天皇系図

古墳・天皇陵

古墳・天皇陵

景行天皇51年(121年)に立太子、成務天皇元年(131年)正月に即位。3年(133年)に武内宿禰を大臣とした。5年(135年)9月、諸国に令して、行政区画として国郡(くにこおり)・県邑(あがたむら)を定め、それぞれに造長(くにのみやつこ)・稲置(いなぎ)等を任命して、山河を隔にして国県を分かち、阡陌(南北東西の道)に随って邑里(むら)を定め、地方行政機構の整備を図った。
ここにおいて、人民は安住し、天下太平であったという。これらは『古事記』にも大同小異で、「建内宿禰を大臣として、大国・小国の国造を定めたまひ、また国々の堺、また大県小県の県主を定めたまひき」とあり、『先代旧事本紀』の「国造本紀」に載せる国造の半数がその設置時期を成務朝と伝えていることも注目される。
甥の足仲彦尊(仲哀天皇)を皇太子に立て、60年(190年)6月に崩御、107歳。『古事記』に95歳という。

父は景行天皇、母は八坂入媛命(やさかのいりびめのみこと)。

成務天皇(せいむてんのう、景行天皇14年(84年)- 成務天皇60年6月11日(190年7月30日))は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第13代の天皇(在位:成務天皇元年1月5日(131年2月18日) - 同60年6月11日(190年7月30日))。和風諡号は稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)、若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらのみこと、古事記)。

『延喜式』諸陵寮によれば、狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけしりのみささぎ)に葬られた。『書紀』に「狭城盾列陵」、『古事記』に「沙紀の多他那美(たたなみ)」とある。
現在、同陵は奈良県奈良市山陵町の佐紀石塚山古墳(前方後円墳・全長218m)に比定される。江戸時代までたびたび盗掘の被害に遭った古墳の一で、犯人は流罪・磔などに処されたという。

天皇系図

(せいむ)

奈良県奈良市山陵町

第13代 成務天皇陵

2009年5月31日

★地図

日葉酢媛命陵
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