江原裕之
★現世の人が思う不幸は、霊的世界から見ると幸せであり、現世の人が思う幸せは、霊的世界から見ると不幸なのです。
霊的世界の方々は、現世で生きる私たちの仕事や恋愛が成就するか否かには関心がありません。うまくいくかどうかは二の次なのです。それよりも、失敗してもいい、失恋してもいい、貧乏になってもいいから、さまざまな経験を通じて、私たちが喜怒哀楽の感動をたっぷり味わい、たましいを震わせ、豊かに成長していくことだけが、霊的世界の方々のもっぱらの関心の的であり、切なる思いなのです。
---- 「スピリチュアルな人生に目覚めるために」---
シルバー・バーチ
★地上生活のそもそもの目的は、居眠りをしている魂がその存在の実相に目覚めることです。
地上に再生する目的は、地上生活から戻って霊界で行うべき仕事があって、それを行うだけの霊的資格(実力)をつけることにある。 霊的生長というのは実際に物事を体験し、それにどう対処するかによって決まる。
人生の目的はいたって単純です。 霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。
この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。 その教訓を学ばずに終れば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。
あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。
あなたは教訓を学ぶために地上世界に来ているのです。 たとえ判断の誤りから挫折することがあっても、そこから多くの教訓を学ぶことができます。 挫折から絶望へと進んで何でも学べずに終れば、それはその人の責任です。
M.ドーリル
★人間の人生における目的は、この物質世界において彼自身にこびりついた否定的・消極的条件を征服することである。
我々の目的は自己克服である。 そして否定的なものから完全に自由となり、神と一体となることである。
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「秘教真義」 -----
アラン・カーディック
★霊が肉体をもって誕生する目的は----
完全に到達する手段として、神の課し給うた必要な体験である。 ある霊にとっては罪亡ぼしの意味をもち、またある霊には、これをもって使命をはたすことになにる。 完全を達成するために、彼等は地上生活のあらゆる盛衰変化を体験せねばならぬ。 罪亡ぼしのためにいろいろ経験をすることは大変有用なことである。
霊は、初め、すべて素朴で無知なものとして創られた。
彼等は地上生活の苦難と闘争を通じて教訓を獲得するのである。
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「霊の書」 ----
神智学
★人間は物質界においてだけしか達成されないある目的のために、肉体の生を得たのである。
物質界には他の世界では学び得ない教訓がある。
それを早く学びとればとるほど、それだけ早くわれわれはこの低次の制約多き生に戻る(輪廻)必要から解放されるのである。
高我は肉体の中に下生し、その新しい諸体を次第次第に、しかもかなりの努力をもって統御してゆくという回りくどい幼少期を生き抜くためにはずいぶんの辛苦が要る。 故にその努力を愚かに浪費してはならないのである。
この点において、自己保存の自然な本能には従わなければならないのである。
地上の生活を十分に重んじ、事情の許すかぎりそれを維持していくことは人間の義務である。
神智学文献 ----
「神智学大要 (2) アストラル体 」-----
ステイトン・モーゼス
★人間には生まれついての宿命があり、それは否応なしに受け入れざるを得ぬ。問題はそれをどう理解するかにあり、それによりて進化が決まる。地上でユダヤ人となるかトルコ人となるか、またマホメット教徒となるかキリスト教徒となるか、バラモン教徒となるか、パルシー教徒となるか、それは生まれついての宿命的巡り合わせと言える。が、その環境を向上進化の方向へ活用するか、それとも悪用して堕落するかは、その霊の本質に係わる問題である。
地上にて与えられる機会は霊によりてさまざまであり、それを如何に活用するかによりて、死後の生活における向上進化に相応しき能力が増す者もあり減る者もいる。その辺のことはそなたにも判るであろう。
故にパリサイ主義的クリスチャンが侮蔑を込めて見下す慎ましく謙虚なる人間にとりても、あるいは恵まれた環境と、向上の機会の真っ只中に生を享けた人間にとりても、真の向上の可能性においては些かも差はないのである。要は霊性の問題である。
本人には障害であるかに思える出来ごとも、実は背後霊が必要とみた性質――忍耐力、根気、信頼心、愛といったものを植えつけんとして用意する手段である場合がある。一方ぜいたくな環境のもとで周囲の者にへつらわれ、悦に入れる生活に自己満足することが、実は邪霊が堕落させんとして企んだワナである場合がある。
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「霊訓」 ------
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