天皇系図

古墳・天皇陵

天皇系図

古墳・天皇陵

桃花鳥田丘上陵(つきたのおかのうえのみささぎ)に葬られた。『古事記』では「御陵は衝田岡(つきだのおか)にあり」とある。

現在、同陵は奈良県橿原市四条町字田ノ坪に所在する塚山古墳(円墳・径16m)に比定される。
中世には山陵が荒廃して所伝を失い、元禄時代の探陵に諸説生じ慈明寺町のスイセン塚古墳(前方後円墳、墳丘長55m)があてられたりしたが、幕末修陵に際して現陵を擬し、明治11年(1878年)治定。

綏靖天皇(すいぜいてんのう、神武天皇29年(紀元前632年?)- 綏靖天皇33年5月10日(紀元前549年6月28日?))は、日本の第2代の天皇(在位:綏靖天皇元年1月8日(紀元前581年2月23日?) - 同33年5月10日(紀元前549年6月28日?))。『日本書紀』では神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと), 『古事記』では神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)ともいう。綏靖天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。

いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的である(実在説もある)。

(すいぜい)

奈良県橿原市

第2代 綏靖天皇陵

2009年6月15日

★地図

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