天皇系図

古墳・天皇陵

奈良県奈良市尼辻西町

『延喜式』諸陵寮に拠れば、菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)に葬られた。『古事記』に「御陵は菅原の御立野(みたちの)の中にあり」、『日本書紀』に「菅原伏見陵(すがわらのふしみのみささぎ)」、『続日本紀』には「櫛見山陵」として見える。
現在、同陵は奈良県奈良市尼辻西町の宝来山古墳(前方後円墳、全長227m)に比定される。

現在の宝来山古墳の濠の中、南東に田道間守の墓とされる小島がある。
この位置は、かっての濠の堤上に相当し、濠を貯水のため拡張して、島状になったと推測される。
しかし、戸田忠至等による文久の修陵図では、この墓らしきものは描かれていない。

近鉄橿原線の尼ヶ辻駅の近く。(垂仁天皇陵)

垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日(紀元前69年1月26日) - 垂仁天皇99年7月14日(紀元後70年8月8日)は『古事記』・『日本書紀』に伝えられる第11代の天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日(紀元前29年) - 垂仁天皇99年7月14日(紀元後70年)。
活目入彦五十狭茅尊
(いくめいりびこいさちのみこと)・活目尊。『古事記』に伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)、『常陸国風土記』に伊久米天皇、『令集解』所引「古記」に生目天皇、『上宮記』逸文に伊久牟尼利比古(いくむにりひこ)大王と見える。
『日本書紀』、『古事記』に見える事績は総じて起源譚の性格が強く、その史実性については多分に疑問である。

(すいにん)

第11代 垂仁天皇陵

2009年6月1日

★地図

唐招提寺

近鉄尼ヶ辻駅

近鉄尼ヶ辻駅

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