天皇系図

古墳・天皇陵

古墳・天皇陵

恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)に葬られた。日本書紀に「河内国長野陵」、古事記には「御陵は河内の恵賀(えが)の長江にあり」とする。同陵は大阪府藤井寺市の岡ミサンザイ古墳(前方後円墳)に比定される。幅50m以上の周濠が巡らされているが、中世に城砦として利用されていたため、部分的に改変されている。

天皇系図

第14代天皇
在位 192年2月11日 - 200年3月8日
在位中の皇居 穴門豊浦宮・筑紫橿日宮
別名 足仲彦天皇
帯中日子天皇
出生 不詳
死去 200年3月8日
陵墓 恵我長野西陵
先代 成務天皇
次代 応神天皇
皇后 神功皇后
子女 応神天皇
忍熊皇子
誉屋別皇子
父親 日本武尊
母親 両道入姫命
注釈 実在性の低い天皇の一人。

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう、生年不詳 - 仲哀天皇9年2月6日(200年3月8日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第14代の天皇(在位:仲哀天皇元年1月11日(192年2月11日) - 同9年2月6日(200年3月8日))。足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、帯中日子天皇(古事記)。
「タラシヒコ」という称号は12代景行、13代成務、14代仲哀の3天皇が持ち、ずっと下がって7世紀前半に在位したことの確実な34代舒明、35代皇極の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであり、12,13,14代の称号は後世の造作ということになり、仲哀天皇の実在性には疑問が出されている(仲哀天皇架空説)。

神功皇后の夫・応神天皇の父とされるが、実在性を含めて諸事績の史実性には疑いが持たれる。

(ちゅうあい)

大阪府藤井寺

第14代 仲哀天皇陵

2009年6月4日

★地図

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