草壁皇子(天武天皇第二皇子)の長子。母は阿陪皇女(元明天皇)。父草壁は皇太子位のまま亡くなり即位していないため、本来であれば「皇子」ではなく「王」の呼称が用いられるはずだが、祖母である持統天皇の後見もあってか、立太子以前から皇子の扱いを受けていたと思われる。
父草壁が689年に亡くなり、696年には伯父にあたる高市皇子も薨じたため、697年2月立太子。同年8月、祖母・持統天皇に譲位され即位した。
当時15歳という若さであったため、持統が上皇として後見役についた。701年(大宝元年)に大宝律令が完成し、翌年公布している。
また混乱していた冠位制を改め、新たに官位制を設けた。
奈良県明日香村
第42代 文武天皇陵