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江原啓之

 
因果律は今生において必ずプラス・マイナス・ゼロとなるようにすべて計算されている。一つの狂いもない。この世での思い、行動、言葉、すべて霊界のほうではインプットされている。それを死後すべて見させられる。
 (霊媒体質ではなくて)、それが病気のような形で出る方もいます。病気に長年悩まされるとか、そういった方もいらっしゃいます。
それも一つはその方の病というのが非常にその家の因縁的なものを浄化させようとする働きがある。 病気になることによって、苦しむことによって浄化するのです。
 先祖のことはやはり自分の責任でありまして、また、前世も同じなんですが、これをグループ・ソウルという言い方、類魂という言い方をするんですけれども、やはり、連帯、団体の責任であると。
 要するに、一端を担っているわけです。ですから、先祖のことであろうとも、前世のことであろうとも自分のことである。
自分の現世の生き方が先祖の浄化につながる場合もあるんです。生き方そのものが供養になる場合もあるんです。
                                                    ----- 「あの世の話」 -----

 
犯罪に巻き込まれたり、家族関係で大変な苦労をしたり、といった試練が大きい人たちというのはある意味霊的なレベルが高いのです。魂のレベルと金銭的に成功するかどうかは関係ない。
                                              
----「ANOYO」----





R.シュタイナー


 ★この物質界での体験は、前世における人生によって規定されています。
人間は過去を通して未来を規定します。 ある人生において出合う事象の原因は前世の中に探さなくてはなりません。
人間が考え、感じ、知覚したものはすべて持続するものとして、アストラル界に組み込まれます。 多くの痕跡がアストラル界に残ります。 人間が行った行為は「アカシャ年代記(アカシック・レコード)」の存在する神界の最も高次の領域の力とともに、自分がどこに生まれるかを決定する働きをします。 神界のこの領域に、人間を誕生の地に運んでいく力が存在します。 

 ●善行を果たすことに尽力した人は、来世で善行の刻印された才能を持つことになります。 そして、入念に発達した良心を持ち、道徳的な人物になります。

 現世における継続的な性格、素質等は、来世において肉体の中に現れます。 

 ●邪悪な傾向や情欲を発展させた人は来世で、不健康な肉体を持って生まれます。 

 ●健康に恵まれ、忍耐力のある人は前世で善良な特性を発達させてきました。 
  病気がちの人は邪悪な衝動を養ってきたのです。 

 ●周囲のものをすべて愛し、どのような人とも愛情をこめて接する性向を持ち、愛が溢れ出るような人生を送った人は、来世でいつまでも若々しく、いきいきとした肉体を持つことになります。

 ●他者に対して反感を抱き、周囲のものをすべて批判し、咎め、憎しみに満ちた人生を送った人の肉体は、早くから年老い、皺が増えます。 ある人生における性向と情熱は、来世における肉体の生活に転移していきます。
 
 ●金銭を貯めたいという激しい営利心を持つ人は、来世で伝染病にかかりやすい体質に生まれます。 
 金銭を儲けようとせず、人類全体のために働きたいという客観的な努力は、来世において伝染病に対する抵抗力を生み出します。

 大勢の人が苦痛と苦悩を嘆いています。 高次の観点から見れば、苦痛や苦悩を克服することで、来世においてこの苦痛と苦悩が、叡智と思慮と洞見の源泉となるのですから、嘆くのは正しくないです。 

 ●苦しみと痛みを静かに耐えることが、来世において叡智を創造します。
 病気に耐えると、しばしば来世で特別美しい体に生まれます。 肉体の美しさは、多くの場合、前世における病気を通して得られたものです。
                                                      ------ 薔薇十字会の神智学  -----


 ●犯罪者を霊視しますと、その性質が一種の霊的な早産によるものであることがわかります。 どんな魂も、物質界に正しい時点で降下することができます。 しかしそうしようとする傾向が別の傾向とぶつかりますと、多くの人は、そして特に犯罪者は、通常の場合よりもはるかに早く地上に降りてきてしまい、そして別の結果を生じさせてしまうのです。

 ●不慮の災難によって生命を奪われ、まだ死ぬべきでない時期にこの世を去った人びとは、(次の生で)力強い知性の力に恵まれて生まれ変わってきます。
 長生きできる生命力を持っていた人間が不慮の災難に遭って、地上の生活から引き離されてしまうとき、その残された生命力は霊界の真夜中の後で、知的な認識力として使用できるのです。 大発明家には、前世において不慮の死を遂げた人が多いのです。

 ●病死した人、病気によって多くの苦しみを経験した人は、意志の力が強められます。 病気による早死は意志の力を強めるのです。
                                                         ----- 「死者の書」 ----


 ★いま人類は、輪廻転生とカルマを信じることがもっとも困難な時代に生きています。 今日の外的な文化生活の担い手は、輪廻転生とカルマを信じることから遠く離れています。 現代人は、精神的に努力したか、物質的に努力したかにかかわりなく、来世では、前世を感じる素質を持つようになります。 現代人は生まれ変わった時、前世について何かを体験したい、なにかを知りたいという強い望みを持つようになります。 

 わたしたちは時代の転換期に生きているのです。 輪廻転生とカルマについて知ろうとすることがもっとも少ない時代と、前世を知りたいという強い望みを持つようになる時代との転換期に、わたしたちは生きているのです。 来世では「前世について知ることができないなら、いまの人生は砂上の楼閣のようなものだ」という激しい感情を自分のうちに感じることになります。 そして現在、輪廻転生とカルマを激しく否定している人々が、来世でもっとも苦悩することになります。 どのように人生が形成されていったかを説明できないからです。

 ●若い頃から信心深い人、また、老年になって信仰に目覚めた人の前世へとさかのぼっていくと、その人はかつて知識人であったという事実が明らかになります。 前世における知識、前世における悟性の理性的要素が、現世における信仰の要素に変化したのです。 

 ●唯物論的な人間で、なにごとも信じようとせず、ただ知りたいと思う人は、前世において愚鈍で無気力で、なにごとにも無関心な人だったのです。

 ★わたしたちが現在内面に有していることが、来世では外的に明らかに現われることになるからです。

 ●嘘をつく傾向のある人、軽い心でさまざまなことを受け入れる人は、来世で軽薄な人間になります。 わたしたちがなにを考えるか、どのように考えるか、どのように真理に向かい合うかなど、この人生において内的であったものが、来世における行動の尺度を形成するからです。 

 ●たとえば、よく調べないでその人を悪人だと思い、そのような吟味不足の判断を一生のあいだ持ち続けると、来世において喧嘩早い、喧嘩腰の、嫌な人間になることが明らかになります。
                                                      ---- 「いかにして前世を認識するか」 ----


 ★前世の利己主義的な本質から発した傾向は、虚弱な身体組織に表現されます。 虚弱な身体組織は、前世における利己主義的な行為に由来するのです。
 ★献身や愛というものを知らず、浮ついた人生を送った人が、つぎの人生で嘘をつく傾向を持つようになるのです。 そして、嘘をつく傾向が、その次の人生において、正常でない身体組織として示されるのです。

 ★自然災害で、多くの人が死にました。 それらの人々が一緒に死んだのは彼らのカルマ(業)だ、と思ってはなりません。 そのように思うのは、安っぽい考えです。 ・・・ それらの人々は、来世で結びつき、共通の運命によって、共同でなにかを世界にもたらすことを試みます。 その災害によって、来世ではたんに物質に関わることをやめる原因が形成されたのです。 そうして来世のために、精神的なものへと向かう態度が形成されるのです。
                                                         --- 「カルマの開示」 ---

 ●地震で死んだ人は、つぎの生で、精神的で、敬虔な人物になる。 その人は精神的に進んでいて、地上的なものは無常であるということを知るためにあとは地震という衝撃だけが必要だったのである。 その作用は神界に影響を及ぼし、つぎの人生のための果実として、物質ははかなく、霊-精神は強いということを学ぶ。 
                                                        ---- 「神智学の門前にて」 ----


 ★不幸な出来事の意味を正しく理解するならば、次のように考えるはずです。即ち「それが過去の弱点のせいだとしたら、不幸が私を襲ったのはよいことだ。 なぜなら私は自分の弱点故に、既に過去に過ちを犯していたかもしれないし、不幸な出来事を通して、私はこの自分の中の弱点を感じ取れるようになるからだ。 不幸な出来事に遭うからこそ、私は自分の弱点を消し去ることができる。 私は再び強くなるだろう。」、と。 
 人生において望んでいることだけが起こるならば、人間はそのような経過によって本当に弱くなってしまいます。 望んでいることだけが起こるならば、たしかに私たちは一度か二度の地球上の人生を快適に気持ちよく生きることはできるでしょう。 しかし、障害を克服するための緊張がまったく生じないために、私たちは三度目、四度目の地球上の人生では、魂的にも霊的にも力が抜けたような状態に陥ってしまうでしょう。
                                                      ---- 「天使と人間」 ----





シルバー・バーチ

★地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。 なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。 ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。 
 霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。 

 原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いた種子は自分で刈り取ります。 そこに奇跡の入る余地もなければ罰の免除もありません。 摂理は一分一厘の狂いもなく働きます。 不変・不易であり、数学的正確さをもって作用し、人間的制度にはお構いなしです。 この世には偶然も偶発事故も奇跡も存在しないと私が申し上げているのはご存知でしょう。 すべてが自然法則の相互作用から生じていることです。 
言い換えれば、原因と結果が交互に所を変えながら連鎖関係を続けているということです。
                                             
 
                                                    



M・ドーリル

★因果則(律)、それは適当な適応行動によって、過去に創った原因のすべての結果を中和否定して改めることができる。 過去に積み重ねた因によって、我々がその報いとして苦しめられるべきものということではない。
 また、神なる法則は我々個々人に自由意志の能力を与えているから、その直面した因の結果に対して、考えられる多くの対処法の一つを自由に選べるのである。 過去に積み重ねた因の結果に対する現実の対処法がまた、未来への新しい因となり、それ相当の果をもたらすのである。

 毎日毎日、我々は因果則の因を形成しているのであり、その果は今生でか、または来世でもたらされるのである。 したがって我々は、来世において生まれるべきエゴ(魂)の肉体と環境との種類を規制(コントロール)しているのである。

 因果律は、自己自身の運命の唯一の規制者は自分自身であるという神の聖なる法則である。 
それはその人の人生において起こるすべてのことの責任は自分にあるという法則である。 人間は、自分自身の行為によって自分自身を罰し、あるいは応報しているのである。 己れが蒔いたものは己れが刈りとらねばならないというのが不変の法則である。

                                                          ------- 「秘教真義」 ------   




エドガー・ケイシー

 ★今日のその人の状態は何日前、何年前、何万年前のその人の経験です。 それは人生は連続しているからです。 それ故、それが物質に現われていようと、その他の意識領域にあらわれていようと、まったく同一のものです。
 地上には不変の霊的法則があることを知りなさい。 まず第一に、似たものは似たものを生むということ。 
あなたは自分の蒔いたものは何でも刈りとるのです。 神をあざむくことはできません。 
なぜなら、今あなたが隣人をあしらうように将来他人からあしらわれるのですから。

 あなたがかつて行ったことを思い出しなさい。 今あなたはそれらをつぐなっているのです。 そのことを心に留めて生活しなさい。 
 あなたが肉体的、精神的、霊的にいかなる状態にいようと、それはあなたが自分で創ったものであり、あなたの発展に必要なのです。 けっして自己憐憫におちいったり、だれかに虐待されたなどと考えてはなりません。 
あなたは蒔いたものを刈りとっているのですから。 
                                             
                                                          ------- 「転生の秘密」 -----





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