『古事記』に「御陵は川内の恵賀(えが)の裳伏(もふし)岡にあり」と記す。
『書紀』に陵名の記載はないが、雄略紀に「蓬?丘(いちびこのおか)の誉田陵」と見える。『延喜式』諸陵寮に恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)。
現在、同陵は大阪府羽曳野市誉田六丁目の誉田御廟山古墳(前方後円墳・全長425m・後円部高さ36m、もと二重に堀をめぐらしていた)に比定される。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)につぐ(第2位の規模)5世紀初ともいわれる大前方後円墳。
神功皇后の三韓征伐の帰途に宇瀰(うみ、福岡県糟屋郡宇美町)で生まれたとされる。神功4年(204年)に立太子。応神天皇元年(270年)に71歳で即位、同41年(310年)に111歳で崩御。『古事記』に130歳。
後世、神功皇后と共に八幡神に付会され、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祭られる。
応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日(201年1月5日) - 応神天皇41年2月15日(310年3月31日))は、第15代の天皇(在位:応神天皇元年1月1日(270年2月8日) - 同41年2月15日(310年3月31日))。別名、誉田天皇・誉田別尊(ほむたわけのみこと)。
(おうじん)
大阪府羽曳野市誉田
第15代 応神天皇陵