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★第一イニシエーション ---- 大白色聖同胞団の一員となる時期

  適正条件...(1)「資格」のすべてを最小限、そしてその中のあるものについては最小限よりずっと多くもっていなければならない。
         (2)高我と低我とか結合していて、高我が完全に低我を支配し、低我の中では高我のみが働いている状態に
           なっていなければならない。
         (3)心身の大きな緊張に耐えうるほど頑強でなければならない。


 「資格」                 ---- (神智学大要・メンタル体) ----
<1> ヴィヴェーカ Viveka (識別)
    . 求道者は内的生活すなわち魂の生活および魂のための生活こそが本当の生活であることを学ばなければならない。
     真実なるものと非真実なるものとの識別、心の扉を開くこと。
     弟子は普通激しく変化する環境の中に投じられる。それは外界の事物がすべて不定であることを悟らしめるためであり、
     彼はそれによって識別力が大いに刺激される。
     弟子の生涯は普通は嵐と緊張との生活であり、それは彼の資格や能力を否応なしに急速に成長させ完成させる。


<2> ヴァイラーギャ Vairagya (無関心)
     非真実なるもの、過ぎ行くもの、行為の結果、に対する無関心、無執着。
     常在、不変の実在の方にますますその注意を固定するようになる。


<3> シャトサンパッティ Shatsanpatti (精神の六属性)
  (1) シヤマ Shama (想念の統制)
     弟子は感情や想念の混乱を平和に戻し、その関心の的となった多くの小事を除き去り、想念の乱れを制御しなければならない。
     俗世に住んでいる以上、感情と想念とは千々に乱れる波となってたえず寄せては返すため、そうでなくても困難なその仕事には
     幾層倍も困難が重なり、そのために安らぐこともなく、力を振り絞ってひとがんばりする機会も与えられない。

  (2) ダマ Dama (行為の統制)
     内なる心の制御に外なる行為の統制をつけ加えなければならない。
     心が魂に従うように、低級な性情は心に従わなければならない。

  (3) ウパラティ Uparati (寛容)
     すべての人を、ありとしあらゆるものを静かに在るがままに受け容れることであって、
     それをもって自分の好みに合った別のものになれと要求しないことである。 他の個性を尊重すること。

  (4) ティティクシャ Titiksha (忍耐)
     忍耐とは一切に快活に耐え、何事にも怒らず、ゴールに向かって迷うことなく直行する精神態度である。
     自分に来たるものはすべて法則によるものである。
     彼はわずか数回の短い生の間に過去生の積業を償う以上、そのツケはその分だけ重いことを悟らなければならない。
     (弟子は、通常人が例えば100回の生まれ変わりによってやっと償い終える質と量との業をわずか一回の生まれ変わりの中で
      償うように仕向けられる)

  (5) ジッラドゥハー Shradha (信念)
     求道者が投げ込まれる苦闘そのものが大師と自分自身とに対する求道者の信念、揺るがすことのできない落ち着いた、
     しかし強烈な信念を発達させる。

  (6) サマードハーナ Samadhana (平静)
     以上の五つの資格を得た後、取り分けて努力をしなくてもおのずからに平衡心がある程度成長する。
     あらゆる種類の精神葛藤の中にあってもなおかつ平静を保つこともまた必要である。
     この平静さは既述の急速な有為転変、諸行無常より学び取る。


<4> ムムクシャ Mumuksha (解脱への願望)
     --- 解脱への深い、激しい渇望、聖なるものとの合一に対する魂の憧憬、この憧憬がいったん根付くとそれを感じた魂は
     もはや地上の泉ではその渇きを癒すことはできなくなる。



★第二イニシエーション

     ---- 聖霊と火の洗礼。メンタル体は非常に拡大し発達する。サイキック力と知力が相当に進歩する時期。
     性格にほんのわずかでも高慢の気味があると、人はゆゆしい落伍の危険にさらされる。
     サカダーガーミン sakadagamin 「一度だけ戻れる者」
        このレベルに達した人は、アルハットの位(第四イニシエーション)に達する前にもう一度だけ化身すればよいという意味。

  (足かせ)  サンヨージャナ (Samyojana)
 1) サッカーヤ・ディッティ Sakkaya-ditthi (自己欺瞞)
     「我は我なり」の意識。これは人格と結びついているので、幻影以外のなにものでもない。足かせを完全に脱ぎ捨てるということは、
     個人というものは実に万有と一つであるという事実。従って、同胞としての兄弟姉妹に対立するような興味は決してもたず、
     他人の進歩を助ければ助けるほど、本当に進歩するものだという事実を悟るということ。

 2) ヴィチキッチャー Vichikiccha (疑惑)
     カルマと輪廻の教義についての疑惑。この「聖なる道」によって最高の美徳を得る方法の効果への疑惑。
     この足かせから自由になると、イニシエートは個人的な直接的知識か、道理に基づいてこのような事柄に関するオカルトの教えは
     真実であるという絶対的確信に達する。

 3) シーラッバタ・パラーマーサ Silabbata-paramasa (迷信)

     あらゆる種類の不合理な間違った信仰や、心情の浄化を外部的な祭祀にまったく依存することを含む、すべての救助方法
     (祈り、秘蹟、巡礼、断食.etc...)は補助手段であって、それ以上のものではない。
     役に立つ限りこれらを採用するであろうが
     それだけで救いが得られると信じてはいない。解脱は自分の内部に求められなければならないこと、そしてこれらの補助手段が
     自らの意志と智慧と愛を育成するのにいかに貴重であっても、唯一の解脱のよりどころである本人の努力に決して代えられない
     ことを 賢者は明確に知っている。
      すべての人間にとって必要不可欠であるような宗教形体は一つもないこと、また究極への道はどんな宗教あるいは宗教以外の
     分野を通してさえも見出されるということを、この足かせを脱却した者は悟る。



★第三イニシエーション

     ----- アナーガーミン Anagamin 「戻らぬ者」
     次のイニシエーションを同じ生涯の間に受け取ることができる。コーザル体が特に開発される。

  (足かせ)
  
4) カーマ・ラーガ Kama-raga
     世俗的愛によって代表される感覚的楽しみの執着

  
5) パティガ Patigha
     怒りや憎しみのあらゆる可能性



★第四イニシエーション

     ニルヴァーナ界(涅槃)に入り、その後、人間の自我がその存在を保っている五つの低次部分界より成る区域を着実に
     登りつめていく。

     ●アルハット「阿羅漢」......称賛に値する人、力量ある人、尊敬すべき人、完成した人、パラマ・ハムサ(Parama-hamsa)
     候補者は全くの孤独状態に置かれねばならない。
     彼は、物質界で一人ぼっちにされなければならない。
     アヴィーチ avichi と呼ばれる状態を瞬時の間経験しなくてはならない。
       ※アヴィーチ avichi .... 「波のない」という意味で、振動がないこと。それは人が空間に全く一人でいる状態。
                     すべての生命、さらにはロゴスの生命からさえも切り離されてしまったように感じられる状態である。
                     それは人間が味わい得るものの中で、疑いなく最も身の毛のよだつ恐ろしい経験である。

  (足かせ)
  6) ルーパ・ラーガ Rupa-raga
      形体の美に対する欲望、またはある形態の中の物質的なものに対する欲望で天界のものへの欲望も含む。

  7) アルーパ・ラーガ Arupa-raga

      形態のない生命に対する欲望

  8) マーナ Mana
      高慢

  9) ウッダッチャ Uddhaccha

      興奮または苛立たしさ、即ち何にでも心を乱される可能性

 10) アヴィッジャー Avijja

      無知



★第五イニシエーション

      ---- アデプトとなる。「彼は人間としての生を受けてその目的を果たした」
      アセーカ Asekha .... 非学徒、超人 ---- 仏教
          この方にはこの上人間として学ぶものはなく、人間界の可能性を使いつくしてしまわれた。
      ジーヴァン・ムクタ Jivan-mukta ----- ヒンドゥー教
          生前解脱者、自由になられた存在。





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