伊邪那岐命は伊邪那美命に会おうと、黄泉国へ追っていった。
黄泉国の殿舎の閉ざされた戸に向かって国作りはまだ終わっていないので帰ってくるように言うと、伊邪那美命は黄泉神(よもつがみ)と相談してみると言って殿舎の中に帰った。
伊邪那岐命は長い間待っていたが待ちきれなくなり、中に入ってみると、伊邪那美命は蛆にたかられた醜い姿であった。
 伊邪那岐命は恐れ逃げ帰ろうとしたので、伊邪那美命は「私に恥をかかせましたね。」と言って追ってきた。
伊邪那岐命は千引の石(ちびきのいわ)で黄泉比良坂(よもつひらさか:黄泉と現世を隔てる坂)を塞いだ。その石に各々立ち向かって絶縁する時、伊邪那美命は「愛しい我が夫よ、こうなったら私は、あなたの国の人民を一日に千人絞め殺しましょう。」といった。
そこで伊邪那岐命は、「愛しい我が妻よ、おまえがそうするのなら、私は一日に千五百の産屋を立てることにしよう。」と言い返した。
これにより一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれることとなった。
 伊邪那岐大神は醜悪な穢れた(けがれた)国に行ってきたと言って禊ぎ祓い(みそぎはらい)をした。

--- (中略) ---

そして左の御目(みめ)を洗った時に神が生まれた。生まれた神の名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。
次に右の御目を洗った時に神が生まれた。生まれた神の名は、月読命(つくよみのみこと)。
次に御鼻を洗った時に神が生まれた。生まれた神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。
この八十禍津日神から、速須佐之男命までの十四神(とまりよはしら)は、体を滌いだことによって生じた神である。

古事記 上巻 - 天照大御神

桧原神社

そして、天照大御神には高天原(たかまのはら)を月読命には夜の国を、建速須佐之男命には海原(うなばら)を治めるように委任した。

天照大御神はその様を見て恐れ、天の岩屋戸(あめのいわやと)に立て籠ってしまった。このため高天の原(たかまのはら)も葦原中国(あしはらのなかつくに)も暗闇となり、悪神が騒ぎ様々な被害が起きるようになった。
八百万(やおよろず)の神が集まり、高御産巣日神の子、思金神(おもいかねのかみ)に考えさせた。
そして種々の物を集め、これを布刀玉命が神に献る品物として持ち、天児屋命が祝詞を述べて、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が戸の脇に隠れて立ち、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が胸をはだけて舞を舞った。

天照大御神が天の石屋戸から出て様子を窺おうとしたところを、隠れて立っていた天手力男神が御手を取って引き出した。
天照大御神が岩屋戸より出たので、高天の原も葦原中国も自然と明るくなった。
この後八百万の神は皆で協議し、建速須佐之男命に罪をつぐなわせるために、千の台を満たすほどの夥しい品物を科し、鬚(ひげ)を切り、手足の爪を抜いて追放した。

天照大御神は速須佐之男命に「後から生まれた五柱の男神は私の珠に因って生じたからわが子である。先に生まれた三柱の女神はお前の剣に因って生じたからお前の子である。」と言って子を分けた。
 速須佐之男命は天照大御神に、我が心の忠誠は明らかになったので私の勝ちだといって、勝ったことにうかれ、悪事を行った。
天照大御神は咎めなかったが、その悪事は止まずますます酷くなった。

須佐之男命(すさのおの みこと)は天照大御神に願い出ることにした。天に上る時の様が激しく、天照大御神は国を奪おうと思っているのだろうと、戦支度で待ち「何をしに上って来たのだ。」と問いただした。
速須佐之男命は、自らが伊邪那岐大御神に追放されたため、黄泉の国に行くことを願い出ようと参上したことを告げたが、天照大御神が心の潔白を求めたため、子を生んでそれを証明することになった。

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