったから奇跡のような瞬間だったな〜〜