6月11日

  5月25日に「The Long and the Short and the All」の翻訳が完了し、市民出版社へ送る。

 折り返し、「And Now, And Here」の校正作業が始まり、6月7日に返送する。6月16日に印刷所入稿の予定らしく、最後の追い込みに入っている様子。第一章を「魂のヨーガ」の翻訳者ムグダに直してもらい、だいぶ読み易くなった。

 ひと段落着いたところで、少しOshoから離れて、神智学の「シークレット・ドクトリン」を見てみる。自動翻訳で大まかな内容を掴んで、興味あるところだけ訳してみたいのだが、調べてみると、第二巻のパート1にアトランティスとレムリアに関連する話が多い。
古代インド思想に関係した話の流れもあり、このあたりは訳してみたい。

 ・・・まあ、たぶん死ぬまでこんな調子の生き方を続けることだろうな・・・他にしたいことはもうないし・・・




 7月5日

7月初めにOshoの翻訳で3冊目が出版された。日本語タイトルは「死ぬこと生きること」
原題は「And Now, And Here」 直訳すれば「そして今、そしてここ」になるが、全編が死と生のメカニズムについて語られた内容で、このタイトルは出版社が決めたもの。

原書は上下巻に分かれていて、これはその下巻の部分。上巻は1989年に講談社から「死・終わりなき生」として出ている。

      

内容としては、この下巻の方が上だと思うが、1969年と70年にヒンディー語で語られたのを英訳されたもの。
Oshoが38歳の頃の講話。でも、その洞察力の深さにはいつも感心されられるが、

翻訳は去年の夏から4ヶ月くらいで出来上がったもの。約440ページほどある。

それまでに別の翻訳を二冊分進めていたが、出版社の要望で、この本を優先して出すことになった。
とりあえずの予定としては、今年の秋か暮れまでにもう一冊私が翻訳したものを出すらしいが・・・

出版社がこの本を優先して出すことになったのは、同じOshoの死についての講話の翻訳が別にこの夏〜9月頃に出るらしいので、それより先に出そうという思惑からで、ネットで見てみると、その本のタイトルは「生きること死ぬことのアート」というらしくて、なんとも、この「死ぬこと生きること」と似ていて紛らわしい。
こちらとしては、先に出版して正解だっただろうが、果たしてこの本はこのタイトルで出す予定なのだろうか?
これは原書が「The Art of Living and Dying」という編集本。確かに邦題もそのままだ。

ちなみにこの「死ぬこと生きること」は、ネット上では、楽天ブックスの哲学・思想ランキングで6位に入っている。
ちなみに、江原啓之の「あなたは『死に方』を決めている」が16位に、中村天風の「幸福なる人生」が8位に来ている。
中村天風については、旧名おおいみつるの名で出た「ヨーガの里に生きる」という本を読んだくらい〜

ただ、この時点では、市民出版社のHPにはこの新刊書について紹介していない。5月1日から更新されていない。
とりあえず、現在出版社には一冊400ページ分くらいの分量で5冊分の翻訳を届けてある状態。

現在翻訳中は、仏陀の経文からの講話で、全4巻の3巻目。早ければ4巻まで今年中には終わりそう。




 7月10日

ネットのhontoネットストアというサイトで、この「死ぬこと生きること」がインド哲学ランキングの第一位をずっと維持している。このランキングがどれほどのものなのか、よく知らないが、2位以下にはあの「Joy喜び」や、大乗仏教・空と中観の本、ラーマクリシュナなど、以前はパラマハンサ・ヨガナンダやラマナ・マハリシの本が並んでいた。

 実際、「死ぬこと生きること」がどれほど売れているのか、数値的にはまったくデータが出てこないが、すでに楽天ブックスでも注文できない商品と表示されているし、Amazonでも入手不可能みたいな表示が出ている。

 Amazonは相変わらず本の案内画面の情報がずさんで、最初表示されていた私の翻訳者としての名前は消えているし、他のサイトではみんな掲載されている表紙の画像も未だに載っていない。以前の「知恵の書」の時も同様で、それはこちらから指摘したため修正されたが、今回はもうほっといておく。


 そもそも、Oshoの本はそんなに大衆受けする内容ではない。大きな売れ行きを期待できるものではない。「Joy喜び」が既に一万五千部ほど売れているらしいが、その理由はやはり翻訳者の山川氏の知名度と、このタイトルの良さにあるのだろう。

それに便乗して、阿部敏郎氏が初期のOshoの邦訳本の版権を買い取って、それで再販した「Tao 永遠の大河」4部作も売れているらしいが、やはり売れるきっかけを作ったのは阿部氏の名前によるものだろう。

 つまり、どこまでOshoの教えに共感し、理解して、本が売れ出しているのか、というところに、個人的には疑問を感じてしまうのだ。
巷のスピリチュアル系によくあるような、引き寄せの法則だとか、プラス思考で願いを叶える、というような、いわゆる現世的・世俗的な欲望・願望を満たすための方法は何も言っていない。そういうものを期待すると失望するだろう。

 Oshoの教えのキー・ポイントは常に、エゴを消すこと、マインドに囚われないこと、気づくこと、観照することだ。
だからOshoの本を読むことは、知識を得ることではなく、ひとつの瞑想、自己洞察の道になるわけで、だから大衆受けしない、と思える。
実際、Oshoの本を読むことは、自分の真実の姿に面と向き合うことでもあるので、精神的に厳しい時もある。


 だからマニア向けとも言える。大衆的ではないが、必要かつ重要な本には間違いない。禅文化研究所や他の禅の僧院などては、Oshoの本を教材に使っているという話もある。

 その真の価値を感じ取れる人が一人でも多く現われることは喜ばしいことで、わかる人、真実を求めている人は必ずどこかにいるはずで、だからこそOshoの本は売れなくても絶版扱い・入手不可能状態にしてはいけないと思うし、その意味ではこの訳者・山川氏や阿部氏の功績は大きい。


 実際、Oshoも、真実は人を不快にさせる。嘘は人を心地よくさせる。と言っている。
また、私は大衆に語っているのではない、私は選ばれた人たちだけに語っている、とも言っている。


 英語の原書は全てネットで自由にダウンロードして読めるのに、日本語の訳本はかなりの数が絶版になっていて、ネット・オークションで高値で出品されている。このあたりのジレンマをどうにかしたいが、別に大量には売れなくてもいいから、とりあえずは現物・本自体を確保し、求める人には入手できるようなシステムができないものだろうか・・・・・





 



Osho日記 2014年 6月, 7月

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