仏陀に関する講話

 かつてある男が仏陀に唾を吐きに来た。----実際に、だ。仏陀は顔を拭いてその男に尋ねた。「御仁、あなたは他に何か言うことがあるだろうか?」その男は途方に暮れ、困惑した。彼はこのような反応を期待していなかった。彼は仏陀が怒るだろうと考えていた。彼は自分の目が信じられなかった。彼はものが言えず、呆然としていた。
 仏陀自身の弟子、アーナンダは彼の側に座っていた。彼は非常に怒り狂っていて、仏陀に言った。「これはどういうことですか?もしあなたが人々をこのようにさせたなら、生は不可能になるでしょう。あなたがただ私に言ってくだされば、私は彼を正しくさせるつもりです。」彼は、このアーナンダは強い男だった。彼は戦士だった。彼は仏陀にとって従兄弟だった。彼自身が王子だった。彼は非常に怒っていた。彼は言った。「何という馬鹿げたことか。ちょっと私にヒントを与えてくだされば、私は彼を正しくさせましょう。」
 仏陀は笑い、そして言った。「彼は私を驚かせなかったが、あなたは私を驚かせる。なぜあなたはそれに飛びついているのだ?彼はあなたに何もしてこなかった。彼の唾が私にかかることに関する限りでは、私はいくつかの過去生で私が彼を侮辱してきたのを知っている。貸し借りは今日精算されるのだ。私は嬉しい。」
 「どうもありがとう」彼はその男に言った。「貸し借りが清算されなければならないため、私はあなたを待っていたのだ。私はどこかであなたを侮辱してきた。あなたは覚えてないかもしれないが、私はそれを覚えている。あなたは知らないかもしれないが、私はそれを知っている。あなたはまったく気づいていないので忘れてしまったかもしれないが、私は忘れていない。今日あなたが来て全ての物事を終えたので私は嬉しい。今私たちは互いから解放される。」
 「これは私個人の行為だ」と彼はアーナンダに言った。「それは私に戻って来た。」

 もちろんあなたが空に対して唾を吐く時、戻ってくるには少し時間がかかる。それは即座にはやって来ない。それは多くのものに依存する。----- しかしあらゆるものは戻ってくる。あなたがすることは何であれ種をまいている。いつかあなたは収穫しなければならないだろう。いつかあなたはそれを刈り取らなければならないだろう。

 もしあなたが今日惨めなら、これらは開花した種だ。これらの種子をあなたは自分の過去のどこかで蒔いてきたのかもしれない。-----この生か、別の生か、どこかで。あなたが今日あるものは何であれ、あなたの過去の蓄積以外の何でもない。あなたの全ての過去があなたの現在だ。明日のあなたがどうなっていようと、それは何であれあなたが今日やっていることの結果だ。

                                                           The Discipline of Transcendence, 「超越の訓練」 Vol 1 7章〜


        

 一人の男がかつて仏陀の許にやってきて彼の顔につばを吐きかけたことがあった。もちろん彼の弟子たちは激怒した。彼の最も近くにいた弟子アーナンダは彼に言った。「これはあんまりです!」彼は怒りで真っ赤になっていた。彼は仏陀にこう言った。「この男に、彼が何をやったのか見せてやります。お許しください。」
 仏陀は顔を拭くとその男にこう言った。「ありがとう。君は私がまだ怒れるかどうかを見ることができる状況を作り出してくれた。で、私にはできなかった。私はとても幸福だ。それに君はアーナンダのためにも状況を作り出してくれたのだ。今彼はまだ自分が怒れるのを見ることができた。とてもありがたいことだ。私たちは感謝している! 時々、ぜひまた来て欲しい。君が誰かに唾を吐きかけたくなったらいつでも、私たちのところに来るがいい。」

 それはその男にとって大変なショックだった。彼は、何が起こったのか、自分の耳が信じられなかった。彼は自分が仏陀を怒らせていると思っていた。彼はしくじった。一晩中彼は眠れなかった。ひっくり回ったり、のたうち回ったりして眠ることができなかった。絶え間なくその考えが彼につきまとって悩ませた。仏陀にかかった彼の唾、最も侮辱的なもののひとつだ。そして仏陀は、まるで何事も起こらなかったかのように、それ以前と同じくらい穏やかで静かなままで、自分の顔を拭いて、そして彼に言ったのだった。「ありがとう。そして君が誰かに唾を吐くというこの欲望があるときはいつでも、どうぞ私たちのところへ来るがいい。」

 男はそれを何度も何度も思い出した。あの顔、穏やかで静かなあの顔、慈しみに満ちたあのまなざしを。そして彼がありがとうと言った時、それは単なる形式ではなかった。彼は本当に感謝していた。彼の全存在が、感謝していることを語っていた。彼の雰囲気全体が感謝だった。ちょうどアーナンダが怒りで真っ赤になっているのを見ることができた時、仏陀はとても冷静で、とても愛に満ち、とても慈悲深かった。今となって、彼は自分自身を許すことができなくなってしまった。何てことをしてしまったのか? 仏陀のような人物に唾を吐きかけるなんて! 
 翌朝早く、彼は駆けるように戻ってきて、仏陀の足許に平伏すとこう言った。「お許しください、先生。私は一晩中眠ることができませんでした。」

 仏陀は言う。「すべて忘れてしまうがいい。すでに過ぎ去ってしまったものごとの許しを請う必要はない。実に多量の水がガンジス河を流れていった・・・」仏陀はガンジス河のほとりの木陰に座っていた。彼は男に示した。「見るがいい。あらゆる瞬間にこんなにも多量の水が流れ去ってゆく! 24時間が去って行った。なぜお前はもう実在していないものを担いでまわるのか? すべて忘れてしまうがいい。 それに私は君を許すことはできない。なぜなら第一に私は君に腹を立ててはいないのだから。もし私が腹を立てていたのなら、許すこともできただろう。もし君が本当に許しを請いたいと思うならアーナンダに請うがよい。彼の足許に平伏せば彼は喜ぶことだろう!」

                                 〜The Book of Wisdom 「アティーシャの知恵の書」Vol.1 5章〜


             

 仏陀は自分の宮殿を後にした。彼は臆病者でもなければ逃避者でもなかった。ではなぜ彼は宮殿を去ったのだろう? ラビンドラナートはそれについて美しい詩を書いている。彼は宮殿を去った。12年間彼は森林を歩き回り、修行し、そして瞑想した。そして究極の悦びの日が訪れた。彼は光明を得た。当然彼が思い出した最初の事は、彼が愛した女性、後に残していた子供、今なお彼が戻ってくることを望んでいる老いた父親に良い知らせを伝えるために宮殿に戻ることだった。

 それはとても人間的だ。それはハートに触れる。12年後に彼は帰ってきた。どの父親もそうであるように、彼の父親は怒っていた。父親は彼が誰なのか、彼がどうなったのかわからなかった。とても大きくてとても清み切った彼の個性を見ることができなかった。全世界がそれに気づくようになっていたが、彼の父親はそれに対して盲目だった。父親はいまだに彼を、すでにもう存在していない人格、彼が宮殿を去った日に放棄した人格として考えていた。

 事実、仏陀はただ自分の人格を放棄するためにだけ宮殿を去らなければならなかったのだ。彼は他人が彼について考えているものではなく、あるがままの自分を知りたかった。しかし今、父親は12年前の目でもって彼の顔を覗き込んでいた。彼は再び仏陀に言った。「わしはお前の父親だ。わしはお前を愛している---たとえお前がわしを深く傷つけ、深く痛めつけようとも・・・・、わしは老いた、そしてこの12年間は拷問だった。お前はわしのただ一人の息子だ。そしてお前が戻ってくることができるように、わしはどうにか生きていこうとした。 今お前は帰ってきている。帝国の統治権を受け継いで王になるのだ! さあわしを休ませてくれ。もうわしは休息すべき時だ。お前はわしに反抗する罪を犯した、そしてお前はわしに対してほとんどむごい仕打ちをした。しかしわしはお前を許そう、王になる機会はまだ開かれているぞ。」

 仏陀は笑い、そして言った。「国王殿下、あなたが話している人物にもう少しよく気づいてください。宮殿を後にした男はもういません。彼はだいぶ前に死にました。私は別人です----私をよく見なさい!」
 すると父親はさらにひどく怒った。「お前はわしを欺くつもりなのか? わしがお前を知らないだと? わしはお前のことを、お前が自分自身を知っているよりもよく知っているのだ! わしはお前の父親だ。わしがお前を誕生させたのだ。お前の血の中にはわしが流れている。--- それでわしがお前を知らないだと?」
 仏陀は言った。「それでも私はお願いします、殿下・・・。あなたは確かに私を誕生させてくださいました。私はあなたを通してやって来ました。それは本当です。しかしあなたはただの乗り物だったのです。そしてちょうどある人が馬に乗っているという理由だけで、馬が乗り手のことを知っていることにはなりません。私はあなたの身体の扉を通過しました。しかしそのことで、あなたが私を知っているということにはなりません。実際のところ、12年前、私は自分が誰であるかということすら知らなかったのです。今、私は知っています! 私の目の中を見なさい。どうか過去を忘れてください。---今とここにいることです!」

 しかし父親にはできなかった。彼の老いた目、怒りと喜びの涙で一杯になった目では、彼は仏陀に何が起こったのか見ることはできなかった。「あいつは何と馬鹿げたことを話しているのだ、あいつは死に、そして再び生まれただと? あいつは全く違った個であるだと? あいつはもう人格(パーソナリティ)ではなく個(インディヴィジュアリティ)であるだと?」

 なぜ私たちは自分に注意を払ってもらうために、とても多くの人々を欲しがるのだろうか? なぜ私たちはこれを強く望むのだろうか? それは人格を作るためだ。そしてあなたが自分自身の周りに人格を作れば作るほど、あなたの個が知られる可能性は少なくなる。

 そして仏陀が彼の妻に会いに行った時、彼女はもっと怒っていた。彼女はたったひとつの質問をした。非常に意義深い質問をした。彼女は言った。「あなたに聞きたいことがひとつだけあります。長い年間私は待っていました。そこで私にはたったひとつの質問があります。その質問は単純です、しかし正直でいてください。」彼女はまだ仏陀がごまかすだろうと思っていた。「正直でいてください。真実であってください。そして私にひとつの事だけを言ってください。あなたが森の中で達成したものが何であれ、それは宮殿のここで達成することは不可能だったのでしょうか? 神は森の中だけにいて、この市場にはいないのでしょうか?」

 彼女の質問は途方も無く意義深いものだ。
 仏陀は言った。「そう、真理は森の中にあるのと同じくらいここにもある。しかしそれをここで知ることは私にとっては非常に難しかっただろう。なぜなら私は人格の中で自分を見失っていたからだ。王子という人格、夫という人格、父親という人格、息子という人格の中で・・・。人格はもううんざりだった。私は本当のところは決して宮殿を去ったのではない。私はただ、自分が誰であるかを私に思いださせる者が誰もいないように、そして私が「自分は誰か?」という問題に自分で答えられるように、自分の人格を後へ残して去っていっただけなのだ。私は自分自身と対面したかった。私は他人の応答には興味がなかったのだ。」

                                                        The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.1  9章〜



           

 仏陀を侮辱してごらん、するとあなたは知るだろう。彼は一度侮辱されたことがある。彼は村を通りがかっていた。そして村人たちは彼に非常に敵対していた。彼の教えを理解することは村人たちにとっては不可能だった。覚者(ブッダ)たちと比較してみると全世界はいつも非常に原始的で、とても素朴で、非常に愚かだ。そういう人たちが集まって彼をひどく侮辱した。仏陀は非常に静かに聞き、そして言った。「もしそれで気が済んだのなら、あなた方から離れてもよいだろうか? なぜなら私は他の村へたどり着かなければならないし、そこで彼らは私を待っているに違いないからだ。もしまだ気が済んでいないなら、明朝私が戻ってきた時にあなた方はその作業を再び始め、そして終わらすことができよう。」

 その群衆から一人の男が訊ねた。「あんたは俺たちが言っている事を聞いていないのかい? 俺たちゃあんたを侮辱し続けているんだよ、あんたを罵っているんだぜ。俺たちゃありとあらゆる汚い言葉を思いつく言葉は何であれ言い続けているんだよ。」
 仏陀は笑い、そして言った。「あなたはやって来るのが少し遅すぎたようだ。10年前に来るべきだっただろう。その時なら私はあなたと同じようなマインドの気分にいたから。それなら私は応答しただろうね。それもとてもよく---。しかし今ではこれは、ただ私が慈悲深くあるための、瞑想的であるための機会なのだ。あなたが私にこの機会を許してくれたことを、私は感謝している。これは単なるテストにすぎない、--- 私の無意識のマインドの中のどこかに潜んでいる否定的なものを私が持っているかどうか、を見るためのテストなのだ。」

 「そして私は、否定的な影がひとつも私のマインドを通り抜けることはなかった、とあなたに宣言しよう。友よ。私は全く喜びに満ちたままだ。あなたはどうやっても私に影響を与えることはできない。そして私は、あなたが私にそのような重大な機会を与えてくれたことをとてつもなくうれしく思う。あなたのように親切な人はほんの少ししかいない。」


                       The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.1  9章〜


                 

 仏陀は逃げ出した。空しさを知り、神の探求、真理の探求へと逃げ出した。彼は、おのれの世俗的欲望を、神、真理、涅槃への欲望に置き換えた。6年間彼は懸命に努力してきた。35歳の時までには彼は全く疲れ果ててしまっていた。彼は出来るかぎりの、人間に可能な為しうることのすべてをやり尽くした。何ヶ月もの間断食し、瞑想し、ヨーガの実修を行なった。当時には諸々の異なった種類の修行場があった。彼は教師から教師へと、修行場から修行場へと遍歴し、可能な限りの技法をことごとく実修した。そしてある日、突如それが閃光を放った。

 仏陀はナイランジャナー川を渡っていた。それは小さな川だ。私はその川を見に行ったときにその物語が信じられなかった。その物語は、彼が弱り切っていたため、ナイランジャナー川を泳げず、渡ることができなかったと伝えている。その川は非常に狭く、小さなものだ。しかし、何年もの断食のため、彼はたいへん衰弱していたに違いない。あまりにも長期にわたって断食していたため、彼の骨、あばら骨が数えられるほどだったと伝えられている。彼は骸骨のように痩せ細り、骨だけになってしまった。その腹部はすっかりなくなり、腹と背中が一つに合わさってしまった。本当に衰弱しきっていたに違いない。その川を渡れず、しかもその川から這い出てくるエネルギーさえ持たないまま、一本の樹の根元に引っ掛っていた。

その瞬間に、偉大なる洞察が起こった。洞察とはそうした瞬間だけに起こるものだ。挫折が全面的であるとき、失望が完全であるとき、幻滅が徹底的であるとき、望むべきものが何一つ残されていないとき、その瞬間、彼はその無意味さ全体をすっかり理解した。世俗的な目的は無意味だった。かつて彼はそれらすべてを体験したが、満足を与えることはなかった。また、それらのあの世的欲望は世俗的欲望とまさに同じほど馬鹿げていた。その瞬間、その洞察の内で、彼は無対象になった。

 あなた方に言わせてほしい。諸々の経典はそれを全く誤って伝えている。経典は、その瞬間に彼が無欲になったと言っている。だが、私があなたに伝えようとしていることを理解しようとしてごらん。彼は無対象になったのであって、それは無欲ではない。あなたたちは無欲になることはできない。欲望とはまさにあなたの生であり、あなたの呼吸であり、心臓の鼓動なのだ。欲望はあなたの存在だ。しかし、確かに変容は起こった。彼は無対象になった。この世的なもの、あの世的なもの、すべての欲望は対象としての姿を消し去った。が、エネルギーとしての欲望が消え去ったのではない。そこに対象はなく、純粋なエネルギーを感じていた。何をも求めぬ欲望、どこへも動かない純粋な欲望、いまここにある純粋な欲望を感じていた。

 まさにその夜、彼は光明(エンライトメント)に到達した。何も欲することのないまま、その樹の下に休息し、眠りに落ちた。はじめて彼は真に眠った。欲するものが何一つないとき、夢見ることもまた何一つない。なぜなら夢はあなたの欲望の反映だからだ。夢はあなたの欲求不満の反映だ。夢はあなたの抑圧の反映だ。夢はあなたの昼間の生活を反映するものだ。その夜そこには夢はなかった。それは夢なき深い眠りだった。

パタンジャリは、夢なき深い眠りが三昧(サマディ)に最も近いと言っている。ただもう一歩だ、それであなたは我が家に帰りつく。そしてその一歩がその朝早く起こった。休息し、仏陀は目を見開いた。彼の生においてはじめて、行くべきところはどこにもなく、するべきことは何もなかった。人生においてはじめて、彼は途方に暮れていたに違いない。さてどうしよう? そこには執着するものもなく、しがみつくものも何一つなかった。完全な空があったに違いない。時は止ったに違いない。もはや何の予定もなかった。彼は毎日、考錬すべきとても多くの観念、実修すべきとても多くの行法、為すべきとても多くの宗教儀式、そうしたものすべてと共に起きるのを常とした。が、今朝は何一つ残されていなかった! 全くの空。

 だがあなたは彼が死んだと思うだろうか? 違う、彼は生まれたのだ。そこに対象はなかった。いまや欲望は純粋だった。ただ鼓動だけ、脈動だけが、特に何の対象もない情熱だけがあった。樹の下で目を見開いたまま休み、彼は東方に赤く染まりゆく空を、そして朝日を見たに違いない。その昇りゆく太陽と共に、朝焼け色に染まる空と共に、消えゆく夜の最後の星と共に、彼は光明を得た。

 光明というこの言葉は何を意味しているのだろうか? それは単に、欲望があらゆる対象から解放されたということだ。仏陀は純粋な愛、慈悲、純粋な生になった。そしてこの純粋な生は比類のない美しさと陶酔(エクスタシー)を持っている。この純粋な生をもってあなたは無限なるものに到達する。

                       The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.1  15章〜




               

ある男が、仏陀のところにやって来て訊ねた。「私は非常に金持ちで、子供がいません。そして私の妻もまた死にました。今私は、世界中にすべてのお金を持っています。私は何か賞賛に値する仕事をしたいのです。私は貧しい人々や虐げられた人々のために、何かをしたいのです。言ってください。私は何をするべきでしょうか?」
 すると仏陀は非常に悲しくなり、彼の目から涙がこぼれ落ちた、と言われている。
 その男は非常に困り、言った。
「あなたの目に涙が? それにあなたはとても悲しそうに見えます---なぜですか?」 

 仏陀は言った。「あなたは、誰も助けることはできない。なぜなら、あなたはまだ自分自身さえ助けていないからだ。そしてあなたは、どんな慈悲深いこともできない。なぜならあなたのエネルギーは、いまだに最も低いところにあるからだ。あなたの卑金属はまだ黄金になっていない。実際・・・」と、仏陀は言った。「私はあなたに申し訳ないと感じている。あなたは人々の何か役に立ちたいのだが、あなたにはできない。あなたはまだ存在していない、というのも覚醒がまだ起こっていないからだ。そして覚醒なしでどうやってあなたは在ることができるのか? あなたには、慈悲が流れ出せる本当の中心がない。」

                       The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.2  19章〜



             
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仏陀がどんなことを言ったかは忘れられてしまう。仏陀はそれぞれの声明を、三回繰り返すことを常とした。一度誰かが訪ねた。「なぜあなたは三回繰り返すのですか?」 彼は言った。「なぜなら私は知っているからだ。一回目はあなたは全く聴いていない。二回目はあなたは聴くが、あなたは私が言ったことではなく別のことを聴いている。三回目で私は、あなたが言われていることを聴いていると望む、言われていることを正確に聴いていると望む。」 

 仏教の経典を読むことは非常に難しい。それぞれの声明が三回繰り返されていて、非常に飽きてしまうからだ。だからそこで彼らは工夫した。彼らはその声明を書き、そしてそれに三つの星印をつける。そこであなたは三回と知る・・・三回読む必要はない。
 もしある人が仏陀のところへ明け渡すために来たなら、彼は三回明け渡さなければならない。彼は言わなければならない、「ブッダム・シャラナム・ガッチャーミ、サンガム・シャラナム・ガッチャーミ、 ダンマム・シャラナム・ガッチャーミ」と--- 三回だ。なぜ? 仏陀はこう言ったと伝えられている。「一回目では、あなたはそれを言ったかもしれないが、それを意味しなかったかもしれない。二回目では、あなたはそれを意味したかもしれないが、私の意味していたことをあなたは意味してはいなかったかもしれない。三回目で私は、あなたが期待されたことを正確にしている、と望む。」
 それは形式的に言うべきものではない。「 ブッダム・シャラナム・ガッチャーミ、私は悟った者に帰依します。」もし形式的であるならそれは無意味だ。もしあなたが、他の人がそれを繰り返しているという理由で、それをただ単に繰り返しているのなら、それは役に立たない。そして人々は模倣者だ。

                                                      The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.2  20章〜


             

 仏陀の弟子が、師の言葉を広めようとしていた。仏陀は彼に訊ねた。「お前はどこへ行くのだ? どの方面に? どの地方へ?」。すると弟子は、自分はビハールの人里離れたところへ行こうと思っていますと言った。--- そこはスクハと呼ばれていた。--- 「なぜなら他の弟子の誰も、これまでその地域に行ったことはないからです。」

 仏陀は言った、「あなたが決める前に、三つの質問に答えなさい。一つ目、その地方の人々が非常に暴力的で苛立ちやすく、残虐であると知っているのか? 彼らのところに行くのは危険だ。だから他の弟子の誰も、彼らのところへ行こうと考えもしなかった。もし彼らがあなたを侮辱したら、また、侮辱しようとしたら、あなたはどう応答しようとするのか? ハートの中に何が起こるのだろうか」
 するとその弟子は言った、「あなたは私のハートに何が起こるのかを、完璧によく知っています。なぜならあなたは私のハートを知っているから、あなたは私のハートだからです。なぜそのような不要な質問をされるのでしょうか? しかしあなたが訊ねるので、答えなければなりません。もし彼らが私を侮辱するなら、私は心の底から、彼らはただ侮辱しただけなので彼らに感謝するでしょう。彼らは私を叩くことができたのですから」

 仏陀は言った、「さて二番目の質問だ。彼らはあなたを叩くだろう。あなたは叩かれようとしている。その時あなたに、何が起こるだろう? その時あなたは、何を感謝するのだろう?」
 弟子、「あなたは完璧によく知っています。私は彼らに感謝するでしょう。なぜなら私が思うに、私を殺すことができたのに、私をただ叩いただけだからです。」

 仏陀、「さて三番目の質問だ。彼らはあなたを殺すことができる。そして、もしあなたを殺したら、あなたに何が起こるだろう? ハートで何を思うだろう?」
 弟子、「あなたは完璧によく知っています。あなたは不要に私に訊ねています。しかしあなたが訊ねているので、答えなければなりません。もし彼らが私を殺すなら、私が殺されつつある間、私は感謝するでしょう。なぜなら彼らは私に素晴らしい機会を、最も大きな挑戦を与えてくれたからです。」

 あなたは、自分を殺している人にさえ感謝できるだろうか? それは最も偉大な挑戦だ!

 「私が彼らに感謝するのは、彼らが私を殺し、私から生を取り去っているからです。私がいくつかの誤りを犯してしまった生を・・・。今、そこに可能性はありません。私は決してどんな誤りも犯さないでしょう。私が自分の気づき(覚醒)を失ったかもしれない生を・・・今彼らは、私からその生を取り去っています。私はもうこれ以上、自分の気づき(覚醒)を失うことはできません。私は彼らに感謝するでしょう。全く感謝するでしょう。なぜなら誰かが殺されつつある時、もし油断のないままでいられるなら、それは彼の最後の生だからです。彼は地球に戻って来ることはないでしょう。私は彼らは私の友人たちだと思います。彼らは束縛から私を解放しています。私は常に、自分のハートに途方もない感謝をもって、彼らを思い出すでしょう。」

 仏陀は言った、「今あなたは、自分が行きたいところはどこでも行くことができる。あなたがどこに行こうと、私のエネルギーを放つことができるだろうからだ。あなたは私の愛と私の慈悲とを、分かち合えるだろう。そして人々を油断なく、意識的にさせることができるだろう。あなたは準備ができている」


                       The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.2  25章〜



                

 仏陀の弟子の長であるアーナンダは、一度仏陀に訊ねた。「尊師様、ちょっとしたことが私をとてもひんぱんに悩ませます。そして、最も悩ませるひとつがこれです。夜中、私は何度もあなたを見守りました。眠っているあなたを見守ることは、とても素晴らしいものです。しかし、あなたはいつも同じ姿勢で眠っていて、初めから終わりまで同じ姿勢を維持しています。あなたが眠りにつく時、あなたはこの姿勢をしています。夜中、何度も私は起きて、そしてあなたを見ます。するとあなたは同じ姿勢です。手は同じ所で休めています。そして足と頭も。そして朝、私が見る時も、あなたは同じ姿勢をしています。どうしたらこれが可能なのでしょうか?」

 仏陀は言った、「なぜなら私は目覚めたままだからだ。肉体は眠っているが、私自身の眠りは永久に去った。肉体は休むが、私は油断なくある。」

                        The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書」Vol.2  27章〜


                  

 ゴータマ・ブッダの弟子のひとりであるマハーカーシャパ(摩訶迦葉)について言われたことは、彼は決して何も言わなかった、ということだ。彼は他の弟子たちから何度も訊ねられた。--- なぜなら彼は、ゴータマ・ブッダのところに来る前は、偉大な哲学者であり、数多くの信奉者たちがいたからだった。彼はゴータマ・ブッダの周りでは、たぶん唯一ゴータマ・ブッダの次に最も鋭いマインドの一人だった ---「なぜあなたは話さないのですか? なぜあなたは何も言わないのですか?」

 弟子たちがしつこく彼を悩ませていたため、彼はついに言った、「本当は、私が何も言いたくないのは、私が弟子であることを超えて行きたくないからだ。何かを言うことで、光の当たるところに来ることで、ゴータマ・ブッダの目に重要に映るようになるのは危険だ。私はただ単に片隅に座っていて、そしてただマスターの現存を楽しみたいだけだ。私は真理を探すために来たが、今私はそのためのどんな欲望も持っていない。私は光明を得るためにここに来たが --- 今はその考えを落とした。ただこの人の現存の中に在ること--- ただ彼の降り注ぐ愛を感じること、彼の沈黙が私の実存のまさに核を貫くこと---とても大きなことなので、それより多く求める、ただただ感謝知らずであることだ。」

 しかしこれらが生の逆説だ。最初に光明を得たのはマハーカーシャパだった。彼の全面的(トータリティ)な弟子であることが、光明を得るのに十分だったのだ。そして仏教の経典の中で、彼について知られている唯一のことは、彼は笑った、ということだけだ。それが彼が初めて何かの身ぶりをした時だった。
 仏陀は彼を見て、そして言った、「マハーカーシャパ、お前は一言もないのに、なぜ笑っているのだ?」

 彼は言った、「それがおかしな話だからです! 私はあなたの視界に入らないように、自分自身を隠そうとしていました。そしてそこには光明を、真理を、究極を望んでいるとても多くの人たちがいます。私は思いました、『彼らをみんな到達させよう。私は待てる。この待つことはとても素晴らしい。』 しかし私が笑ったのは、光明の世界に入ったのは私が最初だったからで、しかも私は決してそれについて尋ねなかったからです。」

 仏陀は言った、「それはお前が決してそれについて尋ねなかったからだ。実際お前はその欲望さえ落とした。お前はその近くに来ていた。お前は、それは起こるかもしれない、と恐れるようにさえなっていた。だからお前は片隅に隠れていたのだ。お前は決して質問しなかった。そして私はそれが最初に --- 他の誰よりも先に --- お前に起ころうとしているのがわかった。なぜなら必要とされる質がそこにはあったからだ。お前は、そうとは知らずに、全ての条件を満たした。そして私に怒ってはいけない。私はそれとは何の関係もない。起こったことに対してはお前一人に責任がある。」

 マハーカーシャパは言った、「私にはたったひとつの望みがあります。私光明を得たけれども--- そしてそれ途方もない体験で--- どうか私をあなたが生きている間は、他のどんなところへも行かせないでください。あなたが移動するところならどこであれ、あなたのコミューンに残らせてください。」
 それは移動する、放浪するコミューンだった。--- 数日間はここに、数日間は他の場所に。仏陀は言った、「私はお前にノーとは言えない。お前は何も要求したことはなかった。」

 マハーカーシャパは、生をゴータマ・ブッダとともに留まった。ゴータマ・ブッダが死んだ時、彼は話し始めた。なぜか、と訊ねられて彼は言った、「今私は、弟子であることのどんな風味も持たない人たちのために、同じ雰囲気を作らなければならない。私には、マスターになるという意図はなかったが、天命がそれを許さなかった。私はゴータマ・ブッダよりも前に死にたかった。そうなれば私はこの重荷を運ぶ必要はなかった。」 彼はゴータマ・ブッダと同じ度量を持つ偉大なマスターたちの一人であることを証明した。そして彼は偉大な弟子たちと偉大なマスターたちの系統を作った。

 私は禅について話したことがある。禅という最高点に達するプロセスを開始したのはマハーカーシャパが最初であって、ゴータマ・ブッダではないなぜなら中国にメッセージを届けたは彼の弟子、ボーディダルマだったからだ。そしてたぶんゴータマ・ブッダは禅を構成しているものすべてに同意しないだろう。なぜなら禅とその源泉の本当のマスターは、ゴータマ・ブッダとは完全に違った性格を持ち、それほど深刻はなく、ユーモアの感覚を持ち、聖人ぶった考えがないマハーカーシャパだからだ。

最終的かつ決定的な要因になったのはボーディダルマだった。彼はマハーカーシャパの弟子たちから五代目に当たる。彼は禅に特定の性格を与えることに非常に決定的な存在だった。その性格は今も受け継がれている。
 ボーディダルマはマハーカーシャパからさらに遠い。彼は優れたユーモアの感覚を持っていて、非常に率直で、礼儀作法を知らず、非常に単純かつ無垢で、哲学的背景を持たず、普通の話し方をする。だが、ボーディダルマのような男の口からの普通の言葉は、非常な新鮮さたいへんな権威を持ち始める。それはどんな哲学的専門用語もこれまで持ち得なかったほどのものだ
 哲学的な言葉は漠然として、中身が無く、大袈裟に騒ぎ立てるものだ。ボーディダルマは正確に、簡潔に話す。もし10の言葉でいいのなら、彼は11の言葉は使わないだろう。

 しかしマハーカーシャパのような沈黙した男に起こっているこの小さな流れが、世界で最も純化された本質的な宗教性になるだろうとは誰も想像しなかった。だがマハーカーシャパは謙虚な質があ --? 彼は光明の、真理の観念さえ落とすほど控えめだ。確かに、彼はマスターの臨在のもとで何かを体験した。彼はあらゆるもの --- 真理も含めて --- 振り捨てる用意がある。もしゴータマ・ブッダが地獄に行こうとするなら、彼は地獄に行きたがる。彼は天国に行くことには興味がない。

                       〜The Transmission of the Lamp 「炎の伝承 1 」3章〜


            

ゴータマ仏陀は彼の過去生の話をたくさん語った。その話のひとつは、彼は象であり、そして真夜中に一度森が火に包まれた、というものだ。それはとても激しく、風はとても強く、火はとても速く広がっていた・・・全ての動物たちは逃げようとしていたが、逃げ道が見つからなかった。
 その象は走るのに疲れていた。そこで彼は木の下に立ち、自分が逃げられるところを探そうと、辺り一面を見渡した。ちょうど彼が動こうとしていたその時、--- 彼が片足を上げた --- まさにその瞬間に、小さな動物が来て、そして彼の足の下に座った。彼の足は十分大きかったので、その動物は、そこは日陰にはもってこいの場所だと思ったに違いない。しかし象は困ったことになった。もし彼が足を下ろしたら、その動物は死ぬだろう。そして足を下げなかったら、彼が死ぬだろう。なぜなら火は彼の方へ迫って来ていたからだ。

 しかし仏陀は言った。その象は、それはたいしたことではないと判断した、と。「いつか、人は死ななければならない。私はこの機会を失うべきではない。もし私が一つの生命を救うことができるのなら・・生きている限り、私はこの生き物を守るつもりだ。」
 その姿勢でとても長く立っていることは難しかった。象は火が移っていた側へ倒れた。彼は焼かれ、そして死んだ。だが、ある生命を救うという彼の決断、小さな生き物に対する彼の敬意が、彼が次の生で人間として生まれた理由だった。

                       〜The Transmission of the Lamp 「炎の伝承 1 」 9章〜



        
    


ゴータマ・ブッダは道を歩いていた。ハエが彼の頭に止まり、そして彼は弟子のアーナンダと話し続けていた。そして自動的に彼の手が動き、ハエは離れて行った。その時彼は止まった、突然に---なぜなら彼は気づくことなく手の動きをしたからだった。そして彼にとってそれは人生で唯一の間違いだ---気づきなしで何かをすること、手を動かすことさえ、たとえあなたが誰も傷つけなくても。
 そこで彼は立ち止まって再び自分の手でハエを追い払う同じ仕草をした---たとえそこにハエがもういなくても。アーナンダは彼がしていることにただ驚き、そして言った。『ハエは、あなたがずいぶん前にあなたの顔から払いのけました。今あなたは何をしているのですか? ハエはいませんよ。』

 仏陀は言った。『私が今していることは・・・その時自分の手を自動的に、まるでロボットのように動かした。それは誤りだった。今私は自分がしなければならなかったようにそれをしている。決して再びこのようなことが起こらないように教訓をただ自分に教えるために。今私は十分な気づきをもって自分の手を動かしている。ハエは要点ではない。要点は、私の手に気づきと気品と愛と慈悲があるかどうか、だ。今、それは適切だ。それはこのやり方であるべきだった。』

                         〜The Transmission of the Lamp 「炎の伝承 1 」 21章〜


             

 彼は村のそばを通り過ぎていた。彼の敵たちが集まってきた。彼らはブッダに恥をかかせたかった。彼らは醜悪な言葉を、四文字言葉(猥褻な言葉)を彼に対して叫んでいた。彼は沈黙したままだった。彼が何も言っていなかったため、彼らは少しきまりが悪く見えた。
 そしてついに彼は言った。「もしそれで済んだのなら、先へ行っていいだろうか? なぜなら私は日が暮れる前に別の村に着かなければならないからだ。そしてもしまだ済んでいないなら、知らせておこう。私は数日後にまた同じ道を歩いて来る。その時私にはあなたのための時間が充分にあるだろう。その時あなたは望むだけ多くすることができるし、これまで言いたかったことをいくらでも多く言える」
 その群衆の男たちのひとりが言った。「俺たちはただものを言っているんじゃない。俺たちはお前を侮辱しているんだよ」

 ゴータマ・ブッダは言った。「あなたは私を侮辱できるが、もし私がそれを受け入れないなら、それはあなたの思いのままにはなっていないということだ。あなたは私に屈辱を与えようとしてみることはできるが、私はまったくこれらのことを受け入れない。あなたは10年前、私がどんな人の網にもよく捕まっていた時に来るべきだった。その時は、誰かが私を侮辱すると、私は侮辱されたと感じただろう。その時は私はどんな人に対しても奴隷だった。現在私は自由な人間だ。私は選ぶ。正しいものは何であれ私は受け取る。正しくないものは何であれ私はそれを返す。
 前の村の人々は、私に贈るために甘いものや花を持ってきてくれた。私は言った。『私たちは一日に一度だけ食べる。そして私たちは自分たちの食事を取ってきた。だからお願いだ、私たちは物を蓄えない、私たちはそれらを保つことはできないのだ。申し訳ない。あなたはそれらを戻さなければならない。』 あなたに尋ねるが、彼らは自分たちが持ってきたこれらの甘いものや花や果実を、どうすることができただろう?」

 群衆から誰かが言った。「彼らは村の中でそれを分配することができた」
 ブッダは言った。「あなたは頭がいい。同じことをしなさい。あなたがもたらすものは何であれ、10年間私はそのようなものを受け入れるのを止めてきた。今家に帰って、誰であれあなたが望む相手にこれらのものを分配しなさい。」

                          〜The Transmission of the Lamp 「炎の伝承 2 」 34章〜


          

 ゴータマ・ブッダの過去生について、彼がゴータマ・ブッダになったこの生のちょうど一つ前の生の話がある。他のみんなと同じように、彼は無意識な人間だった。そして彼は、目覚め、光明を得たひとりの男について聞いた。誰もがその男に会いに行っていた。彼もまたその男に、捧げ物として花を持って会いに行った。彼はその男の足に触れ、彼の足元にその花を捧げた。彼が立ち上がった時、彼はそれが信じられなかった。光明を得たと考えられていた男は、この無意識な人間に頭を下げ、そして彼の足に触れたのだ。
 ブッダは言った。「何をしているのですか? 私は無意識な、普通の人間です。あなたは光明を得た、目覚めた魂です。なぜあなたは私の足に触れたのですか?」

 その男は笑い、そして言った。「昨日は、私もまた無意識で、目覚めていなかった。今日、私は目覚めた。今日、あなたは無意識だが、明日、あなたは目覚めるだろう。私があなたの足に触れたことを憶えておきなさい。あなたが目覚める時、決してそれを忘れないようにしなさい」

 この話はとても重要だ。その男は言っている。「私はあなたに、今より後のことについて教えている・・・なぜなら私は、あなたが目覚めるようになるその可能性、その潜在性を見ることができるからだ。それはただ時間の問題にすぎない。明日か、それとも次の生か---時間はたいしたことではない。だが憶えておきなさい。あなたは目覚めていなかったのに覚者(ブッダ)があなたの足に触れたことを---」

 何がメッセージだろう? そのメッセージとは、彼が橋を創ろうとしていることだ。目覚めることは超自然的な何かではない、それはあなたの本性にもともと備わっているものだ、ということを彼は宣言しようとしている。それは神に関係するものではない、それはあなたに関係するものだ、ということを---。それはあなた次第だ。あなたは望むだけ長く眠り続けられる。そして起き上がりたい瞬間に起き上がれる。

 そしてブッダはそれを憶えていた。彼が死につつあった時の最後の言葉は、「どうか私を礼拝し始めないようにしなさい。私は礼拝者たちを作るためにここにいたのではなかった。そこには既に数多くの礼拝者たちがいる。私の像を作ってはいけない。そうでなければ、あなたは私の教えを忘れ、教えから逸脱するだろう。そしてあなたは礼拝することで満足するようになる。それはあなたにとって何の違いも生じない。あなたは同じままだ」
そしてそれがまさに人々がしたことだ。彼は死んだ。そして彼らは、彼の最後の言葉にもかかわらず、像を作って彼を礼拝し始めた。実際、世界にはゴータマ・ブッダの像が、他の誰の像よりも多くある。

                          〜The Transmission of the Lamp 「炎の伝承 2 」 35章〜   


             





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