再生の問題に関する各霊視者、各霊知学の説




江原啓之
 ★再生を決めた時点で、霊界のほうで協議されて霊団がつく。どの家庭の中に降りるとかを決める。
その家庭の先祖霊とかも絡んでくる。担当者を決めてこの現世に降りてくる。 つらい修行に出るということで涙ながらに別れて出てくる。 死んだ人間がそのまま生まれ変わるわけではない。 -- 類魂説

   ◎類魂 --- 類魂の「個性」は同一。しかし「経験」は別々である。コップの水のたとえで言うと、一滴また一滴と、コップ(類魂)から出されている水滴(たましい)は、これまでに実にさまざまな時代、国、性の人間として生まれ、まったく違う経験を積んできました。類魂には、それら無数の「経験」が内包されているのですから、そこから導き出される知恵もつまっていることになります。つまり、類魂は輝かしい記憶と叡智の宝庫なのです。あなたが死んで霊界に行き、類魂の中へ再び溶け合ったとたんに、それらすべての経験が、あたかも自分の記憶のように蘇るのだそうです。

                                           





神智学                                                     
 ★高我すなわち人間の本当の魂 --- 肉体の中にはそのホンの一部分しか表われることのできないこの高我こそが真の意味における個性である。 高我(魂)の一部が特定の時期、特定の人種に、男あるいは女として、生まれ変わる。これを現象我(低我)という。
例えば高我を3次元の22面の幾何学的立方体(22面体)だとすれば、22面体の表面のひとつの面が低我に相当する。 低我は誕生する場合に精神(メンタル)体、感情・欲望(アストラル)体、および物質体(肉体)を備える。
この三つの体(メンタル体・アストラル体・物質体)は、これらを使役する低我の生命と意識とは全く違った独自の生命と意識とをそれぞれ持っている。 肉体は両親によって提供され、その先祖代々からの遺伝子の中から、胎児の高我のカルマに見合い、かつ低我が誕生後の人生に役立つ遺伝子が選出される。 生まれてくる赤子が備えているアストラル体とメンタル体は、その赤子の前世が終った時のアストラル体とメンタル体とにそっくりそのままである。
                               神智学文献   
   --- 神智学大要 エーテル体 ---

アリス・A・ベイリー
 ★すべての魂が、再生誕の法則の下で、転生を繰り返す。各々の生涯は、単なる生活体験の繰り返しではなく、次のようなものでもある。
かつての責任引き受け、古い関係の回復、古い負債を支払う機会、返却と進歩とをなす好機、根深い特質の自覚、古い友人と敵の認知、犯した不正の解決、人間を条件づけ、彼を彼であるところのものにするものについての解釈。一般に認識されるよう切に求められる法則は、このようなものである。

                                 --- 「トランスヒマラヤ密教入門 第三巻」 ---



                 


シルバー・バーチ
 ★地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知している。
 地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき過去の過ち、施すべきでありながら施さなかった親切、こうしたものを明確に意識するようになり、今こそそれを実行するのが自分にとって最良の道だと自覚するようになる。
 地上で見せる個性は個体全体からすればホンの一部にすぎない。

 霊界にはすでに地上生活を体験した人間が大勢いる。 その中にはもう一度地上に来て果たさねばならない責任、やり直さなければならない仕事、達成しなければならない仕事といったものを抱えている者が大勢いる。 
そして、その目的のための機会を与えてくれる最適の身体を探し求めている。
 再生する国は前世と同じ国とは限らない。目指している目的のために最も適当と思われる国、民族を選ぶ。男女の性別も同じ。 かならずしも前世と同じ性に生まれるとはかぎらない。

  地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚している。 何も知らずに誕生してくるのではない。 自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶ。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上ってこないだけの話です。
 ( いったん他界した人間が再び人体に宿って地上に誕生して来るという説について、スピリチュアリズムの中でも賛否両論がある。そのことについてのシルバー・バーチが語ったこと。)

  知識と体験の多い少ないの差が (再生があるのかないのかという) そうした諸説を生むのです。 再生の原理を全面的に理解するにはたいへんな年月と体験が必要です。 霊界に何百年何千年いても再生の事実を全く知らない者がいます。 なぜか。 それは死後の世界が地上のように平面的でなく段階的な内面の世界だからです。 その段階は霊格によって決まります。 その霊的段階を一段また一段と上って行くと、再生というものが厳然と存在することを知るようになります。 もっともその原理はあなた方が想像するような単純なものではありませんが......。
 生まれ変わりの問題に関してはこちら(霊界)の世界でも事実を知る者と知らない者とで意見がさまざまに分かれています。 知らない者はあくまでも「ない」と主張し、知っている者は自分の体験から自信を持って「ある」と断言します。 私(シルバー・バーチ)は後者の一人です。 私にも体験があるからです。 ですから再生が事実であるという点は問題ないとしても、その真相の説明となると、これはたいへんやっかいです。 なぜかと言えば、再生するのは同じ霊ではあっても、物質界に顕現するのは同じ面ではないからです。

 今のあなたという意識は別でも同じあなたと言える大きな意識体があります。 それのホンの一部(分霊)がいま地上という物質界でそのあなたを通じて表現されているわけです。 そして、あなたのほかにも同じ意識体を構成する分霊が別の世界で表現されております。
二つの分霊が同時に地上に誕生することはありません。 全体の目的に反することだからです。 個々の意識であらゆる界層での体験を得るということが本来の目的です。


 私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。 
人間の個性というものはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。 その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによつて得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。

 再生するのは同じ個体の別の側面です。 同じ人物とは申しておりません。 一個の人間は氷山のようなものだと思ってください。 海面上に顔を出しているのはほんの一部です。 大部分は海中にあります。 地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。 死後再び生まれてきた時は別の部分が海面上に顔を出します。 潜在的自我の別の側面です。 二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面ということです。



                    


M・ドーリル
 ★魂の輪廻転生の理解は、もし、それがなければ矛盾に満ちて見えるこの人生のあらゆる事柄に対して、前途への光明と望みとを投げかけてくれる。 
我々が、自分の今の人生は、今まで何万回も過ごして来た過去生の中の単なる一つにすぎないものであり、これからも多くの生まれ変わりをするだろうと考えると、この世のすべてのことが平等だと考えられるのである。

  今の人生が我々の生きる唯一の人生のチャンス(機会)ではない。人生から人生へと連続的に転生してきたのであり、これからも転生を続けるのであり、いつかの将来に人生そのものを克服卒業しなければならないのである。 人生の克服は同時に死の克服であり、輪廻転生の終止・打ち止めなのである。

  古い魂・新しい魂といったものはない。 全部が同時に生まれた魂である。 表面的な魂の個性差の様なものは、それぞれの魂がいろんな輪廻転生において獲得した発達と進化と知識の程度の差なのである。 別の多くの前世においては、今の生と同じ様に、ある魂は他の魂よりも熱心に努力してきたわけである。 そしてそれを次の転生にもち越すわけである。 

  魂は各転生毎に自己の行為と自己の創り出した因果則の因とによって、来世の環境と肉体とを規制する。 ある魂が不具か病身かで生まれても、それはその父母の罪によるものではなく、その魂が前世において(いくつもの前世の因が重なった場合もある)創った原因によるものが今生で表出したのである。 類は友を呼ぶと言われる様に、魂は自分自身の周波数に調和する環境と肉体とに引きつけられるのである。
  魂は決して低級動物となって生まれ変わるものではない。 仏教でこの様に教えているのは、その様な恐怖心をおこさせて人を善に導くための方便である。

  魂は、肉体から肉体へと転生して進歩発達するとともに、天体から別の天体へも転生するのである。 だから過去においても偉大な文明が興発してきたのである。 ある種族に生まれている一族の魂は、自分達の最高のところまで発達すると他の天体(霊的太陽により近い方)に移ってゆき、その代わりに他のより遠い天体から発達程度の低い魂の一群がやってくるのである。

                                   ---  「秘教真義」 ---



                    


アラン・カーディック

 ★魂は地上生活の試練を体験することで浄化する。 再生の目的は、罪の償い、即ち、それによる人類の進化改善。 新しく生まれ変わる度に、霊は一歩ずつ進歩する。 こうして一切の汚れから脱却した時、もはや再生の必要はなくなる。
再生の回数は、どの霊でも同じというわけではない。 進歩の早い霊は、あまり多くの試練をうけずにすむ。 しかしそれにも拘らず、再生の数は相当な数になる。 何となれば、進歩の道程は無限に遠いから。
  地上生活の苦労を経験して、初めて霊は改善されていくものだから、地上生活とは笊(ざる)や篩(ふるい)のようなもので、霊界の霊達は完全に達するために、この篩をどうしても通らなければならない。 
彼等は地上生活の試練の中で、悪をさけ善を行うことによって、自己を改善する。 しかし、それには再生とそれに続く浄化を次々と数多く重ね、その努力に応じて長くもなりまたは短くもなる。

  再生はすべて地球上とは限らない。 多くの天体で再生が行われる。
 現在我々が生きているこの地球は、我々にとって最初の地上生活でもないし、また最後でもない。 しかし、最も物質的な生活の中の一つであり、完全からは最も遠いものである。
  霊は新しい人生で、前世の精神や性格の特徴を残している。 ただし、本人が進歩すればそれは変わる。 
次の人生では社会的地位も大きく変わる。  霊は肉体に反映する。 肉体は霊の器に従う。 霊は肉体に自分の個性を印する。 一番目立つのは顔であるが、その中でも特に目に現われる。 目は魂の鏡である。
  それぞれの人生で獲得した知識は失われるものではない。 肉体は消えても、霊は学び取ったものを記憶している。 
一度知った一切は直覚となり、本人の進歩を助ける。


                                 --- 「霊の書」 アラン・カーディック ---






エドガー・ケイシー
 ★転生間に私たちがどのような惑星に滞在するかは、私たちがそれまでの人生でどのような生き方をしたか、また、次の転生でどのような精神的な特質を培う必要があるかによって決まってくる。
 ----こうして惑星滞在によって次回の転生に必要な精神的特性を充分に獲得すると、自分の次の人生にふさわしい環境を求めて再誕の機会をうかがう。 これらが霊的成長という観点で行われるために、この世的な感覚では苦労の多いと思えるような人生であっても、あえてそこに飛び込むことを選択する。

                                --- 「眠れる預言者 エドガー・ケイシー」 ---

 ★感情は地上で過ごした前世から来る。先天的才能は、生まれる前に過ごした地球外環境から来る。 (1523-4)
 ★地上での生と生との中間期に他惑星にいた経験が、占星術で言う座相に示されている。人は他の惑星で肉体に生まれるのではない。環境固有の意識に移行するだけである。このような他の惑星での生活が心に潜む特殊な力の源になっている。  (2144-1)



                                            

ピタゴラス
 ★魂は感情、直観、理知の3つの部分に分かれる。 感情は心臓に集中し、直観と理知は頭脳にある。死後、魂は地獄で浄化の期間を経る。 それから魂は地球に帰り、別の新しい肉体の中へ入る。 これは転生の連鎖であって、これが終わるのはただ完全に道徳的な生物によってのみである。 
       
                                                  






ルドルフ・シュタイナー
 ★死者は自分の内部でまだ決着のついていないすべての事柄を見ます。 そして前世では悪いことをしたが、次の地上生活ではその償いをしよう、という憧れが生じます。 どんな人も、この時期には前世を回顧することができます。 生前のすべての行為がこの時期に死者の眼前に現われ、新しい地上の人生ではその償いをしようという思いを生じさせます。 
新しい地上生活においては、前世でやれなかった事柄を償い、そうすることで、人生をよい方向に持っていこうとするのです。
 私達には、自分が負担をかけた人たち、自分に負担をかけた人たちがいますが、この人たちとの関係も魂の前に償いを求めて現われ、そして次の地上生活において、ふたたびその人たちと一緒に生きようとする傾向を生じさせます。 そのようにして人々は来世で互いに再会し、前世における罪を互いに償い合おうとするのです。

 犯罪者を霊視しますと、その性質が一種の霊的な早産によるものであることがわかります。
前世の特別な事情のために、早期に受肉する理由があるときには、私たちはそれとは知らずに、地上生活をいい加減に生きようとする傾向を魂の奥底に持って、生まれてくるのです。 人生を真剣に考えない態度が、その人の魂の内的な在りようになってしまいます。
不慮の災難に遭った人は、力強い知性の力に恵まれて生まれ変わってきます。病気による早死は意志の力を強めるのです。


                                        --- シュタイナーの死者の書 ----


 ★或る人生の中で、人間の霊は自分自身の繰り返しとして、前世の初体験の成果を担って現れる。 この人生は、以前の人生の繰り返しなのであり、霊我が前世において学び取ったものを必然的に伴っている。
 霊我は新しい人生においても、必然的に自分の周囲を前世において身近だったものでとりまかせるのである。 肉体は、遺伝の法則に従っている。 一方、人間の霊は、繰り返して生まれ変らねばならない。 転生の法則は、人間の霊が前世の成果を次の生の中に持ち込むということの中にある。 魂は現世の中に生きている。 
しかし現世の中に生きているということは、前世の生活から独立しているということではない。 生れ変った霊が、前世から自分の運命をもってくるのだから。 そしてこの運命は、人生を規定している。 魂がどんな印象をもつことができ、どんな願望を充足させることができ、どんな喜びや苦しみをもち、どんな人間たちと出会うことになるか、これらすべては、これまでの霊の転生の中で、どのような行為が為されてきたかにかかっている。


                                     --- 「神智学」 ルドルフ・シュタイナー ---

 
 ★誕生から死に至る人生を見通す意識は、脳の働きによって生み出されますが、死後の門を通った後には別の意識が現れます。
 新しく生まれ変るまで持続するこの意識は、誕生から死に至るまでに経験したすべてについて、一種の回想を行います。自分のすべての行為を見、その行為が自分の魂に何を加え、何を生じさせたかを見ます。

 さて、私たちは誰でも死後に生涯を回想するとき、「私はそれによってもっと不完全になってしまった。」と言わざるをえないような数多くの経験を想起し、そのことから、「ふたたび機会を得たら、失った価値を取り戻すためにあらゆることをしよう」「人に加えた苦しみに自分なりの決着をつけよう」と望む意志が生じます。そのようにして、人間はふたたびこの世に生まれます。そのときの意識はそれまでとは別のものになります。
死後から誕生までのことは思い出せませんし、何かを償おうとした意志したことも思い出せません。しかし、この意志は彼の心の中に根づいています。 これこれこのことをしなければならない、と自分は意識していなくても、内部に生きる力によって、償いとなる何らかの行為に駆り立てられるのです。

 日常の意識しかなければ、ただひどい目にあったと思い、その苦しみをもっぱら結果としてしか見ないのですが、死後から新しい誕生までの間をも見通す意識があれば、自分が意図して、その苦しみや不幸を求めたのだ、と思えるでしょう。

                                     --- シュタイナーのカルマ論(カルマの開示)---

 ★精神科学のさまざまな探求の結果、わたしたちが30歳こに出会う人々は、非常にしばしば、前世において親子もしくは兄弟姉妹の関係であったことがわかります。 わたしたちが30代ごろに出会った人々は、来世において、たいてい親子、兄弟姉妹、親戚として出会うことになります。 現世において30代ころに知り合いになった人々は、前世において親族であり、来世において親族であるということです。 
人生のはじまりに両親、兄弟姉妹として出会う人々は、たいていの場合、わたしたちが前世において、自分の意志で選んで付き合った人々であったのです。 前世において人生の半ばで選んだ人々が、いまわたしたちの両親、兄弟姉妹になっているのです。

                                     --- 「いかにして前世を認識するか」---



                     


OSHO

 人には他の誕生を迎える選択の余地がない。次の誕生は私達の欲望によって強いられるものだ-----それはあたかも私たちが過去の自分の行為によって、誕生に向かって押し出されたり引き寄せられたり、また私達の未来に対する欲望によって前に引きつけられるようなものだ。
 自分の過去生を知った瞬間、霊的な革命と進化が起こる。そうすればあなたたちは自分が前回の生涯で終えたところから始めることになる。 さもなければ、あなたたちは果てしもないいくつもの生涯の中に迷い込んで、どこにも到達することはない。 そこには繰り返ししか起こらない。
 前回の生涯で何を達成したにせよ、それを知るべきだ。 そして前に向かって次の一歩を踏み出す能力を持つべきだ。
 自分が何であったかという支えと援助なしには人の可能性は花開くことはできず、その人が本当になり得る者になることはできない。 だからこそマハヴィーラと仏陀は生涯の40年間をかけて、人々にそれぞれの前世を思い出させようとしたのだ。
 現在の難しさはここにある。・・・ 人に前世を思い出させることができるのは、その人がこの生涯の非常に難しい記憶の直中で揺るがすにいられる能力を達成していて初めてできることだ。
 今回の誕生の記憶を受け入れることはそう難しいことではない。だが前回の誕生の記憶が押し寄せてくるときには、非常に難しいことになる。・・・・この生涯では、今日苦しんでいることは明日には忘れ去られるし、明日苦しむことはその翌日には忘れ去られる。だがいくつもの前世の記憶は、ばらばらではなく、一挙にどっと押し寄せてくる。あなたはそれを耐えられるだろうか?
人は、人生の最悪の状態を耐えられるようになって初めて、過去生の記憶に耐えられる能力を持つ。 どんなことが起こっても、何一つあなたを揺るがすことはない。
 この生涯のどんな記憶もあなたに不安を起こすことがあり得ないようになって初めて、あなたはいくつもの過去生の記憶の中に導かれ得る。

                                        ----- 「神秘の次元」----







バガヴァッド・ギータ
 (クリシュナ)
 個我は、現世の肉体を通じて少年期・壮年期・老年期を経験するように、(来世には)他の肉体を獲得する。このことについて賢者は惑うことはない。
 人が古びた衣服を捨てて、(別の)新しい衣服を着るように、個我は古びた肉体を捨てて、別の新しい肉体にはいる。




                      

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