11月7日
霊的世界の証明
これがけっこうややこしくてめんどくさい。見えるものしか信じない人に霊の世界を説明することは・・・
耳の不自由な人、音の聞こえない人に、バッハやモーツァルトの音楽の感動を伝えるようなもの。
目の見えない人にダ・ビンチやミケランジェロの美術の素晴らしさを説明するようなもの。
シュタイナーは霊の世界をこう例えている。
氷は見えるが水蒸気は見えない。しかし水の成分に変わりはない。
電波は見えない。受信機があって、それは感知される。
可視光線、可聴音域・・・人間の五感で捉えられる世界には限りがある。
その五感で感じられる世界が全てだと言う人がいる。
見えるものだけを信じている人がそうだ。人間の五感というものが、いかに頼りなくごまかされやすいものか。
それも訓練しだいで、かなり向上できる。五感の世界は非常に個人差が大きい。つまり、人によって違う。
それを唯一の信じられるものとしてみるとは、逆にそれこそ信じられない。
人間の生命活動を単なる脳細胞の化学反応の結果にすぎない、と説く人がいる。
この説には重要なポイントが欠けている。
なぜ、化学反応が起こるのか? そのエネルギーはどこから来ているのか? なぜ個人差があるのか?
人間は肉体細胞活動の操り人形ではない。
11月18日
毎年3万人の自殺者が10年以上出ている。
霊を信じること、死後の世界の存在を信じることが自殺を勧めることになると言う人がいる。
とんでもない誤解だ。霊の世界を知らないからそういうことが言える。
死とは肉体から霊体が離れるだけのことであって、霊(その人)の持つ思いはそのまま残り続ける。
つまり心の苦しみは死んでも消えないのである。
いやむしろ、生前は肉体がフィルターの役目をしていたため、その苦しみは弱められていた。
死後、肉体(フィルター)が無いので、苦しみはより強くなる。
だから自殺しても苦しみから逃れることはできない。無駄な行為なのだ。
生まれるとき、その人の寿命はすでに決まっている。
自殺をすることは、自分の寿命を自ら途中で縮めることだから、消された残りの寿命は次の生で埋め合わさなければならない。
そして次の生では同じことがまた繰り返される。カルマ(業)が消えていないから、同じ人生を体験する。
しかも以前より厳しい環境で・・・
自殺した霊は、それでも自分に意識があるため、自分が死んでいることが信じられない。
だから何度も自殺しようと、同様に自殺したがっている生きている人間を利用する。
これが、同じ場所で何度も自殺が起こる理由だ。自殺した霊はその場所の地縛霊・憑依霊となりやすい。
ただしこれは一般的な話で、死んでから自分の苦しみを捨てることができた霊は浄化が早い。
その人がどれだけ苦しみに執着しているかがポイントになる。
死ぬ動機・理由が要点になるので、他人の犠牲になって自殺した人やサムライの切腹などは、死後の浄化は早いらしい。
霊の世界を否定すること、死んだあとは無になるという考えが自殺を容認していることになる。
霊的知識を知ると、自殺できなくなる。自殺しても無駄であること、逆に自分にとって損であることがわかるからだ。
2010年 11月