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スピリチュアル雑記
 5月6日   死と死後の世界についての覚書
 覚書だから、まとまりはない。学んだことを、思いつくまま書く〜〜

死とは、霊魂が肉体から離れること。その間を結ぶシルバーコードが切れること。
 輪廻の考えは、既にインドの太古の哲学ウパニシャッドに書かれてある〜 学者はそれを、太古の人間は死を恐れ、永遠の生を願って輪廻の思想を作った、と解釈する。輪廻・生まれ変わりは、人間の思考の産物だと決め付ける。そして一般の人は、学者の言う事だから間違いないと、頭ごなしに信じ込む。

神や宗教は信じなくても、学者の言うことは単純に信じる。おかしな話だ〜〜

この世とあの世は、ネガとポジの関係。物欲的、世俗的な欲望を求める人は、あの世から見たら失敗した生き方に見られる。
死ぬまでに、いかに世俗的な欲望から離れられるかが大切になる。

死者の供養も、飲食物を供えることは、死者の物欲を刺激すること。つまり、死者をこの世に引き止めることになる。死者にとってはありがためいわく〜
物欲から早く離れることが、死者のためになること。供養の儀式は、死に対する無知から来ている。生きている人間の気休め。真の供養は、形ではなく心のありさま。形式にこだわるのは愚か。宗派によって、形式は異なる。あまり意味はない。

普通、霊が生きた人間に影響を与えることを怖れたりするが、霊力の最も強いのは生きている人間。生きている人間の念が、霊界に影響を与える。
だから、霊を怖がることは馬鹿げている。人間が霊を怖がらせることもできる。

霊とは、単に肉体のない人間にすぎない。

死に際に、どんな欲望を持っているかが、来世の生き方を決定付ける。
生まれ変わりでは、男女の性別は交互になる。前世で男なら、今世は女になる。その逆も真なり。

過去生を見ることの真偽は、本物の過去生は、時間の流れが逆になる。つまり、死から始まって、老年期、壮年期、青年期、少年期と見ていく。
死後、魂は自分の人生を走馬灯のように回想するが、それも時間の流れは逆になる。

死ぬ時は、ほとんどの人は無意識になる。意識的に死ぬことのできる人は、次の生を意識的に生まれてくる。
そして、意識的に生まれてくる人は、その生が最後の生となる。輪廻から解放される。ただ、そういう人はほとんどいない。

急激な死では、霊は自分の死を自覚できない。つまり、自分は死んだと思わない。だから、事故死などでは、霊はいつまでもその場所に居続ける。

死んでから再生までの期間、霊が死後の世界に住む時間は、諸説さまざまある。
でも、死後の世界、霊の世界には時間がない、ともいわれるから、そのあたりは理解のしようがない〜。

輪廻・生まれ変わりを否定することは、単にその人の知識不足、偏見、狭い見方、無知からくる決め付け、先入観に過ぎない。

否定を証明する方が難しい〜。生まれ変わりがないことや、死後の世界はないことを、どうやって証明できるのだろう?
見えないから? わからないから? 知らないから? 科学者や、どこかの偉い先生がそう言うから? キリスト教が否定しているから?
証明ではなく、ただの理由付けをどこかに求めているだけ。




            2013年 5月 

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