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スピリチュアル雑記
 12月25日
この世に生まれてくる前は、みんな自分の人生がどうなるのかわかって生まれてくる。
自分の親、境遇、寿命まで自分で納得して生まれてきている。
その意味、必要性がわかっているから。そして生まれてしまったあと、それを全て忘れてしまう。

自分がそれを決めたことを忘れているから、学びとして役に立つのだろうけれど、考えたらバカな話にも見える。
生まれる前に自分で設定した人生を、生まれてから嘆きはじめる。
「なんでこんな親の下に生まれたのだろう」と・・・選んだのはあなた自身だ。

だからある意味で、みんな記憶喪失の状態で生きているといえる。
人生における苦しみ、不幸などは、生まれる前にはみんなそうなることがわかっている。だから覚悟を決めて生まれてきているともいえる。

自分で決めた人生に自分で苦労しているのだから、考えによっては物好きな話でもある。

ときおり、神仏や守護霊に訴えることもあるだろう。「なんでこんな目にあわなきゃならないんだ!?」
守護霊は言うだろう。「だって、お前がそうなることを選んだんだろ?」
守護霊には全てお見通しだから、実際はこんな突き放した言い方はしないだろう。

シュタイナーはもっとはっきりと言い放っている。「我々は不幸になるために生まれてきている。」

・・・・・・これはちょっと言い過ぎだと思うが・・・

江原さんの話では、生まれるまえは、同じ魂の家族たち (この世の肉親とは関係ない) から
涙ながらの別れの挨拶を受けるのだそうな。これからきびしい修行が始まるのだ、ということで・・・

なぜ忘れるのか、というと肉体という鈍重な器の中に霊が閉じ込められるからだそうな。
それでも子供はだいたい5才くらいまではみんな霊が見えたり前世を覚えていたりする。

睡眠中はみんな霊界に行っている。

守護霊と今後の人生について打ち合わせをしたり、死後に訪れる霊の世界を下見したり、
すでに霊界で仕事を始めている人もいるらしい。そして目覚めると、それも全て忘れてしまう。
この理由も同じく、脳にその霊界での記憶を留めるだけの容量がないかららしい。

いったい誰がこんなシステムを作ったのだろう、と思えば、それが神だということになるようで。
まったくよくできた不思議な世界だと思う。





 12月27日
悪いことをして死んだら地獄に落とされる、という。地獄絵図というのを見たことがあると思う。
釜茹でにされたり、肉体を引き裂かれたりと、ありとあらゆる拷問が描かれている。

しかし、よく考えてみると、おかしなことに気づくだろう。
死んだ後は肉体はないのであるなら、肉体的苦痛を与えても意味がないのである。拷問を受けようにも、肉体が無いのだから。
だからこれらは霊的な世界を理解していない人間が想像して描いた架空の世界にすぎない。

では地獄とは人間の創作にすぎないのであろうか・・・どうも本当に霊界にはあるらしい。
ただ、いわゆる閻魔大王みたいな人に命令されてそこへ行かされるのではない。磁石のように引き寄せられるものらしい。

霊界は波動の世界で、同調する霊たちが集まる。似たもの同士、同じレベルの者たちが集まるようになっている。
だから、低いレベルの霊、悪意に満ちたり欲望にとわられた霊は、同類の霊たちのところへ行く。
そこが地獄となる。相当に陰鬱な世界らしい。

霊界は複層の世界といえる。いろんなレベルの霊が同じ場所に住んでいる。波長の違いから、それらはお互いに干渉しない。

天上界にもいろんなレベル・層があるように、地獄にもレベルに応じていろんな層があるらしい。
高級霊による地獄に堕ちた霊の救済行為もあるが、基本的には本人が更正したいという意志がなければその世界から抜け出すことはできないらしい。

最近の悲惨な事件の裏には、この地獄に堕ちた霊たちの憑依によるものが多いらしい。
彼らは呼ばれて来る。人間のネガティブな思念が低級霊を引き寄せている。





 12月29日
ある人の日記で、人間が不幸なのは神が悪だからだ、という内容のコメントがあったので、私から見れば、人間が作った神の概念に囚われているように思え、また、人間の愚行を神の陰謀だとする責任転換が見られるので、スピリチュアリズムの観点から、間違いを指摘したのだが、頑として自己の説を主張されていた。
自分の考えに反論されることは誰も嫌なものだ。

特に、霊的な世界、信仰、宗教的なものは、その人の生き方につながっているので、議論がいき過ぎるとその人の生き方を否定することにもなりかねない。だから、よけいなお世話だったのかもしれない、と思っている。その人がそう思いたいのは、その人の自由なのだから、放っておけばいいのだけれど、明らかに間違っている、誤解していると思えると、やはりこちらも言いたくなる。そのところの兼ね合いが難しい。

また、以前、シュタイナーの前世・因果説を書いたところ、それはシュタイナーらしくない、という批判が来た。
私はシュタイナーが言った言葉をただ書き写しただけだが、それがシュタイナーらしくないと言う。
おかしな話だ。その人独自のシュタイナー観が強く偏っている。

また、江原さんの話をすると、江原氏は偽者だ。本物の霊能者ならそんなことをするはずがない、という人がいる。
しかし、よく聞けばその人は霊を信じていない。

霊を信じない人に本物の霊能者のことがなぜわかるのだろう?

自分の思い込みを頑なに信じて、それを基準にして判断している。
霊の世界は自分の思いが具体化する世界であることは確かだが、それは、なんでもありの世界になってしまう危険性がある。





 12月30日
イエスの説いた教えは、現代に伝わっているキリスト教の教義内容とは異なる。

キリスト教はローマ帝国のコンスタンチヌス皇帝によって書き換えられている。
権力の道具として。そこからキリスト教教団は大きな権力機構として肥大化していく。

イエスはまったく組織化、教団化に反対している。それは当時のユダヤ教の形式化・権力化した姿を見ているからだ。
イエスはユダヤ教を批判したため、ユダヤ教の教皇たちの反感を買い、十字架にかけられて殺されてしまう。

イエスは異端者であった。キリスト教はユダヤ教から生まれたものではなく、反ユダヤ教として生まれたものだ。

イエスの弟子たちは彼の教えを完全に理解することはできなかった。
これは当時の人々の知識レベルのせいであり、弟子たちは自分の理解できる範囲でしかイエスの教えを受け入れることができなかった。

そういう弟子たちがイエスの教えを記したのが聖書だが、その言葉も象徴的に書かれてある。
その聖書の言葉を、文字通りに捉えるか否かで、解釈はさまざまに分かれてくる。

イエスの本当の教えを知るには霊界通信によって記録された本によるしかない。
そこでは現代のキリスト教の教義の誤りが多く指摘されている。












            2010年 12月 

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