片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目)。『古事記』には「片岡馬坂上」とある。
孝霊天皇(こうれいてんのう、孝安天皇51年(紀元前342年)- 孝霊天皇76年2月8日(紀元前215年3月27日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第7代の天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日(紀元前290年2月19日) - 同76年2月8日(紀元前215年3月27日))。大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)・大倭根子日子賦斗邇命(『古事記』)。
「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。
このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚である。いわゆる欠史八代の一人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的である。
(こうれい)
奈良県北葛城郡王寺町本町
第7代 孝霊天皇陵