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チベットの歴史
仏教と瞑想
タントラへの道

 ● 著書リスト   ☆=所有本
Born in Tibet ................................................................................................. ☆ 「チベットに生まれて 或る活仏の苦難の半生」  人文書院  1989年
Meditation in Action ☆ .................................................................................. 「仏教と瞑想」  Unio  1996年 (絶版)
Mudra (詩集)
Cutting Through Spiritual Materialism (Berkeley 1973)............. ☆ 「タントラへの道」   めるくまーる社  1981年 (絶版)
Visual Dharma
The Tibetan Book of The Dead ☆
The Dawn of Tantra ☆ ................................................................................ ☆ 「タントラ 叡智の曙光」  人文書院  1992年 (絶版)
Glimpses of Abhidharma ☆
The Myth of Freedom (Boulder 1976) ................................................. ☆「タントラ - 狂気の智慧」 めるくまーる社  1983年 (絶版)
Smile at Fear: Awakening the True Heart of Bravery
SHAMBHALA : The Sacred Path of the Warrior .......................... ☆「シャンバラ 勇者の道」 めるくまーる社 2001年
The Myth of Freedom and Way of Meditation (Shambhala Classics) 
The Life of Marpa the Translator: Seeing Accomplishes All
The Sanity We arre Born with: A Buddhist Approach to Psychology
Training the Mind and Cultivating Loving-kindness
Crazy Wisdom (Dharma ocean series)
The Truth of Suffering: and the Path of Liberation
Illusion's Game : The Life and Teaching of Naropa .................. ☆「心の迷妄を断つ智慧  チベット密教の真髄」 春秋社 2002年



              

1939年2月、ドルジュ・ドラドゥル・ムクポ(トゥルンパの幼名)は、東チベットのカム州で、農民の息子として生まれる。
 自伝によると、母親はトゥルンパを受胎した夜、一筋の光とともに何者かが胎内に入るのを夢に見た。そしてその年はまだ冬のさなかにもかかわらず、あたり一面に花々が咲き乱れ人々を驚かせたという。また、その日、村には虹がかかり、水がはいっているはずの桶がなぜか乳で満たされていた。一方母方の親戚の人々は、高僧が自分たちのテントを訪れる夢を見た。

生後13ヶ月のとき、転生活仏 (重要なトュルク <活仏>、すなわち転生した師) として認定される。チョギャム・トゥルンパはトゥルンパ・トュルクとして知られる師系統の第11代目であった。
カーギュ派の総本山であるスルマン僧院の院長という伝統ある座に就任。
以後18年にも及ぶ徹底した仏教英才教育を受ける。 カーギュ派のトュルクとしての訓練は組織だった瞑想実践と仏教哲学の洗練された理論的理解に基づいていた。

1944年、5歳にして大修道院長に任命される。

1947年、8歳のとき沙弥(しゃみ - 7歳以上20歳未満の出家者)となる得度式を受ける。得度の後、伝統的な宗義に関する集中的な研究と実践に専念し、書法の技術やタンカの描き方、僧院の踊りにも励む。主な師僧はニンマ派とカーギュ派の指導者であるセチュンのジャムゴン・コントゥルとケンポ・カンシャルであった。

1958年、19歳でキョルポン(神学心理学博士号に相当)とケンポ(修士に相当)の学位を取得。
 
1959年、中国のチベット侵略から逃れるためヒマラヤを越えてインドへ亡命。 
ダライ・ラマから、インド・ダルハウジーの青年ラマ僧研修所の精神的アドバイザーに任命される。
そこで、4年間ほどチベット僧の指導にあたる。  

1963年、奨学金を得て、アコン・トゥルクと共に英国オックスフォード大学に留学、比較宗教学、哲学、美術を修めた。この期間、日本の生け花、草月流の免許も取得している。 

1967年、スコットランドへ移り、 西洋初のチベット仏教の瞑想センター 「サムエ・リン瞑想センター」を開設。

1968年、王家の招きをうけブータンを訪れ、そこでブータンで唯一の瞑想施設に入り、ジグメ・ワンチュク王子の個人教師を務めた。尊師パドマサンパヴァゆかりの地タクツァンで瞑想したトゥルンパは、西洋の科学物質文明のなかに仏教を真に根付かせるには、自分のなかの精神の物質主義を断ち切ることが必要だと悟る。
 イギリスに戻ると、精神の物質主義の根絶と慈悲の心の発展を通して西洋に仏教をひろめる方法の探究に没頭するあまり、自動車事故を起こし、左半身麻痺という重傷を負う。これが転機をもたらし、僧衣のかげに安住して自己の精神的安定をもとめる暮らしを放棄し、俗世間に自己を投げ入れる決意をした。また、若いイギリス人女性ダイアナ・ジュディスと結婚し、三人の息子をもうけた。彼の変化に、周囲の批判は高まった。 特に、一緒に留学をしたアコンとの意見対立は大きく、やむなくイギリスでの布教を断念し、 新天地をもとめ北米に渡ることを決めた。 

1970年、コロラド州ボルダーにヴァジュラダーツ・センターを設立。 仏教と美術の講座を受け持つかたわら広範な執筆活動を行い、また、演劇、詩、心理学、映像に関する重要な会議において指導者的な役割を務めた。 

1974年、Nalanda財団、ナロパ研究所・大学を創立。  『タントラへの道』『タントラ-狂気の叡智』を出版した。 流暢な英語を話し、通訳なしで西洋の学生たちに法を説き語ることのできる最初のラマ僧だった彼は、アメリカでの人気が急上昇、 一躍、精神世界のリーダーとして注目されるようになる。 
フランチェスカ・フレマントルと共同で「チベット死者の書」の新訳を出す。

1977年、シャンバラ・トレーニング・プログラムを設立。  世俗的な環境の中で、チベット仏教の本質を実践して生きるためのプログラムを展開し、多くの弟子が彼の元で学んだ。 アメリカでの成功を手にした彼だが、同時に数々のトラブルも抱えていた。 アルコール中毒、セックス・スキャンダルなど、宗教者としての姿から逸脱した話題に事欠かなかった。 

1986年、住居とヴァジュラダーツ・センター本部をカナダのハリファックスへ移す。 

1987年、48歳で死去。 晩年は、交通事故の後遺症と、深刻なアルコール中毒のため、急速に健康が蝕まれていったという。 遺族は妻のダイアナと五人の息子。長男のサワン・ウーセル・ランジュー・ムクポはヴァジュラダーツの本部長かつ精神的な最高指導者として、トゥルンパの跡を継いでいる。

                                        〜「タントラへの道」より〜   
                                       
チョギャム・トゥルンパ  Chogyam Trungpa
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