墓所は大阪府南河内郡太子町の叡福寺にある「叡福寺北古墳」が宮内庁により比定されている(聖徳太子御廟・磯長陵
しながりょう)。日本書紀には磯長陵とあるが、磯長墓と呼ばれることもある。
穴穂部間人皇女と膳部菩岐々美郎女を合葬する三骨一廟。後世に定められたものとする説もある。
直径約55メートルの円墳。墳丘の周囲は「結界石」と呼ばれる石の列によって二重に囲まれている。2002年に結界石の保存のため、宮内庁書陵部によって整備され、墳丘すそ部が3カ所発掘された。2002年11月14日、考古学、歴史学の学会代表らに調査状況が初めて公開された。墳丘の直径が55メートルを下回る可能性が指摘されている
2009年6月6日
聖徳太子
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時代 | 飛鳥時代 |
生誕 | 574年2月7日(敏達天皇3年1月1日) |
死没 | 622年4月8日(推古天皇30年2月22日) |
改名 | 上宮厩戸、厩戸皇子、厩戸皇太子、摂政太子 |
別名 | 厩戸皇子、厩戸王、上宮王、豊聡耳、 上宮之厩戸豊聡耳命、法主王、豊耳聡聖 徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、 厩戸豊聰耳聖徳法王 |
諡号 | 聖徳太子 |
墓所 | 叡福寺北古墳 |
官位 | 摂政、皇太子 |
主君 | 用明天皇、崇峻天皇、推古天皇 |
氏族 | 皇族、上宮王家 |
父母 | 用明天皇、穴穂部間人皇女 |
兄弟 | 聖徳太子(厩戸皇子)、来目皇子、殖栗皇子 茨田皇子、田目皇子、麻呂子皇子 酸香手姫皇女 |
妻 | 菟道貝蛸皇女、刀自古郎女、橘大郎女、 膳大郎女 |
子 | 山背大兄王、財王、日置王、白髪部王 長谷王、三枝王、伊止志古王、麻呂古王 片岡女王、手島女王、春米女王、 久波太女王、波止利女王、馬屋古女王 |
聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) -
推古天皇30年2月22日(622年4月8日)(同29年2月5日説あり-『日本書紀』))は、飛鳥時代の皇族。
用明天皇の第二皇子。母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。また、『上宮聖徳法王帝説』などでは厩戸豊聰耳聖徳法王の子に山代大兄(山背大兄王)らがいるという。
☆叡福寺 - 聖徳太子御廟 (大阪府太子町)
☆誕生の地 (奈良県明日香村)
聖徳太子