天皇系図

古墳・天皇陵

古墳・天皇陵

天皇系図

 菅原伏見西陵(すがはらのふしみのにしのみささぎ)に葬られた。
 同陵は、奈良県奈良市宝来4丁目にある古城1号墳に比定される。
 しかし近年の調査結果から、古墳ではなく中世の山城跡とする見方が強い。

 允恭天皇42年(453年)1月に允恭天皇が崩御する。
皇太子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)には近親相姦の前科が有ったために群臣は皆従わず、弟の穴穂皇子の側に付いた。
軽皇子は穴穂皇子を討ち殺そうとして兵を集めるが、群臣が離反していく不利な現況を悲嘆して、物部大前宿禰(もののべのおおまえのすくね)の家に潜んだ。
 穴穂皇子が率いる兵に包囲され、大前宿禰の計らいで戦は避けられたが、軽皇子は自裁した(尚、『古事記』では伊余湯に流罪となったと記される)。こうして、穴穂皇子は12月に皇位を践祚した。
 安康天皇元年(454年)、根使主の讒言を信じて大草香皇子(仁徳天皇の皇子)を誅殺し、翌年にその妃であった中蒂姫を皇后に立てた。
 同3年(456年)8月9日、天皇は中蒂姫の連れ子眉輪王(まよわのおおきみ)により暗殺された。『古事記』『旧事紀』に享年56、『帝王編年記』に享年54と伝えられる。
 皇太子を指名することなく崩御したが、従兄弟の市辺押磐皇子(履中天皇の皇子)を皇位継承者に立てる腹積もりであったとされる。

第20代天皇
在位 454年1月28日 - 456年9月24日
在位中の皇居 石上穴穂宮
出生 401年?
死去 456年9月24日
陵墓 菅原伏見西陵
先代 允恭天皇
次代 雄略天皇
父親 允恭天皇
母親 忍坂大中姫

安康天皇あんこうてんのう、履中天皇2年(401年)? - 安康天皇3年8月9日(456年9月24日))は、第20代の天皇(在位:允恭天皇42年12月14日(454年1月28日) - 安康天皇3年8月9日(456年9月24日))。穴穂天皇穴穂皇子(あなほのみこ)。中国の『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王興に比定されている。

(あんこう)

奈良県奈良市宝来

第20代 安康天皇陵

2009年6月1日

★地図

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