天皇系図

古墳・天皇陵

天皇系図

古墳・天皇陵

持統天皇(じとうてんのう・大化元年(645年) - 大宝2年12月22日(703年1月13日))は、日本の第41代天皇。女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日) - 持統天皇11年8月1日(697年8月22日))。
和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』の養老4年(720年)に代々の天皇とともに諡された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある。
(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは冒頭の第4の一書とこの箇所のみである。)漢風諡号、持統天皇は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたとされる。

陵は檜隈大内陵(奈良県高市郡明日香村大字野口)、野口王墓古墳。妻持統天皇との夫婦合葬墓である。この陵は古代の天皇陵としては珍しく、治定に間違いがないとされる。しかし、1235年(文暦2)に盗掘にあい、大部分の副葬品を盗まれた。また棺も暴かれ、遺体を引っ張り出したため、墓室内には天皇の遺骨と白髪が散乱していたという。妻の持統天皇の遺骨は火葬されたため銀の骨壺に収められていたが、骨壺だけ奪い去られて遺骨は近くに遺棄された。

藤原定家の『明月記』に盗掘の顛末が記されている。また、盗掘の際に作成された『阿不幾乃山陵記』に石室の様子が書かれている。

天武天皇(てんむてんのう、舒明天皇3年(631年)? - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は『皇統譜』によると第40代に数えられる天皇である(在位:天武天皇2年2月27日(673年3月20日) - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。漢風諡号、天武天皇は代々の天皇とともに淡海三船により「天は武王を立てて悪しき王(紂王)を滅ぼした」から名付けられたとされる。

明日香村

天武・持統天皇陵

2007年9月8日

明日香村

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