先代の推古天皇は、在位36年3月7日(628年)に死去した時、継嗣を定めていなかった。
蘇我蝦夷は群臣にはかってその意見が田村皇子と山背大兄皇子に分かれていることを知り、田村皇子を立てて天皇にした。これが舒明天皇である。
これには蝦夷が権勢を振るうための傀儡にしようとした言う説と他の有力豪族との摩擦を避けるために蘇我氏の血を引く山背大兄皇子を回避したと言う説がある。
また近年では、欽明天皇の嫡男である敏達天皇の直系(田村皇子)と庶子である用明天皇rの直系(山背大兄皇子)による皇位継承争いであり豪族達も両派に割れたために、蝦夷はその状況に対応した現実的な判断をしただけであるとする見方もある。
ともあれ、舒明天皇の時代、政治の実権は蘇我蝦夷にあった。
第34代天皇 | |
在位 | 629年2月2日 - 641年11月17日 |
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在位中の時代 | 飛鳥時代 |
在位中の皇居 | 飛鳥岡本宮 |
別名 | 田村皇子 息長足日広額天皇 |
出生 | 593年 |
死去 | 641年11月17日 |
陵墓 | 押坂内陵 |
先代 | 推古天皇 |
次代 | 皇極天皇 |
皇后 | 宝女王(皇極天皇) |
夫人 | 法提郎女 |
子女 | 天智天皇 間人皇女 天武天皇 古人大兄皇子 蚊屋皇子 |
父親 | 押坂彦人大兄皇子 |
母親 | 糠手姫皇女 |
(じょめい)
奈良県桜井市大字忍阪
第34代 舒明天皇陵