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      死後・霊魂の世界  


江原啓之

  幽現界--亡くなったばかりのときにいる世界(四十九日)
  幽界--下層部(地獄)、
    中層部(サマーランド) -- 非常に極楽に近い景色。花が咲き乱れて、皆楽しく過ごしている。
              物質の世界ではないので、金も食事も必要ない。想念の世界。やりたい事を努力なしにやれる。
    上層部 -- 中層部の延長、心境を上げる。日々、同じ事をやり続ける。
            今度は努力の重要性を考え、もう一度試練を味わいたい魂は再生を考える。
              ※臨死体験はこの幽界の入口まで行っている。
  霊界(極楽) -- エーテル体を捨てる(第二の死)、個性が無くなり魂だけになる

  幽霊----死後の世界を信じず、自分は死んだと自覚しない霊が現世に留まる。   
  地縛霊--事故などで即死して死の自覚のない人

 幽界ですごす時間はこの世への未練を徐々に捨て去る浄化の時間 -- 普通30年から50年かかる -- その後霊界へ進む。

 霊界の方々が語るところによると、あちらの世界(霊界)こそが本当の世界であって、私たちが生きるこの物質界は仮の世界、あちらが光ならこちらは影なのだそうです。私たちが長いと思う人生も永遠の魂の尺度で思えば、あっという間のことだそうです。




  霊界ではその人の心境しだいでその世界の明るさ、美しさが決まる。 霊界では全てが自由で、各自の願いや欲望が向かうところへ行く。 霊界でのその人の容貌は、その人の霊的発達の度合いを示す。霊がその知性力の高い段階に達すると、容貌はより成熟したものとなり、ついには聖者の容貌を持つようになる。 霊界では、似た性質をもった霊同士は近づき、完全に反対の性質をもつもの同士は反発し合う。
 「魂は、その本質において不死で不滅であるが、それは不死で不滅の神から発生したものだから。種が下等な物質的地上の暗闇の中にまかれるように、魂は物質という下等な存在の中にまかれ、それから芽をふいてより高いもののなかに上がってゆく。」


                           

マイヤースによる魂の辿る行程
 (1) 物質界
 (2) 中間界 .... 古代人の言う冥府。死の直後において各自が住む休養地。
 (3) 夢幻界 ..... 幽界の入口で、仏教でいう極楽浄土。一部の人たちからサマーランド(常夏の国)と呼ばれるところ。
          帰幽者(死者)が地上生活の楽しかった記憶のみを寄せ集めて築き上げた、取りとめのない夢想境。
 (4) 色彩界 .... 幽界の第二段で、個々の意念の働きが自由自在となり、振動の極めて烈しい多彩多様の形態を造っている。
 (5) 光焔界 .... 幽界の第三段で、外貌、形態、色彩、感情などから離脱し、自我の天分職責を自覚し、個人生活を離れて共同の宇宙生活に入る。
 (6) 光明界 .... ここで各自の魂は無色となり、喜怒哀楽の心の模様の上に超越して了う。無色とは完全に均斉のとれた純理の表現。
 (7) 超越界 .... 神界とも言う。無上智の理想境であり、ここには過去、現在、未来の区別もなく、一切の存在が完全に意識される。これが真の生命の実相である。現在の地球生命の存続中に、人間としてこの境に入るものはほとんど無い。

                                         
---- 「永遠の大道」 G.カミンズ 著 / 浅野和三郎 訳 ----


              


イマニュエル・カント 
 
誕生・生涯・死は魂の状態にすぎない ・・・・死滅するのは我々の肉体だけである・・・・我々の本質は死滅することなく、肉体が存在しなくなった後も存在するに違いない。人間の生活は二重である。それは動物的生活と霊的生活の二つの生活から成り立っている。前者がこの世の人間の生活であり、その生活のためには肉体が必要である。後者は霊の生活であり、人間の魂はその生活を肉体とは別に生きて、肉体から離れた後もその生活を続けるのに違いない。
                                                 ---- 「見霊者の夢」----

                  


シルバー・バーチ

 ★死後の世界は地上よりはるかに実感があり、しっかりしています。 本当は地上の生活の方が実感がないのです。 
霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。 こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません。
   あなたがたはまだ霊の世界の喜びを知りません。 肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、 考えたことがすぐに形をもって眼前に現われる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活には譬えるものが見当たらないのです。 

  肉体に閉じ込められた者には美しさの本当の姿を見ることが出来ません。 霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなたがたはご存知ない。 実は人間は死んではじめて真に生きることになるのです。 死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。
  地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端なりとも地上の絵具では表現できないでしょう。 いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律のひと節たりとも表現できないでしょう。 

  霊界では同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしています。 各自がその霊格に合った階層で生活しており、程度の低い者と高い者とがいっしょに暮らすということがありません。
  霊の世界は償いの世界であると同時に埋め合わせの世界でもあります。 地上世界では得られなかったものが補われてバランスを取り戻すのです。

                                                     
                


アラン・カーディック

 ★霊界の音楽は地上の何ものをもってしても表現できない調和があり、とても地上の音楽の比ではない。 それは原始人の叫びと、至上の妙なるメロディーの差がある。 だが低い霊魂は、能力が足りないので、地上の音楽を喜ぶだろう。 霊の感覚能力が進歩すると、音楽は無限の魅力となる。 この音楽とは霊界の音楽であるが、それは霊の想像をもってしても、これほど無尽の美と喜びを表現したものはない。
  宗教はどの宗教も、あの世に行った霊は地上に残した者達に心を配りつづけると教えている。 霊はあなた方の苦しみを見ている。 だが観点が違っている。 彼等は、もしあなた方が苦難を甘んじて耐えれば、それがあなた方の進歩の助けとなるのだ、というふうに心得ている。 彼等は苦しみは一時と分かっているので、その事よりも、あなた方の不屈の精神の欠如、これが進歩を遅らせるので、この方で心を痛ませる。
                                                            -----
「霊の書」 -----


                


オリバー・ロッジ
 ★われわれはよく「肉体の死後も行き続けるのだろうか」という疑問を抱く。 が一体死後というのはどういう意味であろうか。 もちろん肉体と結合している5〜70年の人生の終ったあとのことに違いないのであるが、こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎない。 
というのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異なのである。 これは実に特殊な現象というべきである。 
私はよく「死は冒険であるが、楽しく待ち望むべき冒険である」と言ってきた。 確かにそうに違いないのであるが、実は真に冒険というべきはこの地上生活の方なのである。 地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象である。 
こうして肉体をまとって地上に出て来たこと自体が奇蹟なのだ。 失敗する者はいくらでもいるのである。
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「まぼろしの壁」----


             


神智学
死んだからといって何らかの変化がおこったためしはない。 死とは、肉体がなくなった以外には、全く生前の彼に変わりはない。 彼はその知性、気質、美徳、悪徳などをそのまま持ち続ける。

死後の世界には思いもかけなかった全く新しい世界というものは決してなく、ある変わった状態の下に、現世すなわち物質界における生活の継続があるのみである。 そのために、肉体の死後アストラル界に初めて入っても、彼は自分が死んでいることをぜんぜん知らないことが多い。 自分がすべての物事を意識しているため死の自覚が得られにくい。
しかし、徐々に様子が違う事に気づき始める。 自分の知人を見ることはできても、話のやりとりはできない。 触れようとしても相手に何の感触も与えない。 また、一切の苦痛や疲労が全く無くなってしまっている。あらゆる欲望や想念が目に見える形となって現われる。
死んでアストラル界に行った人間は地上界の人間の感情(愛、憎しみ、嫉妬、羨望など)がよくわかる。 そしてその地上界の知人の感情にすぐ、しかも深く影響を受けるようになる。

死後の世界(アストラル界)ではもう食べたり、寝たり、生活のために働く必要がなくなっていることにまだ気づいていない人は、自分の想像で造り上げた(アストラル界を構成しているアストラル質料である)食事を食べたり、自分の住む家まで造り上げることもある。 また、まだアストラル生活の状態がよくわからない新参者は、部屋から出入りするにも、自分が壁を自由自在に突き抜けられるようになっているのも知らずに、依然として扉や窓から出入りしつづける。 同様に、空中を軽く移動できるのに地面の上を歩いたりする。

 生前地上界で物質欲に強くしばられていた人は、このアストラル界で物質欲から解放されるための修業をしなければならないため、長くアストラル界に留まることになる。反対に、生前中に自己修業で物質欲へのこだわりを無くした人は、わりと楽にアストラル界から解放され、より高い界層へと進む。
                                                   ----- 
神智学大要 2 アストラル体 ----

 ●天国(メンタル界層)
「涙もなく、溜息もなく、結婚することもなく、結婚されることもなし。正しき人々が余すところなくその完全さを実現する境域。」
人は、過去における努力の積み重ねによって造り上げた器量に応じた分だけしか天界からは引き出すことはできず、また、それに応ずる部分だけしか認知することはできない。 めいめいが自分用の椀を持っており、ある物は大きく、ある物は小さい。 しかし大は大なり、小は小なりにギリギリまで満たされる。
芸術・音楽・哲学のような世俗を超越したものに関心を持っている人には、計り知れない楽しみと限りない教えとが彼を待っており、彼がどれだけそれを享受するかは、ひとえに彼自身の知覚力にある。

  天界では、終えたばかりの地上の一生で「内なる思考者」が経てきた数々の体験のうち、価値ある道徳的体験や精神的体験だけを選り出し、それについて沈思黙考し、次第にそれを道徳的・精神的能力として昇華せしめ、次の生に持ち越すべき何らかの力とする。
天界では、魂は各生ごとに「地上の低域の中より道徳的にすぐれたものと意識との甘露だけ」を収集する。天界滞在中、魂は自分の蓄積した体験、終えたばかりの地上生活の収穫を検討し、それらを仕訳し、分類して同化しうるものは同化し、不毛なものや無益なものは拒否する。

 過去の諸々の体験は消化されて能力となる。
〇もしある一生において深く学業をしておれば、その結果は次の生においてその問題に初めてぶつかった時に、逸早くそれを習得してマスターする特殊才能(素質)となる。
〇すべての誠願は様々な体験と試練をへていずれは力となる。
〇よしんば挫折しても、すべての努力はやがて才能となり、能力となる。
〇苦闘も敗北もいずれかの日において勝利を獲ちとるための武器の原材料にその姿を変える。
〇悲しみも過ちも、鍛錬し精錬して、やがては賢明にして正しい意志となる貴金属として光を放つ。

 われわれは死後の生活が唯一の現実であり、低我そのものを始め地上生活は虚妾である。
                                            
                                    神智学文献       ----- 
神智学大要 4 コーザル体 -----


               


G.V.オーエン
 ★地上の人間は日々生活を送っているその身のまわりに莫大な影響力が澎湃(ほうはい)として存在していることにほとんど気づいていない。 すぐ身のまわりに犇めく現実の存在であり、人間が意識するとせぬとに拘らず生活の中に入り込んでいる。
しかもその全てが必ずしも善なるものではなく、中には邪悪なるものもあれば中間的なもの、すなわち善でもなければ悪でもない類のものもある。

人間は孤独な存在ではなく、孤独では有り得ず、また単独にて行動することも出来ず、常に何らかの目に見えない存在とともに行動し、意識し、工夫していることになる。 その目に見えぬ相手がいかなる性質のものとなるかは、意識するとせぬとに拘らず当人自身が選択している。


何を行うにも常に守護・指導に当る霊が自分の心の動き一つ一つを見守り注視していること、今の自分、およびこれより変わり行く自分がそのまま死後の自分であること、その時は今の自分にとって物的であり絶対であり真実と思えることももはや別世界の話となり、地球が縁なき存在となり、地上で送った人生も遠い昔の思い出となり、金も家財道具も、その他今の自分には掛け替えのない財産と思えるものの一切が自分のものでなくなることを心して生活することである。
                                                        -----
ベールの彼方の生活 No.2 -----


           


シュタイナー
 ★実際、この世の生活は、人間が受け取りうるすべてを、決して経験させてはくれないのです。 
この世での私たちは、すべてを享受できないのです。 人生という文章のいわば行間には、他の人間に対する欲望、願望、愛がいっぱい残されたままになっていました。 生前に満足させられなかった事柄に対して、死者たちは霊的に渇望しながら、回顧し続けます。
それは数年間も続くのです。 この数年間における死者たちの世界は、主として生前過ごしてきた世界です。
死者たちは生前の地上生活を観、その地上生活の中で決着のつかなかった事柄を見ます。 しかし今は、それに決着をつけるための器官を持っていません。 地上においてでなければ満足させることができないのに、それを何も満足させることのできない領域に数年間も生き続けることによって、はじめて死者たちは、生前の生活関連から自分を引き離そうとするのです。
                                                   
                                                       ----- シュタイナーの死者の書 ----

 ★魂が体の中でしか体験できなかったものに執着することをやめ、霊と一緒に体験できるものだけと係わりを保とうとするとき、霊は解放される。
 死後の世界は、もっぱら自分が霊的、魂的な世界の法則に従うことで、霊を自由に活動させるために、物質存在への執着を一切絶つのに必要な一時期を持つ。 魂が物質的なもの拘束されていればいるほど、もちろんこの期間は延長される。 物質生活への依存度の少なかった人の場合は、期間が短く物質生活への関心が強く、死後もなお多くの欲望、願望等が魂の中に残っている人の場合は、長く続く。
                                                    
                                                          ----- 「神智学」 ------

★死後の諸体験は、生前の諸体験とこれまで以上に異っている。浄化の中にいる人間は、いわば逆方向に向って生きている。生まれてから経験してきた生前のすべてを、死の直前から幼児期に至るまで、もう一度、時間を遡行して辿り直す。
 たとえば、60歳で死亡した人物が、40歳の時に激怒し、相手に身体的もしくは精神的な苦痛を与えたことがあったとしたら、その人は、死後生前の生活を逆に辿り、40歳のところに達したとき、この事件をもう一度体験しなおす。しかし相手を攻撃したことが、かつてのように、満足感をもたらすのではなく、逆に相手の受けた苦痛を体験させられる。
 このことからも分かるように、外なる物質界に由来する自我の欲望の結果が、死後のこの経過の中では、痛みとして知覚される。
それは、一度生じた欲望を、「焼き尽くす焔」の中で、消滅させるためである。人間が時間の方向を逆に辿って、誕生の時点に達した時、そのような欲望がすべて、浄化の火によって焼き尽くされる。
                                             
                                                         ----- 「神秘学概論」 ------

 ★死者にとって大事なのは死の直後の期間です。 この期間は何時間も、何日間にもわたります。 
この状態において、死者の魂の前を、壮大な記憶の光景として、生まれてから死んだ時点までの人生が通り過ぎていきます。 死後、誰でも、この人生の記憶像の通過を経験します。 (中略) 人生に付着した喜びや苦しみは、この記憶像の中には存在しません。 死者は絵画を見るように、客観的にこの記憶像に向かい合うのです。 悲しみに打ちひしがれ、苦痛に満ちた人(自分の現世の姿)を私たちは客観的に眺めます。 この人の悲観を追感することはできますが、この人の苦痛を直接知覚することはありません。 死の直後に現れる映像もそのようなものです。 現前に展開するこの映像の中で、人生の中で生起した個々の出来事があまりにも速く流れ去っていきます。

 物質界において、アストラル体は肉体の器官を通して、喜び、苦しみ、欲求、衝動、願望を満足させます。 死後、この肉体的器官は失われます。 舌がないので、美食家の喜びは満足させられません。 けれども、アストラル体に結びついた欲望は残っています。 そのために、欲望期(カーマローカ)に燃えるような渇きが生じます。 カーマは欲望、願望、ローカは場所という意味ですが、カーマローカは実際は場所ではなく、一つの状態です。
 物質界での人生において、すでに肉体を超越している人は欲望期が短くなります。 美と調和は私たちを感覚界から導き出してくれます。 高貴で、霊の浸透した喜びは欲望期を短縮します。 ですから、すでに物質界において、感覚的器官を通してのみ満足させることのできる情欲や欲望から遠ざかる必要があります。 欲望期は感覚的情欲、欲望から遠ざかる期間です。 欲望期は通常の人生の三分の一の長さです。 この期間、死者は全人生を回想しはじめます。 今、すべての喜びと苦しみを逆の形でもう一度生きるのです。 つまり、他の人に対して与えた快や苦のすべてを自分の中で体験しなければならないのです。 

                                                      ---- 薔薇十字会の神智学 -----

 ★私(我々)の魂は眠りについてから目覚めるまでに霊界に滞在することになります。 そのとき私(我々)の魂は、私(我々)の地球上の人生を導く存在の力に出会います。 この存在の力は霊界に存在します。 つまり、私(我々)の魂は自分の頭の周りに漂っている守護天使に出会うのです。・・・・そしてこの霊界こそが、現実的な---真の意味において現実的な世界なのです。 というのも、私たちが通常現実的な世界と呼んでいるこの世界は、・・・真の現実世界の似姿にすぎないからです。 現実の世界とは霊の世界です。 
                                                        ----- 天使と人間 -------


                


 スウェーデンボルグ
 ★霊や天使たちと語り合うことは、古代の我々の地球においてもありふれたことであり、(中略)彼らは当時、天界のことを多く考え、この世のことはほとんど考えなかった。 しかし時代の推移とともに、天界との生きた交流は閉ざされた。
人間は内的なものから外的なものになり、この世のことを多く考え、天界のことをほとんど考えなくなった。 人間が、天界や地獄の存在や、自分が本来的には死後も生きる霊だということをもはや信じなくなったとき、事態はますます悪くなっている。

                                                 ----
スウェーデンボルグの惑星の霊界探訪記 ----


  霊界には無数の団体があり、これがひとつひとつの町や村を形づくって一緒に住んでいる。 霊界の団体の数は、おそらく数千億、いやもっとになるかもしれない。 霊界にこんなに多くの団体があるのは、霊となって肉体の束縛を脱したあとは、人間がその本来の姿にかえり、本当の霊的性格をとりもどす結果なのだ。 永遠の生を送る霊界では、霊は自分を偽ったりせず、本来の性格にもどらなければ行き続けられない。 本来の性格の合う者だけが一緒に集まって団体をつくって生活を送るのだから、性格の多様さに応じて無数の団体ができることになる。
                                                              ---- 「霊界 T」 ----

              

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