2010年 5月
5月18日
心霊世界、スピリチュアルな世界に対する先入観、偏見、誤解はまだまだ根強いが、だからこそ正確な霊的知識を知ることが必要だと思う。
知識を知ることで得るものというと・・・
(1)
自殺をしようとしなくなる・・・・
自殺の無用さ、無意味さがわかるからだ。死んでも苦しみは消えないことを知れば自殺が役に立たないことがわかる。
(2)苦しみに耐えられる・・・・
苦しみの意味、必要性、原因がわかり、大局的な目で人生を捉えられる。苦労は必ず報われることを知る。
(3)擬似宗教や特定の宗教団体に惑わされなくなる・・・・
宗教の真の意味がわかれば、現宗教団体のうそ臭さが見えてくる。教祖の言うことのデタラメさがわかる。
(4)心霊現象、超常現象のからくりがわかる・・・
いらぬ恐怖心をいだくことがなくなるし、超能力をもっていることで選民意識にはまることの愚かさがわかる。
(5)死んでから役に立つ・・・
死後の世界を知識として知っておくことは、死んでから役に立つ。ガイドブックを持って旅をするようなもの。
自分に起こることがあらかじめわかっていれば、それへの対処はスムーズになる。この重要性はいろんな本に書かれてる。
(6)自分は守られている、という安心がある・・・
ひとりの人間に対してどれだけ多くの霊たちがサポートしているかを知れば、寂しく思うことがなくなる。
(7)長い目で人生を達観できる・・・・
人生が一度きりでないことがわかれば、全ての体験に意味があり、無駄なものなどないことを知れば、諦めることなく人生をポジティブに生きれるようになる。例えば、年老いてから新しいことを学ぶことは、次の生への大きな布石となる。
・・・思いつくことを書いた。まだまだあるとは思うが、ただ一つの知識、或る人の知識だけにとらわれることなく、いろんな本を読んで自分なりに吟味することが一番大切だ。
5月20日
死後の世界を信じない人は多い。逆に信じている人をバカにする傾向がある。
では信じていない人は、墓参りなどはしないのだろうか? 葬式や法要、供養などは一切しないのだろうか?
死んだら全て無になる、というのであれば、このような儀式は無意味でばかげていることになる。
では、なぜそれをするのか?
死んだ者への弔いの気持ちからだ、と言うだろうか。その弔う、ということ自体、死後の世界を想うことではないか?
単純なことだ。その矛盾に気づかないことこそ、不思議なことだ。
日本の仏教がよくわからない。仏教の教えとは何なのか? 各宗派によって言うことが違う。
仏教に詳しい人によれば、どの宗派にも共通する仏教経典はない、と言う。
なんのこっちゃ・・・
そもそも仏とは何か、はっきりしない。よく神仏という。では神と仏の違いは? これもはっきりしない。
葬式では仏僧が法要を行う。しかし、そもそも葬式とは儒教から来たものらしい。
法要では経典を唱える。その経典の意味を知っている人はどれだけいるのだろう。
各法要の儀式・しきたりだけがうるさく言われる。
その意味もわからず、ただ形式にしたがう。
結局は、信ずるものは救われる、となるのか。
では救われるとは何か、これもはっきりしない。
すべてがあいまいではっきりしない。これが日本の仏教の姿である。
霊的なものを迷信だと決めつけながら、こんな仏教の行事には何の疑いも無く従っている。意味もわからず行っている。
これが迷信でなくて何だろう?
神仏習合の歴史を経てきて、現在のような形になってきたのだろうが、私にはただの権力闘争にしか見えない。
それぞれの僧侶、開祖たちの欲が映し出されている。
私はこういうものを信仰する気にはなれない。
5月21日
浄土真宗。信者の数は日本最大らしい。開祖は親鸞。
その教えのひとつは、釈尊がこの世に現われた目的は阿弥陀如来の本願を説くため、ということらしい。
よく人が言うには、霊魂の存在は科学で証明されたことがない、だからデタラメだと言う。
では、阿弥陀如来の存在は科学で証明されているのだろうか?
霊魂の世界を説く人は必ずバッシングに遭う。
しかし、阿弥陀如来を信じている人がバッシングに遭ったという話は聞かない。
そして阿弥陀如来を信仰しているひとは多い。
不思議なことである・・・。
5月27日
私はまだ宇宙人に会ったことはないし、UFOを見たことも無い。
UFOを見たことで選民意識に芽生え、自分を特別な人間と思い込み、地球最後の日には自分だけは救われるという幻想をいだく人がいる・・・
子供っぽい。
古代文明の起源、謎とされている世界をすべて宇宙人の仕業と結論づける人がいる・・・
子供っぽい。
私は宇宙人の存在は疑わない。いて当たり前だと思う。問題は、その存在がどういうものなのか、だ。
人は自分の世界を基準に考える。
地球的環境を生命維持の必須条件とするなら、この宇宙はただの死の世界、無機質な世界になる。
少なくとも現代宇宙学が観察できる宇宙に限れば・・・そこでは宇宙人の存在は単なる仮説になる。
心霊学の世界においては、驚くべきことが言われている。
それは、この太陽系すべての惑星に知的生命体がいる、と言う。当然太陽も含まれる。
物質のレベルが違うので地球人には見えないという。つまり地球の物質世界だけが全てではない、と言う。
となると物質とは何か、という問題が生じるが、それはさておく。
興味深いのは、惑星それぞれ霊的なレベルに差があるということ、そしてこの地球は下位から二番目に霊的レベルが低いらしい。
最も低いのは火星で、最も高いのは惑星の中では木星らしい、そして一番レベルが高いのは太陽となる。
これにはもうひとつの説もあって、太陽に近い星ほど霊的レベルが高いというものもある。
これによると水星が一番高く地球は三番目ということになる。
ここから太陽神という信仰はリアリティを持つ。この太陽神からも興味深い話がある・・・
もうひとつ驚くことは、人間は生まれ変わる時、他の惑星にも生まれ変わるという。
特にE.ケイシーによると、前世でいた星はその人のホロスコープのある場所に現れているという。その場所は忘れたが・・・
おもしろいのは、この話がいろんな霊視者によって同じように語られていることだ。
シュタイナー、エドガー・ケイシー、シルバー・バーチ、アラン・カーディック、スウェーデンボルグ、M.ドーリル、そして江原啓之氏も・・・
信じるか、信じないかはあなた次第だ。
5月28日
子供の頃に思った将来の夢は隠居、世捨て人、山水に住む仙人のような生活だった。
山間の滝のそばで、ひとり自然と戯れて生きるのが理想だった。
奈良に滝は多いが、ほとんどハイカーの景勝地になっている。山も観光者たちで騒がしい。ゴミも多い。田舎には田舎の騒音がある。
そしてやはりいろんな面で不便なことが多い。そういう面ではいまの生活状況はベストなのだろう。
失業中のいま、これからどう生きるか、自問自答の毎日だが、とにかく就職はほとんど不可能だ。
あまり余裕のない限られた予算の中で何をするか、これがいまの自分に課せられているテーマだろう。
心霊学を知ったことは今すごく役立っている。死後どうなるかがわかれば、死ぬのは怖いが、不安はない。
死ぬときの自分の心境が大事であって、この世への執着が少ないほうがいい。
物欲がないほど、また死後の世界の知識があるほど、霊界での成長は早くなる。
だから、今の自分に何の物欲があるか、やり残していることは何か、それを調べている。
人はみんな生まれる前は、自分の人生がどうなるのか全部知っている。自分でそれを選んで生まれてきている。
カルマの法則によってそうなっている。
不幸や苦痛に出会うことは負のカルマ - 借金を返すこと。
幸運に出会うことはそれまでの徳の利息をもらうこと。
美輪さんのいう正負の法則は絶対だ。シルバーバーチも、因果の法則は完璧だと言う。
だから、幸・不幸のどちらにも執着しないこと。
タントラの教え
(和尚、トゥルンパ)
を知ったことも役立っている。
自分を変えようとしないこと。変えようとする努力が変わることの邪魔になる。その願望が障害になっている。
変えようとすることを止めて今の自分を全て受け入れること。
あるがままであること。
和尚はそれを美しく語る。トゥルンパはそれを泥臭く語る。
両方を知ることでバランスが取れる。理屈は単純だがこれがなかなかやっかいで難しい。
心霊・神智学の知識とタントラの教えは、私にとって生きる上での道しるべとなっている。
ダーウィンの進化論によれば、人間は猿から進化したそうだが、霊智学的に見ると違ってくる。
もともと人間の原形となるモノが存在し、その進化系が人間であるのに対し、猿はその退化したものであるという。
つまり猿は進化の流れに取り残されたモノ、落ちこぼれ的存在であるらしい。
動物の中で最も霊的に進化しているのは犬だそうだ。
一見人間に近い猿がそうだろうと思われるが、確かに犬が一番人間に役立っている。番犬、警察犬、盲導犬、猟犬など・・・
ネコや猿ではどうも勤まりそうにない・・・
ペットとして飼われた動物は、死んだ後もずっと霊界で飼い主を待っているという。
つまり、死んだ後も霊としてずっと飼い主のそばに居るのである。
ただ、動物が人間に生まれ変わるということはありえない。動物は群魂といって集団でひとつの魂となっている。
だから動物には輪廻転生も因果律もない。死んだ後は群魂の中に溶けてしまう。個性も消える。
ただ、ペットとして人間に愛された動物は、飼い主が死んで霊界に移るまで、個性を維持して飼い主と会えるのを待っている。
しかし動物は人間の進化のスピードについて行けないので、途中で別れて群の中に消えていく。