天皇系図

古墳・天皇陵

『古事記』に記載、無し。『日本書紀』、『延喜式』によれば、檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)に葬られた。
同陵は奈良県高市郡明日香村平田の梅山古墳(前方後円墳・全長140m)に治定されているが、橿原市の見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)とする説もある。なお、檜隈坂合陵には後に612年(推古天皇20年)に堅塩媛が改葬されている。

欽明天皇(きんめいてんのう、継体天皇3年(509年) - 欽明天皇32年4月15日(571年5月24日))は、第29代の天皇(在位:宣化天皇4年12月5日(539年12月30日) - 欽明天皇32年(571年)4月15日)。天国排開広庭天皇志帰嶋天皇斯帰斯麻天皇(しきしま)とも。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。

陵名は檜隈阪合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)。 全長約140m、後円部径72m、前方部107m、墳丘は3段築成で周濠を持ち、明日香村内では唯一の前方後円墳である。
「日本書紀」によれば、欽明天皇は32年(571年)4月になくなり、9月に檜隈阪合陵に埋葬されたとある。欽明天皇の妃で推古天皇の母、堅鹽媛(きたしひめ)を推古天皇20年(612)に合葬し、28年(620)10月には砂礫を檜隈陵の上に葺き、土を積みて山を成し、氏ごとに大柱を土の山の上に建てさせるという記事が見える。

明日香村

(きんめい)

奈良県明日香村

第29代 欽明天皇陵

2009年5月30日

★地図

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