天皇系図

古墳・天皇陵

古墳・天皇陵

天皇系図

河内磯長中尾陵(太子西山古墳、大阪府南河内郡太子町大字太子)が敏達天皇陵に比定されている。

敏達天皇は廃仏派よりであり、廃仏派の物部守屋と中臣氏が勢いづき、それに崇仏派の蘇我馬子が対立すると言う構図になっていた。
崇仏派の蘇我馬子が寺を建て、仏を祭るとちょうど疫病が発生したため、585年に物部守屋が天皇に働きかけ、仏教禁止令を出させ、仏像と仏殿を燃やさせた。
その年の8月15日病が重くなり死去(なお、古事記では没年は584年とされている)。
仏教を巡る争いは更に次の世代に持ち越された。
30代天皇
在位 572年4月30日 - 585年9月14日
在位中の時代 飛鳥時代
在位中の皇居 百済大井宮
訳語田幸玉宮
別名 渟中倉太珠敷尊
他田天皇
出生 538年?
死去 585年9月14日
陵墓 河内磯長中尾陵
先代 欽明天皇
次代 用明天皇
皇后 広姫
額田部皇女
夫人 老女子
菟名子
子女 押坂彦人大兄皇子
竹田皇子
糠手姫皇女 ほか
父親 欽明天皇
母親 皇后石姫皇女

敏達天皇(びだつてんのう、宣化天皇3年(538年)? - 敏達天皇14年8月15日(585年9月14日)は、第30代天皇(在位:敏達天皇元年4月3日(572年4月30日) - 同14年8月15日(585年9月14日))。和風諡号は渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと)、沼名倉太珠敷命(古事記)。他田天皇。

(びだつ)

大阪府太子町

第30代 敏達天皇陵

2009年6月6日

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