奈良

奈良

崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。
元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。
しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。
現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。

明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の龍田大社の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。

由緒沿革
産土神、風宮龍田神社の御祭神は天御柱之大神、国御柱之大神の二荒御魂と龍田比古之大神、龍田比女之大神、陰陽二柱の皇神である。風雨を鎮め水難、疫病を防ぐ神と楓・桜等の四季を司る神を祀る。五穀豊穣、息災長寿天地萬有厄除の神である。他に末社として十二社を祀る。
十代崇神天皇の御代に年殻の凶作が続いた時、帝自ら卜占いをもって占い、天神地祇を瀧田山の聖地に祀られた。後聖徳太子が推坂山で法隆寺建立の地を指示された龍田大名神を法隆寺の守護神として鬼門除紳として法隆寺建立と同時に御廟山(錦ヶ丘)南麓の地に祭られた。(聖徳太子伝私記より)
中世は法隆寺より別当坊三十口を給う。龍田三十講、平群四十八郷の産土神として莊厳なる祭儀を行った神宮である。         −境内の由緒板より−
 
御祭神 右社殿 龍田比古大神 (たつたひこのおおかみ)
龍田比女大神 (たつたひめのおおかみ)
本殿 天御柱大神 (あめのみはしらのおおかみ)
国御柱大神 (くにのみはしらのおおかみ)
左社殿 天児屋根大神 (あめのこやねのおおかみ)
外三神 
左社殿 瀧祭大神
奈良県生駒郡斑鳩町龍田一丁目

2009年5月24日

神社

龍田神社

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